ハリー・ポッターと竜魂の学徒   作:ホグワーツの点字聖書

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 春が迫りつつあるホグワーツの内側では、まるで外の雪解けと連動するように不安と緊張がほぐれつつあった。

 他の寮の生徒たちがハリーを警戒しているのは変わらないが、それでも状況は好転している。

 ハッフルパフではクィディッチチームのシーカーであるセドリック・ディゴリーが気を利かせてくれているし、レイブンクローに双子の妹がいるパーバティ・パチルが抗議しにいってくれたおかげで嫌がらせ行為もめっきり減った。

 それにハリーの頼れる助言者、プロメテアがクリスマス休暇を終えてホグワーツに戻ってきた。彼女には相談したいことが山ほどある。ドラコのこと、ポリジュース薬のこと、そしてトム・リドルのこと。

 マートルのトイレに捨てられていた白紙の日記帳、その本来の持ち主であるリドルについて、ハリーはどうしても知りたかった。不思議とその名前に親しみを感じるのだ。まるでずっと昔の友達で、小さい頃引っ越してしまって以来会っていないような……。

 ロンもハーマイオニーも、日記帳のことを疑わしく思っているようだ。ただ、トロフィー室でトム・リドルが確かにホグワーツの卒業生だったこと、しかも成績優秀で、50年前に特別功労賞をもらった立派な生徒だったことははっきりしている。

 好奇心と警戒心の板挟みにあって、ハリーは揺らいでいた。

 この手の古い品を扱っている専門家に判断を委ねたい。それに、カードと一緒に届いたクリスマスプレゼントのお礼もまだ伝えていない。

 ハリーの首元に細く光る銀の鎖に目をやって、隣でマッシュポテトを頬張っていたロンがニヤリと笑った。

 

「さすがハリー、ってやつだ。うちのビルだってホグワーツのころからモテてたけど、さすがにスリザリンの女子からクリスマスプレゼントをもらったことはなかったってさ」

「そういうのじゃないって。実験でできた試作品を前にくれた指輪用のチェーンにって送ってくれたんだ」

「でも、最近ちょっと噂になってるみたい。その……二人がそういう仲なんじゃないか、みたいな。ハリーが地下牢に一人で行くところを見たって人がいて、フレッドとジョージが胴元になって賭けが始まってるそうよ」

「勘弁してよ……確かにバークさんはいい人だけど、僕にとっては先生みたいな、友だちみたいな……というか、一人で行ってるのは君たちが断るからだろ」

 

 ダフネに忠告されて以来、ロンとハーマイオニーを誘ってはいるのだが、中々来たがらない。

 ロンはナメクジ事件があってからますますスリザリンと関わり合いになろうとしないし、ハーマイオニーも乗り気ではあったもののドラコに「穢れた血」と罵倒されたことを思い出すと若干腰が引けるようだ。

 一人で行くにしても、ハリーが継承者だと信じてやまないアーニー・マクミランが自警団のようにハリーを見張っているし、そうでなくとも常に視線を感じるような気がして、なかなかプロメテアに会うことができないでいた。

 とはいえ、悪いことばかりではない。ロックハートがホグワーツを去ったのだ。

 

「秘密の部屋とその怪物に関する問題は解決する、すでにその種は蒔いた。私は次の冒険に出なくてはならない……」

 

 ロックハートが残した派手な縁取り付きの置き手紙と勇敢な(おそらく本人はそう思っているであろう)笑顔の写真は一時ホグワーツを騒がせた。

 様々な憶測が流れたが、理事会がロックハートの辞表を受け取ったと表明したこと、来年度まではひとまず先生たちが持ち回りで授業を担当すると決定したことで混乱は収まり、むしろロックハートの実力を疑っていた生徒たちにとっては解放されたような気分だった。

 それどころか高かった教科書を古本屋に買い取ってもらって小遣いにした生徒もおり、ホグワーツ内はちょっとした好景気に浮かれていた。

 特にロックハートへのストレスを抱えていたロンは夕食の席でも食欲が増したようで、ベーコンを自分の皿にたっぷりと積み上げている。

 

「嵐のようなやつだったよな、まったく。ホグワーツが静かだなんて思う日が来るなんて」

「先生は一体何を残していったのかしら……」

「そりゃあもちろん、チャーミングスマイルの写真さ。それと、二度と使わない教科書の山もね」

「そんなことないわ。先生の著書はどれも面白かったし……そうじゃなくて、解決のための種よ」

「どうせ捨て台詞だろ、あいつが何かを成し遂げた瞬間を一度でもその目で見たか?」

 

 ロンとハーマイオニーが本気の喧嘩を始める前にハリーはニシンの燻製をやっつけて、ゴブレットの水を飲み干した。

 

「まあ、僕はマクゴナガルが防衛術でも同じ量の課題を出さないよう祈るよ。休み前のレポートなんて最低80cmだったし」

「あれはありえないよな。1週間後までに80cmってことは、1日に20cmってことだろ?」

「ロン、計算がおかしいわよ」

「おかしくないさ。1週間は7日。課題が出た日は手を付ける気力がないし、提出当日に焦っても無駄。日曜日は安息日だから勤労すべきじゃない。ほら、4日で80cmだ」

「都合のいいときだけ随分と敬虔ですこと。でも、そうね。マクゴナガル先生が教えてくださる防衛術は気になるかも」

「それなら早く寮に戻って休もうよ。僕はいない人のために言い争うより明日のためにぐっすり寝るほうが健康にいいと思う」

 

 ロックハートがホラ吹きの詐欺師だったと確信しているロン、いまだにロックハートがいなくなった衝撃から抜け出せないハーマイオニーの二人はしばらく見つめあって、不承不承ながらも頷いた。

 確かにロックハートは迷惑だけかけて去っていったし、あれで教授としての給料を受け取ったのだとしたら少しずるいと思う。しかし、もういないのなら気にしてもしょうがない。

 それに、継承者がここしばらく動きを見せていないのも事実だ。ホグワーツ内に満ちていた張り詰めたような重い空気が少しずつ緩んでいる。

 思わず足取りも軽くなり、他愛もない話で笑いあいながら大階段を登り、途中でジニーにすれ違った。

 

「こんばんはハリー」

「やあジニー。今日は調子よさそうだね」

「そう? そう見えたなら嬉しいかな。またあとでね」

 

 軽やかな足取りで大階段を下っていくジニーを見送る。その様子にどこか引っかかるものがあってジニーの背を目で追っていると、ロンがパーシーの真似をして咳払いをした。

 

「バークのやつがいるのに、ジニーにまで熱心なのは兄として感心しないな」

「そういうのじゃないって、本当に。でも、ジニーが元気そうでよかったよ」

「確かに。あいつ、今朝まで機嫌が悪くてフレッドとジョージにあたってたのに。なんかいいことでもあったのか?」

「後で寮に帰ってきたら声かけてみましょう、私も心配はしてたけど、忙しくて中々話せてなかったし」

「主に魔法薬学の出張研究(ポリジュース薬)で、かい?」

「そうね、出張研究で」

 

 ハリーはまだ少し気になっていたが、後で話せばわかるだろうと視線を前に戻した。

 談話室はまだ空いていて、暖炉の温もりと食後の穏やかな眠気で三人の気持ちはすっかりリラックスしていた。

 ロンが「バークから届いたクリスマスカードが見たい」というのでハリーは寝室まで取りに行った。

 楽しい時間はそこまでだった。

 

「――これは」

 

 荷物が荒らされている。

 ベッドの上からトランクの中まで、ひっくり返したように荷物がばらまかれている。すっと抜けていく眠気をよそに、ハリーは一度深呼吸をした。元々大した高級品をしまっていたわけではない。

 中々戻ってこないのを不審がって様子を見に来てくれたロンと一緒に荷物を確認していく。財布も時計も問題ない。インクの一滴すら減っていない。

 消えたのはたったひとつ、日記帳だ。

 

***

 

 約束した以上、自分でちゃんと食事を摂ると決めたプロメテアは、寮を出て大広間に向かう途中だった。

 しかし、どうやら優先すべき存在が目の前にいる。

 誰もいない地下牢の通路、ひんやりと湿った空気がいつもよりさらに濁っている。

 クスクスと笑う少女の声。

 

「――こんばんは、プロメテア・バーク」

「……名前を一方的に知られているというのはあまりいい気分ではない」

「おや、僕が名乗る必要があるかい?」

「お前に聞いているのではない。お前が使っているその身体は誰だ」

 

 ソウルが見える。まるで菌糸が繁殖かのようにして黒く淀んだソウルに絡みつかれている、小さく儚いソウルが。

 同じ色を最初に見たのはダイアゴン横丁の書店、ハリー・ポッターの内側。そして次に見たのは入学当日、クィレル教授の内側。

 ヴォルデモート卿。かつて闇の帝王としてイギリスに闇の時代をもたらした男が目の前にいる。

 

「驚いたな、この子のことを気にするなんて。意外と人道的だ。ジニーから聞いていた話とは違うな。ルシウス・マルフォイと結託してウィーズリー家を困らせているそうじゃないか」

「生憎だが、顧客サービスへのクレームは店舗でしか受け付けていない」

「クレーム? とんでもない! 僕は喜んでいるんだ。君はバーク家、古き血統の義務を果たしている。素晴らしいことだよ」

 

 無言で放たれた失神呪文を聖鈴で展開した盾で防ぎ、その勢いを利用して間合いを取る。

 ジニー・ウィーズリー。知らないわけではない。ウィーズリー家の末妹で、今年入学した。ハリーの友人の妹という、プロメテアにとってそれほど身近ではない、しかしプロメテアにとって縁がないわけでもない人物だ。

 その少女がヴォルデモート卿に寄生されている。

 プロメテアの見える限りでは、前に戦ったクィレルほど侵蝕されているわけではない。ソウルが収納されている「本体」から糸を伸ばしているのだろう。

 苦しめることも傷つけることもなく無力化する手段が必要だった。

 

「見事じゃないか。僕の同世代に君のような子はいなかった。君は古き血統の希望だ。僕が知ればきっと喜ぶだろう。いや、存在が過去形になる以上、残念がるかな?」

「……」

「おや、おしゃべりは終わりかい? 残念だ。ここしばらくは知的な会話を楽しむ相手がいなかったから退屈していたんだけど。小娘のカウンセリングはあまり愉快な時間じゃなかったしね」

 

 弄ぶように放たれる失神呪文は威力こそ軽いが、狙いは正確で、油断を許してくれる相手ではないことを実感させられる。

 弾いた失神呪文が地下牢の柵を掠め、融けた鉄の混じった魔法の残滓がプロメテアのローブを焦がす。

 プロメテアは攻めあぐねているこの状況に思わず舌打ちした。刺客として身体に馴染んでいる魔法はいずれも影に潜み、隙を突いて命を奪うためのものだ。状況に適した魔法があまりにも少ない。

 

「なるほど、どうやらこの子を殺せないらしい。ダンブルドアに小遣いでももらったのかい? 先輩として君が心配だよ、あの人は生徒を駒にする天才だからね」

「……」

「だんまりか。傷つくなあ。ジニーもずっと寂しがっていたよ。憧れのハリーが自分を見てくれない、プロメテア・バークのせいで。だから最期に恋敵を片付けてあげることにしたんだ。僕も中々良心的だろう?」

「……知ったことではない」

「そうだろうね。当人たちにそういう感情がないことは僕もよくわかっているさ。しかし、哀れで小さなジニーはわかっていなかった。僕がハリーを殺す予定だということも。そういう意味では中々滑稽で楽しめたと言える」

「饒舌だな」

「そうかな? そうかもしれない。こんなに楽しいのは久しぶりでね。それに、ここから盤面がひっくり返ることもないだろうし。僕にとっては早めの感想戦なんだよ、これは」

 

 少女の声で紡がれているとはとても思えない邪悪な言葉は、きっとヴォルデモート卿という男の人格が一言一言ににじみ出ているからだ。

 大きく杖を振るう音と衣擦れ、かすれた声。

 何かを仕掛ける気配に、プロメテアは迷わず()()()()()()()()()

 

「――へえ」

 

 仕留められると確信していたのだろう、意外そうな吐息が漏れる。事実、胸目がけて正確に撃ち込まれた死の呪文は完璧な狙いだった。プロメテアが咄嗟に杖で足元の石畳を引き剥がして壁にしていなかったら、見事に命中していただろう。

 そしてもうひとつの攻撃、プロメテアの背後に迫っていた牙は、肌をかすめることすらなく押し留められた。

 地下牢の石畳を這う音。生臭い気配。プロメテアの中ですべてのピースがつながっていく。

 

「怪物の正体はサラザール・スリザリンのバジリスクか」

「ご名答、スリザリンに10点。ずっと何も食べずにいたんだ、君のような小さい鼠でも餌にはなるだろう?」

 

 状況を理解して、プロメテアは素早く聖鈴を振るった。

 あたりに冷気が立ち込めていく。ソウルの業によって大気は熱を奪われ、牢の柵に霜が伝う。

 そして、一瞬にして痛覚のひとつひとつを斬りつけるような凍てつく霧が一帯を満たした。

 

「これは……凍結呪文か? なるほど、面白い発想だ。確かにバジリスクも僕もその中を見通せない。しかし、極寒の中にいつまでこもっていられるかな?」

 

 瞬間凍結。

 かつて弟子が見つけ、持ち込んだ()()()()()()()()()()()()に記されていた魔術だ。

 爬虫類であるバジリスクのピット器官を封じ、強烈な冷気で攻撃を躊躇させる。霧で視界を閉ざすこともできる。

 しかし、それだけが目的ではない。この魔術は発動している間、空気を歪めて雑音を発生させるという副次的な効果を持つ。

 プロメテアはローブのポケットから小さな巻き貝を取り出した。マルフォイ家の紋章が刻まれた巻き貝に、小さく、しかしはっきりと伝える。

 

「マルフォイ家の忠実なるしもべ、ドビーに命ずる。ハリー・ポッターのところへ向かえ」

 

 アブラクサスから客分として預かっていた巻き貝を使い、しもべに命令を与える。

 屋敷しもべ妖精のドビーがハリー・ポッターの命を救おうとしている。その情報を得てから練り続けていた()()を使う時が来たようだ。

 直後、プロメテアは首にかけた銀の鎖に引っ張られて空間のねじれに放り込まれ、冷気の霧を残して地下牢から消えた。




《しもべ呼びの宿貝》
屋敷しもべ妖精の主が所有する巻き貝
ヤドカリが終の棲家としたものを加工して作られている
もはや用途も忘れられ、埃を被っていた骨董品

貝に呼びかけることでしもべに命令を伝えることができる
どこで何をしていようと忠誠心あるしもべは必ずその命令に従う

出来のいいしもべは命じられる前に自ら尽くすのが常とされる
それゆえ、貝を用いることは貴族にとって恥を晒すことと同義だった
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