空間を支配する暗闇を切り裂くように、スポットライトの強烈な光が上から下へと真っすぐに差し込んだ。複数の光源から放たれるそれらの光は、半分は闇の中に直立する1体の巨人を、そしてもう半分は、巨人の前に立つちっぽけなヒトを照らし出している。
巨人の前に立つ一人の少年。幾ばかりかの幼さをその顔に残しながらも立派な士官服に身を包んだ少年は、見る者を圧倒する巨体を誇る巨人の顔を、首を窮屈そうに曲げながらも涼やかな顔で見上げていた。
「やあ。ようやく会えたね。碇シンジくん」
少年のやや大きめな口から放たれる朗らかな声が、地下深くにある広大な六面体の空間の中に響き渡った。
人為的に引き起こされた落盤によって長期に渡って崩落した岩盤と流れ込んできた土砂で埋め尽くされていた空間は、連日連夜の掘削作業によりようやく全ての瓦礫が取り除かれ、その下から掘り起こされた巨人は再び人々の目に触れることになった。掘削作業が終わった直後とあって内部は土埃が充満しており、今も方々に設置された巨大な換気扇がフル稼働し、低い駆動音を空間の中に響かせている。
「「初めまして」…はこれで何度目かな」
挨拶代わりの握手を交わしたいところだが、握手をするには相手が大き過ぎるため、手の平から伝える温もりの代わりに、満面の笑みを相手に送った。その満面の笑みに、ほんの少しだけ困惑の色が浮かぶ。
「色々な形で君とは出会ってきたけれど、まさかこんな姿の君と初対面を迎える日がくるとは思わなかったよ」
埃塗れの厳つい巨人の顔を、愛おし気に見つめていた少年。その視線を巨人の顔よりさらに上の、突貫工事で修繕された継ぎ接ぎだらけの天井へと向ける。そこには少年が立つ場所へ眩い光を放つ巨大な照明がぶら下がっており、光を正面から受け止める少年は眩しそうに目を細めた。
「この「世界」は今までの「世界」と少し違うようだね。てっきりあの現象で、…リリンは「ニア・サードインパクト」と呼んでいるようだ。あの現象が起きた時点でこの「世界」は閉じられるものとばかり思っていたけれど、どうやら君はまだこの「世界」に絶望していないらしい」
再び視線を巨人の顔へ戻す。
「なるほど。君がその中に閉じ込められていては、君は外の惨状を知りえないだろうから。知らなければ、絶望することもないだろうし、選択を迫られることもないだろうからね…」
巨人の顔を見つめていた少年は何かに気付いたように目を瞬かせ、そして表情を少しだけ険しくさせ、視線を巨人の足もとまで落とす。
「あるいは彼は…、これを見越して君をその檻に繋いだのだろうか…。いや、まさか…ね」
自分の中で生まれた疑念を心の隅に追いやり、再び窮屈そうに首を曲げて巨人の顔を見上げる。
「それにしても、ちょっと過保護に過ぎるんじゃないかな。そうやって彼の目と耳を塞ぎ続けたところで、それが彼のためになるとは限らないのに」
視線は巨人の顔に向けられたまま。しかしそれまでの柔らかい声音とは明らかに違う、少し低く、厳しい少年の声音。
巨人は何も語らない。
「沈黙を守る…か。あの男の命令には常に忠実。君も相変わらずだね」
表情を崩し、困ったような笑顔を浮かべながら巨人の顔を見上げる。その笑顔は、やがて自嘲的な笑みへと変化する。
「かく言う僕も、今はあのおじいちゃんたちの命令に従うしかない」
少年の白い右手が、少年の白い首にはめられた金属製の首輪に触れた。
ずっと見上げていた所為で、首が痛くなってしまった。少年は両腕を大きく天に向けて突き上げ、伸びをする。
「あ~あ、それにしてもつまらないな」
伸びをすることで気に緩みが出たのか。少年の口から、ついつい本音が漏れてしまった。
「これまでの物語りとは少し違う、新しい役柄を与えられたと期待していたんだけどな。まさか大人たちのしでかしたことに対する後始末の責任者とはね。おまけに君ともまともに会えないままだし…」
「物言わぬ人外相手に一人語り掛けるのは、ネルフ総司令官の嗜みなんですかね?」
空間の中を、少年の朗らかな声とはまた別の、低いがよく通る声が響いた。
コツコツと革靴の足音がする方へ視線を向ける少年。その視線の先には、首まで伸びた髪を後ろ頭でまとめた男性が立っている。
「前任者もこんなことしてたのかい?」
「ええ。まるで恋人と逢引きでもするかのように、毎晩、熱心にね」
若干猫背気味の男性は少年の前に立つと、背筋をぴんと伸ばした。
「初めまして、渚司令。私は…」
「加地リョウジ、だね」
少年は男性が自己紹介を終える前に相手の名前を呼び、空っぽの右手を差し出す。
「おや。ご存知でしたか?」
男性は少しだけ驚いた表情を浮かべつつも、少年が差し出した手には全く警戒せずに握った。
「こうして直接言葉を交わすのは初めてだね。まったく…、この「世界」は色々と初めてのことだらけだ」
「はぁ…。私はゼーレの命により、ネルフの副司令を務めさせていただくことになりました。何なりとご命令を、渚司令」
少年は肩を竦めた。
「僕はゼーレの名代とは名ばかりのただのお飾りの総司令さ。実務については全て君に任せるよ」
少年のその言葉に、今度は男性が肩を竦めることになる。
「あらゆるメンドー事を全て私に押し付けるおつもりですか?」
少年はわざとらしくきょとんとした顔をしてみせる。
「この国のお偉いさんは提出された書類にハンコとやらを押していればいいんじゃないのかい?」
「我が国について多分に誤解と偏見をお持ちのようだ。あなたの前任者は寝る間を惜しんで職務に勤しんでいらっしゃったというのに」
「彼は彼。僕は僕だよ。でもまあいいじゃないか。この組織を君の好きなように使っていいと言ってるんだ。悪い話しじゃないだろう?」
相手にYES以外の返事を許さないような、蠱惑的な笑みを浮かべる少年。そんな少年に見つめられ、男性は苦笑いしながら逃げるように視線を床に投げる。
「怖い怖い。悪魔の囁きというやつですか?」
「僕が悪魔に見えるかい?」
少年の声が、半オクターブほど低くなる。
「時に悪魔とは、最も魅惑的な姿で人間の前に現れるものですよ。ところで渚司令」
「カヲルでいいよ」
男性が話題を変えると、少年の声は普段通りの朗らかなものに戻っていた。
「渚司令。初号機の現状についてですか」
「うん。それは聴いておきたいね」
「数十万トンもの土砂と岩石の下に埋まっていた割には綺麗なものですよ。さっそくリッちゃん、…じゃなかった、赤木技術課長が全身のスキャンを行いましたが、装甲に30%程度の損傷がみられるだけで、素体は無傷です」
『司令。副司令』
天井から降ってくる、スピーカー越しの女性の声。
「噂をすれば。彼女が赤木技術課長です」
『ダメです。初号機に対し、予備、疑似含めて外部からあらゆる回線を通じてコンタクトを試みましたが、初号機はこちらからの全ての信号を拒否しました』
男性は持っていた手のひらサイズの通信端末機に話しかける。
「拒否? 無応答ではないのか?」
『ええ。初号機側からの一方的な拒否です。これでは内部の状況をモニタすることすらできません』
「まるで籠城だね」
少年は巨人の顔を見上げながら呆れたように呟く隣で、男性は通信端末機に向かって問い掛ける。
「今後、初号機との接触を果たす上で考えうる方法は?」
『物理的手段によるエントリープラグの強制排除。電子回路を介さない生体部への強制アクセスなど、幾つか方法はありますが』
男性と通信機越しの女性との会話に、少年が割って入る。
「野蛮なことはやめておくれよ。相手は女の子だよ?」
「女の子…ですか?」
男性はやや呆れ気味に少年の頭越しに巨人の顔を見上げる。一本角を生やした鬼のような巨人の顔を。この組織のトップの座に収まった者は皆この巨人に執着を見せるようだが、あの厳つい顔が愛らしい女の子の顔にでも見えるのだろうか。
ぽかんとしている男性の顔に少年は苦笑しつつ続ける。
「それにどんな刺激を加えたところで、彼女は閉ざした扉を開いてはくれないだろうさ。あの男の命令でもない限りね」
「はぁ…」
あくまで「あれ」を「彼女」呼ばわりするのかと、男性はやや呆れ気味に少年の顔を見下ろす。
「いずれにしろ、おじいちゃんたちからの指示は初号機の凍結維持だ。下手に刺激して、予期しないインパクトの発生なんて事態は避けようじゃないか」
「仰せのままに。では初号機は渚司令の指示があるまで封印ということでよろしいですか?」
少年は頭を横に振る。
「言ったじゃないか。君に全て任せると。それと僕のことはカヲルと呼んでおくれよ」
「分かりました。渚司令。ああ、それと、そのおじいちゃ…ゼーレについてですが」
「彼らが何か言ってきたかい?」
「いいえ。彼らから贈り物が届きました」
「贈り物?」
「ええ。現状、対使徒戦における全ての戦力を失っている我々ネルフへの贈り物です。こちらが受領書になります」
男性は少年の前にバインダーに挟まれた書類を差し出す。
「おやっ。早速ハンコが必要かな?」
この国特有の押印文化に興味があるらしい少年。実は事前に作っておいた、自分の名前が刻まれた特大の判子をいそいそとポケットから取り出したが。
「ああ、いいえ。こちらは司令の署名だけで結構です」
「え? そうなの?」
少年は残念そうに眉尻を下げてしまう。
「ちなみに私が実務の全てと取り仕切るからには、判子などという業務の遅滞と形骸化を招くような悪習は即刻廃止しますので、そのつもりで」
「ええええ?」
少年は頬を膨らませ、あからさまに不満を顔にする。頬を窄ませると今度は唇を尖がらせながらバインダーを受け取り、胸ポケットに収めていた万年筆で書類に署名を綴った。そんな年相応?の表情を浮かべる少年と、その気品のある立ち振る舞いとは懸け離れたミミズが這ったような字で綴られる少年の署名に、男性は思わず吹き出しそうになってしまい、慌てて口を覆った。
少年は彼にしては珍しく顔から笑みを消して男性を横目で睨みつつ、苦労して署名欄に名前を綴っていく。
「下手っぴな字で悪かったね。字を書く習慣は殆ど無いものだから」
まだ初対面から5分と経たないが、何だか掴みどころのない人だと心の中で少年を評していた男性は、少年の意外な一面を見れたような気がして少し嬉しくなった。
「ふふっ。分かりました。渚司令の決済が必要な書類だけは、判子欄を残しておきましょう」
「君は人の心に取り入るのがうまいね」
少年はニッコリと笑いつつ、書類にある項目に目を通す。
「ゼーレ印のマーク7に、ユーロネルフから接収した8号機のエヴァ計2体。さらに予備を含めてパイロット4人か…。おじいちゃんたちも随分と大盤振る舞いをしてくれるんだね」
「あなたの就任祝いじゃないですか? 新しい機体はすでに5番ケージに搬入済みです。パイロットも到着しておりますが」
「パイロット…か」
「ええ。お会いになりますか?」
少年は書類から目を離し、背後に聳え立つ巨人の顔を見上げる。
「…うん。そうだね」
男性に向き直り、バインダーを返した。
「ここに連れてきてくれるかな」
穏やかだった男性の顔に、微かに影が差し込む。
「反吐が出ますよ?」
「みんな、同じ顔をしてるからかい?」
「ご存知でしたか。ええ、それもありますが、4人のうち3人は第3の少年たちよりもさらに幼い正真正銘の子供、ちびっ子たちだ」
男性は通信端末機に話しかけ、通信相手にパイロットたちをこの場に呼ぶよう指示を出す。
その隣では少年がズボンの両ポケットに手を突っ込みながら、革靴の踵でコツコツと床を叩いていた。
「組織のトップが子供ならば、そのパイロットは幼子か…」
踵で床を叩くのを止め、男性の顔を見る。
「これってもう末期じゃない?」
少年のズバリな指摘に、男性は困ったように頭を掻く。
「末期だろうが何だろうが、人類の存続のためにはこの組織が必要なんです」
「人類社会の継続。それが君の願いかい?」
男性は笑いながら首を横に振った。
「人類とか社会だとか、そんな大それた願いなど持っちゃいません。私の願いなんて、ささやかな、極ありふれたものですよ」
「ふーん」
「でもその願いを叶えるためならば、何だって利用してやろうと思ってます」
「僕も、かい?」
そう問う少年は、ニヤリと笑う。
「ええ、あなたも」
そう答える男性は、にっこりと笑い返す。
間違いなく、この男性には腹に一物も二物も抱えた人物だろうが、何故かその口から出る言葉は表裏を感じさせない。少年も、にっこりと笑いながら問い掛けた。
「君は、何を願うんだい?」
少年の静かな問い掛けに対し、男性は少年と顔を合わせてから初めて真面目な表情を浮かべながら、かつ明朗に答えた。
「子供たちが笑って暮らせる、明るい未来」
そして男性は表情を崩し、少し照れたように言う。
「俺、父親になるんです」