ハリー・ポッターと竜魂の学徒   作:ホグワーツの点字聖書

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 神秘部を除けば、魔法省の数ある会議室の中で最も秘匿性に優れているのは地下5階、国際魔法協力部のものだ。異国の外交官を招くことがある以上、あらゆる安全に気を配らねばならない。

 その分快適性に割く予算はやや不足しているようだが、多少椅子の座り心地が悪い程度のことはルシウスにとって気にもならない。

 むしろ居心地が悪そうなのはテーブルを挟んで対面している男の方だ。

 

「それで……ホグワーツ常任理事としての重要なお話とのことでしたが」

 

 バーテミウス・クラウチ・シニア。役人という言葉を体現したような勤勉実直の男が、今は隠しきれない侮蔑と屈辱に表情を薄っすらと歪めている。スーツには一寸の皺もなく、シャツは今日おろしたてのよう。それなのに目は心底くたびれている。

 かつてこの男は魔法法執行部の部長だった。つまり、魔法界の法と秩序を護る盾であり、それ以上に敵を討つ矛だった。

 つまり、ルシウスとは不倶戴天の敵と言ってもいい仲だったのだ。

 

「ええ。昨今のホグワーツを混乱させている事件については、お耳に入っているとは思いますが」

「無論です。そしてそれに付きまとう風聞についても」

「スリザリンの継承者、でしたか。あれは下らん噂でしょう。しかし、在校生にとってはそうではないと、倅やその友人たちからは助けを求める声が届きつつありましてな。理事として何もしてやれないとは……無力感に苛まれる限りです」

 

 クラウチが眉をひそめる。心にもないことを、と思っているのだろう。

 それでも何も言えないのは、クラウチが敗者だからだ。

 かつて闇の帝王が敗れ、ルシウスが手際よく自己弁護の手段を整えたとき、ほんのついでで彼の息子を庇うこともできた。少なくとも刑を軽くすることは容易だっただろう。父親に累が及ぶことを防ぐこともできた。

 それらすべてをルシウスは行わなかった。自分の配下を、そうなりうる者を救い、敗軍の将にいまだ忠実なしもべたちはアズカバンへ。そして数名の記者にいくらか握らせてクラウチの無用な過激さについて取り沙汰されるよう仕向け、あとは彼の息子が捕まれば終わりだ。

 イギリス魔法界の外交を担う国際魔法協力部は決して軽んじていい席ではないが、出世街道の本流ではない。予算も相応でしかない。財政の不健全な魔法省では、篤志家の献金に頼るしかなくなる。たとえば、マルフォイ家のような。

 

「……国際魔法協力部として何かお役に立てますかな?」

「ぜひ検討していただきたいことがいくつかないではないのですが……今はそれ以上に、あなたの力をお借りしたい」

「私は国際魔法協力部の部長であり、それ以上の何者でもありませんが」

「いいえ。……いいえ。あなたはクラウチ家だ。そしてバーテミウス・クラウチ・シニアだ」

 

 理解が進むにつれて、クラウチの瞳に怒りの色が見えはじめた。

 

「私個人が特定の陣営に肩入れすることはない。ましてや――」

「ましてや闇の陣営には、ですかな? 心中はお察しいたしますが……それでは息苦しい方もいらっしゃるのでは。息子さんもクィディッチの観戦くらいの自由は欲されていることでしょう」

 

 クラウチが抜いた杖は寸分違わずルシウスの額に向けられていた。

 彼の致命的な汚点は、世間に知られずひっそりと生きている。そのことをルシウスは自らアズカバンへ渡り、クラウチの名が刻まれた墓標の下に誰の骨が埋まっているか確かめることで知った。

 ルシウスは彼を愚かと笑いに来たわけではない。どんな息子であったとしても、愛情がないわけではなかったのだろう。愛情もなく子を育てられるほどこの男は器用ではない。その不器用さが優秀な跡取りになるはずの息子を闇に追いやったのかもしれないが、それはまた別の話だ。

 

「口がきけるうちに言っておきますが、マルフォイ家は闇の陣営に属しているわけではありません。今も、昔も」

「その言葉が事実かどうかは覗いてみれば今すぐにでもわかることだ」

「権限を失っても威勢だけは眠っていたようですな。ようやく懐かしい顔が見えてきた。しかし、その杖は下ろしたほうが長期的には賢明でしょう」

 

 かつての戦争から魔法も進歩している。長らく現場で杖を振るっていないクラウチはいくら情報を更新していたとしても最先端には追いつけない。

 そしてクラウチは中身のわからない罠を踏み抜くほど愚かではない。

 もちろん、ここに来るためにかけた保険はひとつやふたつではなかった。それでもルシウスにはそれらを使わないだろうという確信があった。この男はルシウスを傷つけない。傷つけられないのだ。

 クラウチは魔法省に、魔法界に忠実だ。彼の正義感は暴走こそしたが、逸脱したことはない。自らの汚職を静かに指摘されたからといって魔法省のスポンサーを消し飛ばすことなどできるはずもない。

 息を荒げ、射殺さんばかりに目を見開きながら、それでもクラウチは杖を下ろした。

 

「……目的は何だ」

「近日中に省内で大臣から公示がありますが、あなたには先にお伝えしておきましょう。ホグワーツと魔法省の連携を深めるため、魔法省に新たな部局を設立することになります。大臣室直轄の魔法教育文化局、今のところはそういった部局になる予定です」

「魔法教育文化局……」

「あなたには魔法教育文化局の局長として少しの間ホグワーツに駐在していただきたい」

「……ホグワーツの自治権に介入する気か? アルバス・ダンブルドアに勝てるわけがない」

 

 クラウチがくすぶっている理由は一度失墜したからではない。これはルシウスでなくとも共感できることだ。

 雲の上にいつまでもいる穏やかな敵、アルバス・ダンブルドアが恐ろしくてたまらない。

 クラウチは間違いなくダンブルドアとの政争に負けた。負けた上でダンブルドアは魔法大臣にと願う人々の声に応えなかった。

 今のクラウチは徹底的に心を折られた負け犬だ。しかし、ルシウスは知っている。負け犬にも負け犬なりの矜持があることを。

 

「アルバス・ダンブルドアと戦う必要など微塵もない、そろそろご理解いただけませんかな? ホグワーツには様々な生徒がいる。しかし、そのすべてがアルバス・ダンブルドアの庇護下にあるわけではないのです」

「……そうだろうとも。私がアズカバンにぶち込んだ連中の中には我が子の名を呼んで泣き叫ぶ者もいた。それに私が心を痛めなかったと思うか!」

 

 戦後、クラウチはあっという間に失権した。魔法法執行部の抱えた戦後処理という負債を片付けたのは他ならないダンブルドア、そして当時の魔法事故惨事部で最も優秀なデスクワーカーだったコーネリウス・ファッジだ。

 世間の支持を失った彼は責任を取ることすら許されていない。自らは責任を取らず、それでいて息子を脱獄させたという事実は彼のアイデンティティ――正義をどこまでも苛むだろう。

 

「なら、動いていただきたい。私にも息子がおりましてな。手のかかる馬鹿息子ですが、あれにマルフォイ家の名を預けるころには魔法界がすっかり荒廃していたというのは避けたいのです」

 

 クラウチの敵意に満ちた目から吸い込まれるような開心術の感覚があった。ルシウスはそれを拒まず受け入れた。

 拒む理由がない。なぜならここまでの話はすべて本心なのだから。

 魔法がルシウスの内側を這いずり回る感覚が消えた後、クラウチは信じられないものを見たような顔で椅子の上で崩れ落ちた。

 

「……わかった。疑う余地はないようだ。だが、まだ貴様を信じるに値する根拠が何も示されていない」

「次代のため、それでは不足ですかな? 我々純血の一族にとってごく自然なことでは。……ダンブルドアの干渉が及ばない領域が生まれれば、ダンブルドアが許さずとも魔法省が許せば救われる者がいる。そういう考え方もできるでしょうな」

「倅が……倅が、自由になれると?」

「少なくとも、再教育の時間くらいは取れることでしょう。ご存知のとおり、闇の時代は多くの損失をもたらした。さらなる繁栄のために、そして損失を回避するために、少しだけダンブルドアから独立する。ここは彼の国ではない、そうは思いませんかな?」

 

 呆然としながらもクラウチがゆっくりと頷いたのを確認して、ルシウスは会議室を後にした。

 これでクラウチは陥落した。

 彼はルシウスが今一番ほしかった駒だ。闇の陣営を毛嫌いしており、かといってダンブルドア陣営でもない、純粋な魔法省陣営の実力者。闇に近ければダンブルドアが警戒する。ダンブルドアに近ければ送り込む意味がない。

 ウィーズリー家の末妹に押し付ける形で忍び込ませた火種がようやく煙を上げはじめた。今動かないと無駄になってしまう。

 常任理事としてダンブルドアを解雇するという手もあったが、むしろホグワーツに閉じ込めておいたほうが何かと都合がいいことはグリンデルバルドが証明している。

 クラウチは息子の存在を指摘された衝撃で自分の後任など気にしてもいない。後になって意識はするだろうが、そのころにはもうルシウスの息がかかった人間で席が埋まっているだろう。

 

「いささか脆いな」

 

 クラウチは政治に向いていない。まだ正気がありすぎる。

 政治が上手い人間は最終的には一点しか見ていない。セブルス・スネイプは死んだ女のことしか考えていないし、アブラクサス・マルフォイは自分には関係のない未来のことばかり追いかけている。そういう狂人になるか、少なくとも狂人がなぜ狂人なのかを理解しないことには、政治家としては不足だ。

 だからこそ、子どもたちが政治ごっこで手痛い失敗をすることを、そしてそこから学びを得て次代の魔法界を担うことをルシウスは心の底から期待していた。

 プロメテアのサロンに集う子どもたちが大人の目を避けて集まっていることはとっくに把握している。これからはクラウチの目があるせいで少しやりづらくなるだろうが、それくらいの試練は乗り越えてもらわねば。

 

「――やあルシウス、上々かね」

「万事つつがなくだ、コーバン」

 

 約束通り合流したコーバン・ヤックスリーが人のいい笑顔を浮かべて鷹揚に頷く。彼はルシウスの古い仲間であり、今回の共犯者であり、国際魔法協力部の次期部長でもある。

 公的な外交の窓、警戒されず強力な駒。一手で両取りできた達成感への陶酔を振り払いながらエレベーターに乗り込む。

 自分はうまくやった。しかし、父ならもっとうまくやったに違いない。

 怪物のような手本がいるからこそ、ルシウスは油断せずにいられた。その父にも近々退場してもらうことになる。

 

「年甲斐もなくワクワクしてきたよ、ルシウス。やはり我々のいるべき場所はここだ」

「心臓が持つといいがね。これからしばらくはそのワクワクとやらがずっと続くことになる」

「それは楽しみだ。どこまで()()()()()か決まったかね」

「ザワークラウトとマカロニ、それからパエリア、ボルシチも。詳しいことは夕食の後で話そう。ナルシッサが待っている」

 

 もうすぐ一年が終わる。魔法省は閑散としていて、誰もルシウスの歩みを止めるものはない。




《クラウチの遺骨》
魔法薬により変化した古い人骨
バーテミウス・クラウチ・ジュニアを騙った女のもの

我が子を獄中から救うため、母は最期まで我が子の姿をとった
たとえ愚かとわかっていても、愛を捧げたかったのだろうか
しかしてその犠牲は誰をも救わなかった
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