機甲少女の想いは一途   作:hekusokazura

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(64)シアワセのカタチ

 

 

 

 

 その少年と少女は光源の乏しい薄闇に包まれた広大な空間に立っていた。

 空間を横切るように作られた歩廊。彼らが立つその歩廊の下には、この広大な空間の半分を埋め尽くすほどの巨大な球体が鎮座している。球体には何本もの極太のチューブが繋がれており、チューブと球体を繋ぐジョイントは一定の速度でくるくると回転しており、この巨大な人工物が今も稼働中であることが分かる。そして球体の側面には大きな文字で「13」の数字。

 まるで金属の塊りで出来た巨大な心臓のような。あるいは怪物を育むための巨大な子宮のような。そんな球体の真上を横切るように作られた歩廊。少年と少女が立つ歩廊の真下では、球体のてっぺんが大きく口を開いており、まるで歩廊の2人を誘うように怪しげな赤い光を放っている。

 少年と少女は互いの手を繋ぎながら、歩廊の下で開いた大きな口を見下ろしていた。

 

「最後の執行者…。エヴァンゲリオン第13号機…」

 

 少年。収まりの悪い白銀の髪の少年は、球体の大きな口から漏れ出る赤い光と似た色の目を細める。

 

「僕にとって…」

 

 言い掛けて、彼は一度口を閉じ、自戒するように首を横に振る。

 

「”彼”にとって、希望の機体となるか…。それとも絶望の機体となるか…」

 

 少年と同じように、彼と同じ色の瞳で球体の大きな口を見下ろしていた少女。蒼銀の髪の少女は、繋いでいた彼の手に力が籠ったことを感じ、視線を隣の彼の横顔に移した。

 

「いや…、それではいけない…」

 

 彼女が初めて見ることになる、彼の表情。

 

「僕が、そうしなければならないんだ…。”彼”にとっての幸せを、僕がこの機体で…」

 

 柔和な笑みを絶やすことのなかった彼の、険しい眼差し。

 

「そうだろ…。リョウちゃん…」

 

 眉間に深く皺の寄った目で、球体の穴を見つめていた少年。一度目を閉じ、整った鼻から深く息を吐くと、目を開けた。

 いつもの柔和な笑みを湛えた表情に戻っていた彼は、横に立つ彼女に顔を向ける。

 

「いいのかい?」

 

 その問い掛けに、少女はこくりと頷いた。

 

「僕は、この機体を、僕のものにしたい…」

 

 少女はこくりと頷いた。

 

「”彼”にとっての、希望の機体にしたいんだ…」

 

 少女はこくりと頷いた。

 

 少女は少年から目を離し、そして足もとの下で開いた大きな口を見下ろす。

 2人が立つ歩廊から10メートル下で開いた大きな口。その口から漏れる怪しげな赤い光。火口の奥底に覗く煮え滾ったマグマのような。あるいは全てのものを燃やし溶かし尽くす溶鉱炉の火のような。

 その赤い瞳に、大きな口から漏れる怪しげな赤い光を宿らせた少女の喉が、微かに動いた。

 生唾を呑み込んだらしい。

 

 少女の緊張した横顔。

 少年は微笑みながら、少女の横顔に声を掛ける。

 

「大丈夫。君にならできるさ」

 

 少女は少年に顔を向けた。「本当に?」とでも言いたげに、首を傾げている。

 

「うん。できるはずだよ」

 

 少年は繋いでいた少女の手を離した。

 

「なぜなら…」

 

 離した手を、少女の背中に回す。

 

「君たちのオリジナルにでも出来たことだからさ」

 

 その手で、少女の背中をドンと押した。

 

 

 少女の口から短い悲鳴が漏れたような気がしたが、本当に悲鳴を漏らしたのかどうかは確認しようがない。

 なぜなら、少年に背中を押された少女の細い体は歩廊から離れ、そのまま落下。球体のてっぺんに開いた、まるでマグマを抱えた火口のような、あるいは全てのものを燃やし溶かし尽くす溶鉱炉のような大きな口に、真っ逆さまに落ちてしまったからだ。

 少女の体が大きな口に収まると同時に、ジュッと何かが蒸発するような音。

 大きな口に落ちていった少女の姿は、たちまち見えなくなってしまった。

 

 少女が消えていった大きな口を、少年は無感動に見下ろしている。

 

「ありがとう…、サンク…」

 

 それだけを呟くと、少年は大きな口に背を向け、歩廊を歩き始めた。

 

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

 

「10年ぶりに姿を現したかと思えば…。そんな世迷言を言うためにわざわざ来たのか。ゼーレの少年」

 総司令官執務室のテーブルの横に立つ、重ねた齢にしてはやたらと姿勢の良い冬月コウゾウは、忌々しそうに表情を顰めながら言った。

 彼の視線の先に立つ少年。渚カヲルは学生ズボンのポケットに両手を突っ込んだ崩した姿勢で言う。

「うん、そうだよ。君たちが建造中の機体。あれを僕に譲ってほしいんだ」

「馬鹿な…」

 まるで隣の食事の一品をねだるような少年の物言いに、冬月は呆れかえっている。そんな冬月に対して、カヲルは当たり付きのアイスバーの棒を持って駄菓子屋にやってきた幼子のような表情で言う。

「だってあの機体のコアシステムは僕仕様に書き換えさせてもらったんだ。あれはもはや僕の命令のもとでなければ動かないのだから、構わないだろ?」

 老人の右頬が一度だけ痙攣するのを目ざとく確認しながら、カヲルは柔和な笑みを浮かべたまま続ける。

「だから本当は交渉などという煩わしいものも必要ないのだけれど、それでも膨大な手間暇を掛けてあれを完成間近までこぎつけた君たちに一応の敬意を払い、わざわざこうして「お願い」という形式をとっているんだ。素直に応じてくれたら嬉しいな」

 そして視線をテーブルの中央の前に置かれた椅子に座る人物に向けた。

「どうかな? 碇シンジくんのお父さん」

 

 カヲルの朗らかな声に呼び掛けられた人物。碇ゲンドウは、リクライニング式の椅子の倒された背もたれに深く体を預け、無言のまま天井の隅を睨んでいる。

 そんなゲンドウに代わって、冬月が口を開いた。

「君がどのようにして第13号機を掌握したというのだ」

 その問い掛けに、カヲルはゲンドウに顔を向けたまま答える。

「簡単なことだよ。碇シンジくんのお父さん。君の奥方さんがしたことを、彼女のコピーにさせただけさ」

「ゼーレの綾波タイプを使ったか…」

 冬月のその呟きに、カヲルは視線だけを皺の目立つ顔に向けた。

「君たちもあの子たちの管理にはもう少し心を割くべきだったね。まるで生まれたばかりの雛鳥の条件付けだったよ。少し優しく接してあげれば、簡単に懐いてくれたさ」

 そして再びゲンドウに視線を戻す。

「碇シンジくんのお父さん。君が可愛がっていた綾波タイプ・ナンバー2。あの子も君が予測した以上に碇シンジくんに絆されてしまったばかりに、君の計画は大幅な遅延と修正を余儀なくされてしまったようじゃないか」

 どこか揶揄するようなカヲルの口調。しかし椅子の背もたれに深く身を預けるゲンドウは黙ったまま。ただし、肘掛けに乗せられた彼の右腕の拳は、強く握りしめら、小刻みに震えている。

 その震える拳を見て、カヲルの表情から笑みが消えた。

「何を躊躇っている。碇ゲンドウ。最後の執行者はほぼ完成している。なぜ、計画を次の段階に進めようとしない」

 カヲルの言葉に、ゲンドウの右拳がさらに強く握り絞められ、ミシリと骨の軋む音を立てた。

「君もどうやら準備万端のようじゃないか。それなのに、君は一体何を待っているというんだい」

 どこか憐憫の情を籠めた眼差しで、碇ゲンドウを見つめるカヲル。

 一方の碇ゲンドウは倒された椅子の背もたれに身を深く預け、無言で天井の隅を睨んだまま。

 

 いや、彼は天井の隅を睨んでなどいない。

 彼は、睨めない。

 今の彼には、天井の隅を見る事すら許されない。

 彼の目は何枚も重ねられた厚いガーゼで覆われ、その上を包帯で何重にもぐるぐる巻きにされていたからだ。

 視覚を塞いでしまった包帯の隙間からは粘着性の黄色い体液がまるで樹液のように浸み出しており、それらは頬を伝って落ちていき、床にちょっとした水溜まりを作っている。

 そして彼は意図的に無言を貫いていたわけではない。

 口を開けては切迫した呼吸を繰り返し、あるいは何かに耐えるように歯を食いしばり。包帯の下から絶え間なく疼く痛み、そして全身を襲う熱にうなされ、まともに言葉を発することすら許されないでいるのだ。

 

 そんな惨めな姿を晒すこの組織の最高司令官にしてこの惑星の運命を握る人物を、カヲルは憐れむ眼差しで見つめながら続ける。

「あとは第13号機を覚醒させ、ガフの扉を開くだけじゃないのかい? だったらトリガーとしての実績ある碇シンジくんをさっさと連れ戻したらいいのに。そこに居るおじいちゃんも…」

 冬月に向けられるカヲルの視線。

「君のゴーサインをずっと待ってるんじゃないのかな」

 ゲンドウに戻されるカヲルの視線。

「君は一体何を待っているんだ」

 同じ問いを繰り返す。

「もしかしたら、あの子が自ら君のもとに帰ってくる時を待っているのかい?」

 やや大き目の口の右端が、微かに上がる。

「どうやら君には悪癖があるようだね。誰よりも他人を恐れ、他人と距離を置き、世捨て人を演じていながら、心の隅のどこかで他人に期待している」

 顎を上げ、赤い瞳を天井へと向けた。

「あの子が、いつの日か碇シンジくんを連れて、君のもとに帰ってくると信じている」

 天井の先。彼が居る巨大構造物の屋根を貫き、空をも越え、さらに遥か彼方でこの星を周回している「あるもの」を見つめる。

「でも気の毒だけど、それはありえない」

 顎を下ろし、その赤くも冷たい瞳は椅子の上の男を見つめる。

 やや大き目の口の両端が、はっきりと釣り上がった。

 

「碇ユイだって、君のもとには戻ってきてくれなかったじゃないか」

 

 肘掛けの上で拳を握り締めていたゲンドウの右手が素早く動いた。

 無駄に大きいテーブルの引き出しを開け、中に収められた拳銃を取り上げる。

 両目を包帯で何重にも覆われたその体で拳銃を構え、瞬時に引き金を引き絞った。

 

 乾いた銃声。

 それが何発も立て続けに、無駄に広い執務室の中に響き渡る。

 幾つもの空薬莢が床やテーブルの上に転がり、銃身から立ち昇る硝煙が薄暗い天井へと広がっていく。

 

 弾倉に収められていた計12発の銃弾を撃ち尽くしてもなお、ゲンドウの人差し指は引き金を引き続けている。

 その様子を側で見ていた冬月は溜息を吐きつつ、ゲンドウの右手から拳銃を取り上げた。ゲンドウの右手は玩具を取り上げられて癇癪を起した子供のように、拳で椅子の肘掛けを何度も殴り付けている。

 そんな態度のゲンドウに冬月は再び溜息を零しつつ、テーブルの向こう側を見た。

 

 彼の上官が構えた拳銃は、視界が完全に塞がれていたにも関わらず、まっすぐに「標的」へと向いていた。

 その「標的」。渚カヲルはズボンのポケットに両手を突っ込んだ格好で、立っている。

 冬月らと渚カヲルの間の空間には、ゲンドウの拳銃から飛び出した12発の弾丸が静止したまま浮いている。

 そして渚カヲルの前に広がる、八角形の光の壁。

 

 冬月は視線を落とし、目を細めてテーブルの上に落ちた空薬莢を見る。空薬莢の側面には「AA弾」の刻印。

 もう一度視線をカヲルに向けると、薄く輝く八角形の光の壁は消え、同時に浮いていた12発の弾丸もバラバラと音を立てて床の上に転がっていく。

 憮然とした表情の冬月に、カヲルは薄く笑った。

「自らを進歩させることができるのはリリンだけと思うのは君たちの思い上がりだね。むしろ自らを進化させるという点においては、僕たちの方が君たちよりも数倍長けている」

 

 椅子の上のゲンドウの呻き声が一際大きくなった。声だけでなく、ゲンドウの体全体がまるで火で炙られてでもいるのかのように、大きくのたうっている。拳銃を撃った衝撃と、肘掛けを殴った衝撃と、そして激しい衝動に駆られる激情によって、全身に疼く痛みが増大してしまったらしい。包帯の隙間から滲み出ていた黄色い液体はまるで滝のような勢いとなって床へと溢れ出すため、冬月は仕方なく膝を折って用意していた数枚の雑巾を使って床に土手を作り、液体が周囲に広がらないようにする。そして立ち上がると、テーブルの上にあったペットボトルの蓋を開け、中身のミネラルウォーターをゲンドウに飲ませた。

 

 古い時代の枠組みで言う後期高齢者の域に足を踏み入れつつある老人に介護される最高司令官の姿に、カヲルは呆れたように溜息を吐いた。声に、若干の憐れみを籠めて言う。

「無条件に、とは言わない。君はあの子が再び碇シンジくんをエヴァに乗せてくれることを期待していたようだけど…。その役割は、僕が引き受けよう」

 冬月が差し出すペットボトルの口にがっついていたゲンドウの口が閉じられ、行き場を失った水がゲンドウの口から首にかけて広がっていく。

「僕が、碇シンジくんをエヴァに乗せる。そう言ってるんだ」

 荒くなっていたゲンドウの呼吸が静かになった。

 椅子の背もたれに預けていた体を起こし、包帯に覆われた目でカヲルを見る。

 そのゲンドウの態度に、カヲルはにっこりと笑った。

「交渉成立だね」

 

 冬月は身を屈め、ゲンドウの耳に顔を近付ける。

「いいのか…。奴は…」

 腹心の進言を、ゲンドウは右手を上げて遮る。

「それじゃあ君は早速空の上の碇シンジくんを。初号機を迎えに行っておいで」

 まるで子供にお遣いを言い渡すような物言いのカヲルを、冬月は横目でジロリと睨んだ。

 そんな冬月の鋭い視線をカヲルは短い笑い声で躱しながら、彼らに背を向ける。

「機体の譲渡契約書を交す必要があるのならいつでも言ってね。判子はすぐに用意できるから」

 背中を向けたまま大人2人に軽く手を振り、廊下へと通じる扉へと歩き始めた

 

 無駄に広い部屋の奥にある扉へ向かって歩く。

 古びたスニーカーで床を踏み、テーブルと扉との間の半分を歩いたところで。

 

 カヲルの足が止まった。

 

 彼の足を止めたもの。

 それは笑い声。

 

 カヲルは振り返った。

 

 無駄に大きい部屋。

 その奥に鎮座する、無駄に大きいテーブル。

 そのテーブルの側に用意された椅子に座る人物。

 

 その男が、押し殺すような声で笑っている。

 肩を震わせながら笑っている。

 

 やがて閉じていた口が開き、男ははっきりと大きな声で笑い始めた。

 

 男が笑うたびに包帯の隙間から黄色い液体が噴水のようにぴゅーぴゅーと飛び出て、その液体から逃れるために側に立つ老人が数歩ほど遠ざかったが、それでも男は構わず大きな声で笑っている。

 

 カヲルは、彼にしては珍しく、眉間に深い皺を刻みながら笑う男の顔を睨んだ。

 両目を包帯で塞がれた男。

 視覚は完全に塞がれているはずなのに、まっすぐにこちらを見ながら笑っている男。

 髭を蓄えた逞しい顎を下げ、口を大きく開けて、一本も欠けることなく生え揃った丈夫な歯を見せながら笑っている男。

 

 カヲルは顔を顰めたまま、なおも笑い続ける男に背を向け、足早に扉へと向かった。

 

 その扉を開けた先には、「彼」が望む幸せが待っている。

 いや、自分が「彼」が望む幸せを築いてみせる。

 

 そう心に誓って。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

 

 近くから声がする。

 とても近くから、か細い声がする。

 幾つかの物音に混じって、か細い少女の声がする。

 

 

 爆散した体。

 首に嵌められた爆発物によって、全身が粉々に砕けたはずの体。

 隣に座る「彼」に一生モノのトラウマを植え付けたであろう、無惨に散った体。

 

 不思議だ。

 砕け散ったはずなのに、自身の体の形を感じている。体の存在を認知している。

 

 これは手。

 自分の手。

 失ったはずの手を感じている。

 手掌から伸びる5本の指。

 失ったはずの指。

 少し違和感があるけれど、確かに指の存在を感じている。

 試しに動かしてみた。

 右手の親指、人差し指と、順番に動かしてみる。

 右手に続いて左手。親指から順番に。

 やはりちょっと違和感はあるが、ちゃんと動いている。

 

 その指の随意的な動きに、か細い声の主が気付いたらしい。

 

「目が…、醒めたのね…」

 

 今にも消え入りそうな、透明感のある声。

 自分はこの声の主を知っている。

 

 返事をしようとしたが、口からはまともな言葉の代わりに薄気味悪い唸り声しか出なかった。

 

「ちょっと待って。まだ顎が…」

 

 声がそう言うので、試しに舌を動かしてみたが、舌先がその下にあるはずの顎の存在を感じなかった。

 不意に、声の主の手が後頭部に添えられる。

 続いて、顎関節に強い衝撃。何かを関節部に強引に嵌め込もうとしているらしく、頭部全体がくがくと震える。

「えい…」

 か細い声の何とも頼りない掛け声と共に、カコンと乾いた音が蝸牛神経の中に鳴り響いた。

「嵌った…」

 か細い声がそう言うのでもう一度舌を動かしてみたら、舌先に確かに下顎の存在を感じる。

 

「さ…ん…」

 

 試しに声を出してみたら、ようやく声が形となって喉から出た。

「もう少し待って…」

 か細い声がそう言うので、出し掛けた言葉を止める。

 下顎の中に、もぞもぞと何かを植えられている。

 どうやらか細い声の主の手が、歯を一本一本歯茎に植え込んでいるらしい。

「できた…。もういいわ」

 か細い声がそういうので、試しに口を何度か開閉させてみる。上の歯と下の歯が噛み合い、カチカチと音を立てる。

 

「サンク…、なのかい…?」

 

 ようやくまともに出すことができた声で、そう訊ねてみる。

「ええ…」

 か細い声で返事があった。か細い声の主は手を休めず、「作業」を続けている。

 

 暫くして、頭部の前面の中央からやや上の部分。2つの空洞がある部分の1つに、何かが嵌め込まれた。

 か細い声の主の手が、空洞の部分に嵌めたもの。おそらく球体だろう。それをぐりぐりと動かして、球体の正面を正しい方向へと向けている。

 か細い声の主の手が頭部から離れたので、空洞を覆う機能を持つ瞼を、何度か開け閉めしてみる。

 しかし、視界に変化は起きない。

 目覚めてからずっと、世界は暗闇に沈んだまま。

「少し待って…」

 か細い声がそう言うので、瞼を閉じた、

 空洞に嵌められた球体の後ろで、声の主の指がもぞもぞと動いている。何か、おそらく糸状のものを結わえているらしい。

「できた…。いいわ」

 か細い声がそう言うので、瞼を開いてみた。

 視界に広がる光。少しずつ色彩を帯びていく世界。少しずつ形を成していく世界。

 

 その目が最初に見たのは淡い光。

 人の形を成した、淡い光。

 襟元で摘まれた髪、丸みを帯びた肩、胸、腰。一見して少女の形をしていると分かる、淡い光。

 少女の形をした淡い光の顔に収められているのは、2つの赤く光る瞳。

 淡い光の手がこちらに近づいてくる。淡い光の瞳の色と同じ、赤く光る小さな球体を手に持って。

 その球体は、2つある空洞の、まだ空っぽの方へと嵌め込まれる。そして先ほどと同じようにぐりぐりと動かして、球体の正面を正しい方向へと向け、次に球体の後ろに糸状のものを結びつける。

「こっちもできた」

 か細い声がそう言うので何度か瞬きしてみると、欠けていた視界の残り半分にも光が広がり、世界が色彩を帯び、形を成していく。

 

 2つの瞳で、目の前にいる少女の形をした淡い光を見た。

 

 何かしら違和感がした。

 試しに淡い光の頬に触れようと手を伸ばしてみるが、差し伸べた右手は淡い光の頬には触れず見当違いの方へと向かい、そして淡い光の胸を鷲掴みすることになる。

 突然のセクハラ行為に、しかし淡い光は表情一つ変えずに「作業」を続けている。そして淡い光の胸を鷲掴みにした右手は、そのまま小ぶりな胸を撫でたり揉んだりしている。

 違和感。

 その手で感じる胸の形と、視覚から得られる胸の形とが微妙に一致しない。

 

 違和感の正体に気付いた彼は淡い光に告げる。

「サンク…、知っているかな…?」

「何を?」

「視神経の半分は、交叉して繋げないといけないことを…」

「知らなかった」

 淡い光の両手が、2つの空洞に収まる2つの球体の裏側へと伸ばされた。

 ブチッ、ブチッ、と、何かの線を引き千切る音。

 途端に、彼の視界が真っ暗になる。

 そして球体の裏側で、何かをごそごそと結ぶ音。

 

 暫くして。

「これでどう」

 淡い光がそう言うので、両瞼を開けてみた。

 目の前に居るのは、少女の形をした淡い光。

 彼は再び淡い光に向けて右手を差し伸べた。その手は、今度はまっすぐに淡い光の胸へ。

 胸に触れ、その形を確かめるように撫でたり揉んだりする。

「うん。今度は大丈夫だね」

 手から得られる胸の立体感と距離感の情報と、視覚から得られる情報が一致した。

「そう。よかった」

 淡い光は微笑みつつ、「作業」を続ける。

 

 取り戻した視覚で、自身の体の様子を調べる。

 

 爆散したはずの肉体。ばらばらになったはずの肉体が、ヒトの形と判断できるまでに復元されている。いくら自分が「生命の実」を宿した存在であるとは言え、あの状態からこの短期間でここまで自然再生させるのは不可能だ。

 視線を、少女の形をした淡い光へと向ける。

 淡い光はこの空間。円筒形の空間の壁や床に散らばった「色々なもの」を拾い上げては、それが「何処のもの」かを見定めた上で、該当する箇所にくっ付けたり乗せたり嵌めたり貼り付けたりしている。

 

「君が…、これを…?」

 

 そう訊ねると、淡い光はこくりと頷き、拾い上げたもの。おそらく右側の眉毛だろうか。それを彼の眼球が収まっている場所の少し上にぺたぺたと貼り付けた。

 淡い光は少し離れ、遠くからその眉毛が正しい位置で貼り付いているかを確認する。

 首を傾げた淡い光は、貼り付けたばかりの眉毛を引っぺがしてしまった。どうやら、角度が気にくわなかったらしい。何度か吟味を重ねた上で、ようやく納得できる角度になったらしく、またぺたりと眉毛を貼り付ける。

「テキトーで…、いいのに…」

 目覚めた時に最初に覚えた違和感。復元された両手の指の違和感。右手の人差し指と中指、そして左手の人差し指と薬指が、互い違いにくっ付けられている。淡い光は手の復元にはテキトーなのに、顔の復元には妙に注意を払っている様子だ。

 こんな手でまたピアノが弾けるようになるのだろうかと思いつつ言った彼の言葉に、淡い光はふるふると頭を横に振った。

「だめ…」

「なぜ…?」

「あなたには、カッコよくしていて、ほしいから…」

 淡い光のその返事を聴いて、復元されたばかりの彼の口が自嘲気味に歪んだ。

「いくら見てくれを良くしたところで、僕が無様な敗残者であることに変わりはないよ。結局僕は、シンジくのお父さんの手のひらで踊っていただけの、哀れな道化さ…」

 そんな彼の自虐的な発言に対し、淡い光は特に感想を述べることなく、今度は左側の眉毛を貼り付けようとしている。

 彼は目を瞑った。やや強めに瞼を閉じた所為で眉毛を貼るはずだった場所に皺が寄ってしまい、淡い光の手が止まる。

「僕はただ、彼を幸せにしたかっただけなんだ…」

 淡い光は右手で彼の額と右瞼の境の皮膚に寄った皺を伸ばしつつ、眉毛を貼り付ける。

「でも、あれは彼が望んだ幸せの形じゃなかったんだ…」

 手のひらで、貼り付けたばかりの眉毛がすぐに剥がれ落ちないよう、ぺたぺたと押し付ける。

「僕の行いは、結局彼を更なる不幸に陥れただけだったんだ」

 最後に眉尻の角度の微調整をする。

「僕には…、誰も幸せにすることなんて、できないんだ…」

 

 2つの手が、顔を両側から挟み込んだ。

 2つの親指で、下目蓋をこじ開けられた。

 強引に開かれた視界にあるのは、こちらを覗き込む淡い光の赤い瞳。淡い光の唇が、薄く開く。

「1日の大半をLCLで満たされたカプセルの中で過ごし、たまに外に出された時も訓練と実験。それがあなたに出会う前の、私たちが過ごしていた日々」

 彼の閉じられていた目を強引に開かせた淡い光の顔が、少しずつ彼の顔に近付いていく。

「でも、あの日。あなたと出会ってから、私たちの日々は変わった。あなたと過ごす中で、初めて「生きる」こと、「喜び」というもの、「幸せ」というものを感じることができた」

 淡い光の顔が、ゆっくりと彼の視界を覆っていく。

「大丈夫。あなたには、人を幸せにする力がある」

 淡い光の額が、こつんと彼の未完成の額に当たる。

 

 強引にこじ開けられた目で、彼は間近にある淡い光の赤い双眸を見つめた。

「君たちの頭の中はお花畑どころか腐って蛆が沸いているらしい。僕は君をただ利用したかっただけだ。そんな僕の見せかけの優しさに触れて、偽りの「幸せ」に心躍らせるとは。愚かしいにも程があるよ」

 吐き捨てるように言う彼に、淡い光は当てた額をぐいぐいと押し付ける。

 淡い光は言う。

 

「私たちの幸せの定義を決めるのは、あなたじゃない」

 

 淡い光の赤い瞳を見つめる、彼の赤い瞳の瞳孔が窄まった。

 

 

 遠い昔に、友人に言われた言葉と重なる、淡い光の言葉。

 

 

 友人は。「彼」は言った。

 「彼」にとっての大切な人の幸せ。

 結局抱いてやることもあやしてやることもできなかった、「彼」の子供。

 その子供の幸せの定義を決めるのは、父親のすることではない、と。

 

 

 淡い光は言う。

 

「あなたと過ごす日々で、私の心の中に確かにあった「幸せ」。それは誰にも、あなたにさえも否定はさせない」

 

 彼の下目蓋を強引に下げていた親指が離れ。

 

「信じてほしい。あなた自身のことを。あなたには、人を幸せにする力がある」

 

 淡い光の両手が彼の両頬を優しく包み込む。

 

「あなたが本当に幸せにしたかった相手は誰?」

 

 そう問うと、彼の右目から一筋の涙が零れ落ちた。 

 

「”彼”は今、自分の運命に立ち向かうために、必死で戦ってる」

 

 淡い光は左手の親指で、その涙をそっと拭ってやる。

 

「あなたが、共に戦ってくれることを待っている」

 

 そして彼の頬を包み込んだ両手を少しずつ下げていき。

 

「あなたはこのままでいいの? 渚カヲル」

 

 その手は彼の首を伝い。 

 

「もし”彼”を幸せにしたいというその気持ちが本物ならば」

 

 彼の両肩に辿り着き。

 

「もっと足掻いて見せて」

 

 その両肩を力強く掴んだ。

 

「無様でもカッコ悪くてもいいから、もっと必死に足掻いてみせて」

 

 

 

 今度は右目だけでなく、左目からも涙が零れ落ちた。

「涙腺も、繋がったみたいね」

 淡い光は彼の目から溢れる液体を満足げに見ながら、掴んでいた彼の両肩から手を離し、「作業」を再開させる。

「僕は、”彼”を、幸せにしたい…」

 今はバラバラになった頭頂骨の復元中らしい。手のひらに乗せた幾つかの白い粒を、彼の頭部の断面に順々に乗せていく。

「サンク…、僕は…、”彼”を…、幸せにすることができるかな…?」

 その問いに、淡い光は口もとに小さな笑みを湛えて、こくりと頷いた。そして、黙々と「作業」を続けていく。

「こんな体の…、僕でも…」

 涙に濡れた目で、彼は彼自身の体を見つめた。

 

 

 自身が持つ自己修復能力と、淡い光の手によって丹念に復元されていった体。

 視界と聴覚を取り戻し、言葉も操ることができ、手も。そこはちょっとテキトーなところもあるが、それでも動かせる程度には形になり、そして涙も流せるようになり。

 しかし下半身は未だに全て失われたまま。

 復元がある程度進んだ上半身も、右胸半分はまだ手付かずで空洞のまま。頭部の様子までは見えないけれど、頭の中身の復元もまだ途中なのだろう。

 淡い光は今も手を休めることなく「作業」に勤しんでいるが、この体がまともに動くまで復元されるには、あとどれくらいの時間が掛かるのだろうか。その時までに、この世界はまだその形を留めていてくれるだろうか。

 

 

「サンク…」

「大丈夫」

 

 彼の声を、淡い光の声が遮った。

 「作業」の手を止めず、淡い光は言う。

 

 

 

 

「もうすぐ、”みんな”が、来る」

 

 

 

 

 

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