機甲少女の想いは一途   作:hekusokazura

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 ガラス張りの世界。

 

 ガラスの枠で縁取られた世界。

 

 自身が吐く息に合わて白く曇ってしまう世界。

 

 汚染された空気で見通しの悪い世界。

 

 

「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ」

 

 

 完全密閉された体。 

 

 呼吸の音が、すぐ耳もとで聴こえる。

 

 胸の中の鼓動が、すぐ耳もとで聴こえる。

 

 

 

 赤銅色の空に灰色の大地。空の真ん中には、地上を見下ろす巨大な瞳のような真っ黒な穴が、その外周に何重もの光の輪を従えてぽっかりと空いており、その穴はまるで怪物の口のように地上にあるあらゆるものを吸い上げようとしている。

 顔を上げれば、この世の終わりに相応しいと言える、この世のものとは思えない異様な光景が飛び込んでくるようなこの状況下で、加持リョウジは空に開いた大きな穴に吸い込まれてしまわないよう、灰色の地面を見つめながら一歩一歩慎重に歩みを進めていた。

 もっとも、彼が着る機動性を度外視したような防護服では、走りたくても走ることができない。宇宙服をさらに3割増しに膨らませたような分厚い防護服の中で、加持は汗だくになりながら懸命に灰色の大地を踏みしめ、歩き続けている。

 

 

 

「ぐわっ!」

 

 宙へと巻き上げられた大きな瓦礫が頭上を掠め、咄嗟に地面に伏せる。

 

「おおっと!」

 

 直後に伏せた地面が大きく揺れ、大地に巨大な裂け目が走った。

 足場が崩れ、天と地が反転。裂け目の底に目掛けて真っ逆さまに落ちる寸前の所で、裂け目の淵に両手でしがみ付く。

 

「ふ~、危ない危ない」

 

 暗くて見えない裂け目の底を見下ろしながら安堵のため息を漏らす。額から伝う大量の汗が目の中に流れ込んでくるが、完全密閉の防護服を着ているこの状況では手で拭うことさえできない。

 底の見えない暗闇は見つめ続けていたら別世界へと誘われてしまいそうだったので、何度か瞬きして目の中に溜まった汗を追い出し、今度は空を見上げてみた。地上を見下ろす巨大な瞳と目が合う。頭上では、ビルくらいの大きさの巨大な瓦礫が幾つも宙を舞っている。

 

「これが原罪で穢れた生命を阻むというL結界の中か…。なるほど…。こりゃ…、想像を絶するな…」

 

 想像を絶するものを目の当たりにした人間は、頭の中の処理が追い付かずにむしろ笑ってしまうらしい。

 

「でもま…、彼女が作る料理の…、味に比べれば…」

 

 笑みを浮かべながら、懸命に裂け目をよじ登る。

 

「まだまだ常識の…、範囲内だ…」

 

 初めて彼女の手料理を口にした若かりしあの日。夜明けは彼女の部屋のベッドではなく、病院のベッドで迎えたっけ。

 随分昔のことを思い出しながら、辛うじて大地の裂け目から脱出した彼は、防護服の手首にあるコントロールパネルに目をやる。小さな画面上に表示される様々な数値。

 

「L結界密度、観測史上最高値を更新…か。これだけでも、俺の名前は歴史に残るかな…」

 

 防護服の完全密閉型のヘルメットの下で、加持は歯を見せて笑う。

 

「そのためにも、人類には歴史を紡ぎ続けてもわらなくちゃ…」

 

 防護服が備えたセンサーによって採取されたデータは、常に彼の仲間のもとへと送られている。このデータが、何時か彼らの役に立つ日が来ることを信じながら、彼は休むことなく目的地へと向かって歩き続けている。

 

 

 

 彼が今歩いている場所。

 それは正確に言えば、大地ではなかった。

 また彼を見下ろす赤銅色の空。それも、正確に言えば空ではなかった。

 ここは地上から遥か奥底にある地下の空間。空など、見えるはずがなかった。

 

 そして彼が立つ場所。大地ではない場所。

 それは生物の背中だった。

 人間と似たような形状の生物。2本の足があり、2本の腕があり、胴があり。

 人間と違うところと言えば、全身が全て真っ白という点と、とてつもなく巨大であるという点。そして首から上がないという点であった。

 そのとてつもなく巨大な白い生物は、首を落とされ、さらには背中を巨大な赤い槍で貫かれながらも、地下の空間の底に四つん這いになり、のっしのしと、非常にゆっくりとした足取りで移動している。

 

 そしてとてつもなく巨大な白い生物の背中に、まるでデキモノのようにニョキと生えている、いや、埋まっている小さな何か。

 あまりにも巨大過ぎる白い生物に比べればまるでデキモノのような小さい何かだが、それでもそのデキモノは人間に比べれば遥かに大きい。

 そのデキモノ。やはり人の形をしたもの。

 すなわち、巨人。

 

 とてつもなく巨大な白い生物の背中に埋まった巨人の腹。

 巨人の腹の上で、まるで小さなしゃくとり虫のようにへばり付いて、よじ登っているモノ。

 

 

 

「どんなに…、科学が…、進歩しよとも…」

 

 腕を懸命に伸ばしては、壁にへばり付き。

 

「結局最後に…、モノを言うのは…、お袋がくれた…、この体か…」

 

 足場を蹴り上げて、壁をよじ登る。

 

「ビバ! 人間! だね!」

 

 巨人の腹を登り切り、ついに目的の場所に立った。

 

 

 

 そこは巨人の腹部と胸部のつなぎ目の部分。

 

 巨人が纏う装甲の、胸当てと腹当ての隙間を覗き見る。

 

「これが…、マーク6の…、コア…!」

 

 激しい呼吸で曇ってしまったガラス越しにでも見える、赤く光る巨大な球体がそこには鎮座していた。

 

 腰のポーチのファスナーを開け、中から青い布に包まれた槍を取り出す。

 布は大事にポーチの中にしまい、小さな槍を右手に握りしめた。

 防護服の分厚いガラス越しに見つめる小さな槍。

 

 彼にとっての、希望の槍。

 

 大切な人たちの未来を紡ぐ槍。

 

 その槍が、二重にも三重にもダブって見えた。

 

 

 加持は咄嗟に固く目を閉じ、頭を小刻みに横に振る。

 

 目を開くが、彼にとっての未来と希望の槍は、元に戻るどころかさらに四重にも五重にも重なり、歪んでしまった。

 

「ハッ…、ハッ…、ハッ…、ハッ…、ハッ…、ハッ…」

 

 呼吸が明らかに促迫している。

 

 心臓が今にも爆発してしまいそうなほどに踊り狂っている。

 

 鼓膜を劈くような耳鳴り。

 

 脳味噌を錐で刺されたような激しい頭痛。

 

 全身が激しく戦慄いている。

 

 

 

「ここまでか…」

 

 

 

 体のあらゆる神経や臓器、筋骨らがこう訴えている。

 

 もう限界だ、と。

 

 この肉体はそう時を経たずに崩壊する、と。

 

 いや。

 

 「変容」する、と。

 

 

 

 見れば、希望の槍を握り締める右手も激しく震えてしまい、まるで逆さまにされたコップの中の水のように、凄まじい勢いで握力が失われていくのが分かった。

 今にも、この未来と希望の槍を落としてしまいそう。

 落としてしまって、苦労して上ったこの巨人の腹を一度降り、またよじ登らなければならないなんて、冗談ではない。

 彼は槍を包んでいた青い布で槍を己の右手に括り付けた。どんなことがあっても決して離すことはないよう、きつくきつく、縛り付ける。

 さらに左手も添え、両手で希望の槍を握り締める。

 

 

 装甲の隙間から覗く、巨大なガラス玉のような球体を睨んだ。

 

 

「みんな…、生き延びてくれ…」

 

 

 絶え絶えの息の中で、強く願う。

 

 激しく戦慄く手で、槍の切っ先を装甲の隙間に滑り込ませた。

 

 

 

 不意に、彼女の顔が頭の中に浮かんだ。

 

 頭の中の彼女は、こう言っている。

 

 

  ―――名前、決めてくれた?

 

 

「男だったら……、女だったら……」

 

 噛み締めていた口もとに、小さな笑みが宿る。

 

「すまん…。結局いい名前…、思いつかなかったよ…」

 

 体に残った全精力を腕に籠めて、槍の先端を球体へと突き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地下の底を這うように、四つん這いになって進んでいた巨大過ぎる白い生物。

 

 ゆっくりと、ゆっくりと。規則正しい動作で、両膝を引き摺りながら大地を這っていた巨大過ぎる白い生物。

 

 それが急にこれまでとは異なる行動を起こした。

 

 右腕をゆっくりと上げ、背中をのけぞらせたのだ。

 

 まるで天に在る何かを求めてるように、ゆっくりと赤銅色の空へと。

 

 赤銅色の中央にぽっかりと開いた穴に向かって、巨大過ぎる腕を伸ばし始めたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐわっ!」

 

 突如、足場が大きく揺らいだ。

 

 

 それは槍の切っ先が球体に触れる寸前の出来事だった。

 

 

 足場が大きく揺らいだと思った次の瞬間には、足の裏に感じていた巨人の装甲の感触が消えていた。

 

 両足は巨人の体から離れていた。

 

 世界は、反転していた。

 

 足場を失った彼の体は、宙に浮いていた。

 

 あとはひたすら重力の基本法則に従うのみ。

 

 巨人が離れていく。

 

 彼の体は地上へと、真っ逆さまに落ちていく。

 

 

 

 いや、この場では自然界の法則など通用しない。

 

 

 彼の体は地上へ叩き付けられる寸前のところで、急にふわりと浮き上がり、宙を漂い始めたのだ。

 

 今度は、灰色の大地が離れていく。

 

 巨大過ぎる生物の肩を越え。

 

 巨大過ぎる生物の背中にニョキっと生えた巨人の頭を越え。

 

 巨大過ぎる生物が天に向けて伸ばした腕を越え。 

 

 彼の体は、赤銅色の空の真ん中に大きく開いた、巨大な穴へと吸い込まれていく。

 

 

 

「おい…!」

 

 重力という不自由を手放した体。

 

「ちょっと…!」

 

 無重力という自由を手に入れた体。

 

「ちょっと待て…!」

 

 どんどん離れていく地上。

 

「ダメだ…!」

 

 どんどん遠ざかっていく巨大過ぎる白い生物の背中。

 

「ダメだダメだダメだダメだ!」

 

 どんどん見えなくなる、未来と希望の槍を刺すべき巨人の姿。

 

 

 

 体に残った力を総動員した。

 

 腕で、足で、宙を掻く。

 

 自分が居るべき場所へ。最後の責務を果たすべき場所へ。彼が愛する人たちの未来を紡いでくれる唯一の場所へ。

 

 戻ろうと、異常な重力場の中を懸命に泳ぐ。もがく。

 

 しかし彼の体は彼が戻るべき場所ではなく、正反対の、赤銅色の空にぽっかりと開いた巨大な穴へとぐんぐん高度を上げていく。

 

 

 

「そんな…。ダメなんだ…。この槍を刺さないと…! みんなが…!」

 

 その上に立っていた時は全容などとても見えない程に巨大だったのに。

 

「ミサトが…!」

 

 今は広げた左の手の平の下に隠れてしまう程に遠く、小さくなってしまった白い生物。

 

「俺の…子が…」

 

 

 

 そしてその時は訪れた。

 

 

 

「く゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」

 

 加持の口から放たれた、獣のような叫び声。

 

 しかしその叫び声はすぐに止んだ。

 

 もはや、声を上げることすら許されなかった。

 

 

 宙を漂う彼の体。

 

 その四肢が、宙の上を暴れ回る。

 

 彼の体が、宙の上を転げ回る。

 

 まるで全身を炎に包まれたように、宙の上をのたうち回る。

 

 

 

 激痛に支配される肉体。

 

 「変容」に耐え切れず、断末魔を上げる肉体。

 

 まるで全身の神経を末端から少しずつ、1センチメートルずつ切り刻まれたような感覚。

 

 爪を一枚一枚剥ぎ取られ、角膜や網膜を一枚一枚剥ぎ取られ、全身の皮を丁寧に剥ぎ取られ。

 

 全ての臓器を引きずり出され、筋肉を削ぎ落され、骨を一本一本抜きとられ、脳味噌を攪拌機で掻き混ぜられ。

 

 

 未知の感覚に支配されていく頭の中で、彼が思い浮かべることができた音はたったの4つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちくしょう!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宙の上を暴れ回りながら。

 

 

 

 

  ちくしょう! ちくしょう! ちくしょう! ちくしょう! ちくしょう! ちくしょう!

 

 

 

 

   宙の上を転がりまわりながら。

 

 

 

 

  ちくしょう! ちくしょう! ちくしょう! ちくしょう! ちくしょう! ちくしょう!

 

 

 

 

      宙の上をのたうち回りながら。

 

 

 

 

  ちくしょう! ちくしょう! ちくしょう! ちくしょう! ちくしょう! ちくしょう!

 

 

 

 

          やがて彼の体は力尽き。

 

 

 

 

 

  ちくしょう… ちくしょう… ちくしょう… ちくしょう…

 

 

 

 

この世の不条理全てに抗うように暴れていた四肢も、少しずつ大人しくなり。

 

 

 

 

 

  ちく…しょう… ちく…しょう… ちく…しょう… ちく…しょう… 

 

 

 

 

 

 全身を弛緩させながら、何度か大きく全身を痙攣させ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ち・・・く・・・しょ・・・う・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして彼の体は動かなくなった。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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