それを世界の終わりと呼ぶのならば、灰色の大地と赤銅色の空に挟まれたこの世界ほど相応しい風景はなかった。もっとも「世界の終わり」が進行しているこの場所は人の手、人の目が届かない地下深くにあり、世界の終幕を見届ける者はここには存在しない。
灰色の大地と赤銅色の空と。
その狭間に漂う体。
オレンジ色の分厚い防護服を身に纏った体。
赤銅色の空と、灰色の大地とに交互に体を向け、ゆっくりと回転しながら漂う体。
他の大小さまざまな瓦礫と共に、大きな大きな螺旋を描きながら、赤銅色の空にぽっかりと開いた、まるで怪物の口のような大きな黒い穴へと吸い込まれていく体。
「世界の終わり」を見届けるはずだった。
あるいは「世界の終わり」を阻止するはずだった者の体。
地上にある全てのものをその口の中に収めんとする、空にぽっかりと開いた大きな穴。
その穴に吸い上げられるあらゆる物体はみな吸い込まれていく速さは違えど、時計周りに大きな螺旋を描きながら穴へと近づいていくという法則は変わらない。
大きな穴がもたらす法則が支配しているこの場所で、しかしその法則に明らかに反した動きをしている物体が一つ。
その物体は、他の全てのものが時計回りに大きな螺旋を描く動きをする空間の中で、真っすぐに飛翔していた。
あるものを目指して。
その動きに明確な意志を宿して。
真っすぐに、「世界の終わり」の中を飛んでいく飛翔体。
奇蹟的にも、まだ意識を保っていた。
視力も殆ど失われてしまったが、微かに防護服のガラス越しに見える景色が見えた。
灰色の大地と赤銅色の空とを交互に映し出すガラス越しの視界。
大小様々な浮遊物。
その浮遊物の隙間。大地と空との間に浮かぶ何か。
その何かが音もなく、ゆっくりと近づいてくる。
近づいてくるにつれ、殆ど潰れてしまった目にも、その輪郭がはっきりと見えるようになってきた。
それは人の形をしている。
人の形をしていると分かった瞬間思った。
あ、これ、天使かな? と。
ついにお迎えが来てしまったのかな? と。
ちょっと待ってくれ。
もう少し待ってくれないか。
お迎えにはまだ早い。
俺にはまだ…。
人の形をした何かは、さらにこちらに近づいてくる。
形だけでなく、色も判断できるようになった。
人の形をした何かは、紫色をしている。
紫色の装甲を纏っている。
それにしても人にしては随分デカい。
そしてその額には、まるで一角獣のような一本の角が生えている。
それはかつて、世界を滅びから救い続けた人類の守護者。
それはかつて、世界を滅ぼし掛けた悪魔の遣い。
彼は笑った。
「やあ…、シンジくん…」
人の形をしたそれは、ゆっくりと両腕をこちらに向けて伸ばしてきた。
広がる大きな手。
その手が、ゆっくりと彼の体を包み込んでいく。
* * * * *
少年はがらんどうの大きな空間の中にぽつんと立っていた。
少し前までは、ここにはもう一人男性が居て。彼は大きな使命を胸にこの場所を去っていき。
そしてほんの少し前までは、ここにはもう一人。いや、もう一体、大きな巨人が居たはずなのに。
少年は、彼以外誰も何もない檻の中にぽつんと一人残っていた。
少年は、巨人が強引に開けた檻の巨大な穴を呆れ気味に見つめている。
「「彼女」はやる事がいちいち乱暴だね…」
檻の穴の向こうでは、さらに分厚いコンクリートや岩盤を貫いた巨大な横穴が続いている。
「シンジ君のお父さんが「彼女」を初号機の中に残したのはこの時のためだったのか…。あるいは槍そのものが目的だったのか…」
少年は答えてくれる者など誰も居ない空間の中で、一人の男以外は誰も答えることができない問いを呟いた。
* * * * *
紫色の巨人は、灰色の大地にゆっくりと、音もなく降り立つ。
片膝を地面に付き、両手を重ねて包んでいたものを、そっと地面の上に置く。
巨人の手が地面から離れると、そこに現れたのはオレンジ色の防護服に身を包んだ人間、だったもの。
巨人の黄金色に光る眼が、地面に仰向けで横たわる、かつて人間だったものが被る防護服のヘルメットの中身を覗き込む。
ヘルメットの中身のかつて人間だった彼は、鬼のような厳つい形相の巨人の顔を見て、柔らかく笑った。
彼はぶよぶよに膨れ歪んでしまった口を開く。
「もしかして…、スイカ畑での約束を…、果たしに来てくれた…、のかい…?」
―――俺は君を初号機ごと破壊しようとしたのに…。
巨人はかつて人間だったものの呟きと、懺悔の光を宿した濁った眼を無視し、ゆっくりとその巨大な手を、地面に横たわっているかつて人間だったものの右手へと伸ばす。
その右手に握られているのは、小さな槍。
巨人の巨大な手の巨大な親指と巨大な人差し指が、小さな槍を起用に挟む。
そしてそのまま小さな槍を、摘まみ上げる。
摘まみ上げると、小さな槍を握り締めているかつて人間だったものの右腕も引っ張り上げられる。
どうやら巨人の目的は、小さな槍だけらしい。
小さな槍を握り締めるている彼につていは、お呼びではないらしい。
小さな槍を摘まみ上げたまま、ぶらんぶらんと左右に小さく振ってみる。
その揺れに合わせて、小さな槍に付いてきた腕もぶらんぶらんと左右に揺れる。
巨人は再度、今度は少し強めに摘まみ上げた小さな槍をぶらんぶらんと左右に振ってみる。
すると槍に合わせて左右に大きく揺れた腕の肘から、ゴキっと嫌な音が鳴ったが、その手は小さな槍を握り締めたまま離すことはない。
仕方なく、巨人はさらに摘まんだ小さな槍をさらに高く吊り上げてみる。
すると小さな槍を握り締めた手の持ち主の背中が地面から離れ、お尻が地面から離れ、足も地面から離れ、つには体全体が宙に浮いてしまった。
巨人が摘まみ上げた小さな槍にぶら下がるかつて人間だったもの。
巨人は、まるでゴミでも振り落とすかのような動作で、手首にスナップをきかせながら小さな槍を大きく左右に振る。
小さな槍にぶら下がる彼の体が、まるで子供に玩ばれる人形のように、ぶらんぶらんと左右に揺れた。
それでも、その手が小さな槍を手放すことはなかった。
巨人は、困ってしまったように、小さな槍にぶら下がるかつて人間だったものの顔に自身の顔を近づけ、ヘルメットの中身を覗き込む。
「くっ…、くっくっく…」
その様子が、「どうしよう」と途方に暮れてしまっている子供のように彼には見えた。その厳つい巨体と子供のような仕草のギャップが可笑しくて、彼は思わず声に出して笑ってしまう。
小さな槍に未練がましく、執拗なまでにぶら下がっているかつて人間だったものの肩が、急にびくびくと震え始めた。驚いてしまったのか、巨人は咄嗟に顔を遠ざける。
その様子がさらに可笑しくて、彼はさらに肩を揺らせて笑いながら言う。
「…君…、シンジくんじゃないな…」
巨人は、その巨大な首をくてんと傾げさせた。
諦めた様子の巨人は、ゆっくりと小さな槍とそれにぶら下がっていたものを地面へと置いた。
地面に寝かされた彼は、巨人の顔を見上げながら言う。
「悪いが…、この槍だけは…、誰にも譲れないよ…」
防護服の外まで届いているかどうかも分からない小さな彼の声。巨人は肩を竦ませている、ように彼には見えた。
彼はすっかり変容してしまい、そして今も変容しつつある首を懸命に動かして、巨人の視線をある方向へと誘導させる。
「俺を…、あの場所へ連れてってくれないか…」
彼の潰れかけた目から放たれる途切れ途切れの視線が指す先。
巨大過ぎる白い生物の背中に埋まる、灰色に染まった巨人。
彼は、視線を紫色の巨人の顔へと戻す。
「頼む…!」
すっかり潰れ、膨らんでしまった口の隙間から、絞り出すように言った。
空にぽっかりと開いた巨大な穴が作り出す、異常な重力場。地上から吸い上げたあらゆるもので、宙に大きな螺旋を描く異常な重力場。
本来飛行する能力を持たない紫色の巨人は、その異常な重力場を器用に利用し、まるで鳥のように宙を舞って一直線に青色の巨人へと向かった。
頭部を失った巨大過ぎる白い生命体の首の前を飛び越えると、そこには巨大過ぎる白い生命体の背中にニョキっと生えた灰色に染まった巨人。
紫色の巨人は灰色の巨人の前に。巨大過ぎる白い生命体の頸部に、ゆっくりと降り立つ。
紫色の巨人は灰色の巨人の胸に手を伸ばした。装甲のつなぎ目に指を差し込み、強引に装甲を引き剝がす。装甲を失った胸部から、その巨人の心臓部である巨大な球体が露わになった。
巨大過ぎる白い生命体の背中に生えた、灰色の巨人。その灰色の巨人の胸に埋め込まれた、赤い球体。その赤い球体にもまた、まるでキノコのようにニョキっと生えた何かがある。
球体から生えたもの。
それもやはり、人の形をしていた。
か細い人の形をしていた。
少女の形をしていた。
少女の上半身が、球体から生えていた。
大地や巨人と同じように全身を灰色に染め上げられた少女。
枝のような細い両腕を胸の前で交差させ、前屈みになっている少女。
無造作に襟元で切り揃えれた髪。
前髪の隙間から覗く目は、閉じられている。
しかし少女を隠していた装甲が剥ぎ取られたためか、外気と光を感じた少女はゆっくりと閉じていた瞼を開け、顎を上げ、自分を見下ろす紫色の巨人を見上げた。
少女の顔が上がった瞬間、少女の目尻から一粒の涙が零れ、灰色に染まった頬に一筋の雫の跡を描き出す。
繊細な睫毛に縁どられた目。
真紅に染まった瞳。
まるでルビーのような瞳で紫色の巨人の顔を見上げた少女は、微かに笑った。
微かな笑みをこの終わりかけの世界に残し、そしてまた目を閉じて顔を俯かせる。
顔を伏せたまま、少女は動かなくなる。
紫色の巨人は、球体に向けて左手を伸ばす。
左手で、動かなくなった灰色の少女の体を、そっと握った。
握った少女の体を、手前に向けて少し傾けさせる。続けて、今度は逆の方向へと傾けさせる。
それを何度か繰り返し、最後に少女の体を上に向けて引っ張る。
大地に深く根を張った雑草を抜き取る要領で、少女の体を球体から毟り取った。
下半身のない少女の体を、顔の近くまで寄せる。
紫色の巨人の黄金色の目が、少女の顔を見つめた。
少女は口許に微かな笑みを浮かべたまま、動かない。
巨人の口が、大きく開く。
巨人の左手が。少女を握った巨人の左手が、巨人の口の中へと吸い込まれていく。
巨人の口が、巨人の左手を咥えるように閉じられた。
巨人の喉仏が、上下に大きく動く。
再び巨人の口が開き、巨人の左手が口の中から出てきた時。
巨人の左手は、空っぽになっていた。
灰色の少女を呑み込んだ紫色の巨人は、今度は握っていた右手を開く。右手の上には、オレンジ色の防護服にその醜い体を包み込んだ、かつで人間だったもの。
そのかつて人間だったものを、赤く光る球体の上。灰色の少女が生えていた部分にそっと乗せてやる。
彼は、球体の上に仰向けになって寝かされた。
もはや首も動かせなくなったため、灰色に変色した眼球を懸命に動かし、殆ど潰れてしまった瞼の隙間から自分をここまで運んできてくれた紫色の巨人の顔を見上げた。
「ありがとう…、初号機…」
唇も、歯も、舌も、全てが融合し、分裂してしまった口で呟く。
「これで…、俺は…、大切な人たちの未来を…、少しだけ守ることができる…」
すっかり変容してしまった彼の顔。もはや目が、鼻が、口が、耳が、眉が。顔のあらゆる部位が、何処にあるのかも分からなくなってしまった顔。
そんな顔になってしまっても、彼は笑った。
終末を迎える世界の片隅で。
こんな姿になってしまった自分を唯一見守る、厳つい鬼のような顔をした巨人を見上げながら。
彼は笑った。
満足そうに、笑っていた。
瞼を閉じ、瞼の裏に彼にとっての大切な人々の顔を思い浮かべる。
再び瞼を開け、一度閉じてしまったので更に潰れてしまった瞼を薄く開け、巨人の顔を見る。
「初号機の中の君…」
厳つい風貌に、周囲を威圧する巨体を誇る紫色の巨人。
「何故君が…、その中に留まり続けているのかは知らないが…」
その見た目とは真逆のような、子供のような仕草や立ち振る舞いを見せる巨人。
「後悔の…、ない…、ように…な…」
そんな巨人を、この期に及んで心配してやる彼。
「君には…、君にしかできない…、君にならできること…が、ある…はずだ…」
最後にもう一度だけ笑い掛ける。彼にとっての大切な人たちではなく、紫色の巨人の中に居る誰かに向かって。
視線を空へと向けた。
「俺は…、俺がすべきことを…する…」
右手に握りしめていた小さな槍を、逆手に持ち替える。
「じゃあな、みんな。今度こそサヨナラだ…」
小さな槍を握り締めた右拳を、天に向けて突き上げる。
拳を突きあげた先には、赤銅色の空の真ん中にぽっかりと開いた、怪物の口のような穴。
突き上げられたその拳は、世界を丸呑みにしようとする怪物の口に対する、勝利宣言であったのかもしれない。
「愛してるぜ…! ミサト…!」
右拳が、彼が背にする球体に向けて、振り下ろされた。
小さな火花が舞い。
暗闇の中の一角がポンと長方形に切り取られ、その中にノイズ混じりの映像が映し出された。
映像には巨人の胸。
装甲の一部が剥ぎ取られた胸。
巨人の胸に埋め込まれた、巨大な球体。
その巨大な球体の上に置かれたもの。
オレンジ色の防護服を纏ったもの。
ぐったりとした四肢を球体の上に伸ばし、仰向けに倒れているもの。
その右腕が、空に向かって突き上げられる。
そして赤い棒状のものを握った右拳が、球体に目掛けて一気に振り下ろされる。
舞い散る小さな火花。
直後、映像は眩い光に包まれた。
[10秒前へ]
画面一杯を支配していた光が消え、再び現れるオレンジ色の防護服。
防護服のガラス張りのヘルメットに向けて、映像が拡大される。
動き出す映像。
映像の隅っこで右腕が振り翳され、その右腕が下に向かって振り下ろされる。
強烈な光に包まれる映像。
[再生停止]
[5秒前へ]
光が消え、防護服のヘルメットが現れる。
[音声解析ソフト起動]
[ガラス ノ 振動 ヲ 分析]
[再生開始]
動き出す映像。
酷いノイズに混じって、微かに聴こえる男性の声。
愛してるぜ…!
ミサト…!
強烈な光に包まれる映像。
[再生停止]
[3秒前ヘ]
光が消え、現れる防護服のヘルメット。
動き出す映像。
愛してるぜ…!
ミサト…!
[1.5秒間へ]
[再生開始]
愛してるぜ…
[1秒間へ]
[再生開始]
愛し…
[0.5秒間へ]
[再生開始]
あい…
[0.3秒間へ]
[再生開始]
あい…
[0.3秒間へ]
[再生開始]
あい…
あい…
あい…
あい…
あい…
あい…
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あい…
あい…
あい…
あい…
あい…
あい…
あい…あい…
あい…あい…あい…
あい…あい…あい…あい…
あい…あい…あい…あい…あい…
あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あい…あいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAIAI
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