ハリー・ポッターと竜魂の学徒   作:ホグワーツの点字聖書

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 踏みしめた草が結晶を纏って花開き、そして萎れ、腐っていく。

 主の神秘的な体質が生み出す残酷な奇跡はシラトリにとってもはや日常だったが、それでも変わらない感動を与えてくれる。

 

「うーん、意外と遠かったね。ロンディニウムから乗り物を使えばよかったよ」

「ロンドンです、我が君」

「そうだった、ロンドン。ローマ人が開拓しにいったときは羊と魚しかないような島だったのに、栄えたなあ。クレタ島を思い出すよ」

 

 クスクスと笑う彼は少年の姿をしていて、それなのにどこか熟れて腐りはじめた果実のような妖艶さを纏っている。

 一つに束ねられた紅い髪、羽織った紅のマント、爪先を彩る華やかな紅。ギリシャ人らしい彫の深さを飾る紅は鮮烈で、眩しいほどだ。

 決して劣化しない美しさとは裏腹に、その髪を束ねる金の輪はもはや腐食して錆び果て、結晶を生やしている。

 その様をかつて古代ギリシャの人々は「腐食の君」と呼び、ある時には崇め奉り、またある時には忌み嫌って命すら奪おうとした。

 

「ハーポ様。いかがですか、ホグワーツは」

 

 スコットランドの自然豊かな湖畔で、手をかざしてはるか遠くのホグワーツを眺める少年。知らない者が見ればまるで入学を待ちきれずに見物に来てしまったかのように思えるだろう。

 その無邪気な愛らしさとは裏腹に、彼は3000年近く不滅であり続ける存在だ。

 魔法史において、彼は古代ギリシャの魔術師、腐ったハーポとして知られている。

 バジリスクを飼育し、分霊箱を発明した彼は人々にとって邪悪な闇の魔術師とだけ記憶されているのだろう。

 しかし、シラトリにとってハーポは主君であり、それ以外の何者でもなかった。

 

「んー、すごいね。僕も読み解けないくらいたくさんの護りがかかってる。建物自体が調整してるのかな、干渉もしてない。すごく綺麗だ」

「お気に召しましたか」

「うん、来た甲斐があったよ。ありがとう、シラトリ」

「もったいなきお言葉」

 

 闇の研究に手を染め、マホウトコロを追放されて彷徨っていたシラトリは、偶然ギリシャの地でハーポと出会った。

 そして、その美しさに魂を鷲掴みにされた。

 鮮烈だった。放浪の果て、無謀にもハーポに挑み、傷を負って無様に地を這うシラトリを見た彼の快活な笑顔が、シラトリの脳を痺れさせた。

 以来、シラトリはずっと彼に相応しい色を目指してヒガンバナを育て続けている。

 

「あ、でもバジリスクは死んじゃったみたい。残念だね、最近で一番長生きしてた子だったから会ってみたかったんだけど」

「供養の準備をいたしますか」

「ううん、駄目。怪物の死体は倒した英雄のものだから。分霊箱もだめだったかあ。ちょっと期待してたんだけどな」

 

 今回イギリスの土を踏んだのは、トム・リドルという男が作った分霊箱の様子を見たいとハーポが望んだからだ。

 分霊箱の開発者であるハーポが本来の目的としていた、不滅の複製としての分霊箱。それが不完全ながらも成立した気配を感じ取って、ハーポはすぐさまシラトリに船の手配を命じた。

 ハーポは不死に執着していない。だから本体はすでに朽ちている。ここにいるのはハーポが少年時代に生み出した分霊箱だ。

 生まれ持った「腐食」の体質が彼自身を蝕む前に、不滅の存在として作り出された完璧な複製。

 

「みんな死にたくないからって雑に作るんだもの。あいつと同じだよ」

 

 あいつ。

 名を呼んでもいないのに表情を歪めるほど嫌うその存在について、シラトリはあまり多くを教えられていない。

 まだ幼子だったハーポを乗っ取ろうと食らいつき、その身体に入り込み、腐食によって自我を失った怪物。ひどく矮小で醜悪な、()()()()()()

 ハーポは否応なしにその知恵を継承させられた。そして、その存在がかつて死への怯懦から生み出した原始結晶という概念と理論を理解した。

 自らの生命である魂を結晶に宿し、その結晶が壊されない限り傷を負っても蘇る。不死に限りなく近づくための保険だ。

 その弱さをハーポは鼻で笑った。

 そして分霊箱を生み出した。不死のためではなく、不滅のために。

 

「……おっ、あいつの術を使う子がいる。僕を探してたのはこの子みたいだ。わずかだけど、結晶の残滓があるよ」

「始末しますか?」

「ううん、今は見守りたいかな。可愛いし」

 

 紅色の頬が緩む様は色香に満ちていて、シラトリの背筋を粟立たせた。

 

「すごく可愛いね。平和な生活が大好きなのに、その平和を守るために戦うことをやめられない。だからいつまでも平和に染まりきれない」

「人間的ですな」

「うん。……ふふ、お友達にお説教されて拗ねてるよ。でも、そういうのも満更じゃないんだろうなあ。日常こそ、平和を一番実感できる瞬間だものね。シラトリは学校に戻りたいって思う?」

「いえ、私は御身の庭師です」

「そう。……やっぱり人間はいいね。人間が一番腐りにくいんだ。あの子はどこまでもつかな」

 

 ハーポに触れられたものは必ず腐食する。

 あらゆる金属が錆び、あらゆる肉体が腐る。精神を堕落させる瞬間すらシラトリは目撃した。

 この力を振るえば世界を滅ぼすのは容易いだろう。それゆえか、ハーポは滅多に外へ出ない。シラトリが育てたヒガンバナの花園でひとり結晶の王座に座り、奴隷に書物を読み上げさせながら微睡んでいる。

 こうしてイギリスまでやってきたのは、よほどの興味を持ったからだろう。

 

「それに、あの子が修復者なら、僕に挑む権利を与えるべきだ。僕は人生の大先輩だからね」

「修復者……創造主に選ばれるという、あの」

「んー、創造主なんて大したものじゃないと思うよ。でも、そうだね。あの子は特別かもしれない」

 

 吹き抜けた風が腐食によって結晶を含み、煌めきを宿して去っていく。

 腐食の君、ハーポ。シラトリの主であり、世界を腐食させる少年は、ずっと修復者として定められた存在を探していたという。

 主が終わりを求めているのか、それとも完成を求めているのか、シラトリにはわからない。微睡んでいる間、彼の言葉は示唆的で、しかも多くを語らない。

 しかし、憂いに満ちた表情もまた美しい。

 ただそれだけで、シラトリは彼に仕えることができる。

 

 




《分霊箱》
魂を分かち、器に与えることで不滅の分身を生み出す秘儀
かつて腐食の君ハーポによって生み出された禁忌

今や不完全な不死性の術としてのみ伝えられる
それは奇しくも原型となった白竜の怯懦と酷似している

腐食の君に曰く、不死を望む者は怠惰である
真に理想がある者は不死ではなく不滅を望むのだから
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