機甲少女の想いは一途   作:hekusokazura

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 そこは病院の一室。

 広い室内に、壁側と窓側にそれぞれ頭を向ける形で幾つものベッドが並んでいる。一応病院の体は成しているが、本来は14年前の大厄災によって滅んだ山間の小さな町に残っていた廃校の校舎を再利用したものだ。教室と教室を隔てる壁をぶち抜いて拡張した病室。フローリングの床。壁の黒板。各ベッドの間を仕切るカーテンはなく、パイプとマットレスだけで出来た簡素なベッドの上に、怪我や病気の種類も容態も様々な患者たちが雑多に寝かされている。

 そんな幾つも並ぶベッドの一つを、白衣を着た医師たちと看護師たちが囲んでいる。

 彼らが囲むベッドの上には、全身を包帯に巻かれた痛々しい姿の患者が寝かされていた。

 

 

 

 頭にバンダナを巻いた少女は汚物入れ用のカートを押しながら病室へと入った。

 各ベッドを回り、ベッドの下に置かれたバケツの中身を、カートのカゴの中に入れていく。

 4つ目のベッドを回ったところで。

「よっ。そっくりさん」

 5つ目のベッドの上に寝かされた患者の中年男性が声を掛けてきた。少女は男性の挨拶に頷いて答え、男性が寝るベッドへと近付く。

「今日もご苦労さん」

 笑顔を向けてくる痩せた男性患者に対し、少女は着ていたエプロンを脱ぎ、はめていた手袋を取ると、男性患者の頭をそっとハグした。この先その死が訪れるまで頭部以外を動かすことが許されなくなったその男性患者は、少女の背中に腕を回す代わりに額を少女の胸に押し付けることで少女のハグに応える。少女は男性患者から離れると、改めて手袋をはめ、エプロンを着て、男性患者が寝るベッドの下のバケツを引っ張り出し、中身の汚物をカートのカゴの中に入れた。

 

 この少女が近くの村の医師に付き添ってこの病院に顔を出すようになってから数日が経った。見るも可憐な少女が挨拶代わりにハグをしてくれるという噂は、病院の男性患者の間であっという間に広まってしまっており、すでにこの病院のちょっとした名物になっている。

 

 バケツをベッドの下に戻し、体を起こした少女。

 その少女の視線が、病室の奥の方で、一つのベッドを囲む医師と看護師の集団に向けられた。

「ああ…、あいつか…」

 男性患者の声に、少女は視線を側のベッドの上に戻す。

「あいつ。そろそろヤバいらしいな…」

「やばい…?」

 少女の視線が、再び病室の奥のベッドへと向けられた。

「あいつも今日までずっと頑張ってきたんだけどな」

 少女は男性患者に視線を戻す。少女の問うような視線を受けて、男性患者は辛そうに目を細めながら言う。

「あいつ、ヴィレの戦艦の乗員だったんださ。先月の戦闘で全身に大怪我負って、ここに運び込まれたんだよ」

「戦闘…」

 少女は男性患者の言葉の一部分だけを切り取って、ぽつりと繰り返す。

「そう。ヴンダーがネルフのエヴァと戦ったんだ」

 

「ネルフの…」

 

 胸の中の心臓が、1回だけ大きく脈打ったような気がした。

 

「エヴァ…」

 

 

 

「彼に家族は?」

 年配の医師の質問に、トウジが答える。

「居ません。皆、14年前に…」

「そうか。下顎呼吸に尿量の著しい低下。今夜が山だろうな」

 トウジは力なく頷いた。まだ若いが何人もの患者を看取ってきたトウジと、年配の医師の見解は一致している。

 1月前にこの患者がこの病院に運び込まれた日に、最初に診察をしたのがトウジだった。以来、非常勤にも関わらず、トウジが担当医としてこの患者を受け持ってきた。

 初診の段階で、この患者にしてやれることは何もないということは分かっていた。せいぜい、疼痛に対する対症療法くらい。前回の勤労奉仕から2週間ほど空けてこの病院に戻ってきて、まだこの患者が生きていたことに驚いてしまったほどだ。

 

 背後に気配を感じ、トウジは振り返った。

 エプロンにマスク、頭にバンダナを巻いた少女が立っている。

「おう。そっくりさんか」

 トウジはベッドから離れ、少女へと近付いた。

「すまんの、そっくりさん」

 ベッド上の患者に視線が釘付けになっていたらしい少女。トウジが隣に立っていたことにも気付かず、声を掛けられてはっとした様子でトウジの顔を見上げる。

「今日は泊まりや。わいの受け持ち患者が危篤なんや。村に戻るにも便がないし、悪いがそっくりさんも付き合うてくれるか?」

 

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

 

「ほんまにええんか?」

 心配そうに言う鈴原トウジに、少女は頷いて答える。

 

 廃校を利用した病院を包む夜の帳。暗がりの病室は、隅に置かれたランタンの灯りのみがぼんやりと点り、患者たちの寝息と窓の外から聴こえる虫の鳴き声のみが聴こえる。

 

 村の診療所での連日の激務に加えて、勤労奉仕にやって来た病院で担当患者を看取るために突如舞い込んだ夜勤。体力には自信のあるトウジも、さすがに疲れていたのだろう。宿直室で寝ていた少女は、トイレに向かう廊下の窓の隙間から、病室の隅の椅子の上でうつらうつらと船を漕いでいるトウジを見かけ、彼に見守りを後退すると声を掛けた。ここで働き始めてまだ数日の少女にいきなり夜勤をさせるわけにはいかないため、トウジは少女の申し出を初めこそ断ったが、少女と話している最中にも油断をすればすぐにでも瞼を閉じてしまいそうだったため、「30分だけ」という約束で、少女が病室に残り、トウジは宿直室で仮眠を取ることにしたのだった。

 

「なんかあったらすぐに呼ぶんやで」

 心配そうに言うトウジに、少女は頷いて答えた。

 

 

 

 トウジが病室を後にし、静かになる病室の中。

 少女は病室の隅にあるパイプ椅子に腰を掛け、ベッド上の患者たちを見守る。

 

 小さなランタンの朧げな光が静かに照らす室内。

 時折外から拭く風に煽られ、広がる窓のカーテンの隙間から差し込む、月の光。

 窓の外から聴こえる虫の鳴き声。

 変化の乏しい風景を、パイプ椅子にちんまりと座る赤い瞳の少女は、ぼんやりとした眼差しで見つめている。

 

 

 そっと、目を閉じてみた。

 視覚を断つことによって、鋭敏になる聴覚。

 聴こえてくるのは、窓の外からの虫の鳴き声。

 カーテンを揺らす風の流れる音。

 それらに混じって聴こえる、ベッド上の彼らの息遣い。

 寝息。

 時々歯軋り。

 時々いびき。

 時々寝言。

 時々放屁。

 

 静かな空間の中にも、溢れるような様々な雑音。

 充満している生命の息吹。

 

 「終わり掛け」のこの体を満たしていく色とりどりの音たちが、心地よかった。

 

 

 鼓膜を刺激する、色彩豊かな音。

 眠りという安息の地を礼賛する音。

 

 その中に紛れ込む微かな歪みを、少女の耳は聞き逃さなかった。

 

 豊かな音の流れの中に、ぽつんと染みのように浮く音。

 それは、人の呻き声。

 

 少女は咄嗟に目を開け、パイプ椅子から立ち上がる。呻き声が聴こえた方に視線をやるが、そこには鈴なりのように並ぶベッドの上に寝かされた、何十人もの患者たち。

 呻き声の行方を見失った少女は、もう一度目を閉じた。

 虫の鳴き声。風の流れる音。患者たちの寝息。

 その中に混じる、苦し気な呻き声。

 

 その音源を特定した少女はすぐに、しかし足音を立てないよう慎重に、そのベッドへと駆け寄った。

 

 ベッド上に寝かされていたのは、まるで図書館で呼んだ絵本に出てくるお化けのように、全身を包帯に包まれた患者。体の全てを薄汚れた包帯が覆い隠しているため、寝かされているのが男か女か、子供か大人か老人かすらも分からない。

 少女はベッドの側に膝を折ると、ミイラのような患者の口もとに耳を近づける。

 切迫した呼吸に混じって聴こえる、微かな呻き声。

 

 医療・看護知識に乏しい少女であっても、目の前の患者の生命が危機に瀕していることは察することができた。すぐに立ち上がり、宿直室で寝ているトウジを呼びに行こうとして。

 

 しかし少女の足は止まる。

 少女の足は、その場から立ち去ることができなかった。何よりも優先すべきことは、患者の担当医を呼ぶことなのに。患者の担当医からもそう命令を受けていたはずなのに、少女の体はそれを実行することができなかった。

 

 何故ならベッドの上から、包帯で包まれた腕が伸び、少女のエプロンの裾を握っていたから。

 顔に巻かれた包帯の隙間から覗く、灰色に濁った瞳が、少女の顔を見つめていたから。

 

 

 

 

 彼はとある空中戦艦の乗組員だった。その戦艦は人類に残された最後の砦だった。

 ニア・サードインパクトの日に生を受け、生まれたその日に親を失い、生まれたその日から始まった飢餓と混沌の日々を生きた彼は、年齢を偽って反ネルフ・ゼーレ組織に参加し、最後の砦たる戦艦の甲板員として、とある広大な地下空間で起きようとしていた世界の4度目の破局を阻止する戦いに身を投じていた。彼が乗る艦は地下空間に強行突入し、あと一歩で起きる寸前だった4度目の破局を辛うじて防ぐことに成功したが、同時に敵対する組織が所有する人型兵器の猛烈な反撃を受けて大きな損害を被っていた。敵の攻撃の直撃を浴びた戦艦の主砲付近に居た彼は、全身に重度の熱傷を負い、野戦病院で幾度もの人工皮膚の移植手術を受けた末に、この病院に運び込まれたのだった。

 

 

 

 

 全身を蝕む激しい痛み。

 四六時中灼熱の炎に包まれているような、針のむしろに包まれているような感覚。

 癒えることのない喉の渇き。

 

 それでも生に対する渇望を手放すことが出来なかった彼は、気力だけで今日まで生きながらえてきた。

 死にたくない。

 死にたくない。

 その一心で、担当医さえも驚く生命力を見せていた。

 しかし、彼の戦いも、今宵、静かに終息を迎えようとしている。

 

 

 彼が求めるもの。

 それはもはや生きることへの切望でもなく、全身を支配する痛みを和らげることでもなく、喉の渇きを潤すことでもなく。

 彼が最期に欲したもの。

 

 

 独りにしないでほしい。

 

 誰かに側に居て欲しい。

 

 

 ただ、それだけだった。

 

 

 それは考えてした行動ではなかった。

 近くに感じる人の気配。

 咄嗟に、包帯だらけのその手を、人の気配がする方へと伸ばしていた。

 伸ばした先に触れたエプロンの裾を、掴んでいた。

 殆ど視力が失われた瞳で、側に居る誰かを見つめていた。

 

 

 

 

 それは考えてした行動ではなかった。

 それは経験則。

 あの村の生活で得た経験が、少女をある行動へと導いた。

 

 頭では分かっている。自分が取るべき行動。それは、すぐにこの患者の担当医を呼びに行くこと。それは分かっている。

 でも、体が勝手に動いていた。

 

 患者にエプロンの裾を掴まれた少女。灰色に濁った瞳で見つめられた少女。

 彼女は、病室の出口へと向いていた体を翻し、そっとその場に膝を折った。

 

 エプロンの裾を握る患者の手に両手を添えて、そっと包み込む。

 すると患者の手はエプロンから離れ、包み込んだ少女の手を握り返してきた。

 

 

 彼は少女の指に自分の指を絡めたかったに違いない。おそらくこの世界で自分が知る、最後の人肌の温もりをもっと感じたくて。しかし彼の手に巻かれた包帯は、人指し指から小指までを纏めて縛ってしまっているので、彼の望みは叶わなかった。だから代わりに、持ち得る限りの力で、少女の手を握った。

 

 

 手を握った途端、患者の手に物凄い力で握り返され、少女はその痛みに思わず顔を顰めてしまったが、しかし手を振払おうとはしなかった。

 それは「あの少年」に頬をぶたれた時と同様の、「知らない」痛みだった。

 誰かと握手を交わすこと。抱擁すること。相手に直に触れ、互いの息吹を確かめ合う行為は、いずれも柔らかさと優しさと温もりに溢れ、痛みを伴うものではなかったはず。

 患者が握る手。自分の手を圧し潰さんばかりに握ってくる手。

 手に感じる初めての痛みを確かめるように、心に、体に刻み込むように、少女の両手もまた患者の手を硬く包み込んでいる。

 

 体中の細胞が崩壊していく痛みに、患者の喉の奥から低い呻き声が上がった。少女の手を握った患者の右手がガクガクと激しく震えだした。まともに悲鳴も上げられない口の代わりに、その手で痛い痛いと悲鳴を上げていた。

 

 少女は自身の右手を患者に握らせたまま、もう片方の左手を患者の背中へと回す。患者の上半身を、ゆっくりと抱き起こした。患者の背中には体内からの浸出液が包帯の隙間から滲み出ていて、ベッドのシーツとの間に幾つもの液状の細い線を作る。少女の服の左袖にも、浸出液がべったりと付着する。

 それでも構わず少女は患者の体に自分の胸を、お腹を密着させ、患者の顔に自身の頬をそっと寄せ。

 少女は、包帯だらけの患者の体を、ひしと抱き締めた。

 

 居候先の赤ん坊を抱っこするのと同じ要領で。

 相手の全身を優しく包み込むように。

 背中に回した手には、心地よい一定のリズムを刻ませながら。

 薄汚れた包帯。包帯の隙間から滲み出る様々な体液。皮膚や肉が、腐っていく匂い。

 そんな体を、彼女はなんの躊躇もなく抱き締めた。

 

 密着した体から伝わってくる少女の息遣い。

 少女の胸の中の小さな鼓動。

 少女の温もり。

 生命の息吹。

 

 

 痛みが消えていく。

 それと同時に、視界が狭くなっていく。

 その体から。器から、少しずつ離れていく、「自分」という存在。

 

 患者の口元がモゾモゾと動いた。何か、言葉を発しようとしているらしい。しかし患者の口にも何重もの包帯が巻かれており、彼の最期の言葉を阻害する。

 あるいは、少女の耳にはこの言葉は届かないかもしれない。

 

 それでも彼は、包帯の向こうで言った。

 

 最後の力を振り絞って、こう言った。

 

 

 

 ア・リ・ガ・ト・ウ、と。

 

 

 

 彼はこの世界での最後の言葉に、感謝の言葉を選んだ。

 

 

 

 

 

 

 抱き締めていた患者の体。

 密着した体から伝わってくる患者の息遣い。

 患者の胸の中の小さな鼓動。

 患者の温もり。

 生命の息吹。

 

 それらが、急速に遠ざかり、薄くなり、失われていくのを、少女は感じていた。

 

 

 窓を塞ぐカーテンを揺らしていた風が止み、月の淡い光が差し込んでいた病室の中が暗闇へと変わる。

 虫の鳴き声も止み。

 他の患者たちの寝息も静まる。

 

 

 その日の夜は、とても静かだった。

 

 

 

 

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