ハリー・ポッターと竜魂の学徒 作:ホグワーツの点字聖書
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不気味な品々が並ぶ光景から考えるに、どうやらダイアゴン横丁には行けなかったようだ。ハリーは小さく咳き込みながら状況を確認した。
開きかけの扉から外を覗く。歪んだ鏡がハリーの隠れるキャビネットを映しているが、じっと見続けていると鏡面がうねりはじめた。まるで吸い込まれるような……。危険な気がして、ハリーは慌てて目をそらした。
どこかの民家という雰囲気ではない。血に染まったトランプが勝手にシャッフルされているし、壁では邪悪な表情の仮面があらゆる憎しみを詰め込んだような空気を醸し出している。カウンターに置かれている頭蓋骨は間違いなく人間のものだ。
それでも少しだけ気が楽になったのは、そこが危険な魔術師の実験室ではなく、何か商売のための店舗だとわかったからだ。
ガラスケースに収められた商品はひとつひとつ説明のタグが結わえられているし、中には価格が記されているものもある。どんな魔術師がこれを買うのかはわからないが、少なくともハリーがすぐにミンチにされて大鍋に放り込まれることはなさそうだ。
とはいえ、見つからないに越したことはない。この怪しい空間から脱出しようとした時、奥から――つまり、おそらく出口であろう側から聞き覚えのある声がした。
「――ドラコ、一切触るんじゃないぞ」
「父上はここに来るたびにお小言ばっかりだ。僕だって危ないものと危なくないものの区別くらいつく」
「本当にそうなら、ドラゴンの卵などという厄介事に意味もなく首を突っ込まないでほしいものだが?」
どうやらドラコの父親らしい男がドラコを叱っている。プラチナブロンド、健康時でも血色が悪い顔、上品だが人を小馬鹿にしたような表情。あれで親族でないならむしろ奇跡だろう。
キャビネット棚に息を潜ませて、ハリーはこみ上げる笑いをこらえた。あのドラコが説教されて頬を膨らませている光景をロンやハーマイオニーと共有したくて仕方がない。
ドラコの父親はこの店に何かを売りに来たらしく、店主と思われるボージン氏に羊皮紙を渡していた。
「確かに受け取りました。なかなか長いリストですな」
「当家に集まった家格相応のささやかなコレクションを後世まで保存すること、これはまさに魔法界の貴族たるマルフォイ家の義務と言える。それゆえに手放すのは心苦しい。わかるだろう、ボージンくん?」
「ええ旦那、もちろんですとも」
売却品のリストのようだ。きっとあのリストには闇の魔術に関わる品がずらりと並んでいるのだろう。
「父上、僕あれがほしい!」
ドラコが指差したのは棚の上に置かれた萎びた手だった。蝋燭に見えなくもない汚れた塊を握りしめている。あまり上品な置き物とは言えないだろう。ダーズリー家に置いたら間違いなくペチュニアが激怒する。
ハリーと同じことを思ったのか、父親が眉間に皺を寄せた。
そのときだった。ハリーが少しも予想していなかった声が埃っぽい店内に静かに響いた。
「――『栄光の手』。死刑囚の腕を用いた死蝋を材料としており、罪に応じた加護をもたらす護符。この腕は20世紀初頭の盗賊から切り取られたため、盗みに入る者を助ける力があり、確認されている範囲では持ち主にしか見えない灯りが主な機能だ」
カウンターの奥、安楽椅子で本を抱える人形のような少女。黒い包帯で目隠しをした彼女にはハリーも昨年度随分と助けられたというのに、声がするまで全く気づかなかった。
プロメテア・バーク、スリザリンの2年生だ。
ようやくハリーの中で情報が結びついていく。ここはボージン・アンド・バークス、ノクターン横丁にある魔法骨董店。つまり、プロメテアの実家。
プロメテアはドラコをからかうようにくすくすと笑った。
「火遊びに憧れる年だ、買ってやってはいかがです」
「丁寧な説明をどうも、ミス・バーク。これを聞いてもなおほしがるのなら、息子の教育を間違えたのかもしれんな」
ドラコは気まずそうに父親から顔を背けて、それからいくつか商品の説明をせびった。ワイヤーの代わりに絞首台の縄が使われたネックレス、投げ砕くことで周囲の敵を誘い寄せる頭蓋骨、強く願うことで助言を見せてくれる燭台の短剣……。
そのどれもがマルフォイ家の後継にはふさわしくないと一蹴して、ドラコの父親はボージン氏に何かメモを渡した。
「ボージン、君の伝手で用立ててもらいたい品があってね。詳細はそのメモに書いてあるとおりだ」
「なるほど、なるほど……あまり見かける類ではありませんな。ご確約はいたしかねますが、それでも?」
「ああ、結構だ。では、明日に私の屋敷で。ミス・バーク、再来週のガーデン・パーティーに席を用意してある。身内だけの集まりだ、たまには顔を出してくれたまえ」
「身内だけなら」
ドラコの父親は小さく頷いて、ドラコを連れて店を出ていった。
不思議な気分だ。プロメテアがスリザリン生で、しかもドラコと仲良くしていることは知っていたのに、こうして直接目にすると違和感が拭えない。
「さて、仕事だなメティ。長いリストだが、鑑定は任せていいだろ?」
「大した量ではない。あの屋敷に隠されている品の3割にも満たないさ」
「へっ、違いねえ。メモのほうはパッチの野郎にでも任せるかね」
「それがいい。それから――」
プロメテアが杖を抜き、ハリーの隠れているキャビネットへと向けた。
***
「いやあ、まさかメティが最初に連れてくる学校の友達がハリー・ポッターとはなあ」
爆笑している保護者を放置して、プロメテアは清潔な布を取り出した。キャビネット棚から転げ出てきたハリーがひどく煤臭かったのだ。煙突飛行に失敗したらしい。
「連れてきたというよりは不法侵入だがな」
「ごめんなさい、おじゃまします」
「おう、子どもにとっちゃ何もないとこだがゆっくりしてけよ。しかし、あのキャビネットは壊れてると思ってたが」
「煙突飛行ネットワークから弾かれて偶然繋がったんだろう。イギリス内だっただけ幸運というものだ」
魔法界の交通機関である煙突飛行ネットワークは暖炉を出入り口としているが、目的地の指定に失敗するとネットワーク内で弾かれて予想外のところに飛ばされることもある。
ハリーに確認すると、ウィーズリー家の暖炉からダイアゴン横丁に飛ぶはずだったとのことで、ノクターン横丁の安全な場所に落ちたのは本当に幸運だった。
「んじゃあ、誰か人をやって迎えに来させるかね。表に出れるやつを捕まえてくるから、若いもんでゆっくりしてな」
「若者がゆっくりする店でもないだろう」
ボージンは笑って帽子とステッキを手に店から出ていった。ダイアゴン横丁までウィーズリー家の人々に事情を伝えに行ける人間を探しに行くのだ。できれば逃亡犯でも脱走した病人でもない者を。
見慣れない商品に囲まれているからか、ハリーは落ち着かない様子だった。
「ここがバークさんの家なんだよね。なんというか、こう……」
「不気味か」
「そう。いや、そうじゃなくて」
「気にするな。ここの品は7割が闇の魔法に属している。残りの3割は私の見立てで仕入れた品だが、どうにも売れ行きが悪い。蒐集家という生き物は闇に惹かれる生態を有するらしいな」
プロメテアは興味津々の様子のハリーを少しだけ案内することにした。金があり、興味があるなら彼は客だ。
「さて……男ならきっと興味を持つのは武器だと思うが、このあたりはどうだ。『終わりなき苦悩の針』、相手の肉を削ぎ取る際に力を奪う。蛇の尾を持つ人造の怪物から作られた」
「武器っていうより拷問の道具じゃないの……?」
「ふむ。ではこちら。『モーリオンブレード』、嵐の内に舞うエイの骨髄から作られた黒水晶の剣だ。主が危機に陥るとそれに喜び、より多くの力を貸し与えてくれる」
「まず危機に陥りたくないよ。……これは?」
ハリーが逃げるようにして手にとったのは一振りの古ぼけた木剣だ。小さなハリーであれば両手で持てばぎりぎり扱えるという程度の長さで、見る者が見ればわかる装飾の跡はこの剣が価値のあるものだったということを示している。そして、骨董品とは価値があったという事実にも価値を帯びさせるのだ。
そして、この木剣は事実とても価値のある商品として展示されている。
「ゴドリック・グリフィンドールの剣だ」
「ゴドリック……?」
「おい、冗談だろう? 去年あれだけ歴史を調べておいてホグワーツの創設者も知らないのか?」
「あはは……その、ほら、ニコラス・フラメルに集中してたから」
呆れて物も言えないが、それでも商品説明をするのが店番の仕事だ。
「ホグワーツは4人の魔術師によって創設された。ゴドリック・グリフィンドール、サラザール・スリザリン、ロウェナ・レイブンクロー、ヘルガ・ハッフルパフ。各寮は言ってみれば教官の名前がついたゼミのようなものだな。そしてその一人、ゴドリック・グリフィンドールは卓越した剣士でもあった」
「そうなんだ……じゃあ、この木の剣で戦ったの?」
「お前なら木の剣で鉄の剣と決闘するか?」
「しない。あれ、じゃあこれは?」
「儀礼用だ」
魔法的な意味を持つかどうかとは関係なく、ホグワーツの創設者という立場はゴドリック・グリフィンドールに多くの儀式への参加を義務付けた。
そのひとつとして挙げられるのが裁判だ。ヴェニスでは
そして、ゴドリック・グリフィンドールはその担い手として、法の象徴たるこの木剣を振るったのだ。
「まあ、眉唾だがな」
「眉唾なの?」
「よくできたレプリカの可能性だってあるし、そもそも逸話自体本当かどうか――」
説明はガラス窓を叩く騒音にかき消された。
ハリーの名前を呼ぶ声からは「ハリーが心配です」というメッセージがはっきり伝わってきた。
「ハグリッド!」
どうやら迎えが来たようだ。
プロメテアはハリーを送り出そうとして、ふと気まぐれに商品のひとつを掴み取った。
「持っていけ」
「え、でもこれ、売り物じゃ」
「お土産だ。お前は何かとトラブルに巻き込まれる体質のようだからな」
少し不服そうにしながら、それでもハリーは感謝の言葉を述べて指輪を受け取った。
***
イチゴとピーナッツバターのアイスクリームを舐めながら、ハリー、ロン、そしてハーマイオニーの三人はプロメテアの話をしていた。
「すっげえ……闇の魔法の道具でいっぱいの店かあ……」
「ちょっとロン、アイス垂れてるわよ。……でも、それって危ないお店じゃないの?」
「うーん、どうなんだろ。バークさんが仕入れた闇じゃない商品は売れ行きが悪いんだって」
「そりゃそうさ、わざわざノクターン横丁まで行ってただのお守りや悪戯道具なんかを買うやつなんかいないよ」
あの薄暗い雰囲気を考えれば、ロンの言葉も説得力があるというものだ。
怖いもの見たさとでも言おうか、ハリーが店で見た怪しげな商品の話をすると二人はしかめっ面をしたり小さく悲鳴をあげたりしながら続きをねだった。
「また行ったほうがいいのかな。お土産ももらっちゃったし」
「お土産?」
「うん、指輪。ほら、これ」
ハリーがポケットから指輪を出して見せると、ロンとハーマイオニーは興味津々の様子でハリーの手を覗き込んだ。
「うへえ、なんか気味の悪いデザイン」
「レリーフも丁寧だし、一点物みたいね。これ、高級品じゃないのかしら」
「えっ……返してこようかな」
「もらっとけよ、くれるんだから」
四角い台座に嵌められた石は光を受けるたびに青から赤へと移り変わって、その奥にうっすらと髑髏のような模様が見える。
なんの意味がある指輪なのか聞きそびれてしまった。それに昨年度のお礼や今年も地下牢に遊びに行っていいのかなど、話したいことがたくさんあったはずなのに。
新学期が始まったら会いに行かねば。そう決めて、ハリーはアイスのコーンを食べきった。
《人咬みの指輪》
外法の信徒に伝わる「咬み指輪」のひとつ
出血、毒、冷気、呪死の耐性を高める
柔らかな石に不吉を感じるものか
その製法は禁忌であるという
聖職者だけが、それを弄ぶのだろう