ハリー・ポッターと竜魂の学徒 作:ホグワーツの点字聖書
プロメテアが語り終えたとき、ミリセントはこれまで抱えてきた違和感の大半が解消されたことに満足感すら覚えた。
どことも知れない世界、そこで厳しい戦いを生き抜いてきた記憶。学院にこき使われ、不死の刺客として多くの猛者と戦った経験。
これまでプロメテアが見せてきた多くの優秀さと歪さに説明がつく。少なくともミリセントはそう感じた。
それに、どうやら気を遣って濁したようだが、刺客として孤独の中で多くを殺し、そして自らも何かしらの形で孤独に命を落としたのであろうと察せられる語り口は、プロメテアを高く評価するミリセントにとって何より納得のいくことだった。
「まあ……そういうわけで、私は少し遠くからやってきた。視界が特殊なのはその弊害のようなものだ。それで、そのころの古馴染みから最近になって伝言を受け取った」
「なるほど……」
「信じがたいだろうし、信じてくれとも言わない。ただ――」
何かを言い淀んだプロメテアの言葉は、テーブルに強く叩きつけられたパンジーの拳によって中断された。
「あんたねえ……ふざけんじゃないわよ!」
「まあ、なんだ。結果的に騙していたことになる。すまない」
「そうじゃないわよ。そうだけど。……いいわ、一旦そのおとぎ話を信じてあげる。あんたが遠くの国にいたとっても強い刺客で? 長い旅をしてきて? 自分でもよくわからない魔法で生まれなおして?」
もう一度テーブルを殴りつけたパンジーは、ミリセントの知る限りで一番怒っていた。
「あんた年長者ならもう少ししっかりしなさいよ! 恥ずかしくないの? この駄目人間! 落伍者! 甲斐性なし!」
「……いや、それは」
ミリセントは思わず吹き出しそうになった。
パンジーの言いたいことはわかる。プロメテアは生活力において破綻者だ。脳みそまで筋肉と揶揄されるミリセントよりもひどい。
放っておけば食事を忘れるし、睡眠より読書を優先するし、言われなければろくに片付けもしない。まるで保護者のようにあれこれ世話を焼くパンジーがいなければ出席し忘れていたであろう授業もある。
それにプロメテアがミリセントの肩に乗って移動したがるのは決して高いところが好きだからではない。むしろ高所恐怖症ですらある。なのにミリセントによじ登るのは、食事を抜きすぎた上に睡眠不足なせいで動く気力が湧かないからだ。
しかし、全てにようやく説明がついた。プロメテアは長いこと不死として過ごしてきた記憶があるせいで一般人の生活習慣を身につけられていないのだ。
真面目に10年生きていれば習慣になるであろう食事、睡眠、そういったことを、本人曰く「長年の夢」だった魔法の探究にかまけて放置した結果、今に至っても生きるのが下手くそなまま。
魔法族にもたまにこういう存在がいる。浮遊呪文を研究しすぎて歩き方を忘れたり、幸運薬の飲み過ぎで自信過剰が抜けなくなったり、食事を生み出す魔法の実験で生み出した食事だけ食べていたら餓死したり、そういった研究者の失敗話はよく耳にする。
つまり、プロメテアは生きることに関して怠惰だったのだ。
一年半近く「ママ」をやらされてきたパンジーが怒るのも当然のことだろう。プロメテアの怠惰のツケを払っていたのだから。
「……もっと違うところで怒りを買うと予想していたが」
「もちろんびっくりしましたわ。でも、見た目と中身で年齢が違うなんて魔法界じゃありふれた話ですし、メティが変わった子なのはよく知ってますもの。変わり者が変わり者である理由が変わったものであっても、別段問題ではありませんわ」
「あたしは怒ってるわよ。ええ、今なら全力であんたをぶっ飛ばせる自信があるわ。あたしが、どれだけ、苦労したか!」
「その……すまない」
「しっかり請求しておくからね。これまで分、全部つけておくから! あんたのポケットマネーで払いなさいよ! それから、今後はちゃんと自分で食事しなさいよね!」
「まあまあ、そのへんにしておけ。貴公がそうも怒り心頭だと拙やダフネが口を挟めん」
ミリセントとしても思うところがないわけではない。これまでずっと黙っていたのは水臭いと感じるし、その小柄さが愛らしく見えるせいで甘やかしすぎたと反省している。
ただ、ミリセントは一切を許すことにした。
「なかなか人に心を開かん貴公が拙らには過去を語った。拙は嬉しいぞ、ようやく貴公と対等な友になれた」
「まあ、うん、そうだな。皆、すまなかった」
「なんだ、照れているのか? ふむ、表情がわかりやすくなるとますます愛らしいな」
「よせ。……慣れていないんだ、そういうのは」
よく知っている、それなのに初めて見るプロメテアの表情はとても手練の刺客だったとは思えない。きれいな空色の瞳が少し潤んでいるのは一体どんな感情ゆえか。
まじまじと見つめると、耳を赤くしてぷいと横を向く。しかしそちらにはダフネが座っている。
おもむろに両手を伸ばしたダフネがプロメテアのあらわになった両頬を揉みしだきながら、少し呆れたように微笑んだ。
「まあ、過去がどうあれメティはメティですわね」
「そうね。……あーあ、なんか気が抜けちゃったわ。急に毒草なんか出してくるから背中に変な汗かいちゃったわよ、まったく。どこぞの馬鹿に暗殺の仕事でも押し付けられたのかと思ったわ」
「なんというか……」
「次に謝ったら怒るからね。というか、別に謝られることをされてないのに何度も謝られると気分悪くなるのよ」
そう、秘密の過去を持っているくらいのことは別段何の罪でもない。
パンジーやダフネがどうかは知らないが、パーキンソン家、グリーングラス家で見れば闇に葬った歴史などいくらでもあるだろう。
ミリセントもそうだ。あえて話す必要がないから黙っているだけで、公になると都合の悪いであろう過去はいくつかある。数日前にも武者修行の流れで依頼を受け、あまり合法ではない決闘の代理人として一人ばかり命を奪ったが、わざわざそれを語る理由がない。
魔法界とは、そして純血の社交界とはその程度に懐が広いのだ。
異なる常識を持つせいでプロメテアはずっと不安を抱えていただろう。その複雑な心中を察して慰められるほどミリセントは器用ではない。
だから、ただ許すのだ。黙っていたことを許す。隠していたことを許す。信じてもらえるか疑っていたことを許す。それだけだ。
そしてそれはどうやらダフネも同意見のようだった。まだ怒ってはいるものの、パンジーも許さないわけではないだろう。
「さて、メティの社会復帰については今後考えることにして。わたくしたちの力を借りたい、そうでしたわね?」
「……ああ、うん。私のほうが呆けていたな。そうだ。このヒガンバナを生み出した魔術師の足跡を辿りたい」
話を聞く限りでは明らかに不穏なこの植物は、アズカバンで大繁殖している。
少なくとも魔法法執行部が黙認している以上、ただちに危険があるものではないのだろう。しかし、魔法的な品種改良のコンセプトには明らかに異質な、そして闇の魔術が関わっていた。
植物の送り主は手紙上で「筆名である」と断った上でカネヒラ・イマイと名乗っており、同名の魔法使いはマホウトコロの歴代名簿にいないということまではわかっている。
日本の魔法学校であるマホウトコロはイギリス以上に闇の魔術を嫌悪しており、行使しただけで退学処分を受ける。つまり、カネヒラ・イマイを自称する人物はマホウトコロを追放されている可能性が高い。
追放された魔法使いであり、魔法の植物に強い関心を持ち、手紙の内容からおそらく赤という色にこだわっている。プロメテアが把握している情報はここまでらしい。
「ふむ……魔法で探せんのか? その手の魔法に心当たりが無いわけではないだろう」
「心当たりはある。そして大抵の場合、後ろ暗いところのある魔術師はその手の魔法に対策をしている」
「なるほど、ネズミ捕り。そういう魔法もあるんですわね……」
「そうだ。だからできれば魔法ではなく、社会の情報で追いたい」
「情報……そうね。あたしたちに頼るのが賢明だとは思うわ。あんたはツイてる」
すっかり冷めた紅茶をすすりながら半目でプロメテアを睨むパンジーはまだ不機嫌そうだが、それでも頼られたのは嬉しいらしかった。
「マルフォイ家の手は借りたくないんでしょ。ルシウス様の伝手は特に」
「……これから言う気だったんだが」
「ばーか。あんたがアブラクサス様に呼ばれてるのはあたしの耳にも入ってるわよ。というより、アブラクサス様がわざとある程度オープンにしたんでしょうけど」
「当家ではすでにバーク家と親密な仲を保っていくよう父上からそれとなくお達しがありましたわ」
「あんたんとこは元々アブラクサス様の派閥だったもんね。うちはルシウス様寄りだから最近結構忙しいのよ、本当に」
あくまで「アブラクサスと何を話したのか」を訊ねないのはプロメテアが語らないからだ。呼ばれていないうちは老獪な政治家の戸を叩くべきではない。
ダフネとパンジーがお互いの苦労をねぎらっていると、プロメテアが感嘆とも忌避ともつかない息を吐いた。
これまで表情が見えづらかったせいでわからなかったが、本当に政治が嫌いと見えて、眉間に皺が寄っている。唐突に臭いものを嗅がされたようなしかめっ面だ。
「子どもがそこまで家の政治を知っているものなのか……」
「あんた、まだわかってなかったのね。あたしたちはそこらの政治ごっこしてる成り上がりとはわけが違うの。聖なる28。このイギリスで魔法界を作り上げてきた古き偉大なる一族なのよ?」
「わたくしたちは社交界にデビューした時点で子どもではなく、家の名を背負った政治家なのです。そういう意味ではわたくしたちも少しだけメティを騙していましたから、おあいこですわね」
だから、あたしたちの友達だってことをもっと誇んなさいよ。
そう尊大に笑ったパンジーの表情からはすっかり怒りの色が抜けていた。
もちろん見栄や誇張が入っていることはミリセントもわかっている。しかし、彼女たちの発言は嘘ではない。
魔法族の多くは寿命による死を迎えない。その歴史に平和な時代は存在せず、今の魔法界を賑わせる名士の多くが新興であるのは古き一族の血脈が途絶えていることの裏返しだ。
グリーングラス家もパーキンソン家も我が子への愛情を持ちつつ、必死になって次期当主、またはその妻としての教育を施している。当主には自分が生きているうちに引き継ぎを済ませるという義務がある。そして、跡継ぎにはそれに応える義務が。
ミリセントが日々修業に明け暮れているのも、形こそ違えど同じ理由だ。
「なるほど……しかし、ドラコは」
「ああー……ドラコはまた別なのよ。アブラクサス様が現役だった時代が長いせいで、ルシウス様が当主を引き継いだのがかなり遅かったの」
「あんなに平和な引き継ぎができているのはマルフォイ家とオリバンダー家くらいですわよ。オリバンダー家はまたちょっと特殊ですけれど」
「そうなのか。……なんだろうな、私が秘密を話すはずだったのに、私のほうがくらくらしてきた」
「本当はこんなぶっちゃけた話なんかしないんだから、感謝しなさいよね。あんたが非常識な生活破綻者の駄目人間で見てらんないから、仕方なく常識を叩き込んであげただけなんだから」
「ああ。……ありがとう、パンジー。お前がいてくれてよかった」
パンジーはつんと顔をそむけたが、ミリセントはよく知っている。本来であれば政治のカーテンに阻まれて本心で語り合うことなどなかったであろうダフネとこうして素の自分で会話できる、そんな環境はプロメテアがいたから生まれたのだ。そのことに心から感謝しているから、パンジーはプロメテアを決して嫌わない。
ミリセントは自ら政略に携わる身ではない。だからこそ、プロメテアが現れる前のダフネとパンジーを見ているともどかしく思うことが多かった。
上っ面だけの挨拶と社交辞令、牽制まじりの世間話。そんな
「ダフネも。ありがとう、私はお前たちに報いることを約束する」
「あら、グリーングラス家への恩は高くつきますわよ?」
「構わん。お前たちを信じる」
「あらら……絆されちゃいますわね」
ダフネが両手で口元を隠して笑っている。こういうときのダフネは本気で照れているのだが、それに気づくのはそれこそ家族か、入学前から護衛の見習いとして交流があったミリセントくらいのものだろう。
これがプロメテアのずるいところだ。まっすぐな感情をぶつけてくる。政略のための教育を受けてきた令嬢たちには火力が強すぎるのだ。決して愛想がいいわけではないのに、一体どこで誰から学んだのか。
「そして、ミリィ」
「まあ、拙と貴公の仲だ。いまさらそういう言葉は不要だろうよ」
「そうか。だが、あえて言わせてくれ。ありがとう」
「はは、あえてか。なら、あえて受け取っておこう」
パーキンソン家の応接間が青春めいた居心地の悪い空間になったところで、無理やり話題を切り替えるかのようにパンジーがプロメテアの目を指さした。
「というか、その目はもう見えるわけ?」
「いや、依然としてソウルしか見えん」
「紛らわしい! 見えるようになったのかと思ったじゃない!」
「それどころか、目隠しを外していると辛い。眩しくて目が痛い」
「早く着けなさいこの馬鹿!」
ひょっとするとミリセントたちはさっきまで壮大な妄想を聞かされていたのかもしれない。
そう思わせるほどに気の抜けた様子のプロメテアはいそいそと目隠しを巻きなおし、ようやくいつもの姿になった。
「可愛い顔が半分隠れるのは惜しいですけれど……痛いならしょうがないですわね」
「拙はむしろ落ち着く。素顔を晒していると研究室に不埒な輩が束になって押し寄せそうだ」
「あんたらはあんたらでずれたこと言ってないで……だめだわ、もう無理。疲れた。夜会サボれないかしら」
「ふふふ……実はわたくし、妹の急な病で帰国したことになってますのよ。いかがかしらパンジー、友人の妹のお見舞いに、というのは」
「あんた天才ね……天才だったわ……急いで手紙書かなきゃ。メティ、あんた荷物まとめときなさい!」
疲労と様々な感情の蓄積でどうにかなってしまったらしいパンジーが高らかに宣言した。
「アステリアに会いに行くわよ!」
《白枝の髪飾り》
柔らかな白い若枝を編んだ四対の髪飾り
クリスマスの祝いにプロメテアが自ら仕立てた品
簡素ながら器用に作られている
ポプラの名で知られる妖木は、嘘か真か、呪文の詠唱を早めるという
プロメテアはポプラの枝を好み、稀に友への贈り物とした
効果はないが、その価値を理解しない者はいなかっただろう