ハリー・ポッターと竜魂の学徒 作:ホグワーツの点字聖書
ミセス・ノリスの石化と継承者からの警告がホグワーツに鋭い緊張をもたらした。つまり、ハリー・ポッターは今年も針のむしろに座らざるをえないということだ。
普段は社交界を気取った派閥争いのごっこ遊びに励むスリザリン寮内ですらも、事件とその周辺について情報のやり取りが盛んに行われている。プロメテアにとっては幸いなことに、学期末に話題をかっさらった「サロン」のことはすっかり忘れ去られていた。
「石化の呪い自体はそれほど珍しいものではない」
空き教室の真ん中で、最近ようやく躾が終わったチョークが椅子の上に置かれた小さな黒板に魔法史上の石化に関する事件とその顛末を列挙していく。
「邪視、最近の言い回しで表すならば邪眼だが、その多くは石化に関係していた。魔法生物も石化によって捕食を容易にする種が複数存在する。卑近な例を挙げるなら金縛りの呪い、あれも石化だ」
「金縛りの呪いがか?」
意外そうな声を上げたのは本日唯一の生徒であるミリセントだ。金縛りの呪いはスリザリン生なら身近と言って差し支えないほど見聞きしている。その身で味わったことのある者も少なくない。しかし、呪詛としての機序を把握しているのはごく一握りだ。
プロメテアは杖先で空中に呪文の綴りを刻んだ。
「もちろん、今回の一件はいたずらと一蹴するには過激だ。解呪の万能薬と謳われるマンドレイク回復薬を必要とするほどの呪いは極めて高度だからな」
「極めて高度……」
「少なくとも猫を狙って気軽にぶつける類のものではない。禁書に記される闇の魔術か、危険度の高い魔法生物か。……とはいえ、石化は仮死状態でしかない。治療さえできてしまえば、後遺症があるとしてもせいぜい肩こりくらいだろう」
とはいえ、今回の本題はそこではない。
「結局、その石化を避けるにはどうすればいい?」
「その石化が
ミリセントに頼まれて、プロメテアは石化を回避する策を考えることになった。
代々名門魔法族の従士としてその武勇を世に知らしめてきたブルストロード家の例に漏れず、ミリセントも当主から学友たちを守るよう命じられている。具体的に言えば、グリーングラス家の令嬢であるダフネのことを。
しかし、残念なことに、ミリセントはあまり勉学に熱心なタイプではない。そこでプロメテアに頼った。自分の苦手を他者で補う。彼女なりに機転を利かせたつもりなのだろう。
問題は対策を講じるための情報があまりに不足していることだ。
「石化なら何でも防げる魔法はないのか」
「その魔法をも超えて石化させる呪いが生まれるだけだ。呪いと護りはお互いを食いあって育つものだからな」
「面倒な……拙はマグルが羨ましくなってきたぞ。貴公は銃を見たことがあるか。あれはすごいぞ、凝った作りの割にやれることは爆発で礫を飛ばすだけだ。ゾンコの店で似たようなおもちゃが1シックルもせずに買えるだろう」
「その代わり、あれは訓練を受ければ誰でも扱える。あれらを侮るのは愚か者のやることだ」
「貴公の店には訓練を受けずとも扱える武具が山ほど眠っているだろうに」
確かに、ボージン・アンド・バークスに眠る骨董品の中には今も武器として使える品がある。ただし、店外への持ち出しには十や二十ではきかない数の書類を提出した上で少なくない額の献金を担当部署の役人に差し出す必要がある。そんな手間をかけてまで携帯したい性能で杖を超える万能道具は今のところひとつもない。
ただし、それは武具に限った話だ。
「まあ、今回に限っては便利なやつがある。ほら、受け取れ」
プロメテアがポケットから指輪を取り出して放ると、ミリセントは拍子抜けしたように間抜けな声を上げた。
投げ渡したのは咬み指輪と称される宝飾品の一種だ。かつてはカリムという国で僧たちの手によって密かに作られていた秘宝だったが、後に邪教の業とともにロンドールへと流れたと噂されていた。なぜ
この指輪には石化への耐性を高める効果があり、最も強力な石化の呪文でも一撃くらいであれば無効化できるだろう。そう説明すると、ミリセントは慌てたようにプロメテアの手を掴んだ。
「ちょ、ちょっと待て。その……そんな簡単に防げるのか?」
「どんなに強い火でも湿った薪を灯すのには苦労するだろう? あれと同じことだ。完全に防げるわけではないぞ」
「そういうものか……感謝する。それで、礼なんだが……貴公がほしがるものといえば本だ。だが、拙が目利きできるものではないから……」
「お前の蔵書に期待してはいないさ。それに、それほど高い品でもない」
頼ってくる若者を見ると親切心が増すのは精神の老いゆえだろうか。
プロメテアが対価を要求しないとわかると、ミリセントは慌てたようにプロメテアの手を掴んだ。休みの間にまた鍛え上げたのだろう、到底少女とは思えない硬さの手のひらだ。
「それでは拙の気が収まらん! 拙にも拙なりの仁義というものがある」
「なんとも騎士道精神に満ちた立派なふるまいだな。タダでいいと言われて財布を出すスリザリン生がいるか、まったく」
「あげた、もらったの仲は嫌なのだ!」
これまでで聞いたことがないほどミリセントが声を張り上げた。
「嫌なのだ。その……友として、拙は貴公と対等でありたいから」
この勇ましくも愛らしい大きな友人のために、プロメテアは何かしらの対価を要求する必要があるようだった。
***
トイレにまで聞こえるほどの大声を張り上げているのは一体どこの誰だろう。このあたりは空き教室しかないはずなのに。
ホグワーツというあまりに騒々しい空間で、ジニーの精神は疲弊しつつあった。
それほど人見知りをする性格ではないと自負していた。快活で溌剌とした兄たちに揉まれてきたのだから、寮生活くらいのことはできるはずだと、どこかで楽観視していた。
しかし、「英雄の親友の妹」という不明瞭なポジションはどうやら足枷にしかならないようだった。
「くそくらえよ」
くそくらえ。最近の父が時折こぼすようになった悪態だ。ジニーがどれだけ品のない言葉を使ったところで、叱ってくれるはずの母はここにはいない。
父の宿敵であるマルフォイ家がなにやらきな臭いと嗅ぎつけてからというもの、父はアーサーの名に恥じない勇敢さで仕事に勤しんでいる。母はそれを誇るべきことだと口にする。
本当に?
大人が何を考えて生きているのかはよくわからない。それでも、今の父がクィディッチやゴブストーンを楽しむような豊かで幸せな気持ちを持っていないのはジニーもなんとなくわかっていた。
夏休みにハリーが泊まりに来てくれたのはジニーにとって救いだったようにも思う。兄や両親からの伝え聞きではなく、直接自分の眼で見た彼は、とても普通ではにかみ気味の少年だった。
ハリー・ポッター。闇の帝王を倒し、魔法界を救った英雄。
本当に?
一人きりのときの彼が隠れ穴の窓辺で時折見せた、静かでどこか切ないような微笑がジニーの脳裏から消えない。
わからない。ジニーには彼を英雄として扱う人たちの気持ちがわからない。戦争とやらが終わったころにはまだジニーは赤ちゃんだったし、ハリーも同様にそうだったはずだ。
たとえば、ジニーは今日くしゃみを3回した。このくしゃみが回り回って世界征服を企む悪の魔王を消し飛ばしたとして、明日から英雄扱いされたらジニーは気が狂ってしまうかもしれない。ハリーを見ているとそう思う。
悩みの一部をこっそりと兄にこぼしたことがある。長兄であるビルはこう言っていた。11歳の肩で背負う重荷ではないね、と。
本当に。
おしゃべりの相手が不思議な日記帳くらいしかないと、考え事ばかりが堂々巡り。
そしてその日記帳すらも信用すべきではなかったと、ジニーは昨晩ようやく確信した。
今日、ジニーはここに日記帳を捨てに来たのだ。教科書に紛れ込んでいたトム・リドルの日記帳。てっきり忙しい父が自分の代わりの相談相手として用意してくれたものだと思っていた。
捨てなくては。そう思っているのに、手が日記帳を離してくれない。
間違いなく、これは危ない魔法の道具だ。専門家に頼ったほうがいい。でも、誰に? その答えが出ない。
先生に頼って家族に連絡が行けば、ただでさえ苦労している両親を苦しませることになる。
闇の魔法とその道具に関する専門家で、グリフィンドール生ともやり取りをしていて、相談すれば乗ってくれそうな人には心当たりがある。プロメテア・バークだ。そしてその名前は父から何度も聞かされている。悩みの種として。
結局、ジニーはここで日記帳を捨てるしかないのだ。
「……くそくらえ」
それでもジニーの手は日記帳を便器に投げ込めなかった。
当然だ。入学以来、ジニーが本当の意味で
ジニーの手が日記帳をローブのポケットに戻した。まるで後ろ暗いことのある人間のように少し背を丸めて、ジニーはトイレを後にした。
廊下で誰かとすれ違ったが、顔をあげることはしなかった。ローブの裾にスリザリンの緑と銀が揺らめくのが見えたからだ。
遠ざかっていく澄んだ鈴の音すら不快に思えるほど、今は嫌な気分でいっぱいだった。
《トム・リドルの日記帳》
ホグワーツの学徒、トム・リドルの日記帳
半世紀近く語られなかった、その名を名乗る存在が宿っている
ペンとインクで語りかければ、彼の言葉が返ってくるだろう
溺れる者にとってはまるで安寧に満ちた宝箱に思える
しかし、往々にして宝箱とは貪欲なものだ