ハリー・ポッターと竜魂の学徒 作:ホグワーツの点字聖書
ジャスティン・フィンチ-フレッチリーが石化して見つかって以来、ハリーは世界が灰色に見えるような思いで生きていた。ウィーズリー兄妹やハーマイオニーがいなければ、クリスマス休暇をダーズリー家で過ごすという選択肢が僅差で勝つ可能性すらあったかもしれない。
大広間に行くと、この陰鬱な気分を吹き飛ばすように最高のクリスマスディナーがハリーを出迎えてくれた。ホグワーツで食べるまで、ハリーはスモークサーモンがこんなに美味しいとは知りもしなかった。ダドリーが嫌いだからクリスマスディナーに魚が出ることはなかったのだ。
さらに嬉しいことに、どうやらドラコが父親に手紙でたんまりお叱りを食らったらしいことをハリーはディナーのテーブルで耳にした。
「次期当主として気品のある振る舞いを……って言ったって、あんな奴が主催した決闘クラブに気品もなにもないだろう? 最近の父上はどうかしてるよ、急にアブラクサスお祖父様に本邸を預けてあちこち飛び回ってるんだ」
一緒に耳をそばだてていたロンがニヤリと笑った。
「おい、どうやらマルフォイのやつは幸せなクリスマスってわけにはいかなかったみたいだぜ」
ハリーは曖昧に笑ってごまかした。ドラコが本当は家族とクリスマスを過ごしたくて、手紙を読んでとても残念がっていたとプロメテアに聞かされていたのだ。どんなに嫌な奴でも、クリスマスを寂しく過ごすのは少し可哀想に思えた。
しかも、この後で彼を騙して情報を引き出すのだ。相談しようにも肝心のプロメテアはホグワーツに残っていない。クリスマス商戦に乗っかってサンタクロースに魔法道具を売りつけるのだと言っていたが、あれはたぶん彼女なりの冗談だろう。
頼れる友達が一人欠けただけでもずいぶん心細さが増す。
クリスマスディナーをお腹いっぱいに食べたあと、ハーマイオニーに急き立てられてハリーとロンは大広間を後にした。
「これから変身する相手の一部分が必要なの。マルフォイに質問するならクラッブとゴイルが一番ね」
まるで近所のスーパーマーケットまでおつかいでも頼んでいるかのような気軽さだ。
ハリーとロンは計画の杜撰さに度肝を抜かれたが、ハーマイオニーは無視して話を続けた。
「当然、本人たちが乱入してきたら困るわね。だから、これ。簡単な眠り薬を仕込んでおいたの。クラッブとゴイルがこれを食べるように仕向けて、眠ったら髪の毛を何本かもらって、あとは物置にでも放り込んで終わり。簡単でしょ?」
「あー、うん、簡単だ。ママの目を盗んでドーナツをつまみ食いするくらいには簡単」
「じゃあ慣れてるでしょ、よろしく。……そんな不安そうな顔しなくても大丈夫よ。あいつらの意地汚さなら見つかるように置いておくだけで絶対に食べるから」
そんなわけがない。
目の前で眠りこける二頭のプチトロールを見るまではそう思っていた。
「ハリー……こいつらがホグワーツにいてくれて本当にありがたいよ。僕が学年最下位の成績になることは絶対にないもんな」
「うん。むしろどうやって進級したんだろう……」
「さあね、スネイプに金でも積んだんじゃないか? こいつらだって腐っても純血だし」
八つ当たりぎみに何十本かまとめて髪の毛を引き抜くロンの表情は哀愁に満ちていて、ハリーはそっとしておくことにした。
それから二人はマートルのトイレに戻って、ポリジュース薬を飲む準備に取りかかった。タールと泥の中間のような見た目の魔法薬はすでに異臭を放っていて、お世辞にも健康的とは言えない。
「ハーマイオニー、君は誰のを使うの? まさかクラッブかゴイルが二人いるわけにもいかないだろ?」
「私はもう取ってあるの。決闘クラブでブルストロードとつかみ合いになったときにね」
「ああ、君が関節きめられてたやつね。グリーングラスのやつ、やけにレフェリーが様になってて笑っちゃったよ」
ハーマイオニーは決闘クラブでミリセント・ブルストロードと組まされた。とても同世代の女の子とは思えない身長と鍛えられた肉体はグリフィンドール内でも話題になっていたが、まさか決闘クラブでハーマイオニー相手に格闘戦を挑んでくるとは誰も思わなかっただろう。
しかし、ハーマイオニーが手にしている試験管に入った毛は、ハリーの見立てではミリセントの淡い金髪よりはもっと
違和感を抱えたままポリジュース薬に毛を入れる。ゴイルの毛を入れた薬は鼻くそを思わせる薄汚れたカーキ色、クラッブのものはあまり視界に入れたくないタイプの濁った暗褐色に変わった。
そしてハーマイオニーの持つポリジュース薬は、不思議なことにほぼ透明の青白い液体になった。
「おえー……ハーマイオニー、交換しようよ」
「だめよロン、歩き方や仕草にも性別は出るんだから」
「ブルストロードが女らしいと思ったこと、僕は一度もないけどな。あいつと比べたらフレッドとジョージだって立派な淑女だぜ」
「いいから、ほら、飲んで」
「待って。……たぶん、それぞれ個室に入ったほうがいいんじゃないかな。変身する相手はみんな体格がいいし、それに着替えなきゃいけないから」
「よく気づいたな、さすがハリー」
ポリジュース薬を手に、それぞれトイレの個室に入った。ハリーの脳裏に一瞬「このままトイレに流したらだめかな」という悪い考えがよぎったが、それをこらえて鼻をつまみ、グラスに口をつけた。
喉が焼けるようだ。ダメになる直前のキャベツスープのような濁った青臭さで咳き込みそうになる。
胃を中心に広がった焼けるような感触が全身に広がり、そして包み込み、まるで火事に放り込まれた蝋人形のように全身が融けて変形していく。
二度と味わいたくない体験のあと、ハリーはハーマイオニーが調達してくれたスリザリンのローブに着替えて個室を出た。
「おったまげー……ハリー?」
「ロン?」
目の前でクラッブがロンの口調で喋っている。変な夢を見ている気分だ。
ハリーは眼鏡をローブのポケットにしまって、鏡で自分の姿を確認した。どこからどう見ても間抜けで図体のでかいゴイルそのものだ。とても視力がいいのが羨ましい。
眼鏡を通さずとも世界が鮮明に見える快適さに「待てよ、視力を回復する魔法薬はないのか?」と考えはじめたところで、ハリーはロンに肩を叩かれた。
「やめとけよハリー、ゴイルが考え事してるのって見てて気味が悪いぜ。それより、ハーマイオニーの様子を見にいかなきゃ」
ハーマイオニーが入っている個室をノックすると、ゆっくりと扉が開いた。中にいたのはハーマイオニーそのままのハーマイオニーだった。
薬を飲まずに捨てたと思ったのだろう、クラッブの姿をしたロンが不満げに唇を尖らせた。
「おい、そりゃないぜハーマイオニー!」
「違うの。飲もうとしたのに、魔法薬が消えちゃったのよ!」
「それって……調合にミスがあったとか?」
「わからないわ。もしくは、
薬の完成度と安全性に不安を抱えつつ、二人はハーマイオニーを残してスリザリンの談話室が存在するらしい地下牢へ向かった。
***
この老人と二人きりで会話するのはプロメテアも初めてだった。
「やあ、よく来てくれた。すまなんだな、せっかくのクリスマスに」
「いえ。御壮健そうで何よりです、ミスター・マルフォイ」
アブラクサス・マルフォイ。白い髭を蓄え、穏やかに微笑む姿を目にした人々は彼を「ダンブルドアより美しく、ダンブルドアより静か」と評する。
しかし、このマルフォイ荘園でロッキングチェアに身を預ける老人はただの隠居ではない。
「この歳になるとな、皆が儂の健康を喜んでくれる。たとえ憎んでおっても、弱りきって死んでいく様を見たくはないのじゃろう」
「閣下の人望では?」
「政治とはそういうものじゃよ、ミス・バーク。ポーカーでもそうじゃろう。勝ったまま席を立つやつの手元を睨まない博徒はそうおらん」
言葉に困ってプロメテアは沈黙したままソファの上で足を揺らした。
アブラクサスは現代の魔法界で唯一存命の
それでも羽虫たちは彼に供物を捧げ続けている。マルフォイ家のコレクションが収蔵されたいくつかの部屋のうち、半分は政財界からの贈り物だ。鑑定家として毎年リストに触れるプロメテアはそれをよく知っている。
アブラクサスの巣がどこまで広がっているのか、誰に糸が絡んでいるのか、もはや誰もわからないのだろう。
そしてその糸はどうやらプロメテアにも絡みついていた。
「お主、両親の遺体を引き取りたくはないかね」
《アブラクサスの指輪》
古老アブラクサスの指輪
獅子の頭に蛇の脚を持つ老人の姿が刻まれている
嵌めた者に終わりの運命を囁く魔法の指輪
それは覆すことのできない余命宣告である
運命をねじ曲げる研究は失敗に終わり、ただ呪いのみが残った
闇の帝王はこの呪いを旧友へと贈ったという