ハリー・ポッターと竜魂の学徒 作:ホグワーツの点字聖書
硬質で冷たい。
スリザリンの談話室に入り、その空間を目にしたハリーの脳裏にそんな第一印象が浮かんだ。
全体の色調は石材の灰色で統一されており、粗削りの岩壁を天井から吊るされた緑のランプが照らしている。ランプを吊るす鎖には銀の蛇が伝うようにあしらわれ、その目にはやはり緑の宝石がはめ込まれている。暖炉の火を受けてちらちらと光る瞳はまるでこちらを睨んでいるかのようだ。
あまり居心地の良い空間とは感じられない。きっと調度品は高級なものを揃えているのだろうが、空間そのものに拒まれているような落ち着かなさがある。それとも、自分が本来は歓迎されない存在だという自覚があるからだろうか。
ポリジュース薬でクラッブとゴイルに変身したハリーとロンは今、スリザリンの談話室に潜入している。
ドラコにすすめられるままに椅子に腰掛けると、いつもよりはるかに多い体重をどう分散させればいいかわからず椅子をひどく軋ませてしまった。
「もう少しゆっくり座れ、ゴイル。また椅子を潰すぞ」
「あ、ああ。ごめん」
「何度も言わせるな。少し待っていろ、父上からさっき荷物が届いたところなんだ。お菓子とか、新聞とか。僕が帰ってくるまでにローブの食べこぼしを払っておけ」
二人をすっかりクラッブとゴイルだと思い込んで口うるさく世話を焼くドラコの姿はまるで母親のようで、ハリーはクラッブとゴイルが進級できた理由をなんとなく察した。
元々ハリーはドラコのことがそこまで嫌いなわけではない。少なくとも憎んではいない。顔を合わせれば何かと突っかかってくるし、ロンやハーマイオニー、ネビルのような友達のことを悪く言ってくるのはとても嫌だが、彼個人にこれといって大きな恨みがあるわけではないからだ。
もちろん、彼との間にいい思い出があるわけではない。ただ、プロメテアの研究室で垣間見えるスリザリン寮の日常を思うと、ドラコに対して「好き」とか「嫌い」とかそういった評価を定めるのはまだ早いのかもしれないとは思っている。
だから、そんなドラコを疑って魔法薬で談話室に侵入しているという現状が少し落ち着かなくて、身じろぎしたハリーはまた椅子を軋ませた。
菓子屋の焼印が入った大きな紙箱を抱えてきたドラコがテーブルにその箱を置くと、見るからに上等な焼き菓子がぎっしりと詰まっていた。
「ほら、好きなのを取れ」
「ありがとう」
食べないのも不自然かと思い、ひとつ手に取る。しっとりとしたフィナンシェを一口かじると、バターの芳醇な香りとしっとりとした甘みが頬をとろけさせた。
「おいしい……」
「お前は何を食べさせてもそれだ。まあいい、父上に感謝しろよ。クラッブも食べろ。それから……これだ」
ドラコがポケットから新聞の切り抜きを取り出して、自慢げに突き出した。ハリーは一瞬当惑したが、記事の見出しを見てすぐにドラコが嬉しそうな理由がわかった。
日刊予言者新聞の小さな記事、その見出しにはこう書かれている。
「魔法省での尋問、マグル製品不正使用取締局に不正発覚か? ……なぜ疑問形を取るのか僕には理解できないね、事実として罰金刑を科されているのに」
ロンの父、アーサー・ウィーズリー氏が自動車に魔法をかけた罪で50ガリオンの罰金刑を言い渡されたという記事だ。自動車のことがバレたのは年度初めにハリーとロンがホグワーツまで飛行したせいで、つまりハリーの浅慮がウィーズリー家に途方もない迷惑をかけたということになる。
血の気が引きそうになるのをぐっとこらえて、ハリーは笑ったふりをした。ロンは色々な負の感情がないまぜになって、耳は真っ赤なのに顔は青ざめてすらいた。
「アーサー・ウィーズリーはなぜ魔法族として生活しているんだろう。杖を折ってマグルとして生きたほうが皆幸せになると思わないか?」
「ハ、ハハ」
「ウィーズリー家は純血の一族だということになっているが、僕にはそうは見えないね。みすぼらしさで言えば屋敷しもべ妖精に近い。まあ、あの連中を仕えさせるような魔法族はいないだろうけど」
ロンがぐっと拳を握り込んで怒りを我慢しているのが調子が優れないように見えたのか、ドラコは痛烈な皮肉と嫌味を打ち切った。
「クラッブ、どうした」
「……腹が、痛い」
「また食べ過ぎか。医務室に行ってこい。ついでにあそこで寝ている穢れた血どもを蹴っ飛ばしてやれ、僕からのクリスマスプレゼントだ」
どうして彼はこんなにマグルのことが嫌いなんだろうか。
いくらハリーがマグルに育てられたからといっても、ホグワーツで1年以上過ごせば見えてくるものがある。一部の魔法族は本当にマグルのことを嫌っている。憎んでいるのかもしれない。
その理由をハリーに教えてくれる人は誰もいなかった。問題の規模が大きすぎて誰に質問すればいいかもわからないし、ハリーの周りにいる人達はそもそもマグルを嫌っていない。
だから、少しだけ魔が差した。
「そういえば、どうしてマグルを嫌ってるんだろう」
「おいおい……」
ハリーの呟きにドラコはぎょっとした様子で談話室をちらりと見渡し、それから声をできるだけ潜めて囁いた。
「いいかゴイル、お前が人より少しだけ物覚えが悪いことは僕もよくわかってる。だから今の発言について責めたりもしないし、言いふらすこともない。だから、次からそのことがわからなくなったら、絶対に僕とクラッブしかいないときに聞け。いいな?」
「え、うん」
「……お前に魔法史の話をしてもわかりづらいだろうから、具体的な出来事のことは一旦置いておくとしよう。喧嘩をふっかけたのは
奪って、犯して、壊した。
その言葉がじん、と脳に響いた。
意味はわからない。わからないが、いつもドラコが吐き捨てる上っ面な暴言とは違う重さをハリーは確かに感じた。だから、わからないのが無性に悔しい。
ハーマイオニーならなにか知っているだろうか。あるいは、プロメテアに聞けばなにかわかるだろうか。
「サラザール・スリザリンの言うことをもう少し真面目に聞いていれば魔法界は安泰だったんだ」
「じゃあ、継承者も……」
「そうだ。継承者が穢れた血を殺してくれることを期待してるやつは大勢いる」
「君は」
きっとここが分水嶺だ。
隣ではロンが怒りの限界に達しつつある。これ以上ひどい言葉を聞けばハリーもドラコを許せなくなるかもしれない。だからハリーは聞きたかった。周りがどう思っているかではなく、彼自身がどう思っているのかを。
ハリーの正直な気持ちが口をついて出た。
「君は、どう思う?」
「僕はまあ……やりすぎだと思わないでもない。殺すのは、ほら……わかるだろ?」
「……うん」
「そうだよな。……昔、プロメテアが僕に噛みつこうとした野犬を殺したことがあった。あれだけ恐ろしく見えた野犬が一瞬で動かない肉の塊になるのを見たら、当然そんな気は起きなくなる」
なんとなく緊張の糸が切れたような心地で、ハリーは息を吐いた。
結局、ドラコも別にマグルを殺したいわけではないし、死んでほしいわけでもないのだ。だからといって別に彼を好きになったわけではないが、少なくとも会話の成立する相手であるとわかった。
「父上も継承者には関わるな、放っておけって。まあ、誰だかもわからないけどね」
「心当たりはないのか?」
「ない、何度も言わせるな。父上も気にする必要はないとおっしゃっている。……父上は最近すごく忙しくしている。それなのに魔法省の連中、マルフォイ家の本邸に立入検査なんて……迷惑にもほどがあると思わないか?」
「立入検査?」
「おい、もう忘れたのか? 先週、薄汚いウィーズリーの連中が押し入ってきたときのやつだ。幸い、応接間の床下にあるコレクションルームには気づかなかったみたいだが――」
ハリーはちらりとロンに目をやった。髪色が赤に戻ろうとしつつある。薬の効果が切れはじめたのだ。
目で合図するとロンは慌てたように立ち上がった。
「い、医務室に行ってくる!」
「俺も!」
背に何か呼びかけてくるドラコを無視して、二人は全速力で地下牢を後にした。暗くなった玄関ホールを駆け抜け、クラッブとゴイルの本物を閉じ込めた物置の前に靴を放り捨て、ハーマイオニーが待っているマートルのトイレに到着する頃にはすっかり姿は元通りになっていた。
肩で息をしながら、ハリーとロンは自分の靴を履いてローブを着替えた。ハーマイオニーはすでに証拠の隠滅を済ませてそわそわしながら待っていて、その顔には「二人に質問したい」と書いてあるかのようだった。
「それで……どうだったの?」
「どうって? ああ、収穫はあったね。明日パパに手紙を書かなきゃ。マルフォイのコレクションルームは応接間の床下だ」
「そうじゃなくて、継承者についてよ!」
「マルフォイじゃなかったよ、ハーマイオニー。心当たりもないし、父親からも何も教えられてないって」
「そう……まあ、候補をひとつ潰せただけでも前進ということにしましょう」
「じゃあ、他の候補は?」
ハーマイオニーは返事の代わりに肩をすくめた。
《赤子の爪》
疫病を模した呪いを与える短剣
刃が爪のように湾曲している
14世紀のマルフォイ家当主ニコラスが刺客に与えたと噂される暗器
その爪はニコラスが魔女狩りの炎に喪った庶子の爪だという
当時多くのマグルを殺めたが、ニコラスはついぞ罪に問われなかった
戦技は「黒死の斑」
切りつけた者に痣を生じさせ、発熱、脱力感、頭痛とともに死をもたらす