機甲少女の想いは一途   作:hekusokazura

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「むっ」

 端末機のディスプレイを見ていた冬月コウゾウが唸った。

 

 メガネを失い、視界の全てがぼやけてしまっている碇ゲンドウ。瓦礫の上に腰を下ろしながら、ぼんやりと見える地平線の彼方。ネルフ所有の造兵廠がある場所の近くから立ち昇る大きな黒煙を眺めていたが、いい加減飽きてきたところに背後から唸り声が聴こえたため、肩越しに冬月を見やった。もっとも、視界がぼやけているため冬月の輪郭もぼんやりとしか見えないが。

「どうした?」

「造兵廠内に正体不明の高エネルギー反応を確認…」

 上官の問いに対し、冬月は端末機のディスプレイに表示されたデータを信じられないとでも言いたげな表情で見つめながら、彼にしては珍しいたどたどしい口調で返答した。

「造兵廠ではアレを建造中だったな」

「ああ…。まさか…!」

 冬月の細目が広がる。端末機から視線を起こし、地面に付いていた左膝を浮かせて立ち上がる。高くなった視線を、地平線の彼方にある造兵廠の方角へと投げた。

 

 そして目に飛び込んできたものを見て、唖然とする冬月である。

 

「どうした」

 ゲンドウは問う。

「なんてことだ…!」

 上官の問いを無視し、驚嘆の声ばかりを漏らす冬月。

「何があった」

 冬月が見ているらしい造兵廠が方角にゲンドウも顔を向けて目を凝らすも、ぼやけた視界では何も見えない。冬月に繰り返し説明を求めるが、冬月からは明確な返事が返ってこない。

「冬月」

 冬月からの返事はない。

 

「冬月!」

 

 ゲンドウの怒鳴り声に、地平線の彼方に見える光景に呆気に取られていた冬月はようやく我に返った。

 何度か目を瞬かせ、目に映るものが誤認や幻覚などではないことを確認し。

 そして彼はその名を呟いた。

 

「NHGヴーゼ…」

 

 ぼそりと呟く冬月の声は、すぐ側から聴こえた。

 地平線の彼方を裸眼で睨んでいたゲンドウの目が見開き、いつの間にか隣に立っていた冬月を見上げた。

「建造中の一番艦…。それがどうした?」

 

「ヴーゼが、空を飛んでいる…」

 その名を口にしてもなお、目に映る光景が未だに信じられないという口調で呟く冬月。

 

「なに?」

 ゲンドウはすぐに視線を造兵廠の方へと戻した。

 やはり視界はぼやけたままでよく見えないが、確かに地平線の上空に、巨大な影が浮かんでいるように見える。

 

「馬鹿な…。ヴーゼはまだ艤装途中の未完成だ…。搭載済みの反動推進型エンジンのみでは飛べるはずが……、まさか!」

 冬月はすぐに端末機の前に戻り、端末機を通じて造兵廠の中枢システムに繋げる。そして画面上に表示されたデータを見て、絶句してしまった。

 

 

 上空に浮かぶ巨大な艦影。

 左右にはためかせた大きな翼、竜を思わせる長大な尾翼、そして3つの頭部を備えた異形の戦艦。

 重力制御装置を稼働させているのか、艦体は大地に対して水平を保ったまま、大空に向かって垂直にぐんぐんと高度を増し始めている。

 

 その異形の姿に気付いたのは、巨大構造物に立つゲンドウと冬月の2人だけではなかったようだ。

 大地を爆炎で彩り、大気を轟音で震わせていた地上での砲撃戦が、ピタリと止んだのだ。

 

 おそらくこの地上に居る者。遥か彼方の海上に居る者。

 この場に集った者。

 この場で、殺し合いを演じている者。

 それら全てが、一斉に息を呑んだに違いない。

 大空に浮かぶ、異形の戦艦の姿に目を奪われたに違いない。

 

 周囲が、不気味なほどの静寂に包まれた中で。

 

 

「はっはっはっはっは!」

 

 

 静寂を打ち破るように、その笑い声は響いた。

 

 突如近くから湧いた笑い声。

 端末機の画面を見たまま固まってしまっていた冬月は、笑い声の発生源に顔を向ける。

 そして再び固まってしまった。

 

 冬月の視線の先。

 一人の男の背中。

 

 碇ゲンドウが笑っている。

 肩を揺らして、笑っている。

 

「はっはっはっはっは!」

 

 膝を叩いて笑っている。

 

 赤木リツコの造反から始まった今宵。想定外のことが次から次へと起こっているが、これはもしかしたら極めつけかも知れない。

 

 あの碇ゲンドウが、大声を上げて笑っている。

 

「くっくっく…。ふ、冬月…」

 慣れない馬鹿笑いをして頭が痛くなってしまったのか。ゲンドウは手で額を押さえながら、笑い声を噛み殺しつつ、震えた声で腹心の名を呼んだ。

「な、なんだ…」

 見えてはいけないものを見てしまったのかもしれないと、ここに来たことを後悔し始めている冬月もまた、震えた声で返事をする。

「ヴーゼには初号機が…」

 そこまで言って、ゲンドウは一度首を横に振り、言い直す。

 

「レイが乗っていたか?」

 

 その問いに、冬月は今一度端末機の画面に表示されたデータを確認して答える。

「ああ…」

 未だ、この事実を認めたくはないという口ぶりで。 

 

「ふむ…。くっくっく…」

 事実を確認したゲンドウ。こみ上げてくる笑いを、必死の努力で押し殺そうとしている。

 

 想定外過ぎる出来事に凍ってしまっていた冬月の思考が、ようやく仕事をし始めた。その思考が、冬月に対して事態の深刻さを懸命に訴えかけてくる。

「笑い事ではないぞ! 弐号機を強奪されたのとはわけが違う! ヴーゼは補完計画の要中の要だ!」

 珍しく声を荒げる冬月に対して、ゲンドウから返ってきた声は彼にしては珍しく穏やかなものだった。

「叛乱分子に破壊されるよりは良いだろう。そう目くじらを立てるな、冬月」

 この緊急事態を前に妙に落ち着き払っているゲンドウの横顔を見て、冬月はそれ以上何かを言う気が失せてしまった。

 

 

 ゲンドウは腰を掛けていた瓦礫の上からゆっくりと立ち上がる。

 東の空が明るくなり始めている。白み始めた空を背に浮かぶ巨大な艦影は、視界がぼやけてしまっているゲンドウの目からもしっかりと見えるようになった。

 

 白み始めた空の色を反射してピンク色に染まる海。その海上に展開する大艦隊から無数の光の筋が立ち昇り、上空に浮かぶ巨大な戦艦へと襲い掛かっていく。その光の筋の多くは、空に浮かぶ戦艦が張り巡らせる光の壁によって弾き飛ばされているが、しかしその内の何本かは特殊な弾頭なのだろう。飛行戦艦が張り巡らせる光の壁を突き抜け、船底に到達するが、しかしあまりにも巨大過ぎるその飛行戦艦を前に旧時代の艦砲射撃の威力は豆鉄砲に等しく、飛行戦艦を小ゆるぎもさせない。

 

 

 ぐんぐん高度を上げていく飛行戦艦。

 まるで3つ首の竜のような、あるいは翼を背負わされた鯨のような姿のその戦艦は、少しずつ艦首を上へ、艦尾を下へと傾けていく。

 

 地上にあるもの全てに背を向け、艦首の先にある何処までも続く大空だけを見つめながら。

 

 

「レイ…」

 ゲンドウは遥か彼方の戦艦に向かって呼び掛けた。

 

「私の夢は、もはやお前の夢ではないのだな…」

 

 目は細めたまま、少しだけ口角を上げた顔で漏らしたゲンドウの声は、どこか寂し気だった。

 

 地上に対して完全に垂直の姿勢となった戦艦。艦尾に備えられた巨大なノズルに、火が点った。

「お前の好きにするがいい。初号機も、ヴーゼも、そしてシンジも…、しばしお前の手に委ねよう…」

 ノズルから大量の煙を吐き出す戦艦。その爆音と衝撃が、遠く離れたゲンドウたちの居る場所まで届く。

 

 

 天空へと漕ぎ出し始めた巨大な艦影。

 地上へ引き留めようとする重力という名の束縛に抗い、人の心を縛り付ける絆という名の束縛を断ち切り、膨大な量の推進剤を燃焼させて全ての束縛を振り払い、上昇していく。

 「彼」と「彼女」を乗せた2人のためだけの箱舟は、大量の噴射煙で描いた軌跡を大空に残しながら、星が瞬く濃紺の宇宙へと吸い込まれていった。

 

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

 

 赤い大地に突き刺さった円筒形の柱。

 その周囲には液体が広がり、柱の上部には穴が開いている。その穴から、ひょっこりと顔を出した少女。軽い身のこなしで、ひょいっと穴から地上へと飛び降りる。しかし、

「あいて!」

 足を踏み外し、地面に尻餅を付いてしまった。着地の拍子にずれてしまった、ひび割れたメガネを掛け直す。

「あ~あ。ほんに酷い目に遭っちゃったにゃ~」

 額から滴る血。おかしな方向に曲がった左肘。首筋に浮かぶ、歯型のような痕。

「それにしても…」

 お尻を擦りながら腰を上げ、空を見上げた。

 下半分は乳白色。上半分は濃紺色に染まった空。

 その空を突き抜けるように描かれた、噴射煙の軌跡。

「本当に翼広げて空の彼方まで飛んでちゃったね~。いや~大したやっちゃ」

 

 おかしな方向に曲がった左肘を右手で抱えながら、まもなく新しい一日を迎えようとしている空を見上げている少女。

 その少女の背後に、数人の人影が立つ。人影のそれぞれの手には銃器。

 

「真希波マリ・イラストリアス…さんね?」

 呼ばれた少女は、背中まで伸びる髪をなびかせながら、軽い足取りでくるりと振り返る。

「はいは~い。呼んだかにゃ~?」

 振り返ると、そこには赤いジャケットを羽織った女性が立っていた。

「私たちは反ゼーレ・ネルフ組織の者よ。真希波マリさん。元ユーロネルフ所属のエヴァンゲリオンパイロット。私たちはあなたを拘束します」

「あたしに拒否する権利はあるのかしらん?」

 おちゃらけた顔で訊ねるマリに対し、女性は疲れ切った顔で短く答える。

「ありません」

 女性が銃器を携えた部下たちに目配せすると、真希波マリはあっという間に彼らに囲まれてしまった。

「あちゃ~。今日は本当に散々な日だにゃ~」

「ええ。お互いにね」

 マリのおどけた調子の声に対し、赤いジャケットの女性の声は終始重苦しいままだった。

 赤いジャケットの女性の背後の空には、4機の大型VTOL機。4機のVTOLによって空中に吊り下げられた、全身黒焦げで手足のない8号機の痛ましい姿は、まるで磔にされた罪びとのようだった。

 

 複数の銃器に背中を狙われながら連行されるマリ。

 赤いジャケットの女性は、大地に刺さったエントリープラグ越しに見える、宇宙へと向かう一筋の噴射煙を見上げた。

 大空を右と左に引き裂くようなその軌跡を厳しい眼差しで見つめる。

 二の腕に縛っていた青い布を剥ぎ取り、ジャケットのポケットに入れると、西の空に背を向け、部下たちの後を追って歩き始めた。

 

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

 

 暁の空を切り裂くように縦に突き抜ける一筋の雲は、上空の気流に揉まれ、少しずつ乳白色の空へと溶け始めている。

 銀髪の少年は消えゆく一筋の雲に、広げた手を伸ばしてみた。

「僕の、手の届かないところに行ってしまったね」

 空へと掲げた手を何度か開閉させ、虚空を握っては手放し、握っては手放す。

「でも、待つことには馴れている。また会えると信じているよ。碇シンジくん」

 天へと伸ばしていた手を下ろし、作業着の上着のポケットの中へと収めた。

「その時、僕は君を幸せにするために、あらゆる努力を尽くすつもりだ」

 東の地平線から日の出が顔を覗かせ始めた。強烈な陽の光に視覚を襲われ、少年は目を細める。

「それまでは…、綾波レイ…。碇シンジくんのことを頼んだよ…」

 

 視線を下に下げた。

「それにしても…、あ~あ。せっかくここまで育ったのにな」

 心底がっかりしたように呟く少年。

 彼の足もとに広がるのは、方々に蔓と葉っぱが伸びたスイカ畑。

「リリン同士で殺し合うのは勝手だけど、もう少し離れた場所でやってはくれないだろうか」

 どこからか飛んできた大量のコンクリート片が畑のあちこちに落下しており、熟れる前の小ぶりの実を無残にもかち割っている。

 その一つを拾い上げた。厚い皮が砕け、赤い中身が外に漏れ出てしまった実。彼にしては珍しく心底悲しそうな顔をする。

「リョウちゃん。結局今年も、スイカの収穫はお預けのようだ」

 実を遠くへ投げると、作業着のポケットから取り出した軍手を両手にはめた。その場にしゃがみ込み、散らばったコンクリート片を一つ一つ丁寧に拾い上げ、ゴミ袋の中に入れていく。

 

 

 

 こちらを見つめる視線を感じ、地面に向けていた顔を上げる。

 作業に没頭してしまっていたようで、気が付けば太陽は高い位置まで昇り、頭上には青空が広がっていた。

「やあ、君か」

 スイカ畑の端っこに立っている人影に声を掛ける。

「もう任務はいいのかい?」

 人影は頷く。

「戦争は終わったのかい?」

 人影は頷く。

「もしかして、僕を手伝いにきてくれたのかな?」

 麦わら帽子に作業着という万全の格好をした人影は頷く。

 少年はにっこりと笑った。

「ありがとう。じゃあ僕と一緒に、畑に落ちてしまった石っころを拾って集めてくれるかな」

 頷いた人影は、ほっそりとした足を前後に動かし、トテトテと少年のもとまで駆け寄る。

「はい。ちゃんと軍手して。手を切らないようにね」

 少年から軍手とゴミ袋を受け取った人影はその場にしゃがみ込み、あちこちに散らばるコンクリート片を拾い始める。

 その背中を微笑みながら見つめる少年。

 

「いつもありがとう。サンク」

 

 振り返った空色髪の少女は、「気にしないで」とばかりにふるふると頭を横に振った。

 

 

 

 

 

 

 

 

1-3.夢の終わり 《終》

 

 

 

 

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