ハリー・ポッターと竜魂の学徒   作:ホグワーツの点字聖書

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「……両親の遺体、ですか」

 

 アブラクサスの目の前で椅子に腰掛ける少女は、怪訝そうに小さく首を傾げた。実感がわかないのだろう。無理もない話だ。

 イアペトス・バークとカリナ・バーク。ボージンとともに骨董店を営んでいたが、ヴォルデモート卿の配下として闇の魔術に関する道具の研究を任され、戦後アズカバンに投獄された。

 アズカバンへの終身刑は英国魔法界における極刑と同意である。存命であっても面会は原則許されないし、死後は囚人墓地に埋葬されることになっている。それが死後であってもアズカバンから出ることは決してないわけだ。

 もちろん、何事にも例外はある。囚人の子どもを連れてアズカバンを少し見学する程度の特例を通すのはアブラクサスにとって容易いことだった。

 

「お気持ちはありがたいのですが、そこまで骨を折っていただいて見合うお礼をご用意できるかどうか」

「気にすることはない。あれらが死んだのは儂に責任があるのじゃから」

「……滅多なことを仰っしゃらないでください」

「事実を述べたまでじゃ。お主の両親を闇の帝王に仕えさせたのは、儂なのだから」

 

 沈黙の中で、暖炉の薪が小さく爆ぜた。

 学生時代の(よしみ)やちょっとした好奇心、様々な損得勘定の末、アブラクサスは()にバーク夫妻を紹介した。()の古巣にあたるボージン・アンド・バークス骨董店の人間を差し向けるというささやかな嫌がらせも勘定には含まれていたかもしれない。

 学生時代からバーク家の才媛として知られたカリナ、そして彼女のために神秘部のスカウトを蹴ってバーク家に婿入りしたイアペトス。闇の帝王を名乗った()にはもったいない人材だったかもしれないと今でも後悔している。

 夫妻の聡明さは余すところなく子に受け継がれたと見えて、プロメテアはアブラクサスが()()()与えた情報の重みに表情を引きつらせていた。

 

「閣下が私に一体何をお求めかはわかりませんが……」

「そうとも、この言葉への対価に値するものを今のお主は持たない。一方で、対価を持たない者に()を与えるほど儂も耄碌してはおらん」

「では……未来の私に支払えと?」

「素晴らしい。そう、未来じゃ。若者よ、儂は未来の話をしたい」

 

 多少なりとも政治のセンスがある人間でなくてはわからない会話だろう。それが成立することにアブラクサスは心の底から喜びを覚えた。

 この少女を警戒する者もいくらかいる。飼いならしたいと思い、その機を狙う者も少なくない。そしてそのいずれも彼女を便利な刺客か、あるいは百科事典代わりとして評価している。

 そのような()()()()()()に落ち着くのもやむを得ないだろう。プロメテアは社交界にほとんど顔を出さなかった。彼女の政治能力を評価するだけの情報を得ることができなかったのだ。

 プロメテアが視力を失った魔法事故に関する調査が原因でいくらかの愚か者がアズカバンに送られ、少しましな愚か者がグリンゴッツの金庫に積み上げてきたガリオン金貨を目減りさせた。プロメテアは多くの魔法族にとってパーティーに招きたい客ではない。

 しかもプロメテア自身が政治の匂いを拒んでいる節すらある。

 

「お主、政治は嫌いかね」

「……謀略を楽しまれる方々には申し訳ありませんが、あまり共感できない感覚です」

「そうであろうとも。そしてそれゆえに派閥や権力から逃げ続けている。見事じゃ、全くもって見事」

「過分な評価をいただき恐縮ですが――」

「いや、過分などではない。政治から逃げるには政治を知るしかない。違うかね?」

 

 そう、プロメテアは政治を知っている。

 議会での答弁ができるとか、官僚としての文書作成ができるとか、そういう安い話をしているのではない。声と金、泥と煙、血と骨。人類史に社会という群の形態が登場して以来つきまとってきた醜い瘤にどんな膿が溜まっているのか、それを知っているということだ。

 決闘が強い、戦い慣れている。大変結構。実に素晴らしく、実に()()()()()能力だ。アブラクサスのハンドにはもっと強いカードがある。

 大事なのは、当人がその能力を誇示せず、かといって秘匿もせず、ただ一貫して政治からは逃げ続けているという事実。そう、その事実がアブラクサスにクリスマスの招待状を書かせるほどの興味を持たせたのだ。

 

「流れに棹さすわけでもなく、かといって長いものに巻かれるわけでもなく、お主は薄暗がりの泥濘(ぬかるみ)に掘った居心地の良い巣穴で微睡んでおる。まるで引退した猟犬のようじゃ。儂の幼い頃とはまるで違う生き方をしたらしい。心底興味がわいた」

「それは……」

()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そう、プロメテアがその能力を身につけるに至った過程などどうでもいい。なぜならばそこへの詮索はアブラクサスの好奇心、娯楽に類するものだからだ。そして、アブラクサスにはもう娯楽に興じるための時間は残されていない。

 すっかり節くれだって枯れ枝のようになってしまった指が、かつて友と呼んでいた男からの贈り物を撫でた。右手の中指に嵌められた指輪を。

 バーク夫妻を紹介したあと、感謝の印として贈られた指輪には、夫妻の研究成果と思われる呪いがかけられていた。嵌めた者に死の運命を知らせる指輪。どう考えても呪いの指輪だ。常人なら避けられない死が迫る恐怖に気が狂うだろう。しかも、その運命は覆すことができないのだ。

 しかし、アブラクサスは理解した上で指輪を嵌めた。

 

「儂は来年死ぬ。そうとも、ようやく儂は多くの祈りに応えてこの世を去る。悔いはない。保険金にもその受取主にも納得がいっておる。しかし、マルフォイ家の安全に関しては保険が足りん」

「保険?」

「そう、保険じゃ。倅はマルフォイ家を魔法界の王家にしようとしておる。かつてのブラック家のように。しかし、帝王は諸侯の存在を望まない。手ずから封建国家を構築するほど統治に興味がある男ではない。あの男は未来など見ていない!」

「閣下、落ち着いてください。……しもべ、水を」

 

 プロメテアの呼びかけに応じて現れた屋敷しもべ妖精がもう一杯水を差し出し、そしてアブラクサスはそれを一気に飲み干した。

 未来。結局のところ、アブラクサス・マルフォイとトム・リドルが決別したのはそこだ。

 学生時代のことは今でも思い出す。アブラクサスにとってトムは野心的で可愛い後輩だった。オリオン・ブラックと三人組でたくさんの悪事を働き、心から笑ったものだ。

 しかし、友情は続かなかった。オリオンは過去の栄光にばかり焦がれていた。トムは現在の己を知らしめることでしか満たされなかった。そしてアブラクサスは未来を、可能性を欲した。

 もちろん対立したわけではない。オリオンもアブラクサスも息子がヴォルデモート卿の傘下に加わることを止めなかった。ただ、お互いがお互いを満たすことは決してないと理解していたから、手を取り合うこともなかった。

 その果てにある景色がこれだ。アブラクサスは自分の未来が完全に断絶させられるという事実を叩きつけられた。

 そして何とか現実を受け入れ、政界から身を引き、隠居らしくすべての後継を定め終えたと思ったら、自分の庭を倅が荒らしていることに気がついた。

 

「……ホグワーツで今起きている騒ぎ。あれも倅の小細工じゃ」

「何かご存知なのですか」

「ご存知じゃとも。何が問題なのかは倅よりよほど承知しておる。まあ、マルフォイ家の当主は奴なのじゃから、そこは好きにさせてやる。……老人の仕事が何だかわかるかね」

「老人の仕事、ですか」

「若者の予想を裏切ることじゃよ。そうしないと若者は全能感で泥酔してしまう」

 

 アブラクサスの目的はひとつ。マルフォイ家を存続させることだ。

 ヴォルデモート卿は必ず戻ってくる。赤ん坊に消し飛ばされたなどという世迷言を信じる気はない。そして、その時にマルフォイ家が邪魔となれば当然消し飛ばすだろう。

 選択肢はそれほど多くない。ヴォルデモート卿を完膚なきまでに殺すか、ルシウスを排除してドラコを傀儡に据えるか。

 アブラクサスには堕ちきった友人を殺してやる暇もないし、息子と孫を使い潰す気もない。それにルシウスの政治手腕にも多少の期待は向けておきたい。

 よって、アブラクサスは残った時間を使っていくらかの保険をかけておくことにした。プロメテアもその一環だった。

 そしてその()()は熟考の末、結論を出した。

 

「……奉仕は御免です。雁字搦めにされて、いいように使われるのも」

「大変結構。約束しよう、儂の死とともにお主とマルフォイ家の貸借は精算される。魔法による契約を交わしても構わん」

「いいえ、契約は不要です。口約束のほうがかえって信用できる。何をすればいいか、それを教えていただきたい」

 

 言外に「契約を逆手に取ってこき使われるのも嫌いだ」と示して、プロメテアは大きく息を吐いた。

 きっと本当は従いたくないのだろう。アブラクサスも心が痛まないわけではない。幼気な少女を苦しめて楽しむ趣味はないのだ。

 

「そうか。それではまず、最初に――お主には守護霊の呪文を学んでもらう必要がある」

 

 だから、たとえ今から本物の吸魂鬼をぶつけて苦しませても、それはまったく趣味などではなく、やむを得ないことなのだ。




《アブラクサスの月時計》
古老アブラクサスの所有する骨董品
満月の夜にのみ正確に機能する「夜の日時計」

紛うことなき無用の長物、ガラクタの部類
それでもアブラクサスはこう嘯いたという
わずかでも使える可能性があるのならば、それは実用品なのだ
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