機甲少女の想いは一途   作:hekusokazura

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 男性の後ろ姿が離れていく。

 その大きな背中を見つめながら。

 

「……まいったな…」

 

 一人その場に留まる少年は小さく呟いた。

 

「…まいったね…」

 

 自分に言い聞かせるように、2度呟く。

「まったく…。この僕が「彼」以外のリリンの言葉に揺り動かされることになるとはね」

 収まりの悪い白銀の髪をガシガシと3回ほど引っ掻いた。

 両手を腰に当て、一度だけ深呼吸する。

 背後を振り返って、遥か頭上の巨人の顔を見上げ。

 そして離れていく男性の背中を見つめ直した時には、彼の顔にはいつもの柔和な笑みが戻っていた。

 

 少年は口を開く。

 

「リョウちゃん」

 

 少年の朗らかな声はだだっ広いこの空間の中でもよく響いた。

「はい?」

 男性は歩みを止め、首だけ捻って振り返る。すでに遠く離れた少年の顔はよく見えないが、その顔は笑っているように見える。

「いいよ」

 まるで朝の小鳥の囀りのような、軽やかな少年の声。

「何がです?」

「僕が行こう」

「何処へ、ですか?」

 察しの悪い男性の反応に、少年の柔和な笑みは苦笑いへと変化する。仕方なく、少年はもう少し具体的に言ってみることにした。

 

「僕がサードインパクトの波を封じる。そう言ってるんだ」

 

 男性の眉が、少しだけ上がった。

「渚司令…」

 踵を返し、体ごと少年に向ける。

「僕でも一度起きてしまったインパクトを無かったことにすることはできないよ。でも君たちの強制停止信号なんたらやアンチLシステムとやらに比べたら、僕の方が確実にインパクトの影響を最小限に抑えることができるはずさ」

 少年はズボンのポケットに突っ込んでいた両手を外に出すと、のんびりとした足取りで男性の方へと向かって歩き始めた。

「それに僕だったら防護服も必要ないし」

 男性のもとへと近づいていく少年。

「VTOLよりも早くターミナルドグマに辿り着けることが出来るし」

 遠くてよく見えなかった少年の顔が、はっきりと見えるようになった。

「何より僕には一度インパクトを止めたっていう、揺るぎない実績があるからね」

 見る者全ての心に、福音という種を植え付けてしまいそうな、そんな笑みを宿した少年の顔が。

「渚司令…」

 少年は笑みを浮かべたまま、男性の横をのんびりとした足取りで通り過ぎていく。

「リョウちゃん。君への貸しは、これで帳消しというこでいいよね?」

 すれ違いざまに、ぽんと男性の肩に手を叩いてみた。

 男性は潤ませた目を細めて言った。

「もちろんです」

「初号機の処遇については全てが終わってからにしよっか。話し合うなり、殴り合うなりしてさ…」

「…分かりました。渚司令…」

 少年はにっこりと笑う。

「やだなあ。僕のことはカヲルって…」

 

 

  ピピッ

 

 

 その小さな電子音は、すぐ近くから聴こえた。

 

 少年の歩みが止まる。

 少年の顔から、笑みが消える。

 

 少年の右手がゆっくりと上がり、その指が首に触れた。

 

 ごくりと、生唾を呑み込む。

 

 少年は目を閉じた。

 色素の薄い唇を噛み締め。

 その眉根に、深い皺を寄せて。

 

 

「…リョウちゃん…」

 

 

「渚司令…」

 男性は急に歩みを止め、俯いたまま固まってしまった上官の頭を不思議そうに見下ろす。

 

「すまない…、リョウちゃん…」

 少年はゆっくりと顔を上げ、隣に立つ男性の顔を見上げる。

 その幼さを残した顔に、悲痛な面持ちを浮かべて。

「老人たちは…。彼らはこの事態に対する僕の介入を禁じてしまったようだ…」

 

 男性は少年の右手が触れる彼の首もとを見た。 

 少年の首に常に嵌められている首輪。その特別仕様の首輪の名前を、男性は知っている。

 

「DSS…チョーカー…」

 

 黒いベルトの中央にある銅色のプレート。

 そのプレートが、淡く光っていた。

 

 少年の耳にまで、男性の奥歯が鳴らす歯ぎしりが聴こえた。

 

 少年は目を伏せる。

「本当に…、すまない…」

 少年の声は震えていた。

 これほどの無力感に苛まれたことがかつてあっただろうか。

 少年の白い両手がぎゅっと握りしめられ、指の爪が手の平の皮に深く食い込んだ。

 

 さぞ失望させてしまったことだろう男性の顔を見ることができず、薄く開けた瞼の隙間から男性の足もとを睨んでいたら。

 

 ポンポンと、誰かに頭を軽く叩かれた。

 

「まあ、そんなに肩を落としなさんな」

 顔を上げると、大きな手が自分の収まりの悪い髪の上に乗っている。誰かに頭を撫でられることなど生まれて初めてだった少年は、白磁のような頬を微かに赤らめた。

「ありがとう、渚司令。あなたの気持ち、本当に嬉しかった」

 男性が穏やかな笑みを浮かべながら、少年を見下ろしていた。

 

 男性の屈託のない笑みが眩しくて、少年は再び目を伏せてしまう。

 そして着用していた士官服の上着の詰襟を解くと、第1ボタンを外した。開いた胸元に手を突っ込み、中から首に掛けていた細い鎖の輪を引っ張り出した。

 その細い鎖の輪に吊り下げられていたものを右手で握り締める。

 そしてそれを思い切り引っ張った。

 ブチっと小さな音と共に、それは鎖の輪から外れる。

 少年は右手に残ったそれを、男性へと差し出した。

 

「これを持っていくといい…」

 男性は少年から受け取ったものを見つめる。

「これは…」

 男性の手の平に乗る、赤い棒状のもの。

「カシウスの槍…」

「カシウスの槍…、これが…」

「そう。僕がリリンが言うニア・サードインパクトを止めた時に使ったものだ…」

 

 大人の手のひらより少し大きいだけの小さな槍。

 まるで鳥の羽根のような、軽い槍。

 

 俄かには信じられないという男性の表情に、少年は小さく笑った。

「これを使ってインパクトの依代となるマーク6を強制停止させる。これがインパクトの波を抑える唯一の方法だ」

 呆けた表情で小さな槍を見つめてた男性は、少年のその説明についつい笑ってしまった。

「なんだ。理屈は我々の強制停止信号プラグと変わらんですな」

 軽口を叩きながらおどける男性に、しかし少年は厳しい視線を向ける。

「そう。だから、誰かがインパクトの爆心地に赴かなければならない」

「分かってますよ。渚司令」

 男性はズボンの後ろポケットに突っ込んでいた青い布を取り出し、渡された小さな槍をそっと大切に包んだ。

 それを見ていた少年は思い出したように踵を返すと、床の上に投げられていた男性のジャケットまで駆け寄り、拾い上げて男性のもとまで駆け足で戻る。

「リョウちゃん。大切なものを忘れてるよ」

 少年はジャケットの袖に縛られたまま残っていた青い布を剥ぎ取り、青年の右の二の腕に巻いてやった。

「ありがとう。渚司令」

 自分の腕に絆の証を結んでくれる少年の横顔を、男性はまるで我が子を見守る父親のような眼差しで見つめていた。

「うん。…もう止めないよ」

「はい。渚司令」

「爆心地は、君たちの想像を絶する所だ」

「ええ。分かってます。妻からも、よく聴かされてきましたから」

「そっか」

「ええ。…あ、渚司令」

 何故だかにんまりと笑う男性。

「なんだい?」

 少年はそんな男性の顔を訝し気に見つめながら、巻いた布の端と端で結び目を作り始める。

「渚司令って、もう女は知ってるんですか?」

「へ?」

 男性の口から出てきた突拍子のない質問に、少年は口をあんぐり開けながら間の抜けた声を上げてしまった。

「あれ? もしかしてチェリーくんですか?」

 揶揄うような男性の口調に、少年はやや不快そうに顔を顰めながら答えた。

「うん。確かに僕自身の槍は未だいかなる門も貫いたことはないけれど、そもそも僕たちは性衝動とは無縁の生きも…」

「機会があったら一度は女を抱くと、いや、抱かれるてみるといい」

「はあ?」

 再び間の抜けた声を上げる少年。

「女の腕の中。それこそ想像を絶する世界ですよ」

「何を言ってるのかな、こんな時に君は」

 少年は男性の出来上がった結び目がそう簡単にはほどけそうにないことを確認すると、これで完成とばかりにその結び目をポンと叩いた。

「残念です、渚司令」

 どこか芝居掛かった男性の口調。

「司令には、大人の男として、土仕事以外にももっと色んなことを。それこそあんなことやこんなことまで教えてやりたかったのに」

「もう。馬鹿なこと言ってないで、さっさと行ったらどうかな」

「はいはい」

 男性は少年からそっと2歩ほど離れる。

 そして踵を鳴らし、猫背気味の背中をぴんと伸ばし、額に右手を掲げ、大袈裟な敬礼をしてみせた。

 

「ネルフ副司令官、加持リョウジ! 最後のお勤めを果たしてまいります!」

 

 大仰なセリフと姿勢の割には、何とも締まりのない、ニヤっとした、彼らしい笑顔。

 

 少年も背筋をピンと伸ばし、現在の役職に就いてから一度もしたことがなかった敬礼を返してやる。

 彼らしい柔和な笑みを、今にも涙で崩してしまいそうな表情で。

 

「うん。行ってらっしゃい。リョウちゃん」

 

 

 

 

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