機甲少女の想いは一途   作:hekusokazura

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 瞼を開けると、真っ先に視覚を刺激したのは窓ガラスから差し込む太陽の光。

「お~…、今日もええ天気や…」

 夢うつつの鈴原トウジは大きな欠伸を交えつつ、両手で目をぐりぐりしながら呟く。

 布団の端から両腕、両足を突き出して、大きく伸びをして。

 普段使い慣れた布団とは違うことに気付き。

 

「まずっ!?」

 

 次の瞬間には簡易ベッドから飛び起き、宿直室から飛び出していた。

 所々床板が禿げた廊下をドタバタと走り抜け、病室の扉を勢いよく開き、中に駆け込む。

 

 病室へ駆け込んだトウジの足が、ピタリと止まった。

 乱れたトウジの呼吸も、ピタリと止まる。

 

 病室の中。

 夜が明ければ目覚めた患者たちの喧騒で溢れているはずの病室。

 奇妙なほどに静寂に包まれた今朝の病室。

 いつもと違う光景。

 鈴なりに並ぶベッド。そのベッドの大半が空になっている。

 

 視線を少し動かせば、空のベッドの住人たちの所在はすぐに見つかった。

 患者たちは、病室の奥に集まっていたのだ。

 病室の奥にある一つのベッドを囲んで、患者たちの大きな輪が出来上がっていた。ベッドから動くことができない患者たちも、体や頭だけを起こして、皆が囲むベッドの方を見つめている。

 トウジが勢いよく開けた扉の音にも、駆け込む足音にも誰も振り返ることなく。

 誰一人、一言も喋らないまま、息を潜め、一つのベッドに視線を集めている。

 

 トウジには、そのベッドの主に心当たりがあった。

 そして静謐に包まれた病室の様子から、ベッドの主の身に起きたことも、悟ることができた。

 

 悟った瞬間、トウジは目を閉じていた。

 眉間に深い皺を寄せ、こうべを垂れる。

 両手を握り締め、肩で大きく息を吸い、次に大きく息を吐く。

 何度か鼻を啜り、そして瞼を開け、潤んだ目で天井を見上げた。

 

 涙が溢れるのを何とか堪えたトウジは、視線を下げるとゆっくりと病室の中を見渡す。

 ある人物の姿を求めて、視線を巡らせる。

 しかし自分の見守りを代わってくれた少女の姿がない。

 30分だけと約束したはずの少女の姿が、どこにも見当たらない。

 少女に事の詳細を訊ねようと思ったのだが、トイレにでも行ったのだろうか。居ないのであれば仕方がない。

 トウジはゆっくりと歩みを進めた。ベッドを囲む患者の輪に辿り着き、その隙間に割って入る。

 患者の波を掻き分け掻き分け進み、やがて目的のベッドの全貌が見えてきた。

 

 

 トウジは息を呑んだ。

 

 

 患者たちが囲む、簡素なパイプと薄いマットレスで組み上げられただけの粗末なベッド。

 その上で、トウジの受け持ち患者が、上半身を起こしていた。

 

 全身を包帯で包まれた患者。

 そしてベッドにはもう一人。

 痩せた背中。頭部に巻かれた青いバンダナ。

 決して広いとは言えないベッドの隅っこに腰を下ろした少女が、包帯塗れの患者の上半身を、支えるように抱き締めている。

 身じろぎ一つせず。

 身に着けた白の袖なしエプロンを、患者の体液で汚しながら。

 

 少女に抱き締められた患者。

 その口から絶えず漏れていた呻き声は、もう聴こえない。

 少女の背中に回された左腕は、少女の背中から少しだけ浮いていて、そのまま凍り付いたように硬直している。

 

 

「先生…」

 

 開いたカーテンの隙間から差し込む朝の陽射し。

 その陽射しに照らし出されるベッド。

 それはまるで演劇の舞台を照らすスポットライト。

 

 少女が抱き締めた患者の体がすでに生命活動を停止させていることは、わざわざ触診しなくても分かった。

 分かってはいたが、トウジには不謹慎にも、薄汚れた包帯で全身を覆われた患者を抱き締める少女の後ろ姿が、この世界の何よりも尊く、美しく、神秘的であるように見えてしまった。

 その幻想的な宗教画のような光景に目を奪われていたトウジは、隣に立つ患者からの呼び掛けに、すぐ反応することが出来なかった。

 

「先生…」

 再度の呼び掛けに、トウジははっとなって隣に立つ患者に顔を向ける。

 顔半分が包帯で覆われた髭面の患者を見ながら、何度か瞼を瞬かせて。

 トウジはようやく口を開き、状況の説明を求めることができた。

「これは…、いったい…」

 髭面の患者はベッド上の少女の背中を見ながら言う。

「今朝起きたらこうだったんです。いや…、多分、俺たちが起きるよりもずっと前から…」

 

 トウジは髭面の患者の顔から、再びベッド上に視線を戻した。

 少女の背中に回されたまま硬直してしまっている患者の腕。その様子から、その患者が人生に幕を閉じてからすでに数時間は経過していることが分かる。つまり、少女はもう何時間もの間、患者の遺体を。

 

 

 トウジはベッドの側まで歩み寄った。

「そっくりさん…」

 少女の背中に、声を掛ける。

 反応はない。

「そっくりさん…」

 今度は少女の肩にそっと手で触れ、呼びかけてみる。

 すると、少女の顔がゼンマイ仕掛けの人形のように、ゆっくりとトウジに向けられた。

 

 少女の顔は、いつも通りの顔。

 涼やかで、何を考えているのかよく分からないような顔。

 濁りのない、澄んだ赤い瞳が、トウジへと向けられる。

 

 そんな少女に、トウジは2度、ゆっくりと頷いた。

「もうええんや…。もうええんやで…」

 そして患者の背中に回された少女の手に、自身の手を重ねる。

「もう、ゆっくり、眠らせたろうや…」

 

 少女は一度だけ頷き、抱き支えていた患者の遺体を、ベッドに向かってゆっくりと下ろし始めた。するとベッドを囲んでいた患者の輪の中から数人が駆け寄り、次々と腕を伸ばして遺体の背中を支え始める。未明に天国へと旅立ったその患者の体は、仲間たちの手によって支えられ、ゆっくりとベッドへ着地した。

 

 ベッドの端に腰を下ろしながら、枕の上の遺体の顔を見つめていた少女。

 その少女の顔の前に、手が差し伸べられた。 

 少女は、松葉杖で立つ患者が差し伸べる、本来あるべき本数の半分以上の指を失った手に、自身の手をそっと添える。そしてその手に支えられ、ゆっくりとベッドから立ち上がった。

 少女の起立を助けてやった松葉杖の患者は、少女の手をぎこちなく握り締めたまま、涙で濡れた瞳から熱い眼差しを少女に送りつつ、何度もうんうんと頷く。少女はその患者の仕草の意味が分からなかったようで、首を傾げながらぼんやりと患者の顔を見つめ返していた。

 

 

 トウジはポケットから小型のハサミを取り出し、ベッド上の遺体の頭部に手を伸ばした。

 自分の受け持ちだった患者。その最期を、看取ることが出来なかった患者。死に目に立ち会えなかったのだから、せめてその死に顔だけでも見送ってやりたい。

 ハサミで包帯の端をちょきちょきと切り始める。

 

 

 起立を手伝ってくれた患者だけではない。他の患者からも握手を求められたり肩を叩かれたりしていた少女。

「ははっ…」

 背後から短い笑い声がして、振り返る。

 トウジが、遺体の頭部の部分だけ、包帯を剥がしていた。

 トウジが振り返って、少女の顔を見る。

「そっくりさんも見たってくれや」

 

 それは本来、年端もいかない少女に見せるべきものではなかったものかもしれない。

 剥がした包帯の下から現れたもの。

 赤く爛れた皮膚。腐った肉。とても人間のものとは思えない色、形をしている顔。

 

 それでも少女だけでなく、ベッドを囲む患者たちが皆身を乗り出して、その顔を覗き込む。

 

 皮膚が溶け、肉が溶け、表情を読み取ることさえ困難なその顔。

 

 それでも見る者には分かった。

 

 この1月。全身を蝕む痛みに苦しみ続けた患者。

 

 その顔が、穏やかに笑ってくれていることに。

 

 

 

「あり…が…とう…」

 

 ぽつりとそう呟いた少女の横顔を、トウジは見つめる。

「どうしたんや…、そっくりさん…」

 少女は遺体の顔に注いでいた視線を、トウジへと向ける。

「この人が…、最後に…」

 その少女の言葉に、トウジの目から、堪えていたはずの涙が一粒だけ零れ落ちる。

「そっか…」

 遺体の顔を見つめる。

「最後に…、ありがとう、ゆうてくれたか…」

 少女もトウジに倣って遺体の顔を見つめる。そして、

「ありがとう、って…、なに?」

 こんな時でも少女のいつもの質問攻めが始まり、トウジは思わず笑ってしまった。

「そうやのう…」

 遺体の、穏やかな笑みを見つめながら考える。

 彼がこの世界からの旅立ちの時に、あえてこの言葉を選んだ意味に思いを巡らせながら。

 

「「ありがとう」、ちゅーのは感謝を表す言葉。ええ思い、ええ時間を一緒に過ごしてくれた相手に捧げるための言葉や」

 トウジの説明が理解できなかったのか、きょとんとした顔をしている少女。トウジ自身も自分の説明にイマイチ納得できなかったようで、頬をぽりぽりと掻きながら頭の中で自分の言葉をもう少し整理してみる。

 3秒ほど唸った後に。

 

「つまりはな。大切な時間、大切な思い出を忘れんようにするためのおまじない、っちゅーこっちゃ」

 

 

 

 病室の扉が開き、日勤帯でやってきた看護師たちがストレッチャーを運び込んできた。

 ベッド上の遺体をストレッチャーの上に乗せ換え、病室の外へと運んでいく。

 皆が、背筋を伸ばして遺体を見送っていた。

 ある者は胸に手を当て、ある者はメガネを取り、ある者は被っていたニット帽を脱いで、黙祷を捧げながら。

 それを見た少女も他の患者たちに倣って、外に運び出される遺体を見送ることにした。

 

 背筋を伸ばし、胸に手を当て。

 

 頭に被っていたバンダナを取り払い、頭を左右に一度ずつ振って髪を軽く揺らし。

 

 祈りというものが何であるかもよく分からないまま。

 

 

 少しだけ開いた窓の隙間から吹き込む風が、少女の空色の髪をさらさらと揺らした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

 

 反ゼーレ・ネルフを標榜するヴィレが発足して以来、14年が経過していた。創立当初こそ技術者や民間人の寄せ集めに過ぎなかったこの組織は、長年の闘争による経験の積み重ねと他の軍事組織の吸収により武装闘争組織としての成熟度が増していき、新兵に対する訓練課程も十分とは言えなかったが10年前のネルフ本部強襲時に比べれば遥かに充実した内容になっている。

 新兵たちに用意される訓練課程の中には、座学もあった。

 

 

 講堂に並べられた机につく訓練兵たち。

 彼らの視線の先では、映写機によって壁のスクリーンに映し出された画像を教材に教鞭をとる壮年の教官。

 

「…以上がゼーレ及びネルフの概要である。ではここで君たちが実際に戦場で相対することになる敵の実像を見せることにしよう。これが現在我々が確認しているネルフ所有のエヴァンゲリオン各機である。特に注意すべきはこのマーク4と呼称される量産機だ。様々なタイプが確認されている上に、その数もまた膨大だ。10年前の決戦の時も、かつて私が所属した元国連軍の陸上部隊を全滅に追いやっている。目下、我々実戦部隊の最大の敵であると言えるだろう。また単機ではあるものの、このマーク9についても侮れない。単純な機体性能であれば、我が軍の弐号機や8号機をも上回っている。未だ表立った動きはないものの、いずれ戦場における敵の主戦力となるとみて間違いない。なお、マーク4並びに今後実戦投入が予想されるマーク7改良型についてはパイロットを必要としない完全自律型ではあるが、マーク9については旧来のエヴァ同様人型のパイロットが搭乗している。これがネルフ所属のパイロットの写真だ。見ての通り、特徴的な外見をしている。このパイロットについては複製体、つまりクローン人間であることはすでに確認済みである。赤木リツコ博士の証言によれば、ネルフ本部内には同一のクローンが数千から数万単位、あるいはそれ以上の数が保管されていると言う。君たちが戦場で出くわす機会もあるかも知れない。もしこの顔を目撃した場合には、速やかに上官に報告すると共に………」

 

 

 

 

 

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