(15)
科学者、技術者たちがキーボードを叩く音。時折、データを読み上げる声、指示を飛ばす声。
それ以外は換気扇の音と、彼らが啜るコーヒーの音しか聴こえないモニター室。
彼らは、モニター室前面の窓ガラス越しに見える巨人からとある魂を取り出し、別の肉体へと移すための作業を、淡々と進めている。
彼らの後ろ姿を見守っていた碇ゲンドウのジャケットの右ポケットから電子音が鳴った。ゲンドウはポケットから通信端末機を取り出し、耳に当てる。ゲンドウは通話相手と短い会話を交えた後、通信端末機をポケットにしまった。
椅子から立ち上がりながら、腹心の名を呼ぶ。
「冬月」
窓ガラスから実験房の床に鎮座した鋼の心臓のような転送システムを見下ろしていた冬月は振り返った。
「後は任せる」
「最後まで見ていかないのか」
「ああ」
ゲンドウは短く答えながら冬月らに背を向け、モニター室から退室した。
作業は滞りなく進んでいく。
「初号機側の神経回路、解放確認できました。マスタークロックとの同期完了。初号機コアと被検体A、完全に同調しています」
「初号機からの転送準備、完了しました。チーフ」
部下からの報告を受けた科学者は腕時計を確認する。
「時間ね…」
科学者の呟きに、コンソールの前に座っている2人のオペレーターが囁き合う。
「ええ。ですが…、碇司令が…」
「司令が実験途中で退室するのは想定外です…」
2人を諭すように、科学者は言う。
「でもすでにゼロアワーは過ぎたわ。我々だけ動かないわけにはいかない」
「はい」
「分かりました」
彼らはコンソールの下に置かれた鞄に手を伸ばす。
「副司令」
「何だね、赤木くん」
背中に声を掛けられ、冬月は振り返る。
冬月の顔が、俄かに歪んだ。
冬月の視線の先には、拳銃を構えた赤木リツコが立っている。
転送実験の責任者でもある赤木リツコの背後では、彼女の部下の数人がやはり銃火器を構えて、他の同席者たちを牽制している。
「何のつもりだね。赤木くん」
そう訊ねた冬月の顔から、歪みは消えていた。リツコが構える拳銃の銃口はまっすぐに冬月の胸を狙っているにも関わらず、まるで明日の天気でも訊ねるような軽い口調で聞く。
「馬鹿な質問はお止め下さい、副司令らしくもない」
リツコはリボルバー式拳銃の撃鉄を起こしながら言う。
「拳銃を向けている者が、相手に望むことは一つしかありません」
「両手を挙げればよいのかね?」
大袈裟な動作で両手をリツコに見せながら肩の位置まで上げてみせる冬月。そんな冬月にしては珍しい冗談めかした態度に、リツコはくすりと笑う。
「これよりこの場は我々が仕切ります。流血は本意ではありません。どうか、我々に従ってください」
「科学を信望する君が理論ではなく、暴力で相手を支配する、か」
リツコを見据える冬月の目が普段以上に細くなった。
「君も変わってしまったようだね」
リツコは表情を変えずに言う。
「物事を円滑に進めるためには、時には手荒い手段も必要。これは碇司令から教わったことです」
「まったく」
冬月は目を閉じ、年齢相応のくたびれた溜息を漏らす。
「奴も碌でもない教え子だったが、その教え子もまた碌でもない者に育ってしまったようだ…」
「副司令。申し訳ございませんが、私たちにあなたの皮肉に耳を傾けている時間はありません」
リツコは彼女に従う部下たちに目配せした。
部下たちは、彼らとは陣営を異にする同席者たちを自動小銃で威嚇しながら一カ所に集め始める。一方、リツコは廊下へ続く扉へ近づくと、拳を使って扉を1回、2回、1回と特徴的なリズムで叩いた。するとドアの向こう側から、やはり1回、2回、1回とドアを叩く音。
リツコは扉のロックを解除する。
開いた扉から、武装した兵士たちがゾロゾロと入ってきた。服装はそれぞれバラバラだが、「WILLE」という綴りのロゴが入ったヘルメットに防弾ベスト、銃器、そして右の二の腕に巻かれた青いバンダナは統一されているようだ。
兵士たちの中の見知った顔に、冬月は声を掛けた。
「久しぶりだね。青葉くん」
「おっす。副司令。お久しぶりっす」
トレードマークの長髪を先端で結ったかつての直属の部下は、携えた自動小銃の銃口を冬月の胸へと向けながら、リツコのもとへ駆け寄る。
「リツコさん。碇司令は?」
支配下に置いた捕虜たちの顔を一人一人確認する青葉シゲルは、その中に最重要人物が居ないことに気付く。リツコは首を横に振った。
「残念ながら実験途中で退席してしまったわ」
「組織のナンバー1とナンバー2が同席する現場を強襲し、一網打尽にする。ちょっと考えが甘過ぎましたかね?」
「想定外はつきものよ」
リツコのその言葉に、青葉は天を仰ぎ見るように天井を見つめながら、芝居がかった動作で肩を竦めた。
「まるで我々の人生のようだ」
「冗談はいいから。実験房の転送システムの中にゼーレのパイロットが1人入ってるわ。さっさと確保して。パスワードはあなた達が居た頃と変わってないわ」
「分かりました。おい」
青葉は数人の兵士を引き連れて、モニター室を出ていった。
「パイロットはどうするつもりだね?」
2人の会話を聞いていた冬月は、リツコに質問を投げかける。
「ゼーレのパイロットについては全員処分します」
予想通りの答えだったため、冬月は驚かない。
「初号機はどうするつもりだね?」
「凍結した後、破壊します」
リツコは冷たい声でそう言うと、コンソールの前に立つ。
キーボードを叩いて幾つかのコマンドを入力し、コンソールの中央に挿し込まれていた鍵を握った。
窓ガラス越しに見える、巨人の顔を見つめる。
「レイ。悪いけど、あなたは永遠にそこで眠っていて…」
鍵を捻ると、実験房の中に響いていた様々な機械音が一斉に鳴り止み、薄く光っていた巨人の目からも灯りが消えた。
「我々は処分しないのかね?」
リツコはコンソールの画面上に映し出されるデータから、巨人の機能が完全停止していることを確認しながら冬月の質問に答える。
「冬月副司令。あなたと碇司令には私と共に、我々が犯してしまった過ちに対する責任を取ってもらわなければなりません。全ての情報を開示し、滅びかけの世界のコンテニューのための知恵を絞り切っていただいた上で、我々の処分は決まるでしょう」
そこで言葉を止め、握っていた拳銃をコンソールに向けて振り下ろす。拳銃の銃床はコンソールに挿し込まれていた鍵を根本から破壊した。
「さあ、副司令。お喋りの時間はあとでたっぷりと用意していますから。まずはここを発ちましょう」
「我々は何処に連行されるのかな? この老体に、長い距離の移動はこたえるが」
冬月の年齢を知っているリツコは、年齢の割には壮健過ぎる体つきの老人の言葉に笑みを零す。
「私たちの指導者のもとへ、です」
冬月の目が鋭くなった。
「指導者とは誰かね?」
「あなたもご存知でしょう。葛城ミサト…ですわ。副司令」
「葛城一佐がここに来ているのか?」
「彼女はもはやネルフの職員ではありません。大佐…、と呼んであげてくださいな」
冬月との会話を打ち切ったリツコは、再びコンソールに目を落とし、作業を続ける。
2人の会話が途切れたことを見計らった兵士の一人が、冬月をはじめとする捕虜たちに自動小銃の銃口を向けながら近付き始めた。
「爺さん、こっちに来な」
その兵士は、まずは捕虜たちの中での最重要人物である冬月を連行しようと近付いた。
全てのデータをチェックし終えたリツコは、コンソールから顔を上げる。
兵士が、不用意に冬月に近づいている姿を見て。
「気を付けて。冬月司令は柔道2だ…」
「え?」
リツコの声に、その兵士が間抜けな声を上げながらリツコに振り返ろうとした時。
「え?」
すでにその兵士の体は真っ逆さまになりながら、宙を舞っていた。
ここから冬月無双…じゃなかった、ちょっとしんどめな話が続きます。