薄暗い六面体の空間の奥にある出入り口の扉が開いた。
空間の中央に鎮座する巨人の前に立っていた少年と男性は、床に薄い光の筋を走らせる出入り口へと視線を向ける。
出入り口には、細い影が4つ。
「ああ、来たようだ。彼女たちです。こっちにおいで」
男性に手招きされ、4つの影は1つにぎゅっと纏まって、2人のもとに歩み寄ってくる。
その様を見て、少年は思わず笑ってしまった。
4つの影の中央に立つのは、少年と同じ10代半ばくらいに見える、山吹色のベストに白のブラウス、膝丈のスカートを纏った、空色髪の少女。彼女の両手にはそれぞれに、10歳にも満たないような2人の女の子の手が繋がれ、そして最後の1人、それこそ5歳にも満たない幼女が中央の彼女の腰にしがみ付き、他の3人に比べて明らかに短い足を一生懸命動かして、時々躓きそうになりながらも必死に3人の足取りに付いていっている。
「あれが人類存続のための尖兵…かい?」
少年は皮肉交じりに男性に問うてみた。
「第一の少女は第10の使徒戦で死亡、第二の少女は第9の使徒の浸食を受け隔離中、第三の少年は第10の使徒戦後消息不明。現状、エヴァを動かすことができるのは彼女たちだけです」
「その報告は欺瞞に満ち満ちているようだけど、彼らがエヴァのパイロットとして機能していないのは事実だからね。まあいいとうしようか。ユーロ支部のコが一人居なかったかな?」
「彼女は無断で弐号機を動かした咎で登録抹消中です」
「この状況下でかい。本当に末期だね…」
少年がそう呟きながら肩を竦めている内に、4人の少女たちは2人の前に辿り着いた。少年は幼い妹たちに引っ付かれながら長い距離を歩いてきた中央の少女に、そしてその姉の足取りに必死に付いてきた3人の妹たちに、その苦労を労うような柔和な笑みを送る。
「やあ。僕は渚カヲルだ。司令官とは名ばかりの、ただの穀潰しさ。指示が必要だったら彼に仰ぐように。ああ、それと僕のことはカヲルと呼んでくれて構わないよ」
挨拶をする組織のトップの顔を、感情というものが欠落したかのような8つの赤い瞳が見つめる。
「ほら。司令に挨拶を」
無言で佇む少女たちは、男性に促され、ようやく中央に立つ少女が口を開いた。
「綾波タイプ…、ナンバー3です」
特大換気扇が響かせる音に負けてしまいそうなか細い声での自己紹介。
続けて右隣に立つ女の子。年齢こそ違えど、顔の造りは中央に立つ少女とそっくりそのままの女の子もまた、か細い声でぼそりと呟く。
「ナンバー4…」
「ナンバー5です…」
さらに左隣に立つ、やはり先の2人とは顔の造りが全く一緒の女の子が、必要最低限の言葉数で自己紹介を済ませる。
少年と男性の視線が、まだ自己紹介を済ませていない最後の人物に集まる。2人分の視線を一身に受けてしまった幼女は、少女の腰に抱き着いたまま怯えたように少女の背後に隠れてしまった。中央の少女は右隣の女の子と繋いでいた手を離し、自分の背後に隠れる幼女の頭を撫でると、その手を幼女の背中に回しそっと押す。
「ほら。挨拶なさい」
少女からの平坦ながらもどこか優し気な声に、しかし幼女は腰にしがみついたままぐずついている。
そんな様子の幼女に「まいったな」と頭を抱えている男性。
一方の少年は少女たちのすぐ側まで歩み寄ると、その場に膝を折って幼女の視線に顔を合わせた。あらゆる障壁を素通りしてしまうような笑顔を、幼女に送る。
「君のこと、教えてくれるかな?」
永久凍土も溶かしてしまいそうな、温かさに満ちた少年の声。少女の背中から少しだけ顔を覗かせる幼女は、少年の柔らかな笑顔と温かな声を受け、噤んでいた口をようやく開く。
「……ナンバー…6…」
耳を澄まさなければ拾えない程の小さな声での自己紹介に、少年は満足げに頷いた。
「そっか。よろしくね。ナンバー6」
少年が幼女に向かって手を差し伸べると、幼女は少女の腰に抱き着いたまま、おずおずと自身の小さなもみじのような手を少年に差し出す。少年は幼女の手と握手を交わすと、
「あうっ」
少年が握った幼女の手をやや強引に引っ張ったため、幼女は短い悲鳴を上げてしまう。少年は構わず幼女の体を手繰り寄せると、空いた左手を幼女のお尻に回し、その小さな体をひょいっと抱え上げてしまった。
少年に抱きかかえられてしまい、最初は目を白黒させていた幼女だったが、少年から間近で向けられる穏やかな笑顔を受け、やがて安心したように少年の首へ自身の幼い腕を回した。
その様子を見ていた男性は、今度は声に出して「まいったな」と呟いた。少年は「何がだい?」と男性を見る。少年に視線で問われた男性は、思ったことをそのまま口にする。
「父親役が板についてらっしゃる」
少年は「心外な」とでも言いたげな顔で言う。
「何を言ってるんだい。今度父親になるのは君だろ? 今のうちに練習してみたらどうかな」
そう言いながら、少年は腕の中の幼女を男性へと差し出そうとするが、幼女は「いやいや」と少年の首に回していた腕に力を籠めたため、少年は仕方なく幼女を抱っこし直した。幼女に抱っこされることを拒否されてしまった男性は、どこか安心したような顔をしている。
「ええ、まあそうなんですけど…」
ポリポリと頬を掻く男性。
子供が出来ることは至上の喜びではあるが、同時に自分なんぞに父親が務まるのだろうかという典型的なパタニティブルー真っ最中の男性であった。
少年は幼女を抱っこしながら、同じ顔をした3人を見つめ、溜息を吐いた。
「それにしても彼女たちには固有の名前はないのかな? これじゃまるで家畜だ」
「一応、ゼーレ内では識別子としてナンバー3から順に、トロワ、キャトル、サンク、シスと呼ばれていたそうです」
「それって数字を別の国の言語に置き換えただけじゃないか。テキトーだな、まったく」
呆れ気味に肩を竦ませていたら、
「なまえって…」
腕の中から小さな声が飛んできた。
「ん?」
抱っこしている幼女が、つぶらな瞳で少年の顔を見上げている。
「なまえって…なに?」
突然の質問に少年は2秒ほど考え。
「名前というのは、対象の概念を明確化し、それ以外の事象と区別するための記号のことだよ」
幼女は「よく分からない」と首を傾げている。そんな幼女の仕草に、少年はふふっと笑った。もう3秒ほど考えて。
「そうだな。名前っていうのはね、この世界でたった一つしかない魂を体に吹き込むための、大切なおまじないのことさ」
「おまじない?」
「そう。ちなみに君たちの前任者は、「アヤナミレイ」というおまじないだったみたいだよ」
「アヤ…ナミ…、レイ…」
たどたどしい口調でその6文字を呟いてみる幼女。くりくりとした赤い瞳を、自分を抱っこする少年の赤い瞳に向けると、突拍子もないことを呟いた。
「わたしにもなまえ、ちょーだい」
幼女の小さな口から放たれた意外な言葉に少年は「えっ?」と固まってしまい、隣に立つ男性は吹き出してしまう。
「ナンバー6…」
彼女らの長姉は、窘めるように彼女らの上官に抱っこされる幼女を呼んだ。少年は困ったように眉尻を下げながらも、長姉にひらひらと手を振る。
「いや、いいんだ。でもすまないね」
今度は申し訳なさそうに眉尻を下げ、腕の中の幼女を見つめる。
「僕には誰かの体に魂を吹き込むなんて、そんな大それたことなんて出来やしないよ」
「うぅ…」
幼女はがっかりしたように、口をへの字に曲げている。そんな幼女のまだ一度も日光を浴びたことがないような真っ白な頬に、少年は自身の真っ白な頬をそっと寄せた。
「いつか君にも、素敵なおまじないを掛けてくれる人が現れるといいね」
幼女はこくりと頷きながら、少年の白い首にひしと抱き着いている。
「では4人とも。着任早々悪いが支給されたエヴァ各機との接続テストを開始する。5番ケージへ向かってくれ」
「随分早急なんだね」
少年は幼女の頭を撫でながら男性に言った。
「神さまが残したシナリオによれば、使徒との戦いはまだ終わっていないようですから。我々人類は自らの生存のために、己の牙を研ぎ続けることを怠ってはならないのです」
「まあいいさ。何度も言うように、ネルフは君の好きなように運用したらいいよ」
少女が両手を差し出してきたため、少年は抱っこしていた幼女を少女の腕へを渡した。今まで少年の首に抱き着いていた幼女は、今度は少女の首に抱き着く。
「君に懐いているようだね」
「ええ」
短く答える少女は「甘えん坊で困ってます」と言いたげに眉毛をハの字にしている。幼女だけでなく、両隣の妹2人も少女に甘えるように寄り添っているため、少女は窮屈そうに身を縮ませている。
「じゃあ、失礼」
少年に向かって頭を下げる男性に倣って、幼女を抱いた少女も、その両隣りに立つ女の子2人も、少年に向かって頭を下げる。少女の腕に抱かれた幼女だけは目上に頭を下げる行為というものが良く理解できていないらしく、自分以外の4人の行動を不思議そうにきょろきょろと見渡した後、少年に向かって小さな手をひらひらと振った。少年は笑いながら、ひらひらと手を振り返す。
離れていく4人で一つの彼女たちの背中。
「トロワ…」
少年に呼ばれ、少女は足を止めて振り返った。
少女の赤い瞳に見つめられ、少年は言う。
「妹たちのこと。よろしくね」
少女は小さく頷く。
「ええ。時間の許す限りは…」
その返答に、少年は目を細めた。
「綾波タイプ・トロワ…」
もう一度、少女を呼んだ。
「はい…」
少女はか細い声で返事する。
少年はやや大き目の口を開いて言った。
「君は僕と、同じだね」
男性と少女たちが去り、再び一人切りとなった少年。
「碇ゲンドウが去り、冬月コウゾウが去り、運命を仕組まれた少年少女たちも皆姿を消してしまった。それでもこの組織が歩みを止めることはないようだね」
5人が出て行った扉を見つめながらそう独り言ちた少年はくるりと踵を返し、背後に聳え立つ巨人の顔を見上げた。少女たちに向けていた以上の柔和な笑みを巨人の顔に送る。
「じゃあね。碇シンジくん。あるいは次に会える時は、別の「世界」の君かも知れないけれど。それまでは「彼女」の腕の中で、ゆっくりと休んでいたらいいよ」
少年が巨人に向けていた眼差しの温もりが、3度ほど低くなった。
「じゃあね。綾波レイ」
そしてやや大き目な口から紡がれる柔ら中な声も、少しだけ硬くなる。
「シンジくんのこと、頼んだよ」
背を向け、コツコツと靴音を響かせて出口へと向かった。
少年が去り、檻の中は深い暗闇に閉ざされる。