ハリー・ポッターと竜魂の学徒 作:ホグワーツの点字聖書
どうやらルシウス・マルフォイにまんまと騙されたらしい。プロメテアはきつく締め付けるあまり拘束具と化しつつあるコルセットの魔法に少しだけ細工をして、情けなさに小さく息を吐いた。庭の隅の目立たないベンチを占領できたのは不幸中の幸いだろうか。
身内だけのパーティーと聞かされていた。普通、そういう言い回しをするときは家族や親しい友人が料理を持ち寄るようなパーティーを開くものだ。少なくともプロメテアはそう思っているし、それなら参加していいと頷いたはずだ。
ところがどうだろう。マルフォイ家の数ある別邸で最も優れたウェールズの別荘、その地が誇る見事な庭園、いや、領地は宴もたけなわ。交わされる盃はそのほとんどが政治的意味を帯びている。魔法省高官、予言者新聞の編集長、元ホグワーツ教授……地位と名声と財産を兼ね備えた人々が豊かに実った腹を揺らして笑う庭は、プロメテアにとってどうにも居心地が悪いものだった。
「バーク様、お飲み物をご用意いたしましてございました!」
「ああ、ありがとう」
屋敷しもべ妖精から受け取ったシャンパンで口を潤す。
それに、盲人には少々賑やかすぎる。
「――貴公を探していた、メティ」
「ミリィか」
名家の令嬢とは思えないがさつな態度、それでいて背筋の伸びる気品。プロメテアの隣に座ってワインを呷るミリセント・ブルストロードはこの休暇で男らしいふるまいに磨きがかかったようだった。
昨年度、ホグワーツの寝室を共有するようになって以来の仲だ。同室であるパンジー・パーキンソン、ダフネ・グリーングラスと4人で過ごす時間はプロメテアにとっても素敵な思い出になったし、新学期を待望する理由のひとつでもある。
「実はある御方から貴公を誘拐するよう頼まれている」
言葉の内容とは裏腹に、その声色は悪戯げな浮かれ方をしている。
ミリセントに悪戯の誘いをかけるような者、それもパーティーを退屈に思うような不良娘にプロメテアは一人心当たりがあった。
「ほう。それは大変だ。その御方というのはホストの挨拶が終わるやいなや姿を消した某家のやんちゃなご令嬢だろう」
「具体的には言えんが、
どうやらやんちゃなお嬢様がパーティーを抜け出す誘いをかけてきたようだ。
ミリセントにしては珍しく気の利いた言い回しは、まず間違いなく彼女の「雇用主」に仕込まれたものだ。パーティー会場ではひとつも見かけなかった香ばしい焼き菓子の匂いがそれを物語っている。こういう気取ったことをする輩の予想はついているし、断る理由もない。
プロメテアが承諾すると、ミリセントはプロメテアを勢いよく抱き上げた。周囲の賓客たちが何事かと声を上げているのを意にも介さず、ミリセントはどこかへと駆けていく。
「お前は誘拐犯には向かないな。注目されすぎだ」
「姿を隠して忍び寄るのは貴公の十八番だろう、今度指南してくれ」
よく見ているものだ。
確かにプロメテアは隠密の術に長けている。それはかつて刺客として身につけたものだ。透明化の魔法、音を消し着地を容易にする魔法、必要とあれば毒すら使った。
そのプロメテアから見て、ミリセントの鍛え方は悪くない。恵まれた体格と野心的な勤勉さは着実に彼女を優れた戦士にしている。まだ無目的ゆえに「なんのための力を求めるのか」が定まっていないが、それさえわかれば化ける類だ。
魔法学校に入った以上、魔術師として熟達することを目指すのが常識というものなのだろう。しかし、学びは自由であるべきだ。向き不向きというものもある。
悪意なく、ただ飢えから強さを求めるミリセントは好ましい友だ。それゆえに、自分の汚れた技を学ばせるのは気が進まない。
「透明マントがご入用ならボージン・アンド・バークスでお求めを。友達価格で安くしておいてやろう」
「つれないな、貴公は。少し揺れるぞ、口を閉じておけ」
乗り物としては到底快適とは言えなかったが、少なくとも速度は出ているようで、プロメテアの頬をウェールズの夏の夜に満ちる涼しさが撫でていく。
魔法で飾り立てられた会場はさぞかし美しいのだろうが、プロメテアの目には映らない。退屈で息の詰まるパーティーの中で、この脱走は今日初めての心が躍る瞬間だった。
次第に喧騒が遠のき、紅茶と焼き菓子の甘い空気にたどり着くと、ミリセントはプロメテアをそっと下ろして椅子に座らせた。
「――ご苦労さま、ミリィ。そして、こんばんは、メティ」
「豪快な招待をどうも、ダフネ」
くすくすと笑いながら、ダフネはプロメテアの前に紅茶のカップを置いた。
実家に帰省中、一番手紙を送ってきたのはダフネだった。家人の目があるところでは自分で紅茶を淹れると窘められるだの、妹の質問攻勢に押し負けつつあるだの、愚痴とわがままを詰め込んだような便箋の束を収納するためにプロメテアは手紙用の箱を新しく買わねばならなかった。盗み見されてはならない類の私信だ。
ともあれ、休暇を挟んでも紅茶を淹れる腕は落ちていないようで、プロメテアはようやく温かい紅茶で安らぐことができた。
「メティ、少しお痩せになりましたわね。ちゃんとお食事はとってらっしゃるの? 新学期が始まって体力が落ちていると苦労しますわよ?」
「おいおい、お説教で始まるお茶会もないだろう」
「あっ……ごめんなさい、ここしばらく妹と一緒に過ごしていたものですから、癖が」
「随分と世話を焼いているらしいな」
「メティのおかげでお世話には慣れましたから、それほど苦労はしませんわ。でも、聞いてくださる?」
愚痴が随分と溜まっていたらしい。
知らない場所で自分の可愛い悪行を暴露されるダフネの妹に内心少しだけ同情しながら、プロメテアは適度に相槌を打ちつつ焼き菓子を口に運んだ。アーモンドがよくきいている。
聞く限り、ダフネの妹は姉に似てお転婆なようだ。入学したらパンジーがますます苦労することだろう。
「そういえば、パンジーはどうした?」
「そろそろいらっしゃるころですわ。少しお願いごとをしてあって」
「――少し、じゃないわよ!」
遅れての到着となったパンジーは肩で息をしていて、疲労と怒りの混ざった熱が足音にこもっていた。
「パーティーから脱走するからよろしく伝えておいて、なんてよくもまあ……よくもまあ!」
「お手数をおかけしましたわ、どうもありがとうパンジー。ルシウスおじさまは何かおっしゃっていた?」
「あれはお説教したいときの顔だったわ……アブラクサス様が笑ってお許しくださったからなんとかなったものの……まったく!」
乱暴に椅子を引いてどっかりと腰掛け、焼き菓子を鷲掴みにしてから、ようやくパンジーはプロメテアに声をかけた。
「あんたも災難ね、この馬鹿に巻き込まれて」
「まあ、たまにはこういうのもいいだろう。アブラクサスの翁も来ていたのか」
アブラクサス・マルフォイ。ルシウスの父親であり、マルフォイ家の先代当主だ。
現在は引退し、この別荘地に隠棲している。パーティーにもめったに顔を出さないため存在を知らない者も多いが、彼の影響力はルシウスを遥かに凌駕しているともいう。
プロメテアにとってはあまり関わりたくない相手だが、マルフォイ邸に残されたコレクションを見る限り、趣味が合うのも確かだった。
「ルシウスさんが引っ張り出したのよ。張り切ってるわよね、なんか。気味が悪いくらい」
「気味が悪い?」
プロメテアの問いかけに応えたのはダフネだった。
「野心を隠していませんの。成り上がろうとしているみたいに。でも、星が星空に手を伸ばすことはないでしょう?」
「なるほど。もう十分高みにいるマルフォイ家が目指すものが見えてこない、そういうことか」
「ええ。ルシウスおじさまには何かが見えている。私達には見えていない、ひょっとすると大人たちにも見えてらっしゃらないものが」
ぬるい風が吹いていった。
最悪なことに、プロメテアには心当たりがある。ヴォルデモート卿だ。あれを存命と形容していいのかはわからないが、ともかくまだ存在している。もし、ルシウスがヴォルデモート卿のために動いているとしたら?
微妙な沈黙を破ったのはミリセントのあくびだった。
「拙にはわからんが、あれだけの人数にうまい飯を振る舞える豪勢さは見事だな」
「羨ましかったらあんたも出世すんのよ、家の格を上げて子分からぶんどりなさい」
「そのためにはまず食わねばな。メティ、会場の飯を少し頂戴しにいかないか」
「付き合おう」
せっかくの友人たちとのお茶会だ、楽しい時間にしたい。それでもプロメテアの胸中にはほのかな心配が宿りはじめていた。
《妖精の紐飾り》
生きた妖精を連ねるようにして結わえた紐
飾り物としてしばしば宴会に用いられる
妖精は知性をほとんど持たず、力も弱く、うぬぼれゆえに命を落とすこともある
しかしその輝きは決して人の身で真似できるものではない
ただ輝きのみを理由に妖精を憧憬の的とする者もいるのだろう