機甲少女の想いは一途   作:hekusokazura

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 斜面の途中で足を止め、斜面の下を見下ろす人物。

 気密性を極限まで高めたオレンジ色の防護服に身を包んだ女性。

 赤木リツコの姿を認めた少女の形をした淡い光は、その体の下に隠していた少年の体を守るように抱き寄せる。

 そして睨み付けるように、あるいは怯える様に、目を細めてリツコの顔を見つめた。

 

 そんな淡い光の反応に、リツコは口許に笑みを浮かべる。

「あなたにもそんな顔、できたのね」

 

 少なくとも自分の記憶の中に、感情というものを宿らせた彼女の顔は刻まれていない。久しく会わなかった間に随分と人間の真似が上手くなったものだと感心しながら、リツコは淡い光と淡い光が抱き締める少年に近づこうと、右足を前に出した。

 右足で地面を踏みしめ、続けて左足を前に出そうとして。

 

 リツコの足もとに、石ころがころころと転がった。

 

 左足が地面に付いたら、今度は右足を前に出そうとして。

 

 やはり、リツコの足もとに転がってくる石ころ。

 

 リツコが一歩、また一歩と歩みを進める度に、前から飛んでくる石ころ。

 

 リツコは歩みを止め、石ころが飛んでくる方向を見つめた。

 リツコの視線の先には、目を閉じたままの少年を抱き締める淡い光。

 

 試しに、右足を前に出してみる。

 するとすかさず淡い光は手近にあった石ころを右手で拾い上げ、リツコに向かって投げた。

 今度は左足を前に出してみた。

 するとやはり淡い光は手近にある石ころを拾い上げ、リツコに向かって投げ付ける。

 今度は右・左と、2歩続けて前に出てみた。

 淡い光は右手で2つの石ころをいっぺんに拾い上げ、リツコに向かって放り投げてくる。

 放り投げられた2つの石ころのうち、1つは明後日の方向に飛んで行ってしまったが、一つはリツコの右の脹脛に当たり、そのまま足もとに落ちてころころと転がっていった。

 

 リツコが歩みを止めても、淡い光は石ころを拾い上げては、リツコに向かって放り投げるという行為を繰り返す。

 拾っては投げ。拾っては投げ。

 小さな手で石ころを掴み上げ。細腕を振るって。

 質量も乏しければ勢いもない石ころは、宙をひらひらと力なく舞い、ほとんどは目標物に辿り着くことなく地面に落ちてしまうが、いくつかはリツコまで辿り着き、足に、腕に、お腹に当たって、リツコの足もとにころころと転がる。その辛うじてリツコの体まで到達した石ころでさえも、リツコが着る分厚い防護服の前にはほんの少しの衝撃も中身の体にまで伝えることはできていない。

 それでも淡い光は繰り返す。

 歯を噛みしめながら。懸命に腕を振って。

 近寄らせまいと。

 「彼」には何人たりとも触れさせまいと。

 

 「彼」を護るために。

 「彼」が何も見なくて済むように。

 「彼」の安寧の日々を守るために。

 

 石ころを拾っては投げ。

 

 石ころを拾っては放り投げる。

 

 「彼」の眠りを守ってきた軍事衛星を駆使した防御システムはもはやない。

 ないから。

 あらゆる脅威を排除する光学兵器やミサイルはもうないから。

 

 だから代わりに石ころを拾って投げた。

 目の前に迫る脅威を排除するために。

 

 石ころを拾っては投げつけた。

 

 

 少女の姿をした淡い光の細腕から投げられた石ころの一つが、有機ガラスで出来たヘルメットのバイザーに当たった。銃弾をも通さない強度を誇る有機ガラスを、ひょろひょろと飛んできた石ころが傷付けることができるはずもなく、その石ころはバイザーの表面に染みのような汚れを残しただけで、リツコの足もとに転がり落ちていく。

 有機ガラスで囲まれた視界の隅にできた染みを見つめて。

 ついにリツコは堪えきれなくなった。

 

「ふふふふはははははっ!」

 

 大きな笑い声を上げるリツコの口から漏れる呼気が、完全密閉されたヘルメットのバイザーを曇らせる。

 身を捩らせて笑うリツコを前に、次に投げるために握って石ころが、淡い光の右手から零れ落ちた。

 

「はははっ! うふふふっ」

 

 リツコは腹を抱えながら笑い続けている。淡い光は石ころを拾い上げるのを止め、左腕の中にある少年の体に右腕も重ね、唇を噛みしめながら少年の華奢な体をぎゅっと抱き寄せた。淡い光の顔が、伸び放題の前髪に隠れてしまう。

 

 笑い過ぎて目尻に溜まった涙を拭いたかったが、ヘルメットが邪魔をするので何度か瞬きをして目尻の涙を絞り落とした。

 だって可笑しいじゃないか。

 10年に渡って世界の空を封鎖し続け、10年に渡って人類を地球に閉じ込め続け、10年に渡って我々ヴィレの挑戦を尽く退け続けた、宇宙の防御システム。その中枢にしてこの10年間、ネルフを凌ぐ世界最大の敵であったものの成れの果てが、目の前のコレ。目の前に居て、少年を抱き締めながら、地べたの石ころを拾っては、ぽいぽいと投げてくるコレ。

 滑稽でしかなかった。

 こんなものの相手に多大な労力と資金、時間を費やしたのかと思うと、この10年間を呪いたく、いや、むしろ笑い飛ばしたくなってくるこの衝動は、人として正常の反応ではないだろうか。

 

 こんなに笑うのは何時以来だろう。

 この10年の間に心の中で溜まりに溜まったものを、笑い声と一緒に一気に吐き出したリツコは、ようやく落ち着きを取り戻し、一つ深呼吸を挟み、そして淡い光を見た。

「あなたには2つ、お礼を言っておかなければならないわね」

 そのリツコの声に、淡い光は少しだけ顔を上げ、伸び放題の前髪の隙間から覗かせた赤い瞳でリツコを見つめる。

「ありがとう。弐号機を、アスカを助けてくれたの、あなただったんでしょ?」

 淡い光は何も答えず、再び俯き、額を少年の後ろ髪へと押し付ける。

「それと初号機を護り続けてくれたこともね」

 淡い光は何も答えない。

 そんな態度の淡い光にリツコは溜息を漏らしつつ、淡い光と少年に対して近付き始める。

 足音に気付いた淡い光はすぐに顔を上げ、手近にあった石ころを握り締めた。

 

「いい加減、無駄なことに力を使うのはおよしなさい」

 リツコの厳しい声に気圧されたように、淡い光は石ころを零してしまう。 

 リツコは少年の側に膝を折ると、防護服のポーチに入れていた手の平サイズのバイタル測定器を取り出し、少年の手首に翳した。10秒程度経過して、測定器の小さな画面に幾つかの数値が表示される。

「体温、血圧、心拍、酸素飽和度、全て異常なし。健康体のようね」

 リツコの言葉に、淡い光は何処か安心したように胸を撫で下ろしている。

 

「さて…、と」

 リツコは立ち上がると、淡い光と少年から2歩離れた。背筋を伸ばし、武装闘争組織ヴィレの幹部としての表情をその顔に宿らせ、相手を威圧するような鋭い眼差しで淡い光を見下ろす。

「綾波レイ…」

 名前を呼ばれ、少女の形をした淡い光はリツコの顔を見上げる。

「あなたは我々ヴィレとの戦いに敗れました」

 その言葉に、淡い光は下唇を噛みしめながら、顔を俯かせる。

「あなたは10年前にあなたが宣戦布告した相手に、負けたのです」

 少年を抱く腕に、ぎゅっと力を籠める。

「あなたに我々の降伏勧告を受諾する意思はありますか?」

 淡い光は少年を抱き締めたまま、何も答えない。

 リツコは少し姿勢を崩し、右足に体重を傾け、腰に右手を当てながら続ける。

「あなたが私たちの降伏勧告を無視するというのならば、私はそれでも構わない。これ以上の攻撃を仕掛けるつもりもないわ。私たちの作戦目標はあくまで初号機の鹵獲だから」

 口調も少しだけ砕けたものにした。

「だから、初号機さえ手に入れば、あなたとシンジくんはここに置いていったって、別に構わないの。ミサトやアスカは怒るかもしれないけれど、幸いここに居るのは私だけだからどうとでも報告できる。私はあなたたちの愛の逃避行を笑って見送ってあげられるわ」

 そこまで言って、リツコは淡い光から視線を外す。彼女の視線が向いた先には、人工的な光は一切ない、赤く爛れた大地が広がっている。

「こんな世界で…」

 そして視線を戻し、淡い光の体を上から下までを、舐めるように見つめる。

「そんな姿のあなたが、碇ゲンドウからシンジくんを守り通せる自信があるのならば、ね」

 

 すでに人の形を保てなくなり始めている淡い光。腰から下を失い、少年の胸の上で交差させている腕も炎天下に置かれたアイスクリームのように少年の肌の上に溶け出しており、毛の一本一本までが再現されていた長い髪の気も綿飴のように一つの塊と化している。淡い光と少年の周囲には蛍光塗料混じりの雨が降ったかのように、あるいは蛍光塗料混じりの湧き水が浸み出したかのように、青白く光る水が円を作っており、今もその面積を広げている。

 体の半分以上を崩壊させながらも、なお少年を護るように抱き締め続けている淡い光。

 満天の星々が瞬く夜空の下、闇夜の中に浮かぶその姿は美しもあり、一方で怪談話にでも出てきそうな生霊の姿のようにも見えて、リツコは再び声に出して笑ってしまいそうになった。

 

 

 それはまだ大地が緑に包まれ、都市には人々が溢れていた頃。

 感情の表出というものを知らず、一人の男を除いて誰とも関わりを持とうとしなかった少女。そんな彼女が何を思ったか、ある親子を囲んで食事会を催そうと奔走し、リツコに対しても食事会の招待状を手渡してきた。

 当時の友人であり、現在の上官である彼女は、ぎこちない文字で綴られた招待状を眺めながら言ったものだ。

 

  ―――愛、じゃない?

 

 その時のリツコは「ありえない」と一笑に伏したが。

 

 一人の少年を護る為に、敬愛していた唯一の人間との絆を断ち、己の肉体すら捨てた彼女の一途な想い。

 それは紛れもなく、

 

「…愛…ね…」

 

 リツコにとってその2文字を口に出したのは何時以来だっただろうか。

 目の前にあるのは、一人の少女の想いの成れの果て。

 それはとても歪であり、哀れであり、惨めであり、醜くすらあったが、あらゆる思惑が入り交じり、誰が敵で誰が味方なのか、自分たちが目指すべき方向は何処なのか、それは果たして正しい道なのか。それすらも分からずひたすら戦いに明け暮れる10年間を過ごしたリツコにとって、たった1人の少年のために全てを捨て、全てを巻き込み、全てを敵に回すことを選んだ少女の一途さ、素直さ、そして愚かさは、眩しくすらあり、また一人の女としては痛快ですらあった。

 

 結局、リツコは堪えていた笑いを鼻の孔から零してしまった。

 

 片や、一人の少女を救うために世界を破滅の淵に追いやった少年。

 片や、一人の少年を護るために世界の全てを敵に回した少女。

 

「まったく…、お似合いのカップルだわね…」

 そう呟いて、顔から笑顔を消す。

 

「周囲には迷惑極まりないカップルだけど…」

 吐き捨てるように呟いた。

 

 

 

「そう言えば、あなたとシンジくんには謝らなければならないこともあったわね」

 目を細め、頬を緩め、優し気な眼差しで、淡い光を見つめる。

「10年前のあの日。私たちの仲間の一部が暴発し、シンジくんを殺害しようとしたことは知ってるわ。それがあなたを一連の行動に走らせた大きな動機になったことも分かってる」

 そこまで言って、リツコは再び背筋をピンと伸ばす。

「あの日の私たちの行動があなた達を追い詰め、10年に渡る戦いと逃亡の生活を強いらせたことを、ヴィレを代表してここに謝罪します」

 淡い光と、淡い光が抱く少年に向かって頭を下げる。誰が見ても非の打ちどころのない完璧なリツコのお辞儀を、淡い光はぽかんとした顔で見つめている。

 

 5秒ほど頭を下げたリツコは、頭を起こして話を続けた。

「でも考えてちょうだい。あれから14年も経ったの。私たちは生きることに必死で。戦うことに必死で。ただ一人の少年を想って殺意を抱き続けるには、長過ぎる時間よ。私たちの仲間に、まだシンジくんを殺したいと思っている人間なんて、もう一人も居ないわ」

 「彼を赦している人間も一人も居ないでしょうけどね」という注釈については、表には出さず、心の中で付け加えた。

「あなたには10年前の謝罪の意味と、この10年間、初号機を護ってくれたこと。付け加えれば初号機とNGHヴーゼを強奪し、碇司令たちの計画を大幅に遅らせたこと。そして我々にヴーゼを、ヴンダーを与えてくれたことに対する謝意を込めて、無条件での降伏は求めないわ」

 リツコの顔が、険しくなる。

「降伏を受け入れるのに、何か条件があるのならば今おっしゃい」

 これが最後通牒だと言わんばかりのリツコの声音。

 

 

 もはや人の形を成してない淡い光は、両腕のような部分で少年の体をひしと抱き寄せ、頭部のような部分を少年の髪の隙間から覗く額に押し当てている。

 その姿勢のまま固まってしまった淡い光。

 リツコは、淡い光が決意するのを、辛抱強く待ってやった。あるいは、淡い光が自然に完全崩壊するのを待っていただけなのかもしれないが。

 

 5分後。ようやく淡い光が少年の額にくっ付けていた頭部のような部分を上げる。崩壊著しい淡い光と少年の額との間に淡い光の糸が引かれ、やがて千切れ、少年の額に淡く光る雫を数滴残した。

 淡い光は頭部のような部分をリツコへと向ける。まるで卵の表面のように、凹凸がなく、ツルツルになっている淡い光の顔。その下部に横線が入り、まるで口のように微かに開閉した。

 リツコは、開閉する淡い光の口のような部分を、注意深く見つめる。開閉する口のようなものが発しようとしている言葉を、懸命に読み取る。

 

 淡い光の口のようなものが閉じられるのと同時に、目を閉じ、ほっと安堵の溜息を吐くリツコ。

「良かった。あなたと私たちとの間で、その一点においては意見が一致したわね」

 リツコの口もとが、緩やかな曲線を描いた。

「安心して。私たちがシンジくんに求めるものも、あなたと一緒よ」

 瞼を開き、淡い光を見つめる。

 

「シンジくんには、二度とエヴァに搭乗しないでほしい」

 

 ニッコリと、淡い光に向けて笑い掛けた。

 

「そのためならば、あらゆる手段を尽くすつもりだわ」

 

 

 

 

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