機甲少女の想いは一途   作:hekusokazura

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 ドアを開ければ、それはもはや見慣れた風景。

 重厚なテーブルの前の丸椅子に、ちょこんと座っている空色髪の女の子の細い背中。女の子の赤い瞳から放たれる視線は、手もとに広げられた文庫本のページに熱心に注がれている。

 冬月は、彼が訪室したことにも気付いていない様子の女の子の横を通り過ぎると、本革製の椅子に腰を掛けてテーブルの上の端末機を起ち上げ、老眼鏡を掛けて今日1日で溜まったメールと明日のスケジュールのチェックを始める。

 

 

 ピピッと軽い電子音。

 女の子はアラームを鳴らす黒いスーツの手首のコントロールパネルに触れ、アラームを切った。そしてその時初めて椅子に腰掛けている冬月の存在を知り、ビクッと肩を震わせて思わず文庫本を閉じてしまう。

 

「あっ…、あ~…」

 

 悲しげな声を上げながら、慌てて閉じた文庫本を広げる女の子。どこまで読み進めたか、分からなくなってしまったらしい。そんな女の子に冬月は小さく笑いながら。

「173ページあたりではないかね?」

 冬月に指摘された通りのページを開く。女の子の顔に、ほっと安堵の表情が広がったことを横目で見ながら確認した冬月は、端末機の画面に視線を戻す。

 

 女の子は文庫本のカバーの袖を栞代わりに挟み、閉じた文庫本を口もとにやりながら冬月に対して頭を下げる。

「あ、ありがとうございます…」

「構わんよ」

 冬月は端末機の画面から目を離さず応える。

 女の子はもう一度冬月に対して頭を下げた。

「す…みません…」

「何がだね?」

「勝手に…、入ってしまっ…て」

「好きにしたまえ。読書中の君への説教は馬耳東風であることは、この1カ月で思い知らされたからな」

「…すみま…せん…」

 呆れた様子の冬月に、恐縮してしまった様子の女の子。冬月は意識して声音を柔らかくして言う。

「どこまで読み進めた?」

「…半分ほど…です…」

 冬月は画面から目を離し、女の子が口もとに押し付けている文庫本をちらりと見る。全部で300ページくらいだろうか。冬月なら2時間もあれば読み終えてしまえそうな文庫本。発売された当時は凡作との評価が一般的だったジュブナイル小説。なぜこのような本が本部の図書館に所蔵されているのか。それは冬月の中におけるネルフ7不思議の一つであるが、そんな小説を彼女はじっくり丁寧に、常人の何倍もの時間を掛けて読んでいるようだ。

 小さく口もとに笑みを浮かべながら、視線を画面に戻す。

 

「あ、あの…、冬月先生…」

 女の子からの躊躇いがちな声。

「なんだね」

「質問…、いいですか…?」

「構わんよ」

 その冬月の返答に女の子は顔をぱっと明るくさせ、文庫本のページを捲る。

「このお話し…。舞台の「学校」というのは…」

「以前説明した通りだ。若者が集まり、勉学に励む公的機関だ」

「はい…。「放課後」というのは…」

「1日の全てのカリキュラムが終わった時間のことを指す」

「はい…。それで、その「放課後」の「学校」の「教室」という場所で、主人公の男の子と女の子がお話をしてるんですが…」

「ふむ」

「男の子が、突然、女の子に「好きだ」ってゆーんです…」

「そうか」

 どうやら、女の子が読む文庫本の物語は、中盤の佳境に差し掛かっているらしい。

「冬月先生…」

「なんだね」

「「好き」って、なんですか…?」

 冬月は端末機のキーボードを叩く指を止め、老眼鏡を傾けながら女の子を見る。

 冬月は口もとだけでなく、目も細めて笑った。

「それをここで説明してしまってはつまらんだろう。その本を読み続けなさい。物語を最後まで読めば、君にも分かるはずだ」

「最後まで…ですか…」

「ああ」

 冬月は視線を端末機の画面に戻し、キーボードを叩く作業を再開する。

 歳の所為かこの頃強張りを見せる指を懸命に動かしながらキーボードを叩き続けて約10秒後。

 

 冬月の指が止まる。

 

 視線をゆっくりと女の子の顔へと向けた。

 

 

 文庫本を胸に抱き締める女の子は、静かに笑っている。

 

「それじゃあ、もう、間に合わない、ですね…」

 

 女の子のその言葉に、冬月はキーボードの上に置いていた両手をゆっくりと椅子のひじ掛けに乗せ、背中を背もたれへ預ける。老眼鏡を外し、目を伏せて右手でこめかみを押さえ、一度だけ鼻から溜息を漏らす。

 

 顔を上げ、正面から女の子を見つめた。

 

「「好き」という感情については…」

 

「「綾波レイ」は…」

 

 元教授らしく、教え子から投げられた問いを一から丁寧に解説し始めようとしたその矢先に、女の子が声を発した。

 

「「綾波レイ」は、「好き」、を、知ってますか?」

 

 冬月は口を噤み、女の子の顔を見つめた。

 そしてゆっくりと頷いて言った。

 

「ああ。「綾波レイ」ならば知っているだろう」

 

 「それは仕組まれた感情ではあるがな」と心の中で苦々しく注釈を入れながら。

 

 冬月は女の子の顔の隅々にまで、喜びが広がっていくのを見た。

 

「良かった。嬉しいです」

 

 女の子は、文庫本をひしと抱き締めている。

 

 

「私、早く、「綾波レイ」に、なりたいです」

 

 

 

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

 

 

 

 モニター室には数名の技術者が詰め、それぞれが担当するコンソール上のキーボードを澱みない動きで叩いている。

 彼らの動きを後ろから眺めていた冬月は、モニター室の前面に張られた窓ガラスに近寄ると、窓ガラスの外に広がる大きな空間に目をやった。

 

 

 六面体の空間には、紫色の甲冑を纏った巨人が床に腰を下ろし、膝を抱えて座っている。俯いた巨人の後頭部には何本もの野太いケーブルが刺さっており、そのケーブルの行き先は巨人のすぐ隣。まるで鋼鉄で作られた心臓のような形の巨大な球体が床の上に鎮座しており、その鋼の心臓に巨人から伸びた何本もの野太いケーブルが突き刺さっている。

 

 その鋼の心臓に向かって歩いていく一団。

 数人の白衣に囲まれて歩く、一際小さく、細い人影。

 肌にぴったりと引っ付く、黒いプラグスーツを纏った女の子。

 

 白衣の者に指示されたらしく、女の子はその場で躊躇う様子もなくプラグスーツを脱ぎ始めた。袖から腕を抜き、スーツを腰まで下ろし、裾から足を一本ずつ引っこ抜く。黒のプラグスーツの下から、女の子の真っ白な裸体が露わになる。中身を失ったプラグスーツは、床に投げた。

 鋼の心臓の中央は、人一人が出入る出来る程度の大きさの鉄扉になっていた。その鉄扉が重々しく開くと、そこにはやはり人一人が入れる程度のスペースがある。

 白衣の者に促された女の子は、開いた鉄扉へと向かう階段を上り始めた。

 階段を上り切ったら回れ右をし、扉の中にある人一人分のスペースの中に、背中から身を収める。

 白衣の者から注意事項か何かを説明されているのだろう。白衣の者に対し、小さく頷き返している女の子。

 

 白衣の者が、階段を下り始めた。機械式の鉄扉が、ゆっくりと閉まり始める。

 ふと、女の子の顔が上を向いた。女の子の視線の先には、この実験房を見下ろせる位置にあるモニター室のガラス窓。そのガラス越しに立つ人影に気付く。

 女の子は穏やかな笑みを浮かべながら、その人物に向かって小さく手を振った。

 

 

 鋼の心臓の中に収まった女の子が、こちらを見上げながら小さく手を振っている。

 両手を腰の後ろに組んでいた冬月。

 暫しの逡巡の後、両手を解くと右腕を体の前に出し、手を広げる。

 女の子に向かって小さく手を振ろうとして。

 しかし、冬月が女の子に手を振り返そうとした時には、すでに鉄扉は閉まり、女の子の姿は見えなくなっていた。

 

 

 

「被検体A。転送システムにエントリー完了。いつでも開始できます」

 この場を取り仕切る科学者が冬月に報告する。

 鋼の心臓のような転送システムを見下ろしていた冬月は窓ガラスから離れると、科学者に目をやり、頷いた。

「碇が来たら始めよう」

 と冬月が答えている最中にも、モニター室の奥の扉が開き、碇ゲンドウが入ってきた。ゲンドウの登場により室内の気温は体感温度で3度ばかり低くなり、鳴り続けていたキーボードを叩く音もまるで息を潜めるように一斉に消えた。

「碇。準備は出来ている」

「ああ。では始めよう」

 ゲンドウはモニター室が見渡せる位置にある椅子に腰を掛けた。

 冬月の視線を受け、科学者は部下に指示を下す。

 

「転送システム起動」

 

「システム起動します。稼動電圧、臨界点まであと2、1、突破しました。全回路正常。システム、安定しています」

 

「被検体Aに神経接続開始」

 

「被検体A、神経接続開始します」

 

 ゲンドウが見つめる先にある大型モニター。その半分に、転送システムから送られてくる被検体についての様々なデータが表示される。

 

「被検体Aのパーソナルアーカイブ、解析開始します」

 大型モニターの隅に、「0%」の文字が浮かび上がった。その「0」は、「1」へ、「2」へと次第に数字を大きくしていき、やがて「100」へと到達する。

 冬月は大型モニターから視線を外し、窓ガラスの外にある転送システムを見下ろした。

 

「被検体Aのパーソナルアーカイブ解析完了しました。チーフ」

 

「初期化開始」

 

 冬月は目を閉じる。

 

「了解。被検体Aのメモリーを初期化します。初期化開始」

 

 キーボードの音が、タン、と一度だけ鳴る。

 

「初期化完了。被検体Aの神経回路解放、状態アクセプタブルです」

 

「続けてエヴァンゲリオン初号機。神経接続開始します」

 

 実験は、滞りなく進んでいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

1-2.機甲少女が見た夢 《終》

 

 

 

 

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