艦橋の後部扉が開き、この艦の最高幹部2人が顔を出した。
赤いジャケットを身に纏うヴィレ旗艦ヴンダー艦長、葛城ミサトは、艦橋を見渡せる位置にある艦長デッキの上に立ち、乗組員たちを見下ろす。艦長と副長の登場を待っていた乗組員たちもまた、艦長デッキを見上げていた。
人類を破滅へと導く計画を止めるため、24年間封印され続けたこの惑星の極地へと乗り込み、宿敵との間ですでに激しい戦闘を繰り広げた彼ら。結果は惨敗。阻止するどころか、こちらの思惑をまんまと宿敵の計画に利用される始末。彼らが乗る大型飛行戦艦も主兵装は破壊され、主機も奪われ、酷く傷付き、浮いているだけでも奇蹟と称された。そんな痛ましい姿の艦と同様に、指導者を見上げる乗組員の顔にも、一様に濃い疲労の影が浮かんでいた。
しかし、彼らのその瞳には絶望は宿っていない。希望の光は、失われていない。
そんな彼らの顔を、一人一人見つめたミサトは、自らもサングラスを外し、彼らにその瞳を晒した。
部下たちが彼らの指導者の素顔を直接見るのは、指導者がかつての被保護者と14年ぶりの対面を果たした時以来だった。
彼女の瞳にもまた、意志の光が力強く宿っている。
「みんな、いいのね?」
艦長は静かに部下たちに問いかけた。
部下たちを代表して、年長者である機関長の高雄コウジが席から立ち上がり、姿勢をぴんと正す。
「ヴンダー乗員一同、どこまでも艦長に付いていく所存です」
彼は低く重く、かつ明朗な声音で答えた。
ミサトは柔らかく笑う。
「ありがとう…、みんな」
艦橋要員だけでなく、この艦に乗り込む全ての乗員一人一人に告げるように、ミサトは感謝の言葉を口にした。
艦長デッキから見える全ての部下がミサトを見上げているかに見えたが、一人だけミサトに背を向け、目の前のコンソールを黙々と操作しているオペレーターが居る。
そんな部下の背中に、ミサトは微笑みながら声を掛ける。
「北上少尉。あなたは良かったの?」
「ふん!」
北上ミドリはピンク色に染めたボブカットの髪を揺らしながら、不満げに鼻を鳴らしている。そんな若いオペレーターの横顔を呆れたように見ながら青葉シゲルは言う。
「北上。希望者に対して退艦許可は下りている。若いお前さんが俺たちに無理に付き合う必要はないんだぞ」
「同調圧力!」
キーボードのキーをわざとらしく大きな音を立てて叩きながら、北上ミドリは吐き捨てるように言った。
「こんな空気であたし一人だけ降りられる訳ないっつーの。それに」
コンソールの隅に投げてあったパウチの口を咥え、中身のゼリー食を口の中に押し流す。ゼリー食を一気に飲み干し、もう一度鼻をふんと鳴らして。
「あたしが降りちゃったら、誰がこの席に座るっつーのよ」
口の中のゼリーを咀嚼しながら言う北上に、日向マコトはメガネのブリッジを押し上げながらくくっと声を押し殺して笑った。
「北上の口からそんな言葉を聴く日がくるとはな」
「お前さんもようやく一端の船乗りになったか」
高雄の揶揄うような声に、艦橋のそこかしこから笑い声が上がる。北上は不機嫌そうに眉根を寄せ、顔を隠すようにコンソールの画面に向かって前のめりになりつつ。
「あーうっさいうっさい。もう世界の命運とか、人類の未来だとか、そーゆーの全部どーでもいいのよ。あたしはただ」
そこまで言って北上はようやくキーボードを叩く手を止め、振り返り、艦橋のみんなを見た。
「あたしはただ、あの碇ゲンドウをぎゃふんと言わせたいだけ」
「碇ゲンドウを…」
ミサトの後ろに立つ副長の赤木リツコ。
「ぎゃふん、とか…」
北上の言葉を、口の中で転がしてみせる。
「何て素敵なことかしら…」
リツコの顔に笑顔が広がった。
「それは命懸けで挑む価値のあるものね…」
リツコの独り言を聴いていたミサトもふふっと小さく笑った。
「それじゃあみんな」
艦長の呼び掛けに、艦橋に居たもの。北上を含めた全員が立ち上り、姿勢を正す。
「我々ヴィレの最後の作戦、始めるわよ!」
全員の「はい」という威勢の良い返事が、艦橋の中に木霊した。
「名付けて“碇ゲンドウをぎゃふんと言わせたい”大作戦!」
艦橋に溢れる笑い声に、北上の「ちょっと待ってくださいよ!」という悲鳴にも似た叫び声は無残にかき消される。
「発動!!」
ミサトの号令と共に、部下たちは皆一斉に各々に与えられた席へと着座し、それぞれに課せられた最後の仕事を始める。
そんな部下たちの頼もしい背中を見下ろしながら、ミサトは側に立つリツコに小さな声で呟いた。
「リツコ…」
勇ましい号令を発した人物とは思えない。これから世界の命運と人類の未来を賭けた決戦に挑む艦の艦長とは思えないほどの弱々しい声音を吐いた人物の横顔を、リツコは見つめる。
「何処かの誰かの未来の為に…。そう自分と部下たちに言い聞かせながら戦い続けた14年間だったけれど…」
部下たちを見下ろしていたミサトの視線が、自身の足もとへと下がる。
「今、この瞬間だけは…。息子のために…。リョウジの未来の為に戦いたい…。そう思ってる…。私にそんな資格なんて、ないってことは分かってるけど…」
足もとに下ろしていた視線を、隣に立つ友人に向ける。
「ダメ…、かな…?」
ミサトの顔に浮かんだ表情に、リツコは一度目を丸くした。しかしすぐにその目を細め、口もとを綻ばせる。
「情動で動くとあなたは碌な目には合わない…」
溜息を一つ交えて。
「でも、情動で動かないミサトなんて、ミサトらしくないわ」
左手を、ぽんと友人の右肩に乗せた。
「良かったじゃない。ミサトとリョウちゃんの願い。14年ぶりに重なったわね」
そのリツコの言葉に今度はミサトが目を丸くする番だったが、ミサトもまた目を細め、口もとを綻ばせた。
「ええ」
顔を艦橋正面に向ける。
「子供たちが笑って暮らせる、明るい未来の為に…」
艦長デッキに用意された鉄柵を握り締める。
ミサトの表情が戦いに臨む艦長のそれへと切り替わる。
薄く開いた口の隙間から大きく息を吸い込み。
「全艦! 第一種戦闘配置!」
「第一種戦闘配置!」
リツコの復唱と共に、乗員全員の表情もまた切り替わった。
「メインエンジン点火!」
「メインエンジン!」
艦長の命令を復唱する高雄は、自らが座る座席の両脇にあるレバーを握り締め。
「点火!」
それを一気に押し倒した。
高雄がレバーを倒してから数秒後。艦全体を、大きな揺れが襲う。
『固体燃料ロケットエンジン! 点火しました!』
スピーカーを通して聴こえる機関室からの報告に、高雄はがははと高笑いした。
「錆びついちゃいなかったか!」
高雄の痛快な声に、機関室からの声も大いに高揚している。
『はい! 日頃から手間を惜しまず整備してきた甲斐がありました!』
「俺は重力制御だとか時空間制御だとか、得体の知れん推進方法は好かん!」
『はい! 反動推進型エンジンこそ、男のロマンであります!』
機関長と機関室との通信のやり取りを、高雄の隣に座る北上がげんなりとした顔で聴いている。
艦後方から聴こえる景気のよい騒音に耳を傾けながら、その騒音に負けない大きな声でミサトは叫んだ。
「艦回頭120度! 艦首上げ15度!」
「艦回頭120度! 艦首上げ15度!」
ミサトの指示を、操舵手の長良スミレが正確に艦に伝えていくと、艦橋の床がうねるように大きく浮き上がった。艦の急速回頭に、艦橋の壁全面に張り巡らされた全周囲型モニターに映る外の景色が、目まぐるしく変わっていく。
まるで三つ頸の竜のような艦首。その三又の艦首の矛先が捉えようとするもの。
「針路0-2-5! ヨーソロー!」
「ヨーソロー!」
艦の航路を指し示す艦首が向く先にあるもの。
「機関全速!」
艦首が導く先にあるものを睨みながら、ミサトは叫ぶ。
「機関全速!」
ミサトの号令を復唱すると同時に、高雄は握っていたレバーをさらに奥まで押し倒した。
艦尾から轟く猛烈な爆音。艦全体を覆う振動は激しさを増し、座席に座っていた者は体をバックシートに押し付けられ、立っていたリツコは激しい揺れに振り落とされないよう手すりに懸命にしがみつく。
同じく艦長デッキで立っていたミサトも片膝を付き、手すりにしがみ付きながらも、その目はヴンダーの艦首が捉える物体をまっすぐに見据えていた。
「目標! ネルフ三番艦! エルブズュンデ!」
艦尾に備えた幾つもの噴射ノズルから特大の火炎を吐き出しながら、ヴンダーが最後の航行を始めた。
赤銅色の空に浮かぶ4隻の超大型飛行戦艦。新たな槍の生成という唯一の役割を果たし終えたそれらは、儀式の後に起こるであろう、この宇宙において開闢以来となる極大事象の発現を待つべく、方陣を敷きながら空中に停泊していた。
そのうちの1隻。他のドッグから出されたばかりで金ぴかの舟とは異なり、酷く傷ついたオンボロの舟の艦尾から光が瞬き、猛烈な噴射煙を撒き散らしながら大きく旋回を始める。
艦体の中央には、オーバーテクノロジーを駆使して繰り広げられた艦隊戦において、体当たりという非常に原始的な攻撃を受けてぽっかりと開いた大きな穴。主砲は破壊され、主だった動力源も奪われ、瀕死の状態の艦。
ネルフ一番艦ヴーゼ。今はヴィレ旗艦ヴンダーと名乗る手負いの艦が、旋回を終えるとその艦首の先にある物体に向かって一直線に進み始めた。
ネルフ艦隊旗艦エアレーズングの艦橋で一人佇む長身の男性。
ネルフ艦隊総司令官にしてネルフ艦隊唯一の搭乗員である彼、冬月コウゾウは、宿敵ヴィレの旗艦の動きを冷めた表情で見つめている。
「葛城大佐…」
その名の持ち主が乗る船が向かう先に停泊するのは、ネルフ三番艦エルブズュンデ。ヴンダーは、エルブズュンデに向かって猛烈な速度で突進している。
「追い詰められた先に玉砕の美を見い出す。結局君も、過去の凡庸な指導者と同類なのかね…」
肩を竦めつつ、床から伸びる細長い柱で支えられた大人の手の平大の小さなコンソールの上に、右手を這わせる。彼はこの小さなコンソールのみで、彼が搭乗するエアレーズングを含むネルフ艦隊全ての艦を操っていた。
「機関出力98パーセントを維持!」
「針路誤差修正!」
「誤差マニュアルにて修正!」
「艦長!」
オペレーターたちの間で行き交う怒号を切り裂くような、北上の甲高い声。
「目標エルブズュンデの主砲に高エネルギー反応を確認!」
その報告に対し、ミサトは迷わず叫んだ。
「針路このまま!」
艦長のその指示に、北上は「ああやっぱり」とばかりに天を仰ぐその隣で、日向がマイクを通じて全艦に向けて叫ぶ。
「敵主砲が来るぞ! 全員衝撃に備えろ!」
ネルフ艦隊3番艦エルブズュンデの上甲板に設置された4つの球体。それぞれの球体には一つの穴があり、それらが全て突進してくるヴンダーへと向けられた。そしてその穴の周囲が青白く光り始め、その光たちが穴の中央に吸い込まれていってから2秒後。
4つの球体それぞれに強烈な閃光が瞬き、穴から弾き出された超高密度エネルギー体の光球がまっすぐに標的へと向かった。
巨大な棍棒で殴り付けられたような激しい衝撃が艦橋を襲う。
「右主翼! 大破!」
乗員たちの悲鳴に混じって、多摩ヒデキによる損害報告が叫ばれる。多摩は身を乗り出し、全周囲型スクリーンに映し出される右舷を目視。敵主砲の直撃を受けた鷲の翼のような主翼が、粉々に砕けていた。
「翼なんてただの飾りよ! 舵そのまま! 最大船速を維持!」
無茶苦茶なことを言う我らが艦長に、高雄はがははと笑いながらすでに目一杯押し倒しているレバーを、限界のさらにその先にまで押し倒した。
「両弦一杯っ! 持ちこたえてみせろぉ!」
以前にも増して激しい振動が艦全体を覆う。
「機関出力125パーセント!」
子供のようにはしゃぐ機関長の横で、彼にとっては子供のような年齢の若いオペレーターが叫んだ。
「敵主砲、エネルギー再充填! 来ますっ!」
北上の悲鳴のような報告と同時に、ヴンダーの針路方向に浮かぶ艦影から4つの強力な閃光が煌めいた。
その数秒後。
艦橋の全周囲型スクリーンの右半分が、強烈な閃光に支配される。同時に、激しい爆発音。最初の被弾を遥かに上回る衝撃が艦全体を襲った。
「敵主砲! 直撃です!」
衝撃に耐える多摩が、呻くように叫ぶ。閃光が静まると同時に、艦橋周辺が猛烈な爆炎によって満たされた。
「右舷第2船体を直撃! 第3から第7格納庫で火災発生!」
「ただちに消化班を派遣!」
「右舷機関部にも延焼! 駄目です! 収拾がつきません!」
多摩から次々と報告される悲惨な損害報告。
目標のエルブズュンデだけを見ていたミサトは、初めてその視線を右側へ。
艦橋からも見える、三つ首の竜のような姿をしたヴンダーの、右端の首。右舷第2船体を見た。
今も各所で大規模な爆発を起こしながら猛烈な炎を吐き出し、膨大な量の黒煙を上げている右舷第2船体。
ミサトがそれを見たのは、ほんの一瞬だった。
すぐに視線を目標物に戻したミサト。
「右舷第2船体を切り離せ!」
「え…?」
多摩と北上。艦橋に居る、若いオペレーター2人が、その命令を下した人物を見上げた。
「聴こえなかったの!」
艦長の命令を、副長が復唱する。
「右舷第2船体を切り離すのよ!」
副長の怒号のような指示を受け、多摩は呆然としたまま目の前のコンソールを見つめる。
震える指で、しかし訓練通りの素早い手つきで端末を操作し、コマンドを入力。
「右舷第2船体…」
その言葉を言いかけて、強烈な吐き気を感じた多摩は咄嗟に口元を抑えようとしたが、寸でのところで堪え、唇を噛み締めて喉の奥からせり上がってきそうなものを強引に押し戻し、そして口を開いた。
「右舷第2船体! 切り離します!」
艦全体が縦に大きく揺れると同時に、巨大な金属同士がぶつかり合い、軋むような音。そして右側が「軽くなった」艦全体が、左側に大きく傾いた。操舵手の長良は明らかに左右不均衡になった艦の姿勢を懸命に保とうとする。
「右舷第2船体…、離れていきます…!」
多摩の絞り出すような声で告げられた報告。
右舷を見つめるリツコの目にも、艦本体から離れていく右舷第2船体の姿が見えた。今も次々と巨大な爆発を起こし、その身全体が炎に包まれた竜の首が。
「右舷第2船体より入電。「我ラノ魂ハ槍ト共ニアリ。皆ノ武運ヲ祈ル」…」
青葉が読み上げたその電文に対し、ミサトは感想を述べる代わりに叫んだ。
「左舷機関部は!」
艦長のその問い掛けに、高雄は弾かれたように答える。
「左舷機関部! 問題ありません!」
「マギ・コピーは!」
その問い掛けには、スピーカー越しの伊吹マヤの声が応じた。
『マギ・コピー! 損害なし!』
「よろしい! 針路そのまま!」
ミサトのその号令に、動揺と迷いが生じていた乗員の顔が一様に引き締まる。
「機関最大出力! 突撃続行!」
著しい損害を被った右舷を切り捨て、なおも突進を止めないヴンダー。その姿を遠くから見つめる冬月は目を細める。
「そうか…。これは古の生命最後の抵抗だったな…」
小さなコンソールに翳した右手の薬指と小指を、微かに動かした。
「それに対して飛び道具で応じようとは…。私も些か無粋だったようだ…」
「目標エルブズュンデまで距離2000!」
長良が暴れる操舵輪を懸命に握り締めながら目標までの距離を読み上げ終えた直後に、北上が叫んだ。
「エルブズュンデに回避運動を確認! ヴンダーとの衝突コースから外れます!」
「逃すな! 針路修正!」
艦全体が大きく傾く中。
「え?」
モニターを見ていた北上の顔が驚愕に染まった。
「艦尾8時方向に反応!」
北上の口が限界まで開き、レーダー上に現れた反応の正体を口にする。
「ゲベートです!!」
北上のその報告を耳にした全員が、左舷後方を睨んだ。
彼らの視線が集まった先。最大船速で突っ込んできたネルフ4番艦ゲベートの衝角が、今まさにヴンダーの脇腹を突き破らんとしていた。
「全員! 耐ショック姿勢!」
ミサトの叫び声と共に艦内に鳴り響いたけたたましい警告音は、その直後に襲った凄まじい衝突音によって掻き消されることになる。
地面から突き上げるかのような激しい振動に、オペレーター席に座っていた日向マコトの体が宙に投げ出された。
間近で火山の噴火に遭遇したかのような衝撃に、青葉シゲルの体が側壁に叩き付けられた。
艦橋の内壁に施された全周囲型モニターが割れ、落ちてきた大量の破片が北上ミドリの体を襲った。
長良スミレは握っていた操舵輪を意地でも離さなかったばかりに体が右に左に大きく振り回され、両肘がおかしな方向に捻じ曲がった。
そして葛城ミサトは。
「ミサト!!」
天井を支えていた鉄骨の支柱が根元から折れ、艦長デッキに向かって倒れていく様を見ていたリツコは咄嗟に叫んだが、間に合わなかった。
折れた鉄骨が艦長デッキを襲い、その衝撃で吹き飛ばされた赤いジャケットを纏う身が宙へと吹き飛ばされる。
そのまま床に叩き付けられた葛城ミサトのもとに、リツコはすぐさま駆け寄った。
「ミサト! ミサト!」
体を抱き起し、その名を幾度となく呼ぶが、額から大量の血を流す艦長の目は閉じられたまま。
日向マコトと青葉シゲルは、体中のそこかしこから出血しながらも、艦橋に上がった火の手の消化に走り回る。
大きな怪我を免れた多摩ヒデキは情報収集に躍起になっていた。そして各所から集まってくる情報に目を通すごとに、艦が負った深刻なダメージが明らかになっていく。
「敵4番艦…、左舷第2船体を直撃…!」
割れた全周囲型モニターから落ちてくる大量の破片から身を守るべく、咄嗟に頭を抱え、床に伏せた北上。しかし、その背中を襲うであろう激痛が、何時まで経ってもこない。
おそるおそる顔を上げてみた。
むさ苦しいおじさんの顔が、すぐ側にあった。
「若いの。怪我はないか…?」
「機関…長…」
北上の体に覆い被さっていた高雄は、ゆっくりとその大きな体を起こし、北上の体を解放してやる。
「怪我はないかと聞いている」
「は、はい…」
「そうか…。そいつは良かった…」
高雄は似合いもしない柔らかな笑みを厳つい顔に浮かべると、立ち上がり、自分の持ち場である席へと向かう。
その高雄の背中を見た北上の口から、短い悲鳴が漏れた。
席に戻った高雄は機関室へと繋がる通話回線を開く。
「こちら機関長…。機関室、機関室…」
呼び掛けるが、相手からの応答はない。
「機関室…。誰でもいい…。しぶとく生き残っている者がいたら声を聞かせろ…」
相手からの応答はない。
高雄は悪態を吐きながら、右拳でレバーの一つを殴り付けた。
座席のバックシートに、深くその背中を沈める。
高雄の席の後ろでは、北上ミドリが医務官の鈴原サクラの手を引っ張りながら、今にも泣きそうな顔で駆け寄ってきている。
「ミサト…! ミサト…!」
リツコは彼女の友人の名を何度も呼び続けていた。
「目を覚ますのよ! ミサト!」
血の気が引いているその頬を、何度も叩いていた。
「この戦いが終わったら会いに行きましょう! ミサト!」
リツコの目尻に小さな水滴が滲んだ。
「あなたが許さなくても私が許してあげるから!」
友人が着る赤いジャケットの胸倉を掴んで叫んだ。
「あの碇シンジでさえ、碇ゲンドウと会うのを許されたのよ! 今度はあなたの番でしょ! ミサト!」
「ま…ぎ…」
友人の閉じていた唇が、僅かに開いた。
「ミサト!」
「ま…ぎ…、こ…ぴ…ぃ…、は…?」
リツコは目を醒まして開口一番に発した友人のその言葉に、この混乱の中で感傷に染まっていた自分の言動を恥じた。
友人は昏迷の中にあって、なお自らに課した責任を放棄しようとはしていない。
リツコは首に掛けていたインターカムのスイッチをすぐさま押した。
「マヤ! マギ・コピーは!」
返事はない。
「マヤ! 報告なさい! マギ・コピーは!」
返事はない。
「マヤ!」
『予備電源入りました!』
酷いノイズに混じって、インターカムのスピーカーから聴こえた馴染み深い声。
『マギ・コピー、健在です! シリコン液タンクも損害なし! 行けます! 副長先輩!』
悲嘆に暮れていたリツコの顔に、希望の光が広がる。
リツコの手を、ミサトの手が力強く握りしめた。
「リツコ…、あなたのターンよ…。存分にやって…!」
リツコはミサトの手を強く握り返し、そして艦長デッキから見える部下に向かって怒鳴った。
「ハープーンキャノン用意! 目標、ネルフ4番艦!」
リツコの号令に日向がすぐさま呼応する。
「ハープーンキャノン照準固定よし!」
リツコは友人の魂を宿したかのような声音で叫んだ。
「撃てぇ!」
ネルフ艦隊旗艦エアレーズングの艦橋に一人立つ冬月コウゾウ。彼が見つめる先には敵対組織ヴィレの旗艦ヴンダーが、連結された3つの船体のうちの1つを失い、さらに僚艦の衝角によって左舷後方から船体を深く抉られた状態で浮いている。その様は特大の銛で体を貫かれ、海上に打ち上げられ、瀕死に喘ぐ鯨のようだった。
「これで詰みだ。葛城大佐…」
冬月が一人静かに、人類最後の戦いの終幕を宣言した、その時だった。
「おぉ…!」
冬月にしては珍しい、興奮の色を孕んだ感嘆の声がその口から漏れた。
エアレーズングを始めとる超大型飛行戦艦4隻が浮かぶその真下。その前には巨大戦艦ですらも小さな塵のように見える、空間にぽっかりと大口を開けたブラックホール。その漆黒の穴に、変化が生じたのだ。
穴の奥から少しずつ姿を現したそれ。2つの穴があるだけのシンプルな仮面を被り、不自然な色の髪をゆらゆらと揺らしながら浮き上がってきたそれ。
「ようやく始まったか…」
特大のブラックホールから現れた、女の形をした白い巨人の姿に、冬月の心は奪われ、魅了されてしまう。
だから冬月は気付かなかった。瀕死の鯨の体から、その鯨の体を貫いている彼の遼艦ゲベートに向かって、複数の銛が放たれたことに。
艦橋に開いた大きな穴から身を乗り出し、双眼鏡を構える青葉シゲル。双眼鏡が睨む先では、ヴンダーから放たれたワイヤー付きの複数の銛がゲベートの船体に深く突き刺さっている。
「ハープーン固定完了! 副長!」
青葉の報告を聞いたリツコは、インターカムに向かって叫んだ。
「マヤ! ゴーよ!」
『アイアイサー!』
ブラックホールから現れた女の形をした白い巨人。前屈させていた上半身を起こしていくと、その首の上に乗っていた頭部ががくんと落ち、体と頭部が分離してしまう。しかし頭部はそのまま穴に落ちるのではなく浮遊し、また顔面に被されていた仮面が剥がれ落ち、その下から暗闇に煌く太陽のような真っ赤な瞳が現れた。
「ふむ。壮観だな…」
古い世界に終局をもたらし、新しい世界の到来を告げる女の姿をした白い巨人に魅入る冬月。
彼が床から伸びる小さなコンソールに翳していた手に違和感を覚えたのは、白い巨人の背中から銀色の翼が広がり始めた時だった。
『全加圧ポンプ、稼働率99パーセントに到達!』
腹心の部下の報告に耳を傾けるリツコは、手にした端末機の画面を睨みながらブツブツと独り言を呟いていた。
「冬月副司令…、あなたの前では私たちなど、手の平で踊る哀れな虫ケラに過ぎなかったようですね」
『電導シリコン、敵艦内に侵入を開始します!』
画面上に表示されているのは、ヴンダーが接舷した敵艦に対し、銛に繋がれた大口径のホースを通じて大量に流し込んでいる電導性流動体の注入状況。
「ですが副司令。あなたは大きな過ちを犯しました」
『浸食率2パーセント…、8パーセント…!』
空気に触れた瞬間、一気に膨張を始める特殊流動体が、敵艦内部を満たし始める。
「あなたは私たちに、マーク9がヴンダーに浸食する様を2度も見せてしまったのです」
『浸食率30パーセントを突破…!』
その流動体は、敵艦内に潜む「あるもの」を求めてひたすら膨張を繰り返す。
「私は私の母親のようなオリジナルを作り出す才能には恵まれませんでしたが、それでも子供の頃から誰かの真似事をするのはとっても上手だったんですよ」
『見つけました! 敵艦内”ヴィーゲ”到達まで、あと10秒!』
地図上から姿を消した国の言葉で「揺り籠」を表すその場所に、ヴンダーから流し込まれる流動体が殺到する。
「純粋な魂だけで作られた穢れなき生命体さん…」
画面を睨むリツコの瞳が怪しく光った。
「穢れに塗れた人間のおぞましさを、存分に味わいなさい!」
突然、コンソールに翳していた右手に痺れが走った。
冬月がネルフ艦隊を操るためにコンソールに翳していた右手。その内の親指は彼が搭乗する旗艦エアレーズングを、人差し指と中指は三番艦エルブズュンデを操り、そして薬指と小指は四番館ゲベートの操艦を司っていた。
指先の違和感に、冬月はコンソールから右手を離す。
見れば、薬指と小指がピクピクと不随意運動を繰り返している。
「何をした…、ヴィレ…!」
この時になって、ブラックホールで現れた現象に心を奪われていた冬月は、ようやくその注意をヴンダーへと向けた。
『マギ・コピーからの信号、ゲベートのVD防壁を突破しました! 敵艦の中枢システムを占拠します! 副長先輩、やりました!』
腹心の部下からの会心の報告を、端末機の画面でも確認したリツコ。彼女にしては珍しく、握り締めた拳を頭の近くまで掲げる。
『ゲベート操艦システム及び兵装コントロールシステムを艦橋に回します!』
艦橋に鳴り響くヴンダー整備長の歓声のような報告。しかし、その報告に喜びをもって答えることができる艦橋要員は少ない。
「北上!」
日向が叫んだ。
「は、はい!」
鈴原サクラによる治療を受けている高雄の側に居た北上は、上官の呼名に弾かれるように返事をする。
「ゲベートの操艦は俺がやる! お前が兵装を操作しろ!」
「あ、あたしがですか!?」
「今動ける奴はお前だけだ! 電測は俺が引き継ぐから急げ!」
「は、はい~!」
リツコは床に寝かされているミサトの側に膝を折り、その上半身を抱き起こした。
「艦長! 命令を!」
ミサトは体中を襲う激痛を堪え、端から血を垂れ流す口を大きく開いた。
「ゲベート主砲! 発射用意!」
すでに役に立たない操舵輪を、役に立たなくなった両手で未だに握り締め続けている長良は、ミサトの勇ましい声を背中で聴き、全身の産毛が逆立つのを感じた。
「げ、ゲベート主砲にエネルギー充填開始!」
不慣れな様子で呼応した北上が、彼女のコンソールに回された、ゲベートの兵装システムを操作し始める。
「なんなのよ、これ…。うちの奴とアルゴリズムが全然違うじゃないの、もう…!」
『泣き言禁止!』
「は、はい!」
通信を通して飛んできた整備長からの檄に、北上は舌を噛みながら返事をする。
若い部下の戸惑いをミサトは考慮しない。すぐに次の指示を下す。
「目標、ネルフ3番艦エルブズュンデ!」
「目標エルブズュンデ!」
艦橋の周囲を覆う継ぎ接ぎだらけの全周囲型モニターは、ヴンダーの左舷後方に突き刺さった戦艦ゲベートの、球状の砲塔を映し出している。ヴンダーの艦橋に向けられていたその砲塔が、別の方角に向けて一斉に動き始める様を見た高雄は、背中を襲う激痛に顔を顰めながらも頼もしそうに笑った。
砲撃目標の観測をしていた日向は、表れた変化を迅速に報告する。
「エルブズュンデの主砲にも高エネルギー反応を確認!」
「ゲベートの主砲は!」
「え、エネルギー充填完了! 照準固定よし! いつでも撃てます!」
ミサトは短い呼吸の直後に叫んだ。
「撃てぇ!」
ゲベートの4つある球状の砲塔。そこに、まるで一万発の雷が同時に発生したような強烈な閃光が迸った。
「うひゃぁ!」
ヴンダーの主砲とは比べ物にならない破壊力を持つゲベートの主砲。それら全てが同時に火を噴き、ゲベートと、それに密着しているヴンダーの艦全体を震わせる轟音と振動に、主砲を撃った北上本人が悲鳴を上げる。
主砲の発砲音に比べれば何とも慎ましやかな北上の悲鳴。
その悲鳴と同時に、エルブズュンデの主砲からも閃光が煌いた。
同型艦が互いに撃ち合った光球は、お互いを目指して一直線に進む。
それぞれの光球は、ちょうど両艦の中間地点で交差した。
超高速ですれ違った超高密度エネルギー体は、互いのエネルギーと干渉し合い、反発し合い、全ての光球の軌道が変化する。
真正面から迫る破壊の光に艦長を除く艦橋要員全員が目を閉じたが、ヴンダーを破壊するはずだったエルブズュンデから放たれた4つの光球は、ヴンダーの船体から僅かに反れて通り過ぎていった。
超高速で掠めたエネルギー体によって巻き起こされた激しい振動の中、日向が主砲一斉射撃の成果を報告する。
「初弾! 外れました!」
「第2射、発射用意!」
「はい!」
ミサトの指示に、北上は主砲のエネルギー再充填を始めた。
画面上に映し出される、主砲のエネルギー充填率。0だった数字が10、20と急速に膨らんでいく。その数字が100になるのを固唾を飲んで見守る北上の耳に、日向の怒鳴り声が飛び込んできた。
「敵艦主砲も再充填始めています! 敵主砲発射可能まであと10秒」
「ちょ、やめてよ! カウントダウンなんて!」
北上の抗議を無視して日向はカウントダウンを続けている。
「早く早く早く!」
画面上に映し出される数字は70を越え、80を越え。
「7! 6! 5!」
画面上のカウントダウンは、日向が刻むカウントダウンの早さを僅かばかり上回った。
「再充填完了! 艦長!」
北上はすぐに来るであろう「撃て」の号令に身構え、親指をゲベートの主砲を発射するスイッチの上に乗せていた。
しかし。
「え…?」
すぐに来るはずの号令がない。
「3!」
艦長の号令の代わりに轟くのは日向のカウントダウン。
「艦長…?」
「2!」
「艦長…!」
「1!」
ついに日向のカウントダウンがゼロを刻む。
遠くに浮かぶ敵戦艦から、4つの大きな閃光が瞬いた。
「艦長!!」
それでもまだ「撃て」の号令が来ない。
大量出血で意識を失いでもしたのではなかろうかと、北上は艦長デッキを見上げた。
しかしそこでは副長に上半身を抱き起された艦長が、目を爛々に輝かせて敵戦艦を睨んでいた。
ミサトは叫ぶ。
「ゲベートIFF信号出力最大!!」
「IFF信号出力最大!!」
日向は復唱すると同時にあらかじめ入力していたコマンドを、ヴンダーの支配下に置いたゲベートに向けて送った。
ヴンダーからの命令を受けたゲベートは、搭載されたIFF(敵味方識別装置)の信号を最大出力で発信させた。
主砲を発射すると同時にその信号を受け取ったエルブズュンデは、目標物を味方と判断。同士討ちを避けるべく咄嗟に砲塔を回転させ、撃ち放つ瞬間の超高密度エネルギー弾の軌道を強引に捻じ曲げる。
軌道が変化した光球が、ヴンダーの艦橋の真横を通り過ぎていくと同時に。
「第2射! 撃てぇ!」
ミサトが叫んだ。
「どうだ…!」
北上も同時に叫ぶ。
「ぎゃふんと言ってみろぉ!」
北上の親指が、発射スイッチを叩いた。
直後に雷のような閃光と爆音、そして衝撃。
ゲベートの4つの主砲から4つの超高密度エネルギー弾が、目標物目掛けて弾き出された。
目標物に、巨大な爆炎が上がった。
「全弾、目標に命中! 敵艦主砲群を破壊しました!」
日向の報告はこの砲撃戦における事実上の勝利宣言となったが、ミサトは好機を見逃すこともなければ容赦をすることもない。
「主砲! 第3射用意! 準備完了と同時に撃てぇ!」
「第3射準備完了! 撃ちます!」
再び4つの光球がゲベートから放たれ、それらは真っすぐに燃え盛る目標物へと吸い込まれていく。
「再び全弾命中! 敵艦機関部を直撃です!」
「第4射! 休むな!」
「は、はいぃ!」
拡大された映像に映るのは、船体の半分以上を失い、猛烈な爆炎と煙を上げているエルブズュンデ。
「エルブズュンデ…、完全に沈黙しました」
この映像を見れば誰もが分かることだが、日向は「この場には居ない者たち」への手向けとして、あえて声に出して報告した。
計8回の主砲一斉射撃をピンクのネイルを施した親指で行った北上は、コンソールに顔を伏せ、ぐったりとしている。
「どんなもんだ…、ちくしょう…」
その細い肩が、小刻みに揺れていた。
ミサトの目にも、遥か遠くで燃え盛る炎が写っている。
そのミサトを抱き起しているリツコは、手に持っていた端末機の画面の情報を確認し、ミサトに報告した。
「ゲベート主機によるカウンターが始まったわ。ゲベートを私たちの支配下に置けるのはあと1分よ」
ミサトは頷くと、表情を引き締め直しつつ、次なる行動を指示する。
「ゲベートを逆進!」
「ゲベートを後退させます! 総員、衝撃に備えろ!」
ヴンダーの左舷第2船体に突き刺さっていたゲベート。その上甲板に立つまるで宝石のような正八面体を成す3つのコアが光り出すと、ゲベートがゆっくりと後退し始めた。
「ゲベート機関最大出力! そのまま最大船速で後退! 機関部冷却システムは全てオフにせよ!」
「冷却システム全て停止させました!」
「ハープーンキャノンワイヤー切断!」
「ワイヤー切断!よし!」
ヴンダーの脇腹に大穴を開けたエルブズュンデの船体が猛スピードで離れていく。
「ゲベート内部の熱がどんどん上がってます!」
日向から電測を引き継いだ北上が報告する。
「臨界点まであと10秒、8、7、6…」
「ゲベートとの距離は?」
「まだ1200です」
「近いわ…。全員対ショック姿勢!」
「3、2、1…」
冬月コウゾウは、僚艦であるエルブズュンデが撃沈される様を、この沈着冷静な男にしては珍しく、唖然としたまま見つめていた。
そして体当たりしたところを逆に拘束され、支配下に置かれたゲベートが僚艦に向けて何発もの砲撃を浴びせた上で、体当たりした標的から猛スピードで離れ、そして自爆していく様も、唖然としたまま見つめていた。
2隻の超大型戦艦が起こした大爆発。
それはこの広大な空間を猛烈な煙で覆い、そして強烈な電磁波で埋め尽くしてしまう。
ゲベート爆沈の余波を間近で受けたヴンダーの船内は、今も大きな揺れに包まれている。
「電磁波で全てのセンサー類がダウンしました! 敵旗艦エアレーズングをロスト!」
艦橋の全周囲型モニターが、砂嵐で埋め尽くされる。
激しい揺れの中、目と耳を塞がれたも同然のこの状況でほくそ笑むのはヴンダー副長。
「相手が見えないということは、相手もこちらが見えていない。ミサト…!」
副長の呼び掛けに、ヴンダー艦長は力強く頷いた。
無謀な特攻を敢行し、乗員が多数残っていた右舷第2船体を見捨て、残った左舷第2船体にも大損害を被り、あらゆる犠牲を払って敵艦2隻を葬ったのも、全てはこの瞬間のため。
ミサトはインターカムのマイクに向けて怒鳴った。
「今よ! マリ!」
『8号機!』
その声は艦橋内のスピーカーから大音量で鳴り響いた。
『発進!』
深く傷付いたヴンダーの中核船体。
鯨のような船体の船尾が、大きく動いた。