機甲少女の想いは一途   作:hekusokazura

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 式波アスカ・ラングレーは白い病衣を着せられ、車いすに座らせられていた。

 彼女の目の前には、簡素なパイプ椅子に座る白衣を着た赤木リツコ。アスカの2つの蒼い瞳にペンライトの光を当て瞳孔の広がりを確認したり、舌圧子を口の中に突っ込んで口の奥を覗き込んだりして、アスカの体を調べている。

 2人が居るのは病院の診察室や研究施設の隔離室などといった、御大層な設備が揃った場所ではない。屋外に立てられたくたびれた天幕の下だ。

 アスカのこめかみや胸部に貼られた電極パットが繋がっている機器から、様々な数値が印字された記録紙が吐き出される。リツコはその紙に記された情報に視線を這わせながら口を開いた。

「気分の悪いところは」

「ちょっと頭がぼんやりしてる」

 その言葉の通り、アスカは少しぼんやりとした口調で答えた。

 

 その後も繰り返されるリツコの問診に、やはりぼんやりとした口調で答えるアスカ。その視線が目の前のリツコから外れ、天幕の入り口から覗く外の風景へと向けられる。

 天幕の外は慌ただしいようだ。天幕の入り口によって長方形に縁どられた世界の中を、何人もの人々が引っ切り無しに行き交っている。聴覚もまだぼんやりとしているアスカの耳には、外の喧騒までは入ってこない。

 

 

 右に左にと、銃器で武装した人、作業着姿で大きな荷物を抱えた人、大怪我を負って担架で運ばれていく人。

 様々な人々が立ち止まらずに行き来している中で。

 

 その2人だけは、その場から動かずに対峙している。

 

 

 一人はアスカの上官であり同居人であった葛城ミサト。腕組みして立つミサトは、彼女の前に立つ少年に向かって何かを話している。

 話が進んでいく内に、少年の顔が遠く離れたアスカの位置から見ても分かる程に、悲痛に歪んでいく。少年は1歩、2歩と後ずさりし、膝が震え、ついには足腰が砕け、その場に崩れ落ちてしまう。

 ミサトは少年の側に跪き、少年の肩に手を置く。泣き崩れてしまった少年に対し、何かしら優しい言葉を掛けてやっているのだろう。少年は止めどなく溢れる涙を両手で拭いながら、ミサトの言葉に対して必死に頷いている。

 

 

 アスカのぼんやりとした視線が遠くに投げられていたことに気付いたリツコ。その視線を追うと、天幕の入り口に行き付く。入り口の外では、泣き崩れている少年と、そんな彼を慰めているミサトの姿。

「彼…、どうしたの…?」

 ぼんやりとした口調のアスカの問い掛けに対し。

「あの子の親が死んだのよ…。ミサトも辛いわね」

 まるで世間話でもするかのような、緩急のない声音で答えるリツコ。

 アスカは、すでに手元の書類に視線を戻しているリツコの顔を見る。

「死んだ…って…」

 そして再び、入り口の外で泣き崩れている少年を見つめた。

 

「あたしが殺した相手…?」

 

 そのアスカの言葉にリツコははっとし、立ち上がると天幕の入り口まで足早に歩み寄り、カーテンを下ろして外が見えないようにしてしまった。

 その慌ただしい態度が、アスカの問いに対する答えとなったことに、リツコ自身は気付いていない。

「あなたが気にするようなことじゃないわ。それよりも頭痛は? 視界が狭くなるようなことはない?」

「うん。大丈夫…」

 

 

 リツコによる問診が続く間に、天幕のカーテンが上がり、葛城ミサトが入ってきた。

「やっ。アスカ。気分はどう?」

 まるで慣れ親しんだ、例えば家族に対してするかのように、軽い口調で挨拶するミサト。

「何だか変な気分。ずっと眠っていたような感じ」

 そのアスカの言葉に、ミサトもリツコもお互いを見合って、肩を竦める。

「おまけに目が覚めたらいきなりド修羅場だしさ。もう訳わかんない」

 そう呟きながら、アスカは膝の上に両手を広げ、右の人差し指を折ったり伸ばしたりしている。まるで想像上の引き金の感触を確かめるかのような動作で。

 ミサトはアスカが座る車椅子の側に立つと、アスカの腰まで伸び放題になった髪を撫でた。

「今はまだ混乱してるでしょ。もう少し落ち着いたら、ちゃんと説明してあげる」

 アスカは頭を横に振った。

「嫌よ。今説明して」

 ミサトはリツコの顔を見る。

「多少意識レベルの低下はあるけれど、状態は落ち着いている」

 そこまで言って、リツコはミサトの側に立ち、その耳に囁きかける。

「今のところ精神汚染の兆候も認められない」

 ミサトはリツコの顔を凝視する。

「使徒に侵食された影響はないってこと?」

「分からない。これ以上の精査はここでは無理よ」

 

 小声でぼそぼそと話し込んでいる2人。

 2人を相変わらずぼんやりとした眼差しで見上げているアスカ。ちょっと眠っている間に、何だか2人とも老けちゃったな~、などと頭の隅っこで思う。

 

 暫く話し込んでいた2人。ようやく結論が出たらしく、お互い頷き合う。ミサトもリツコも、車椅子に座るアスカを見下ろした。

「いいわ、アスカ。じゃあ、何から話しましょうか」

 アスカはやや前のめりになりながら言った。

「今日は何曜日? 3号機の実験から、何日経ったの?」

 そのアスカの問いに、ミサトは苦々しく笑った。

 

「質問の仕方が間違ってるわ」

 

「へ?」

 アスカの、呆けた声。

 

「何年経ったのか? …よ」

 

 

 

 

 天幕の外に出たミサトとリツコは、天幕の中に用意された簡素なベッドで大人しく寝ているアスカの姿をもう一度確認した上で、出入り口のカーテンを閉めた。

 リツコがミサトに囁き掛ける。

「気付いてる?」

「ええ」

 ミサトはゆっくりと頷いた。

「アスカが幽閉されていた封印柩。あれには肉体の成長を止める効果もあるの?」

 そのミサトの問い掛けに対し、リツコはゆっくりと首を横に振る。

 

 

 

 

 天幕の外ではすでに日が暮れてしまったらしい。外灯らしき光が透き通る天幕の布製の天井。その天井に向けて、右手を翳してみる。

「シンジ…」

 手の甲を見つめ。そしてひっくり返して手の平を見つめ。

「あたしのことは…、助けてくれなかったんだ…」

 翳していた右手を下ろす。

 

 ベッドから、緩慢な動作で体を起こす。まるで見えない糸で縛り付けられているかのような重い体。

 ベッドから両足を下ろし、ベッドの端に座る。頭の血の巡りが悪いのか、ちょっとだけ眩暈がする。

 ベッドから腰を浮かす。地面に足を付け、そして立ち上がろうとして。

 途端に膝が折れ、その場に倒れてしまった。すぐに両手を地面に付いて上半身を起こし膝を立ててみるが、足の筋肉はすっかり衰えてしまっていて、まるで踏ん張りが効かない。仕方なく、ベッドの近くに置かれていた車椅子まで這っていき、座席までよじ登った。

 車椅子のブレーキを外し、両手で左右のリムを回す。やはり腕も随分と筋力は衰えていたが、リムを押し回すだけの力は辛うじてあるようだ。キュルキュルと、潤滑油が切れた音を響かせながら動き出す車椅子。出口のカーテンを開け、外に出た。

 

 

 アスカが居た天幕は葛城ミサトらが所属する組織が設営した野戦病院の一角だった。壁もないような粗末な天幕の下には、体のあちこちを激しく損壊させた人々が手当てもそこそこにブルーシートの上に雑魚寝させられている。彼らのその姿を見て、専用の天幕とベッドを与えられていた自分はかなりの特別待遇であったことを知るアスカだった。

 傷ついた人々の呻き声が絶え間なく湧き上がり、医療スタッフと思しき人々が絶え間なく行き来する天幕の間を縫って、慣れない車いすをキュルキュルと鳴らしながら進める。

 野戦病院の区画を過ぎると、次に現れたのは左右に延々と張り巡らされた長い長いフェンスだった。フェンスを辿っていくと途切れた箇所があり、錆びが浮いた鉄製の立て看板が立てかけられている。

 

『第3新東京市避難民収容所』

 

 どうやらフェンスの向こう側は難民キャンプらしい。フェンスによって民間区画と、野戦病院等の軍事区画とで隔てているようだが、特に警備員らしき者は立ってはおらず、自由に行き来できるようだ。アスカは軋む車いすをキュルキュルと鳴らしながら、難民キャンプへと入っていった。

 

 

 難民キャンプも、野戦病院と負けず劣らずの劣悪な環境だった。与えられた住居はやはり粗末な天幕で、天幕と天幕の間では、屋根の下で寝ると言う贅沢にありつけなかった痩せこけた子供たちが、路上で肩を並べて座り込み、数人で一枚の毛布を羽織って眉間に皺を寄せながら眠りについている。彼らの細い裸の足の隙間を大きな鼠が這って行くが、すっかり寝入っている子供たちは気付く様子もない。

 そんな彼らの足を踏まないように、慎重に車椅子を進めていたら。

 キュルキュルという音が耳障りだったのか、路上で眠る人々が羽織る毛布の一つがむくりと起き上がり、毛布の下から覗かせた眠たそうに顰めた顔をアスカに向けた。

 その人物の視線と、アスカの視線が合う。

 途端に。

 

「え? アスカ?」

 

 急に名前を呼ばれ、アスカは車椅子を動かす手を止める。

「だれ?」

「私よ!」

 声を張り上げてしまい、その人物は慌て口もとに手を当てる。周囲の寝ている人々が起きた様子がないことを確認し、その女性は毛布から出ると、アスカのもとまで忍び足で近寄った。その女性が被っていた毛布の下には、もう一人、小さな男の子が眠っている。

「私よ…、私…」

 小声で話しかけてくる女性。暗がりでよく見えない女性の顔を、アスカは目を細めて凝視する。

「洞木よ。ほら…。壱中で一緒だった…」

「え? ヒカリ…?」

 アスカから名前を呼ばれ、洞木ヒカリは嬉しそうにアスカの両手を握った。

「わあ~、懐かしい。「あの日」以来だったものね」

「え、ええ。そうね」

 自分にとっては数日振りという感覚でしかないアスカは、学友の遠い昔を懐かしむようなその反応と、成長した旧友の姿、そしてそれ以上に疲れ果て、やつれた女性の顔に戸惑いの表情を浮かべるしかない。

 

 おそらく何日も着替えてないであろうくたびれたジャージの上下。何日も洗ってないであろう艶を失った髪。何日もまともな食事にありつけてないであろう、栄養失調を感じさせる痩せこけた頬。

 

「みんな離れ離れになっちゃって…。アスカも、碇くんも、綾波さんも…、「あの日」以来一度も会えてなかったから…。良かった…。本当に…」

 震えた声でそう言うヒカリは、握ったアスカの両手に額を当てた。アスカの手の甲に、涙がぼたぼたと落ちる感触が広がる。

 ヒカリは顔を上げた。大粒の涙を目尻に浮かべながら、痩せた顔に笑顔を浮かべる。

「でも、今日会えて良かった。私たち、来週にはこのキャンプを離れることになってたから」

「何処に、行くの?」

「クレイディトの人たちが山の奥の方に、人が住めるような汚染されてない場所を見つけてくれたんですって。ねえ。アスカも一緒よね? 私たちと一緒に行きましょ? それでまた、みんなと一緒に。あの頃のように!」

「ちょ、ちょっとヒカリ。ごめん」

 握り締めてくるヒカリの手が痛くて、アスカは自身の手をヒカリの手から引き抜き、逆にヒカリの手を握り直した。

「ごめん、ヒカリ。ヒカリと話したいのは山々なんだけどさ。あたし、ちょっと会いたい人が居るのよ…」

 

 

 アスカと、そのアスカの車椅子を押すヒカリは、ある天幕へと辿り着く。

「あれ? 居ないな…」

 その天幕の下を住処としている人物の姿が見当たらない。

「ごめん、アスカ。留守みたい」

「いいえ」

 アスカは首を横に振る。

「居たわ」

 アスカが見つめる先。

 民間区画と軍事区画を隔てるフェンス。

 そのフェンスに、人影があった。

「ありがとう、ヒカリ。ここまででいいわ」

 アスカは無理に作った笑顔をヒカリに向けた。

「え? でも…」

 ヒカリは戸惑いの表情を浮かべている。

 そんな旧友に、アスカは少し低い声で言う。

 

「ごめん。2人切りにしてちょうだい」

 

 

 

 

 

 その少年は地面に両膝を付き、網目状のフェンスに両手でしがみ付き、フェンスに額を押し当て、歯を噛みしめて喉の奥から溢れそうになる泣き声を押し殺していた。泣き声の代わりに2つの目からは涙が止め処なく溢れ、頬を伝い、顎を伝い、零れ落ちた雫が薄汚れたズボンの膝の上に大きな染みを作っている。

 

 背後から、キュルキュルと、車輪の軋む音が近づいてくる。誰かが荷車でも押しているのだろうか。

 彼は慌てて立ち上がり、目の周辺の汚れをシャツのほつれた袖で拭った。両手をズボンのポケットに突っ込みながら空を見上げ、満天の星々を眺めている風を装う。

 

 キュルキュルという車輪の軋む音は、彼のすぐ後ろで止まってしまった。

 そのまま通り過ぎてほしかったのに。

 泣いていたところを、見られてしまったのだろうか。

 見られていたとしてもいい。

 今は、何も見なかったことにして、黙って去ってほしい。

 そう期待していたのに。

 

「ねえ」

 

 ついに声を掛けられてしまった。

 

 仕方なく、彼はもう一度目の周りをシャツの袖で拭い、シャツの胸ポケットにしまっていたメガネを掛け、後ろを振り返る。

 

「なんです?」

 

 出した声が震えていなかったことを、自分で褒めてやりたい気分だった。

 

 振り返った先には、車いすに座った少女が居る。

 

「久しぶりね」

 

「え?」

 

「相田ケン…スケ…、だったかしら?」

 

 

 

 

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