機甲少女の想いは一途   作:hekusokazura

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 目を覚ますと、真上にある複数の照明から放たれる光に目を射貫かれ、一度開いた目をすぐに閉じてしまう。

 暗闇の中で眼球を癒し、今度は慎重にゆっくりと瞼を開く。照明の光に少しずつ目を慣らしていく。

 

 何故か、左目は開かない。

 開く右目だけで、周囲を伺う。白い光を放つ照明。粗末な天幕の天井。薄いマットレスのベッド。

 自分は、明るい照明が照らす、天幕の中の、ベッドの上に寝かされているらしい。

 

 体は動かない。

 足も腕も、何かに縛り付けられたように動かない。

 

 右手に感触があった。右手を視界に収めるため、眼球の中の瞳を下の方へと移動させる。

 右手を誰かが握っている。

 ベッドの側の椅子に座った誰かが、自分の右手を握っている。

 

 声を出すために、口を開く。乾いて引っ付いていた上唇と下唇の間を糸が引いて不快だった。カラカラの喉が痛かった。

 

「気安く…、触って…んじゃ…、ない…わよ…」

 

 自分でも驚くほどに、霞んだ声しか出なかった。

 相田ケンスケはばつが悪そうに苦い笑顔を浮かべながらも、握ったアスカの右手を離そうとはしない。

 

 アスカは視線を天井へと戻した。

「ま…、好きに…した…ら…。どう…せ、あたし…は、振り払う力も…ない…から…」

 そう言われ、ケンスケは今にも泣いてしまいそうな顔で笑いながら、許可は得られたとばかりにひしとアスカの手を握り締めた。

 アスカの細い指が、微かにケンスケの手を握り返す。

 

「あんた…、偉かった…ね…」

 脈絡もなくアスカに褒められ、ケンスケはきょとんとした顔をする。

「ちゃんと…、自分で…、自分の落とし前…、つけよう…と…した…。別に…、あんたがあんたの父親の罪…、背負う必要…なんて、ない…のに…。あんた…は…、自分の父親の罪…から…、逃げなか…った…」

 声を出すのもやっとなアスカは、そこまで言って、胸を何度か上下に大きく動かしながら肺の中の空気を出し入れする。

 肺の中を巡った新鮮な空気を燃料にして、アスカは言葉を再開した。

「でも…、ま…」

 再び瞳のみを動かして、ケンスケを見る。

「あの落とし前の…つけ方…は…、間違って…る…、って…、思うけど…ね」

 アスカの口角が、少しだけ上がった。釣られて、ケンスケもえへへと申し訳なさそうに笑う。

 

 目を閉じたアスカは3回ほど深呼吸を繰り返し、開いた目で天井を見上げた。

「あたし…たち…。一緒…だね…」

 ケンスケは「何が?」とアスカの顔を見つめる。

「二人…とも…、一人…ぼっち…。一人…っきり…」

 ケンスケの手に、力が籠もった。握るアスカの手に、心の中の不安を訴えるように。

「あんたに…、教え…とい…て、あげ…る…。一人で…、生きる…術を…」

 ケンスケは黙ったまま、2度、大きく頷いた。

「誰とも…、つるまない…こと…。誰にも…、心を…、許さない事…」

 そこまで言って、瞳のみを動かしてケンスケを見る。

「あんたたち…、今度…、山奥に引っ越す…、らしいわね…」

 ケンスケは頷く。

「だったら…、他のみんなとは…、距離、置くの…よ…」

 ケンスケは頷く。

「家も…、なるべく離れた…場所に…」

 

 

 気まぐれで始めた赤の他人との同居生活。

 結局、はりぼての疑似家族は、はりぼてのままだった。

 もしかしたら本当の家族になれる。

 こんな自分にも、誰かの家族になる資格がある。

 そう信じ掛けていた疑似家族の一人は、私を助けてはくれなかった。

 

 

 ケンスケは頷く。

「でも…、これが重要…。人間は…、一人では…、生きて…は、…いけない…」

 

 それは、あの街で過ごした数カ月で学んだ、知ってしまったこの世界の真実。

 覆しようのない、この世界の理。

 

 ケンスケは頷く。

「だから…、証明し…続ける…の。…自分が…有能である…と。あなたたちの…役に立つ…、人間だ…と…」

 ケンスケは頷く。

「そうすれば…、周りが認めてくれる…から…」

 ケンスケは頷く。

「…一人ぼっちの…私たちでも…、この世界の隅っこで…、生きててもいい…って…」

 

 

 

 

「ありゃま…」

 入り口を覆うカーテンを開いたその人物は、天幕の中の光景を見て呆れたような声を出した。

 天幕の真ん中にはベッド。ベッドの上には少し染みの浮く清潔とは言い難い白いシーツの上に、緋色の髪を広げて眠っている一人の少女。ベッド脇にあるパイプ椅子に座る青年へと移ろう一歩手前の少年は、少女の手を握り締めながら、ベッドの隅に顔を伏せ、やはり眠りに落ちている。

 足音を立てずに、ベッドの側まで歩み寄る。

 メガネを掛けたまま寝ている少年の横顔を見つめて、そしてベッド上の少女の寝顔を見つめて。

 

「あっちのわんこ君がお空の彼方まで飛んでっちゃったと思ったら、今度は別のわんこ君を拾ってきちゃったか」

 

 右手の人差し指で、少女の前髪にそっと触れる。

「君もつくづくあれやこれや、色んなものを背負っちゃう質なんだねぇ…」

 前髪をそっと掻き上げ、その向こうに見える額の髪の生え際をなぞり。

 

「異形の人型兵器、エヴァンゲリオンのパイロット…」

 

 こめかみをなぞり。

 

「式波シリーズの、生き残り…」

 

 頬をなぞり。

 

「裏切り者の子…」

 

 顎をなぞり。

 

「使徒を宿した体…」

 

 そして少女の細い首へと行き付く。

 

 少女の首に填められた、鉄製の首輪。

 

 

 改めて少女の顔を見つめる。

 閉じられた右目。髪の毛の色と同じ、繊細な睫毛が伸びる瞼。

 そしてもう片方の左目。

 

 左目は、見えない。

 

 左目に被された、物々しい鉄製のアイマスク。その下にあるものを封じ込めるかのように被されたアイマスクからは何本もの鉄製の管が伸び、その管の先はベッドの背後を占拠する幾つもの大きな機器へと繋がれている。管の何本かはセンサー類のようで、繋がれた機器はセンサーから送られてくる情報を常に受信、解析しており、それぞれの機器の画面上にはまるで踊るように様々な数値や波形データが次々と表示されている。また、別の管の何本かは幾つかのボンベに繋がれており、そのボンベからは管を通じてアイマスクへと常に一定量の薬品を流し込んでいるようだ。

 

 

 その場に跪き、ベッドの下を覗き見る。

 ベッドの下を占拠していたのは、床に敷き詰められていた爆弾。

 溜息を吐きながら、立ち上がる。

 

「こんな仕打ちを受けても…、まだエヴァに乗り続けるってぇのかい…?」

 少女が被るタオルケットの中に右手を忍ばせ、隠れていた少女の拘束帯に縛られた右手をそっと握る。

「分かったよ…。せめて…、あたしくらいは…、あんたを護ってやるよ…」

 少女の手を離し、今度は少女の額を、右手でそっと撫でる。

「いいかにゃ? アスカちゃん…」

 ベッド上の少女の名前を呼んだ、額に大きな絆創膏を貼り、首に包帯を巻き、シーネ固定された左腕を三角巾で吊るしている真希波マリ。

 

「いんや…」

 

 微笑みながら頭を振る。

 

「姫…」

 

 

 

 

 天幕の外に出れば、そこには満天の星々を輝かせる夜空。

 その星々の中を、奇妙な光跡を描きながら移動をする流れ星がある。

 

 いや、あれは流れ星などではない。

 

 流れ星ではない何かを見つめながら、真希波マリは呟いた。

 

「いつか必ず…。何年先であっても、…必ず迎えに行くよ、わんこ君…。姫と一緒にね…」

 

 右腕を空に向かって伸ばし、手でピストルの形を作り、伸ばした人足し指と中指の先で、流れ星ではない何かに狙いを定める。

 

「ばーん…」

 

 小さな声で、拳銃の発砲音を真似てみた。

 

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

 

 葛城ミサトは野戦病院から離れた区画にある大型天幕の下の、粗末なパイプ椅子に浅く腰掛けていた。ちなみにこれが彼女にとっての24時間ぶりの座位だった。そしてテーブルに頬杖をつき、これまた24時間ぶりの食事である携帯食を齧りながら部下の報告を聴いている。

 

「元国連軍の地上部隊はほぼ全滅。海上部隊も敵の造兵廠に肉薄しましたが、敵の激しい反撃に遭い、半数を失った模様です」

「本部潜入組の損害は?」

「未帰還率は80パーセントを超えています」

「そっ」

 ミサトは素っ気なく答えた後、椅子から立ち上がって手にしていた携帯食の箱を天幕の隅に向かって思い切り投げ付ける。

 八つ当たりされた携帯食が天幕の隅にある黒板に当たって地面に落ちるところを見送った日向マコトは、上官が椅子に座り直し、ペットボトルの水を口にし始めたところで報告を続ける。

「我々の戦果はエヴァンゲリオン弐号機、および8号機の奪取。パイロット2名の拘束。ネルフ本部の一部破壊。以上です」

 ミサトは含んだ水で口の中を含嗽すると、半分を飲み込み、半分を地面に吐き出す。

「初号機と建造中だったネルフ一番艦の宇宙空間への投棄。それも我々の戦果として発表しておいて」

 事実と大幅に異なるミサトの言葉に、日向マコトはあからさまに不満顔をする。

「たったあれっぽっちの戦果じゃあ、組織の士気が下がるし脱落者がさらに増える。何よりパトロンたちが納得しないわ」

「分かりました…。ああそれと」

「なに?」

「8号機パイロットが我々に恭順を申し入れてきました」

 ミサトは荒っぽくパイプ椅子の薄い背もたれ背中を押し付けた。

「朗報ね。弐号機パイロットはあんな調子だし。8号機が戦列に加われば、私たちにとてっては大きな戦力向上よ」

 

 ミサトらが居る大型天幕の中に、伊吹マヤが入ってきた。

「大佐」

 伊吹マヤは小走りでミサトの側へと駆け寄り、一枚の紙切れを差し出す。

「通信衛星を通じて、全世界に向けて発信されたようです」

 紙切れを受け取ったミサトは、その紙面に記された文章に視線を這わせる。 

 その紙切れが深く長い吐息によってひらひらと揺れ、日向はその吐息を漏らしたミサトの顔を見た。

「やっぱりあれに乗っていたのは、あなただったのね…」

 日向には一瞬、ミサトの顔が数年前の。3人の子供たちの上官にして保護者であり、姉のような存在だった、あの頃の彼女の表情に戻っていたような気がした。テーブルに頬杖を付き、紙切れの文面を見つめる眼差しが、少しだけ優しい。

「いいのね…。世界の全てを、敵に回すことになったとしても…」

 瞼を閉じ、紙切れを畳んでテーブルの上に置く。

 瞼を開け、その瞳からテーブルの上の紙切れに注がれたのは、まるで氷のように凍てついた視線。

「加持が私たちのために残したあの舟を奪った以上、私たちもあなたの敵だから…」

 椅子の背もたれに掛けていた赤いジャケットを羽織り、袖に腕を通す。

 椅子から立ち上がり、再度、テーブルの上の紙切れを一瞥し、そして天幕の外へ出ていった。

 

 上官の背中を見送った日向マコトは、テーブルの上の紙切れを拾い上げる。丁寧に畳まれたそれを、手の上で広げてみた。

 紙面に記された文字。

 

 

 

 

 

 

  下記ニ該当スル全テノ方々ニ通達シマス。

 

 

  一ツ 碇シンジノ生命及ビ健康ヲ脅カスモノ。

 

  一ツ 碇シンジニ対シ、先ノインパクトニ対スル責任ヲ問ウモノ。

 

  一ツ 碇シンジヲエヴァンゲリオンニ搭乗サセルモノ。

 

 

  アナタ方ハ、私ノ敵デス。

 

  アナタ方ニ対シ、私ハ持チウル全テノ戦力ヲ以ツテ、

 

  コレヲ殲滅スルコトヲココニ宣言シマス。

 

 

                         ―――RA

 

 

 

 

 

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

 

 

 

 

 

 「後始末」にようやく一区切りがついた冬月は、何日ぶりかの睡眠を貪るべく自室へ向かう廊下を、疲労が如実に表れた足取りで歩いていた。その彼の足が、ある部屋の扉の前で止まる。

 足はすぐにでも自室のベッドに向かいたがっていたが、彼の欲求に反して彼の手はいつの間にか扉のノブを握っていた。

 

 扉を開くと薄暗い部屋の中央に、ぽつんと置かれたベッドが一つ。ベッドの中身は空っぽ。乱れたシーツが、床に落ちている。

 部屋の中を、ぐるりと見渡す。

 部屋の隅に設置された洗面台。

 

 その前に立ち、鏡の中に映る人物の姿をじっと見ている人影が一つ。

 

 その人影は鏡越しに冬月の存在に気付き、ゆっくりと振り返る。

 

 小枝のような細い手足。

 血の巡りを感じさせない白い肌。

 作り物のような空色の髪。

 空虚さばかりが目立つ赤い瞳。

 

 その身に何も纏わず、裸体を露わにしたままぽつんと立っている少女。虚ろ気な瞳を冬月に向けていたが、すぐに興味を失くしたように視線を外した。

 

 

「体の調子はどうだ?」

 冬月に声を掛けられた少女の視線は一瞬だけ冬月の顔に向けられるが、しかしすぐにその視線は虚空を漂い始める。

 革靴の音をコツコツと鳴らしながら歩き、少女の目の前に立つ冬月。

 視界を冬月の胸に塞がれた少女は、緩慢な動きで冬月の顔を見上げる。

 光を宿さない瞳。弛緩した頬。一筋の涎を垂れ流す唇。

 

「体の調子はどうだね?」

 再度、同じ質問を投げかける。

 焦点の定まらないぼんやりとした目で冬月の顔を見上げていた少女は、質問に答えることなく視線を冬月の胸まで落とし、そして上半身を左にぐらりと傾ける。左足も前に出し、目の前に立つ冬月の体を避けて歩き始める少女。右肩や右肘が冬月の体に当たるが、少女は気にした様子もなく、ふらふらと上半身を右に左に傾けながら、ベッドの方へと向かう。

 冬月は質問に対する答えを諦め、少女の背中を黙って見送る。

 少女はベッドの側に落ちていたシーツを拾い上げると、それを引き摺りながら部屋の隅へと向かう。

 壁に辿り着いた少女は、その場にしゃがみ込み、壁に背を預け、シーツを体に纏わせながら膝を抱えた。

 膝の上に顎を乗せ、半開きの目から放つ弱々しい視線を床の上に這わせ始める。

 少女の行動の一部始終を見ていた冬月は、鼻から盛大に溜息を吐いた。

 

 「あの日」。少女の肉体へ、ある魂の転送実験が行われるはずだった「あの日」の後始末に忙殺されていた冬月にとって、少女とはこれが「あの日」以来半月ぶりの再会だった。

 「あの日」、突如始まった戦争により途中で頓挫してしまった実験の残骸に対し、とりあえずとばかりに宛がわれたらしいこの部屋。おそらくこの半月の間、一度たりともまともに掃除されたことがないのだろう。埃が降り積もり、汚物が点在する床。澱んだ空気。饐えた臭い。

 

 ベッドの横にあるサイドボードに目を向ける。

 この部屋に運ばれてきて、そのまま放置されているらしい食品トレーが何重にも積み重ねられている。

 トレーの中身であるペースト食に手を付けられた形跡はない。こんなほぼ密閉された空間でも「奴ら」は何処からか入ってくるらしく、トレーの上を数匹の蠅が集っている。

 サイドボードの側に立ち、蠅たちを手で追い払う。一番上のトレーに鼻を近づけ、その臭いを嗅ぐ。臭いを確認した後、そのトレーをベッドの上に置いた。2つめのトレーに鼻を近づけ、臭いを嗅ぐ。たちまち、顔を顰めてしまう冬月。部屋の隅っこにあるゴミ箱をサイドボードの側まで引きずると、その中に残りのトレー全てを放り込んだ

 ベッドの上のトレーを手に取り、改めて臭いを確認する。歳が歳なので嗅覚の鋭敏さに自信はないが、まあ大丈夫だろう。

 トレーを持ったまま、部屋の隅っこで膝を抱えて座っている少女のもとまで歩み寄る。

 少女の前で跪き、少女の前の床に食品トレーを置いた。

 少女を見つめる。

 骨が浮き出た肩。皮しかないような腕。痩せこけた頬。窪んだ眼。

 

 トレーを、すっと少女の爪先の近くまで押し出す。

「食べなさい」

 少女の虚ろな視線がトレーの上を彷徨う。

 一度瞼を閉じ、そして次に瞼を開いた時には、中の瞳は明後日の方向に向けられていた。

 

 トレーの上のスプーンを持ち、少女に差し出す。

「食べなさい」

 少女は抱えた両膝に顔を寝かせながら、ぼんやりと差し出されたスプーンを見る。

 スプーンを見続けるだけで、両手は膝を抱えたまま。スプーンを受け取ろうとしない。

 

 冬月は少女の右手首を掴んで、強引にスプーンを握らせた。

「食べなさい」

 少女は握らされたスプーンを、ぼんやりと見ている。

 その手には少しも力が入っておらず、スプーンは少女の手の中をずるずると滑っていき、音を立てて床に落ちた。

 

 冬月は床から拾ったスプーンを上着の袖で拭くと、トレーの中のペースト食を掬い上げ、それを少女の口の前まで運んでやる。

「食べなさい」

 少女は差し出されたスプーンの上の、赤いペースト食をぼんやりと見ている。

 色素の薄い、乾いた唇が開く様子はない。

 

 冬月はスプーンで掬ったペースト食を少女から離し、自分の口に近付ける。そしていつもよりも大きめに口を開け、スプーンの先端を口の中に入れた。口を閉じ、ペースト食を舌の上に乗せる。スプーンを口から出し、口をもぐもぐさせて咀嚼の必要のないペースト食を口の中で掻きまわし、わざと喉を大きく鳴らしてペースト食を飲み込んだ。

 冬月のその一連の動きを、少女は膝に頬を乗せたまま、ぼんやりと見つめている。

 冬月は再びトレー上のペースト食をスプーンで掬った。少女の口の前に、ペースト食が乗ったスプーンを差し出す。

「食べなさい」

 虚ろ気な視線が、赤い双眸からスプーンに注がれる。

 

 30秒ほど経過して。

 少女のくっ付いていた上唇と下唇が、粘着性の高い糸を引きながら開いた。

 その機を見逃さす、冬月はすかさず、それでいてそっとスプーンの先端を少女の口の中へと滑り込ませる。ペースト食は、無事、少女のピンク色の舌の上へ。

 少女の口から、スプーンをそっと抜く。

 少女は、口をもごもごと動かす。

 そして喉の真ん中に浮く小さな突起を上下に動かして、口の中のものを飲み込んだ。

 少女の小さな口が開き、ふぅ、と小さな呼気が零れる。

 それを見た冬月もまた安堵したかのように、ほっと大きな溜息を漏らした。

 

 冬月はトレーからペースト食を掬うと、2口目を少女の口もとに運んでやる。少女は素直に口を開き、スプーンを咥え込む。口をもごもごと動かして、嚥下する。

 3口目。4口目。

 鉄製のスプーンが、合成樹脂製のトレーを引っ掻く音だけが、部屋の中に響いた。

 

 トレーの中身の半分が少女の胃の中に収まった頃。

 少女が口もとを押さえ、咳き込む。

 冬月は一旦スプーンを置くと立ち上がり、サイドボードの上に乗せられていた未開封のペットボトルを持って少女のもとに戻る。

 キャップを開け、そのペットボトルの口を少女の口にそっと押し付けた。少女はペットボトルの口を咥えると、中身のミネラルウォーターをごくごくと喉を鳴らして飲み込んでいく。半分は少女の口から零れ落ち、少女の裸体を覆うシーツの上に染みを作った。

 

 ペットボトルを床に置き、まだ半分残っている食事を再開させようと、スプーンを手に取る。

 ペースト食を掬い、少女の口もとに近付け。

 

 少女の口が、微かに開く。

 

「ワ…タ……」

 

 少女の口から、声が漏れた。

 

 少女の開いた口にスプーンの先端を滑り込ませようとしていた冬月の手が止まる。

 

「ワ…タ…、…シ…、ワ…」

 

 冬月は少女が言葉を発したことに大いに驚きつつ、少女の途切れ途切れの声に耳を傾ける。

 少女は言った。

 

「ワタ……シ…、ハ…、…ダ…レ……」

 

 冬月は、そっとスプーンをトレーの上に置く。

 

 少女は冬月の顔を見ていない。

 視線を床に這わせたまま、まるで壊れ掛けの蓄音機のようなぎこちない口調で、同じ言葉を繰り返す。

 

「ワタシ……ハ……、…ダレ……」

 

「君は…」

 冬月の低い声が部屋の中に響く。

「君は綾波タイプ、ナンバーシ……」

 言い掛けて、言葉を止める。

 

 トレーの上の、赤と黄色と白のペースト食を見つめ。

 

 20秒ほど沈黙した後、冬月は口を開く。

 

 

「君はアヤナミレイだ…」

 

 

 少女の瞳が、初めて真っすぐに冬月の目を見つめた。

 

「アヤナミ…、レイ…?」

 

「そう」

 冬月は深く頷く。

 

 

「君が、アヤナミレイだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1-4.祭りの後 《終》

 

第一部 終了  ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q へと続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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