機甲少女の想いは一途   作:hekusokazura

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 爆発によって全ての壁が吹き飛び、大変見通しがよくなったネルフ本部第7ケージ。2度に渡る地殻変動で本来近く深くに埋まっていた第7ケージは今や周囲の山々が見下ろせるほどの高さにまでせり上がっており、おまけに壁もないため、山城の物見櫓のごとく周辺の様子がよく見渡せた。

 

 第7ケージは対使徒戦において最も戦果を上げた機体の専用格納庫だったが、その主の姿はない。

 主の代わりに居たのは一人の男。大きな瓦礫の一つに腰掛け、下界の様子を眺めている男の背中に、冬月コウゾウは声を掛けた。

「この一大事を前に一人呑気に見物を決め込むか。優雅なものだな」

 碇ゲンドウは肩越しに冬月を見たが、すぐに視線を下界へと移す。下界では、幾つもの光の筋が飛び交い、あちこちで爆炎が上がっている。光の筋の幾つかは2人が居る巨大構造物の壁にまで辿り着き、轟音と共に床が大きく揺れ、階下から熱風が巻き上がってくるが、地上を見つめるゲンドウは瞬き一つしない。

 

「戦況は?」

 冬月に背を向けたまま訊ねる。

「そこからであれば良く見えるのではないか?」

「メガネがない…」

「は?」

「メガネを失った。よく見えん」

 どうやら我らが最高司令官は呑気に高見の見物を決め込んでいたわけではないようだ。

 

 立ち止まるということを知らない男。

 その碇ゲンドウを立往生させたのが、メガネの紛失という極めて素朴な理由だったことに苦笑を禁じ得ない冬月。口の端から漏れそうになる笑い声を噛み殺しながら、右手に携えていたアタッシュケースを床に置く。ケースの蓋を開けると、中にはケース一杯に敷き詰められた端末機。端末機のキーボードを叩くと、蓋の裏にあるディスプレイ上に様々な情報が映し出される。

「本部内に侵入した敵はほぼ排除した。地上戦も我々に優位に動いている。急ごしらえの自律型マーク4だったが、思いのほか使えるようだ」

「被害は?」

「弐号機を強奪された。幽閉していた第二の少女も行方不明だ。連中に殺されたか、あるいは連れ去られたと見るべきだろう」

「初号機は?」

 ゲンドウのその問いに、冬月は小さな溜息を前置きにして答える。

「追撃したマーク7は返り討ちにあったようだ…」

 肩越しに冬月を見るゲンドウ。その目が普段よりも細くなっているのは、メガネを失った目の焦点を合わせようとしているからか。それとも…。

 

 冬月は続ける。

「5分前に8号機から通信が入った」

「8号機だと…?」

「ああ。サードインパクト以来行方知れずだったあの8号機だ。強奪者はやはり…」

「奴は何と言ってきた?」

「初号機を確保した。今から我々のもとに連れてくるそうだ」

「そうか…」

 ゲンドウは短く答え、視線を地上へと戻す。冬月の目には、ゲンドウの背中がほっと胸でも撫で下ろしているようにも見えた。

 

 

 突如、地平線の彼方に眩いばかりの巨大な爆炎が上がった。

 視界のあらゆるものがぼやけてしまっているゲンドウの目にもその爆炎は飛び込んできて、再び目を細めてしまう。

「あれは我々の造兵廠の近くだな」

 冬月もただでさえ細い目をさらに細め、地平線に浮かぶ爆炎を見つめた。

「近海に敵大艦隊が展開していると聞く。連中による攻撃だろうが…」

 おそらく造兵廠を狙っての攻撃だろうが、それにしては的を外し過ぎている。冬月は端末機を操作し、画面に表示された地図を確認する。

「まずいな…」

 冬月の呟きに、ゲンドウは再び肩越しに冬月を見やる。

「あれは8号機が連絡を入れてきた場所だ…」

 

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

 

 半径数キロメートルを無数の巨大な爆炎が埋め尽くす。

 衝撃波に抉られ、高温の炎に炙られた大地は瞬く間に蒸発させられていくが、蒸発を免れた岩石たちは爆風に乗ってまるで火山の噴石のように、方々へと飛び散っていく。

 

 その噴石たちに混じって。

 

 それは煙を引きながら爆風に乗って遠くへ遠くへと飛ばされていく。

 やがて重力に引かれ、少しずつ高度を落としていく。

 そしてある建物の真上に落下する。

 建物の天井を突き破り、幾層もの床を穿ち、そして建物の地下に広がる巨大な地下空間に到達したところで、それはようやく止まった。

 

 そこは夜空の星々や白い月の光も届かない、真っ暗闇の地下空間。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

 

 それはとある日のとある夜。

 

 この日も日がな一日巨人の体を遊具代わりに遊んですっかり遊び疲れた男の子。簡素なベッドの白いシーツの上で、夢の国へと身を委ねている。巨人も連日遊び盛りの男の子を相手にすっかり疲れているようで、ケージの壁に背を預けながら膝を抱えて顎を落とし、省エネルギーモードに入っている。

 住人2人(?)ともが寝入っているケージの中は明るかった。天井や壁に備え付けられた照明が、ケージの中を煌々と照らし出している。動くものはなく、明るさと静寂に満ちた空間は、夢の国に相応しく穏やかに時を刻んでいる。

 

 

 そのアナウンスは、天井にぶら下がったスピーカーから響いてきた。

 

『これより本館は計画停電に入ります。作業を継続される方は予備バッテリーに切り替えて下さい。繰り返します。これより本館は…』

 

 アナウンスから5分後。

 ケージ内の全ての照明が落とされた。

 真っ暗闇になるケージ内。

 

 

 巨人は、足もとから響く子供の泣き声によって省エネルギーモードから復帰した。

 しかし視覚センサーを起動させても、辺りは真っ暗。すぐに赤外線モードに切り替え、泣き声がする方向へとセンサーを、つまりは巨人の目を向ける。

 白と黒で表現される世界。音源はケージの中央に置かれたベッドの上。

 男の子がベッドの上に座り込み、口を大きく開けて泣いている。

 

 男の子は暗い場所では寝られない子だった。暗闇を、極端に嫌う性分だった。

 だから、男の子が寝ている時間もケージ内の全ての灯りは点けたままにしているのだが。

 

 何故か、ケージ内の全ての照明が消えている。

 

 巨人は、すぐに本部の電気制御システムに(不正)アクセスし、ケージ内の照明を点そうと試みるが、制御盤を(不正)操作してみても、一向に照明が点る気配はない。次に本部のメインサーバーに(不正)アクセスし、本部のスケジューラを閲覧してみると、『×月×日 22:00 本部内計画停電』の一文を見つけてしまった。

 ケージ内への電源供給そのものが断たれてしまっているらしいことに、愕然としてしまう巨人である。

 ベッドの上の男の子はひたすら泣いてばかり。

 オロオロするばかりの巨人は、ようやく巨人そのものに備え付けられた照明システムの存在を思い出し、頭部と胸部にある照明に光を灯してみた。

 

 真っ暗闇の中に、ぼわっと浮かぶ、鬼の面のような巨人の顔。

 それが余計に怖かったらしい。

 男の子は泣き止むどころか、悲鳴と泣き声が混ぜこぜになった声を上げて、巨人の顔から逃げるようにベッドの上をじたばたと這い、ついにはベッドから転がり落ちてしまう。床で頭を打ってしまったらしい男の子は、両手で額を押さえながら声を張り上げ、大粒の涙を流しながら泣き続けている。

 

 ひたすら狼狽するしかない巨人。両手を両頬に当てながら、どうしらいいのだろう、と助けを求める様に周囲をぐるぐると見渡す。

 

 その巨人の目に留まったもの。ケージの、薄汚れた壁。

 ケージの壁には、極太のケーブルが床から天井に向けて数本束になって這っていた。ケーブルが行き着く先を追って視線を上げていくと、そこは天井にぶら下がっている照明機器類。

 巨人はケーブルに向かって手を伸ばしケーブルの束を掴むと、ぶちぶちと壁から引き剥がす。ケーブルは強固なボルトでしっかりと固定されていたため、引き剥がされるケーブルと共に壁のコンクリートが剥がれ落ち、床に瓦礫の山が出来上がる。

 巨人はさらにケーブルの束を両手で掴むと、それを引き千切った。

 引き千切られたケーブルの絶縁体の下から覗く、電気を通すための伝導体。

 

 はたしてこれが最良の方法なのか。

 よく分からないが、とりあえず、千切られたケーブルの先を咥えてみた。

 

 

 あえて言えば、肺の中の空気を、咥えたパイプに吹き込むようなイメージ。

 「あの日」、巨人が「少女」と共に外部から取り込んだ半永久機関。

 その機関から生み出されるエネルギーを、咥えたケーブルに向けて流し込むように。

 

 するとたちまち咥えたケーブルから火花が舞い、ケーブルを中心に放電現象が生じる。巨人の内部から放出されたエネルギーは淡い光を放ちながらケーブルを伝っていき、真っ暗闇の天井の奥へと吸い込まれていった。

 その1秒後。

 天井にぶら下がる照明類が、一斉に光を輝かせる。

 照明から降り注ぐ人工の光が、広い広いケージの中を明るく満たしていく。

 

 

 明るくなった天井を見上げ、どこかホッとした様子の巨人。

 視線を足もとに投げる。

 足もとのベッドの側に座り込んでいる男の子。

 明るくなった天井を見上げ、きゃっきゃと手を叩いて喜んでいる。

 

 ようやく泣き止み、それどころかはしゃいでいる様子の男の子を満足そうに見下ろす巨人。心なしかその口角が上がり、生じた口の隙間から咥えていたケーブルが零れ落ちた。

 エネルギー源を失った照明類は、たちまち灯りを消してしまう。

 光を失ったケージ内はすぐに暗闇に。

 

 途端に、足もとがから沸き起こる男の子の泣き声。

 巨人は慌ててケーブルを咥え直した。

 一度目は要領が分からなかったため、慎重にそっとエネルギーを吹き込んでみた。

 2度目は慌てていたため、一気にエネルギーを吹き込んでしまった。

 

 

 

 

 この日の碇ゲンドウは珍しく早めの就寝に入っていた。

 息子とは反対に暗闇の中でないと寝れない性分のゲンドウ。就寝中はいかなる光も瞼を刺激することを許さない彼は、その目に厚いアイマスクを掛けて布団を被っている。そのため、全ての照明が落とされていたはずの寝室が、急に昼間の太陽の下のように明るくなってしまっても、不覚にも気付くことができなかった。

 

 ゲンドウが異変に気付いたのは、寝室の壁際に置かれた彼こだわりのオーディオ機器から突然、大音量でマーラーの交響曲第1番第4楽章が流れ始めた時だった。ヒステリックな管弦楽器の響きとシンバルの強烈な一撃から始まる、嵐のような楽章。ゲンドウがベッドから跳び起きるのも、無理からぬことである。

 漆黒の闇の中で鳴り響く大爆音のオーケストラ。ようやくアイマスクの存在を思い出したゲンドウは、アイマスクを頭から毟り取って床に投げつけたが、聴覚の次に視覚を強烈な人工の光に襲われ、思わず両目を手で押さえる。就寝前に一切を切っていたはずの照明が全て点き、寝室の中を明るく照らしていた。

 ベッド脇のチェストに置いていた色付きの丸渕メガネを取り上げ、顔に掛けると、今も大音量を垂れ流す壁際のオーディオ機器を睨み付ける。ベッドから降り、オーディオ機器に走り寄り、電源ボタンを押すが、何故かオーディオ機器は爆音を流し続ける。何度も電源ボタンを押すが、マーラーは寝室から去ってくれない。たまらず、ゲンドウはオーディオ機器のコンセントプラグを壁のソケットから引っこ抜いた。

 ようやくオーディオ機器の電源が落ち、寝室を彼好みの静寂が包み込む。

 すると今度はその静寂を、電話の呼び出し音が引き裂いた。

 ゲンドウは不快そうに頭に被っていたナイトキャップを床に投げ捨てると、ベッド脇のチェストに設置された電話機の受話器を取り上げる。

「碇だ…!」

 あからさまに不愉快さを纏ったゲンドウの怒鳴り声に、電話相手の若いオペレーターの声は震え上がっていた。

「緊急事態です。本部の送電網に大量のエネルギーが流れ込んでいます。すでに各所で過電流による火災が発生しています」

「外部からの攻撃か?」

 ゲンドウは通話をしながらオーディオ機器の隣のテーブルに置かれたディスプレイ付きの端末機を操作し始める。

「い、いいえ。エネルギーの発生源は本部内のようです。今現在、発生源の位置を特定中です」

「いや…」

「え?」

「いや。特定は必要ない」

「へ?」

 最高司令官の意外な指示に、オペレーターは間の抜けた返事をしてしまう。

「消火活動に専念しろ」

「はあ…」

「復唱は?」

「は、はい。全員消火活動に回ります!」

 

 ゲンドウは受話器を置くと、端末機のディスプレイに表示されたデータを睨む。

 多くの発電所を失い、ニア・サードインパクト以前の半分にも満たない電力供給しか受けられない現在のネルフ本部。しかし、報告にある送電網に流れる膨大なエネルギーは、僅か数分間でニア・サードインパクト以前の1月分の電力供給量に匹敵していた。

 本部内に在って、これだけのエネルギーを発生し得るもの。

 ゲンドウの頭の中には、一つしか思い浮かばなかった。

 

「レイめ…!」

 

 この日の昼食を強引に息子とを摂らされたことを思い出し、嘔気を催したゲンドウは慌てて口を抑えつつ、スリッパから革靴に履き替えて、ただし着ているものはボーダー柄の寝巻のままで、寝室の外へと飛び出した。

 ゲンドウの寝室は無駄に広い最高司令官執務室のすぐ隣だ。その広い割には普段は間接照明しか焚いていない薄暗い部屋は、全ての照明が付いていて、掃除の行き届いていない埃だらけの床がよく見えた。「掃除のおばちゃんめ、さぼりおって」と心の中で毒づきつつ、無駄に立派な扉を乱暴に開け放つ。節電のために半分以上は消している廊下の照明も全て付いており、使われていない部屋の自動扉がガシャコンガシャコン言いながら勝手に開閉を繰り返している。エレベーターやエスカレーターは超高速で昇降を繰り返しており、とても乗れたものではなかったため、仕方なく階段で目的の階まで駆け降りた。

 

 

 

 扉が激しい音と共に勢いよく開け放たれた。

 続けて。

 

「レイ!」

 

 あの人の怒鳴り声。

 

 ケーブルを咥えていた巨人は、まるで悪戯が見つかった子供のようにに、怒鳴り声がした方に背を向けてケージの隅っこに逃げ出した。そしてその場にしゃがみ込み、目の前の壁を見つめつつ、ケーブルを咥え続ける。

 

「レイ!」

 ゲンドウは怒鳴りながら巨人の背中の近くまで駆け寄った。

「レイ! 今すぐ止めなさい!」

 

 巨人は、おずおずと振り返り、肩越しに床の上の小さなゲンドウを見下ろす。

「止めなさいと言っている!」

 ゲンドウの怒鳴り声に、巨人はびくっと肩を震わせた。

 巨人はゲンドウの鋭い視線から逃げるように一度壁へと向き直ると、今度は逆方向に振り返る。

 巨人の視線の先には、ベッドの横の床に座りながら、とても明るい天井を見上げてきゃっきゃと笑い声を上げている男の子。

 巨人は再び壁に向き直り、そして振り返って、こちらを睨みつけているゲンドウの顔を見下ろす。

 

 巨人は、ケーブルを咥えながら、ゲンドウに向けて小刻みにふるふると頭を横に振った。

 

「レイ!!」

 ゲンドウの怒鳴り声が一際大きくなる。

 ついに巨人はゲンドウの呼びかけを無視し、壁の方を向いたまま振り向かなくなってしまった。その大きな口には相変わらずケーブルが咥えられていて、巨人の口からケーブルへ淡い光が伝い続けている。

「今度こそ、本当に怒るぞ!」

 巨人はゲンドウの怒鳴り声に背中をびくつかせながらも、口からケーブルを離そうとしない。

「レイ…!!」

 堪忍袋が底が抜けてしまったゲンドウは、つかつかと靴音を立てて巨人の足もとに歩み寄ろうとして。

 

「きゃっきゃ…!」

 

 ようやくベッドの側に座り込む男の子の存在に気付く。

 男の子は、煌びやかな明かりを灯す天井の照明を、まるで満天の星々を湛える夜空を仰ぐかのように、満面の笑顔で見上げている。

 

 

 沸騰していたゲンドウの頭が、急速に冷えていった。

 ゲンドウは、男の子の世話係をしていた女性技術者の言葉を思い出していた。

 曰く、あなたの息子は暗い部屋ではてんで寝付かない、と。

 折しも今日は計画停電の日。ようやく、巨人の迷惑極まりない行動の意図が読めたゲンドウだった。

 

 胸の中の怒りの渦を吐き出すように溜息を一つ入れ、両手を腰に当てる。

 改めて巨人の背中を見つめた。

 碇ならぬ怒りのゲンドウにびくついてる様子の大きな背中を。

 もう一度、ふ~と、溜息を吐く。

 

 

 

 背後から投げられ続けた怒鳴り声が止んだ。

 そして、つかつかと床を鳴らす足音。

 足音は、巨人から離れていっている。

 

 巨人はケーブルを咥えたまま、ゆっくりと後ろを振り返った。先ほど振り返った位置に、ゲンドウの姿はすでになかった。ゲンドウの姿を探すため、さらに首を捩じる。首を180度曲げて、視界の隅に入ってきたのは、男の子用のベッド。

 男の子用のベッドの上に、ゲンドウが腰掛けている。

 その腕に、男の子を抱きかかえて。

 

 無理に首を捩じってしまったため、首が痛くなってしまったらしい巨人は、一度、正面の壁へと向き直った。

 

 

 次の瞬間。

 

 巨人の首が物凄い勢いで捻じ曲がった。

 

 首を180度捩じり、巨人の目が見た先にあったもの。

 

 

 碇ゲンドウが。

 

 男の子を。

 

 我が子を。

 

 抱きかかえている。

 

 

 

 ゲンドウは極めて不愉快そうに眉根を歪ませながら、奥歯を噛み締めながら、腕の中の男の子をあやすように揺さぶってやっている。

 腕の中の男の子は最初こそぽかんとゲンドウの顔を見上げていたが、やがて好奇心を顔全体に滲ませて、その小さな手でゲンドウの頬をぺたぺたと触り始めた。ちくちくするゲンドウの剃り残しのある肌の感触が可笑しかったらしく、男の子はきゃっきゃと笑い声を上げながら、遠慮なしにゲンドウの頬をべたべたと撫で繰り回す。

 ゲンドウの額に青筋が浮かび、口の端からは激しい歯軋りの音が漏れていたが、その様が百面相のようで余計に可笑しかったらしい男の子はさらにゲンドウの顔を撫で回し、無我の境地に達したゲンドウは男の子の好きなようにさせていた。

 

 そしてジロリと、巨人を睨む。

「暫く私があやしている。だからお前は、垂れ流すエネルギーをせめて10分の1にしろ。でなければ、この施設はあと30分で灰塵と化す」

 

 ゲンドウが何か言っているが、それどころではない。

 あの碇ゲンドウが、子供を、我が子をあやしている。

 もしかしたら腹踊りをしている姿よりも貴重かも知れない、その碇ゲンドウの姿に、唖然としてしまった巨人。

 口がぱっくりと開き、ケーブルの端っこが歯の隙間から零れ落ちた。

 

 途端に、真っ暗闇になるケージ内。

 

「わああああああああああああん!!!」

 

 途端に、男の子の泣き叫ぶ声。

 

「おーよちよち。怖くないですよ~。お父たんがついてますよ~」

 

 暗闇のどこからか、聴く者の背筋を凍らせるようなオッサンの声が聴こえてくる。

 

「ぎゃああああああああああああ!!!」

 

 激しさを増す男の子の泣き叫ぶ声。

 

「くそっ! レイ! 光だ! もっと光を!」

 

 巨人は、慌ててケーブルを咥える。

 

 途端に、眩い光を解き放つ照明たち。光だけでなく、天井のあちこちで火花が散っている。

 

「ばかもん! やりすぎだ!」

 

 

 

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

 

 

 

 その目から溢れるのは潤滑油か。それとも人工血液か。

 いずれにしろ生物でいう涙腺というものを備えていないエヴァンゲリオンに、涙を流すという機能はない。

 それでも、地面に大きな水溜まりを作るほどの大粒の液体をその目から滴らせているエヴァンゲリオン初号機のその姿を見た者が居たら、この巨人が涙を流して泣いていると思ったに違いない。もっとも、初号機のその姿を見ている者は誰も居ないが。

 

 

 巨人は夢を見ていた。

 

 夢から目覚め、そして涙を流していた。

 

 

 

 そこは地下深くに隠された空間。

 暗闇に包まれた地下空間。

 空高くから降ってきた初号機は、その地下空間の上にある建物の屋根を突き破り、全ての階層を突き抜けて、この広い広い地下空間にやってきた。

 地下空間の床で、ぐったりと倒れている初号機。胴体から生えているものは頭部と右腕のみ。その胴体も、腰から下を失っている。

 初号機の墜落によって様々なものが破壊され、あらゆるものが薙ぎ倒された地下空間。所々で破壊された機械類が散らせる火花が舞っているが、それ以外の光源はなく、ほぼ真っ暗闇。

 

 初号機は唯一残った四肢の右腕を地下空間の床に這わせる。

 砕けて薬指と小指しか残っていない右手。その指が、何かに触れた。

 その「何か」を震える薬指と小指で挟み、顔の近くまで寄せてみる。

 

 それは千切れたケーブルの先端だった。

 

 

 「彼女」は夢を見ていた。

 

 それは、「彼女」が見た初めての夢だった。

 

 その夢は、あるいは「彼女」にとって、一番幸せだった時の思い出だったのかも知れない。

 

 

 初号機は下顎を失った口で、そのケーブルの端っこを咥え込んだ。

 

 初号機の胸のひしゃげた装甲の隙間から見える大きな球体が、煌々と光り始める。

 

 咥えたケーブルの周辺に、放電現象。

 

 咥えたケーブルの中を、淡い光が伝っていく。

 

 

 

 

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