(44)
鈴原ヒカリが木製の引き戸を開けると、そこにはいつもの彼女。
「おはよう。そっくりさん」
洗面所の鏡を見ていた空色髪の少女は、ヒカリに顔を向けると、ゆっくりとした足取りでヒカリに歩み寄り、そして両腕を伸ばして。
「おは、よう…」
ツバメを抱いたヒカリの体をそっと抱き締めながら囁く。
「うん。おはよう」
ヒカリも少女の体をそっと抱き締め返す。
ヒカリはタンスの上にツバメを寝かせ、おむつ交換を始める。
「そう言えば、そっくりさん」
洗面所の鏡を見つめていた少女は、鏡越しにヒカリを見る。
「昨日は驚いちゃったわ。ツバメの寝てる側で、そっくりさん、畳の上で布団も掛けないで寝てるんだもの。倒れたんじゃないかって、心配しちゃった」
少女は視線を一度鏡に映る自分の顔に向け、そしておむつ交換をしてるヒカリの横顔に向ける。
「疲れてて…、そのまま寝ちゃった…」
「ふふ。いつも本当にご苦労さま。辛かったらお仕事、たまには休んでもいいのよ?」
少女はふるふると首を横に振る。
「平気。仕事、楽しい。もっと色々、したい。もっとたくさん、みんなと時間、過ごしたい」
「ふふ。そっくりさんは本当に働きもの。そしてみんなの人気者ね」
洗面所の引き戸がガラガラと開き、トウジが顔を出した。
「おう、おったおった。そっくりさん」
少女は鏡から視線を外し、トウジを見る。
「ちょっと来週から頼みたいことがあるんやがな」
「なに?」と首を傾げる少女。
* * * * *
村を見渡せる高台に建つ監視塔。
その監視塔のてっぺんで、柵に頬杖を付きながら、村の中や郊外の田畑で労働に勤しんでいる村人たちを見下ろす。
時折上がる村人たちの笑い声が、遠く離れた監視塔まで届く。
目に入る村人たちの姿。耳に入る彼らの笑い声。
その中に自分が交わることは決して無いのだし、交わるつもりもないし、などと頭の半分で思いつつ、もう半分では数日前の共同墓地での出来事を思い出していた。
今でも腕の中に残る、人を抱き締めた感触。
誰かを。
人を抱き締めたのは何時以来だっただろうか。
いや、もしかしたら生まれて初めてのことではなかっただろうか。
あの飛行戦艦の中に居るときは、鬱陶しい同僚に抱き着かれることはしょっちゅうなのだが。
この自分が。
この腕が。
誰かを抱き締める日が来るなんて。
ふと、あの子の言葉を思い出す。
―――あなたの音、とても心地いい。
この腕を通して、この体を通して聴こえた「彼」の音。人の音。生命の音。
とても心地よかった。
いつまでも聴いていたいと思った。
もう一度。
機会があるのであれば、もう一度。
誰でもいい。
誰かを、抱き締めたいと思った。
来る、決戦の日までに。
自分がこんな気持ちになる日が来るなんて。
あの子のおかげ?
あの空色髪の…。
噂をすれば…。
遠くからでも嫌でも目立つ、空色の髪。
村の中を、てくてくと歩く空色の髪の少女。
今日は珍しく、中学時代の元委員長の旦那と一緒だ。
白衣を着た旦那と、袖なしの白いエプロンを着た空色髪の少女は、村共有のオンボロのピックアップトラックに乗り、黒い排気ガスをボコボコと出しながら村の出口へ向かって走り出す。
2人を乗せたピックアップトラックは村の東側へと向かい、森の中の道へと消えていく。
トラックが消えていった森の中の道が辿り着く先を頭の中に思い浮かべる。
「あんのバカ!」
そう悪態をつくと身を翻し、監視塔の梯子を滑るように一気に降りた。
未舗装の凸凹道。時折大きな陥没にタイヤが落ち込み、車内が上下に大きく揺れ、その度に助手席に座る少女の軽い体が車の天井に付く勢いで浮き上がる。初めてこの道を車で走った時、助手席に乗せた看護婦さんはあまりの揺れの酷さに終始悲鳴を上げ続け、10分おきに車を停めさせては道端に向かってげーげー言っていたものだが、今隣に座っている少女は顔色一つ変えず、平然と座っている。
「さっすがはエヴァンゲリオンのパイロットやの」
鈴原トウジのその呟きに、少女は「何が?」と視線を送る。
「気分悪うないか?」
「平気…」
「そっくりさんとシンジがここに来てもう随分経ったのう。新しい環境に慣れるんに色々しんどい思いもしたやろ。体調悪かったら遠慮のう言うんやで」
「うん。ありがとう…」
「カッカッカ…」
奇妙な笑い声を上げるトウジの横顔を、少女は不思議そうに見つめる。
「いやの。その顔で「ありがとう」言われると、なんやこそばゆうなるわ」
「この顔?」
少女は自身の顔の両頬を、両手の人差し指でぷにぷにと押してみる。
「おう。わしらが知っとる「綾波」はそりゃもう仏頂面での。挨拶もろくにせんような奴やったから」
「あなたが知っている、「アヤナミ」…」
「まあ、最後の方はあいつもちいとばかし挨拶できるくらいにはなっとたがの。まあでもなんや。わしら第3村の住人にとっちゃ、お前さんがすっかり「綾波」やがのう」
少女はふるふると首を横に振る。
「私は、アヤナミレイ、じゃない」
「おう、そうやった、そうやった。「そっくりさん」やったの。おう、そういや、新しい名前は決まったんか?」
少女はふるふると首を横に振る。
「碇くん、に、頼んでる…、けど、まだ…」
「シンジもまたどえらい大役を仰せつかったものやの。わしらもツバメが生まれた時は、三日三晩悩んだもんやで」
「名前、決めるの。大変?」
「そりゃのう。この世にたった一つしかない、魂を吹き込むための大切なおまじないや。そりゃもう一世一代の大魔法やで」
「大魔法…」
少女はそう呟きながら、膝の上に置いていた手提げ鞄を抱き締め、背中を深く背もたれに預けた。
少女の横顔をちらりと見たトウジは、歯を見せてニヤニヤと笑う。
「なんや。シンジに名前決めてもらうんが、そない嬉しいか?」
「嬉しい…?」
少女の口もとに浮かぶ、微かな曲線。
「そう…、これが嬉しい…」
「そっくりさんも、よう笑うようになったのう。ええこっちゃ」
「笑顔は、人を幸せにする、おまじない…」
「そうやそうや。笑うんはタダなんやから、笑うとけ笑うとけ。鶴瓶師匠もよう言うとったわ」
助手席の少女は、左右の人差し指で両頬を押し上げ、無理やりに口の両端を上げてみせた。
村の郊外の凸凹道。クーラーなんて洒落たものは付いていない前世紀の骨董品のような車なので、窓ガラスを全開にして走っていた。その窓のすぐそばを、物凄い速さで通り抜けていく一台の原付バイク。
「なんや、えらい急いどるのう」
車を追い越していった原付バイクのお尻を見つめていたら、そのバイクが目の前で大きくハンドルを切り、急ブレーキを掛けた。
「どわっ!?」
バイクを轢いてしまいそうになり、慌ててブレーキペダルを踏みこむトウジ。突然の急制動にダッシュボードに額を打ってしまう少女。
トウジは窓から顔を出し。
「おんどりゃあ! 何晒しとんのじゃこのボケぇカスぅ!」
バイクの運転手に向かって巻き舌で怒声をぶつける。
バイクの運転手はスタンドを立ててバイクから颯爽と下りると、ヘルメットを脱いだ。
青空を背景に、緋色の髪が広がる。
「式波…」
バイクの運転手の名前を呟くトウジの目が丸くなる。
パーカーにハーフパンツというラフな格好で現れた式波・アスカ・ラングレーはスタスタとトウジらが乗るピックアップトラックまで歩いていき、運転席の窓を覗き込んだ。
「よ、よう。式波。久しぶりやの」
意外な人物の登場に、戸惑いつつ挨拶をするトウジ。
「どこ行くの?」
対してつっけんどんなアスカの声。
「ど、どこて。この先の病院やけど」
「そいつは?」
顎で、助手席に座る空色髪の少女を指す。
「いつも手伝うてもろうとる看護婦さんが暫く来れんようになって。せやからそっくりさんに来てもろうたんやが」
「やっぱり…」
アスカは吐き捨てるようにそう呟くと、運転席から離れ、助手席へと回る。助手席のドアを開け、少女の腕を引っ張ると、強引に車外へ出させてしまった。
「な、何するんや!」
トウジは抗議の声を上げるが、アスカにキッと睨まれ、口を噤んでしまう。トウジを視線のみで黙らせたアスカは、少女の腕を引っ張りながらスタスタと歩いていってしまった。
トウジが残ったピックアップトラックから10メートルほど離れ、対峙する2人。アスカは、少女の涼し気な瞳を間近で睨みつけている。
「あんた。これから行くところがどこか、分かってんの?」
少女はこくりと頷く。
「病院。人手、足りないから、手伝ってほしい、って」
「ええ。あんたが行くところはね。クレイディトが運営する病院。民間人だけじゃない。色んな所から色んな患者が来る病院よ。あんた、その意味分かってる?」
少女はこくりと頷く。
アスカは呆れたように盛大に溜息を吐いた。
「そんな場所にそんなナリで…」
少女から半歩遠ざかり、少女の頭からつま先までを視界に収めたアスカ。少女の姿を改めて見直して、初めてそのことに気付いたアスカの口が、閉じてしまう。
5秒ほど間を置いて。
「あんた…、プラグスーツ…。どうしたのよ…」
少女の服装。
牧歌的な村の中にあって違和感しかなかった黒のプラグスーツ。
体のラインが丸見えのその格好はすれ違えば誰もが二度見したものだが、慣れというものは恐ろしいもので、時が経てば少女のそんな奇抜な服装も村の風景の中に馴染んでいたものだ。
少女はふるふると空色の髪を揺らせ、頭を横に振った。
「もう、必要、ないから」
そう答える少女の口角は、少しだけ上がっている。
少女の服装。
遠い昔、どこかで見たことがあるようなコバルト色の吊りスカート。白のブラウス。赤のリボンタイ。
そんな学生服然とした服装に、白の袖なしエプロンを纏った少女の姿。
「必要…、ない…、って…」
アスカはぎこちない口調で少女の言葉を繰り返す。
少女は何も答えず、その口許に緩やかな曲線を浮かべながらアスカを見つめ返している。
「あれがないとあんたは!」
怒鳴り声を上げたアスカは少女に半歩近付き、両手で少女の左右の二の腕を掴んだ。怒気を孕んだアスカの顔の急接近に、しかし少女の表情は変わらず涼やか。
「もう、着てても、意味、ないから」
そう呟いた少女は、ブラウスの第1ボタンを外し、襟元を少しだけはだけさせてみせた。
白い布地の向こうから現れる、真っ白な肌。
急に胸元をはだけ出した少女に、アスカの瞼が2度ほど小刻みに開閉する。
少女のブラウスの第2ボタンも外され。
少女の胸元が露わになって。
そしてアスカの目が、大きく見開かれ、アスカの荒い呼気が止まった。
少女はぎこちない動作で、慣れないボタンを留める。
「なんで…」
少女の二の腕を掴んでいたアスカの手に力が籠った。その痛みに、少女の顔が少しだけ歪んだ。
「だったらなんで! なんでこの村に留まってるの! なんでネルフに帰らないのよ!」
アスカの激しい剣幕にちょっと驚いてしまったらしい。少女はぱっちりと見開いた目で、アスカを見返している。
「あのバカのため!? あいつのために村に残ってるの!?」
少女はやはり目をぱっちりと開けたまま、口を半開きにしてアスカを見返している。そんな少女に、アスカは深呼吸を挟んで口調を落ち着かせ、諭すように言った。
「だったらあんたは良くやった。あいつはあんたのお陰でもう立ち直ったから。だからあんたは早くネルフに帰りなさい」
少女は口を半開きにしたまま、ゆっくりとした動作で首を横に振っている。物分かりの悪い少女に再びアスカの口調は強くなる。
「なんでよ!?」
問われた少女は、半開きのままだった口を閉じ、口内に溜まっていた唾を控えめな喉仏を上下に静かに動かして飲み込み、そして口を開いた。
「碇くんの…、側に…、居たいから…」
「ああもう~!」
アスカは顔を俯かせ、緋色の髪を揺らしながら激しく頭を左右に振る。
「だから言ったじゃない! その感情はネルフに仕組まれたものだって! そんな作り物の感情に振り回されるなんて、そんなの…!」
顔を上げたアスカの目に映るのは、口許に静かな笑みを浮かべた少女の顔。
「そんなの…、バカみたいじゃない…」
アスカの声が、失速していく。
沈黙が続く間、赤い瞳と蒼い瞳はお互いを瞬きもせずに見つめ合っていた。
「ありがとう…」
そして少女はぽつりと呟いた。
「私に…、この感情の意味…、教えてくれて…」
少女は自分の二の腕を掴んだアスカのそれぞれの手に、自身の両手を重ねる。
「わたし…、ここじゃ、生きられない…」
少女の手に重ねられたアスカの強張った手が、少女の手から伝わる温もりで少しずつほぐされていく。
「でも、ここで初めて、自分が生きてると、感じた」
少女の二の腕から離れるアスカの両手を、少女は胸の前で重ね合わせる。
「命令がなくても、生きていられること、分かった」
そしてアスカの両手を、そっと自身の胸元へと手繰り寄せた。
「私、ここじゃないと、生きられない」
アスカの手が、少女の胸に触れる。
「ここで生きたい。最後まで」
アスカの手に伝わる、少女の胸の奥から轟く心音。
「最後まで、みんなのために、働きたい」
ピックアップトラックから離れて対峙していた2人。その内の1人、左目に眼帯をした、背中まで伸びた緋色の髪の持ち主が、声を荒げながらもう1人の短く摘めた空色の髪の持ち主に詰め寄っている。
何やら揉めているらしい。トラックから降りて2人の間に割って入った方がよいのだろうか迷っていたら、空色の髪の持ち主が緋色の髪の持ち主の両手を自身の胸に手繰り寄せながら、ぽつりぽつりと相手に語り掛け始めた。やがて緋色の髪の持ち主の背中から激しい感情が消えていくのが、離れた場所にいるトウジの目からも見て取れることができた。
少女がアスカの手を離すと、どちらからともなく2人の足はピックアップトラックへと向かい始めた。
少女はトラックのドアを開けると、助手席へと乗り込む。
アスカの方は、トラックの行く手を塞ぐように駐輪していた原付バイクを道路脇へと寄せた。そしてバイクから離れ、ツカツカとトラックまで歩み寄ると、助手席の窓から車内を覗き込む。
助手席に座る少女の隣では、運転席に座るトウジが顔を顰めながらアスカを見ている。
「おう。もう話は済んだんかいな?」
トウジのその質問に答えることなく、アスカは窓の中に上半身を突っ込むと、助手席の少女を越えて運転席のトウジまで腕を伸ばし、トウジが着る白衣の襟首を掴んで、強引に引っ張った。狭い空間に、トウジとアスカと少女の顔が密集する。
「な、なんや…」
突然のことにトウジの抗議の声も引き攣ってしまう。
アスカはトウジの顔を睨み付けながら口を開く。
「もし…」
「は?」
「もし病院でトラブルが起きたらこう言いなさい。こいつの」
片方しかない視線だけを、少女へと向ける。その少女は、アスカの乱暴な行動にびっくりしたように目をぱっちりと開けて、アスカとトウジの顔を交互に見比べている。
アスカは視線をトウジへと戻し。
「こいつの身元はあたしが保証する、と」
「お前が…?」
「こいつのことで文句がある奴はヴィレ所属特務少佐、式波・アスカ・ラングレーのとこに来いっつってんの! 分かった!?」
「お、おう…」
アスカの迫力に承諾の返事をするしかないトウジ。それを聴いたアスカは、掴んでいたトウジの白衣を離す。
アスカの片方しかない蒼い瞳は、助手席に座る少女の赤い瞳へと向けられる。まだびっくりしているらしい少女はぱっちり開いた目を何度か瞬かせながら、アスカを見つめ返している。
アスカの手が伸び、少女の空色の髪に触れた。
「これじゃ目立つわね…」
そう呟いたアスカは、両手を自身の首へと向ける。その両手は、アスカの首に巻かれていた青いバンダナを解いた。
正方形のバンダナを三角形に折り、少女の頭へ被せる。そのまま、少女の空色の髪が隠れるように、バンダナを頭部に巻いた。
「いい? 病院に居る間は、これ取っちゃだめよ」
少女はアスカに言われえるままに、こくりと頷いている。
そんな様子の少女に、アスカは鼻から短く溜息を吐く。固く引き締められていたアスカの口角が、ほんの少しだけ上がった。
アスカはトラックから一歩離れる。運転席のトウジに向かって出発するように、顎を振った。
促されたトウジは止めていたトラックのエンジンを再スタートさせる。
「式波…」
エンジンルームから轟くガタピシ音に紛れて、トウジの呼ぶ声が聴こえた。
トウジはフロントガラス越しに見える未舗装の道を見つめながら言う。
「ヒカリが会いたがっとったぞ…。ケンスケんとこばっかしやなく、たまにはわいらんとこにも顔出せや…」
そのトウジの言葉にアスカは返事をすることなく、一歩、二歩とトラックから離れて行ってしまう。
そのアスカの態度にトウジは深く溜息を吐きながら、右足をブレーキペダルからアクセルペダルへと踏み替えた。
白のピックアップトラックはどす黒い排気ガスをアスカの足もとに残して、未舗装の道の上を走り去っていった。
* * * * *
「そう。そっくりさん。さっそくみんなのお気に入りになったのね」
そう呟いた鈴原ヒカリの目は、自然と話題の少女の寝室である隣の部屋へと通じる襖へと向けられる。
「おう。さすがに看護師さんの真似事まではさせられんがの。初日から掃除に洗濯とあれこれしてもろうたわ。あない素直な性格やし働き者や。病院から帰る頃には「そっくりさん・そっくりさん」ゆうてみんなが病院の玄関まで見送ってくれとったわ」
その光景が手に取るように思い浮かべることができたヒカリは、目を細めながら隣の布団で横になっている夫に目を向ける。
「別れ際にはいつもの…?」
「おう。ハグしまくっとったで。ありゃ第3村だけじゃ収まらんの。病院でも流行りそうやわ」
「ふふっ。あなたもご苦労様。午前中は診療所で開診。午後は夜遅くまで病院に勤務じゃ、体も休まらないでしょうに」
妻から労われたトウジはくたびれた布団から両手両足を出し、大きく伸びをする。
「まあクレイディトとの取り決めやししゃーないな。わいがクレイディトの病院に勤労奉仕する代わりに、村には優先的に薬や医療機器を回してもろうとんやから。それにわいみたいなヤブやない、立派な先生方の診療見るだけでもええ勉強になっとるわ」
とても模範的な生徒とは言い難かい夫の学生時代を知っているヒカリは、夫のそのセリフに口に出そうになる笑い声を噛み殺しながら、視線を再び隣の部屋の襖へと向ける。
「そっくりさんもご苦労さま…」
2度の伸びを済ませたトウジは、隣の布団で横になっている妻から天井へと視線を向けた。
「そう言えばの…」
「ん?」
「今日、式波に会うたわ」
「え…」
ヒカリの視線が、トウジへと向けられた。
「なんやあいつ…。10年前とまるで変わっとらんかったの…」
「そう…」
「不機嫌そうなとこも相変わらずやったな。ま、とりあえずは元気そうやったわ」
「そう…」