ハリー・ポッターと竜魂の学徒 作:ホグワーツの点字聖書
きっと目の前の老人は全て自分の手のひらの上だったと思っているのだろう。
日記帳について言及しないのがかえって雄弁にダンブルドアの意向を示している。ルシウスは
ルシウスは互いの微笑みに一切の温もりが含まれていないことを承知の上で、それでも笑みを崩さなかった。
この場にいるのはダンブルドアとルシウスだけではない。ハリー・ポッター、そして魔法大臣のファッジも同行している。お互い、下手なことは言えない。
「おお、アルバス! ルシウスから状況を聞かされたときは腰を抜かすかと思ったよ」
「お互い年じゃからのう、コーネリウス。腰と友は痛む時ほど大切にせねばならん」
「いや、まったくだ。私は友としても、魔法大臣としても不甲斐ない! 結局また君に任せきりだ、そうだろう? それではいかん!」
ダンブルドアの眉が訝しげに上がる。
そう、ルシウスは最初からダンブルドアを排斥するつもりなどない。ダンブルドアはこの巣に閉じ込めておいたほうがむしろ好都合だ。
だからルシウスはむしろ理事たちの中でも親ダンブルドア派を優先して訪ね、今回の計画を無事成功させた。
問題はファッジをどこまでコントロールできるかだった。いくらマルフォイ家が魔法省のスポンサーとはいえ、ファッジにとってダンブルドアは顧問にも等しい存在だ。綱引きをすればダンブルドアが勝つ。
だから、最初からルシウスは
魔法教育文化局。ホグワーツと魔法省の連携を目的として、大臣室直轄の新設部局が立ち上げられた。もちろん、ルシウスの主導で。
「ホグワーツには自治権がある。しかし、それはそれとして魔法省との連携が必要になったときの窓口が用意されていない。当然のことですな、魔法省には教育を司る部門がなかったのだから」
「いかにも、そのとおりじゃ。ホグワーツは長い歴史の中で独立独歩してきた。魔法委員会の誕生を見届け、それが魔法省として改革されていく姿を、ホグワーツはよく知っておる」
「ええ。その歴史自体がホグワーツの堅固な地盤を示していると、我々理事はそう考えてきました。しかし、今の時代は……少々、それでは不足していると言わざるをえない」
奥のソファで不安そうにしている少年にちらりと視線をやる。
ハリー・ポッター。無事ヴォルデモート卿の日記帳を破壊してくれた、今回の英雄だ。
そして彼が最初に英雄として名を馳せて以来、罪なき子どもたちが親の汚名を負って影に暮らしている。ダンブルドアはそれを救っていない。
ダンブルドアが魔法大臣の座を辞退した後、コーネリウス・ファッジという魔法事故惨事部の副部長でしかなかった男に白羽の矢が立ったのはまさにそこだ。彼はその温和さと凡庸さゆえに戦後処理で多くを拾い上げた。
しかし、拾い上げられたはずの子どもたちに「闇の陣営の子ども」というレッテルが貼られ、スリザリン生というステータスだけで評価されている残酷な実情は、他ならぬホグワーツの放任主義が生み出したものだ。
ルシウスはその問題を責めるのではなく、助ける形を選んだ。
「ダンブルドア。もちろん、あなたを責めるわけではない。しかし、あなたに頼ることを躊躇する子どももいるでしょう。かつての私がそうだったように」
「ふむ。一理あるかもしれんのう。年長者という立場も中々不便なものじゃ。しかし、そういった生徒たちは君やセブルスを頼るのではないかと思っていたのじゃが、違うかね?」
「不甲斐ない話、私がその全てに応じられるわけではないのです。何かしら困り事のある生徒がセブルス・スネイプを頼れるかどうかは……彼の友人として、悪く言いたくはないのですがな」
小さな笑い声。見やれば、思わず笑ってしまった羞恥心に耳を赤らめて、ハリーが口を押さえていた。
「ああ、ミスター・ポッター。お気になさらず。セブルスの抱えるちょっとした人間性の問題が教職とあまり相性が良くないというのは、
「ほう、そのスネイプとかいう教師は何か問題を抱えているのかね?」
「よくいる偏屈教師じゃよ、コーネリウス。魔法薬学の教授でのう、ホラスほど生徒には愛されておらんが、それなりの年月を
「なるほど、なるほど。はっは、偏屈教師というのはいつの時代もいるものだ。ハリー、その先生とは上手くいっているかね」
「その……いいえ」
聞いていたとおり、スネイプとハリーの関係は最悪のようだ。
それも当然のことだ。
スネイプから見て、ハリー・ポッターは最も愛した女と、最も憎んだ男の間に生まれた子だ。ハリーが存在するというその事実が、リリー・エバンズへの愛と衝突し続ける。
受取人不在のまま愛を捧げ続けている狂人が、愛と憎しみの板挟みにあって正気のふりを続けられるはずがない。
「まあ、そういうわけだよアルバス。大臣室直轄の人間がホグワーツに駐在して、魔法省の窓口になる。相談員と言ってもいいかもしれん」
「ふむ……事前に相談がほしかったところではあるがのう。相談員のための素敵なソファとテーブル、それにティーセットを一式急いで用意せねばならん」
「では、受け入れてくれるか! 担当者については……まあ、直接話したほうが早いだろう。入ってくれ!」
ややあって、校長室の扉が開かれた。
1分に80歩の訓練された規則正しい足音は闇祓いの証。
丁寧に磨かれた革靴は傷一つなく、スラックスの裾からシャツの襟に至るまで一切の瑕疵が存在しない。
視線をやらずともハリーが困惑している表情が容易に想像できる。この男はどう見ても魔法族ではない。銀行の頭取か、さもなければ大手企業の敏腕営業部長か。
バーテミウス・クラウチ・シニア。魔法省において最も優れた余剰人員だ。
「失礼する。魔法教育文化局、局長のクラウチだ。……今さら不要な挨拶ですかな」
「君の几帳面な挨拶を聞ければ、何度でも儂の曲がりはじめた背筋が伸びるというものじゃよ、バーティ」
表面上は穏やかな対面だ。
クラウチとダンブルドアは対立していたわけではない。同じ陣営の過激派と穏和派、互いの足を引っ張った仲だった。
だからこそ、クラウチが闇の陣営を心底嫌っていることはダンブルドアも承知しているはずだ。面倒には思うかもしれないが、受け入れない理由はない。
「誰が来るかと内心そわそわしておったのじゃが、バーティであれば心配はいらんかのう」
勝った。
ルシウスの中に確信が生じた。ダンブルドアは人事を受け入れた。
これでクラウチを通じてホグワーツ内に実権を持った駒を抱えることができる。クラウチ派のような派閥を形成できればなおいい。
そして、数秒後にはその確信こそが自分の浅はかさだと理解させられた。
「しかし、ホグワーツ内の人事権については儂が担うことになっておる。ところで最近、闇の魔術に対する防衛術の教授が冒険旅行に出発してしまってのう。学期末まで空席にするわけにもいかん。バーティ、教職に興味はないかね?」
「……私が? 教職に?」
「おお、それはいい! なんといってもバーティはほら、実戦と教範の両方を熟知した男だからな! 流石アルバス、名采配だ!」
「どうじゃね、バーティ。生徒たちと直接触れ合う機会にもなるじゃろうし、それに今年は少々……ユニークな座学が中心じゃったからのう」
よくない流れだ。
ルシウスは頬が引きつりそうになるのをぐっとこらえた。こんなところで表情を乱しているようでは父を超えるどころか、目的を果たすことすらできない。
ダンブルドアの提案はとても優れている。現状の「正解」を持ってこられた。
不足している教師の穴埋めをしつつ、「相談員がまず生徒に信用されるためのきっかけづくり」を提示された。反論の余地はない。
問題は目的がわからないことだ。
抱き込んでこちらの情報を探りに来ているのだとしたら露骨過ぎる。「お前を政敵として探っています」と宣言したようなものだ。
教師の候補が本当にいないという可能性もないわけではない。ただ、ルシウスには「ダンブルドアが頼めば教師をやりそうな人々」にいくらでも心当たりがある。
つまり、今このタイミングで転がり込んできたクラウチを臨時で教師にするメリットがダンブルドアにあるということだ。
「……今年度末までの臨時。それで構わなければ、謹んでお受けしよう」
クラウチが受けてしまった以上、口を挟むのは難しい。
「あー、ダンブルドア。よろしければ、理事として雇用書類を用意しますが」
「おお、ありがとう、ルシウス。ここしばらくはホグワーツのために随分と骨を折ってくれたそうじゃのう。理事たちから君の名をよく耳にした」
「それはそれは。いい噂でしたかな?」
「もちろんじゃとも。最近の君は特に輝いて見える。ドラコも誇らしいことじゃろう」
牽制された。お前を見ている、お前の息子は自分の手元だ。そう釘を差された。
焦らずホグワーツの魔法契約を羊皮紙に刻み込みながら、ルシウスは小さく息を吐いた。予想はしていたが、これで完全にダンブルドアからマークされたことになる。
ここからは動きづらくなるだろう。やはり、父ほどうまくはいかない。
「――あの、マルフォイさん。質問してもいいですか」
まったく予想していなかった声に、思わず手が止まった。
ひび割れた眼鏡の向こう、真っ直ぐな目でこちらを見ているハリー・ポッターは、一切の悪意を見せずに、とてもシンプルな相談を口にした。
「僕、一度でいいのでドラコとちゃんと向き合って話してみたいんですが、どうしたらいいと思いますか?」
ルシウスの中で、全ての歯車が軋む音がした。
《魔法法執行部新人教育マニュアル 第6版》
かつて魔法法執行部で使われていた教育マニュアル
魔法法執行部長バーテミウス・クラウチの編によるもの
許されざる呪文の使用許可についても記されている
過酷な戦いに適応するための残酷な思考
当時必須だったそれは、後に市民から忌み嫌われた
狂人と名高いアラスター・ムーディは怒り狂ったという
その役目は自分だけのものであるべきだと