ハリー・ポッターと竜魂の学徒   作:ホグワーツの点字聖書

41 / 81
間章です。まだ2年生が少し続きます。
しばらく更新がまばらになります。


間章:ハリー・ポッターと魂の守護者
38


 数日前までロックハートの写真で賑わっていた闇の魔術に対する防衛術の教室は、いつもと違うざわめきに包まれていた。

 秘密の部屋と継承者に関する事件をハリーたちが解決したことについて、ダンブルドアが手短に説明したことで生まれた衝撃の余韻もある。

 その勇気を讃えてハリー、ロン、ハーマイオニー、そしてプロメテアにホグワーツ特別功労賞を授与することが発表されたことへの興奮もある。

 しかし、今一番ホットな話題は、もうすぐ現れるであろう新任教師についてだ。

 バーテミウス・クラウチ。魔法省の新設部門である「教育文化局」から派遣されてきた官僚であり、今年度末までの臨時で教師になった彼について、様々な噂が飛び交っている。

 曰く、かつて魔法法執行部の凄腕部長だったが、過激すぎて窓際部署に追いやられた役人。

 曰く、例のあの人との戦いを終えてから一線を退き、外交に専念していた一流の政治家。

 曰く、闇の陣営に与していた息子をアズカバンに送ったせいで世間の支持を失った哀れな父親。

 

「センスあるよな、ダンブルドアもさ。だってほら、噂の通りならクラウチは……一流だろ?」

「あら、まるで誰かが二流だったみたいな言い方ね」

「まさか。仕事を置き去りにして冒険旅行とやらに出ちまった三流のことなんて、僕は――」

 

 扉が開いた。

 乱暴ではないが、叩きつけるような力強い開け方。ブーツの踵が鳴る様はまるで床を躾ける主のようだ。

 つい先日ハリーが校長室で目にしたときとは違う、上品な深みのあるグレーのスーツを着たクラウチは、生徒たちが座る机の間を通り抜けながら杖を一振りし、全員の手元に本を出現させた。

 配られた本のタイトルは『魔法理論入門 実践の合理化』、著者はアドルバート・ワフリング。

 ハリーは著者のワフリングという家名に見覚えがあった。少し前、プロメテアがようやく読み終わったと得意げに自慢していた、とんでもなく分厚くてありえないくらい重い本を書いたローガン・ワフリングという魔法理論学者と同じだ。

 

「いかんせん急だったため、魔法省の在庫から捻出した。少々埃臭いと思うが、各自手入れをするように」

「えっ、教科書をタダで配るの?」

「質問は挙手して名乗ってからだ、ウィーズリー。今年度の教師が指定した教科書……あれを教科書と呼ぶべきかわからんが、ともかく、あれは使わん。しかし、今から新規で教科書を購入させるのは負担が大きいと判断した」

 

 今の発言だけで、すでに教室の半数以上が彼に好感を持っていた。特にロックハートへの愛情に心をとろけさせていない層は新しい教授を心から歓迎していた。

 教壇に立ってこちらを向くと、チョークが自然に浮遊して彼の名前を黒板に記していく。

 いつチョークに魔法をかけたのか、彼が杖を振ったことすらハリーには気づけなかった。

 

「バーテミウス・クラウチだ。朝食の際にも紹介を受けたが、改めて自己紹介させてもらう。魔法省教育文化局からホグワーツ駐在の窓口として派遣された」

「窓口?」

「そうだ、ウィーズリー。たとえば通学時のトラブルでやむを得ず空飛ぶフォード・アングリアに乗ってホグワーツまで飛行してきた大胆な馬鹿者がいたら、私を通してすぐさま忘却術師を出動させ、非魔法族の記憶トラブルを解決することができる」

 

 教室内に小さく笑いが起こった。今年度の頭にハリーとロンがちょっとした空の旅をしたことは今となってはグリフィンドールで定番の笑い話だ。

 厳しい髭と額に寄った皺の割にはジョークが通じる人なのかもしれない。

 ただ、ハリーの目にはクラウチがあまり今の状況を楽しんでいるようには思えなかった。彼の瞳は一見穏やかだが、奥に何かを悔やむような揺らぎが隠れているような気がするのだ。

 

「とはいえ、今日ここに立っているのは役人としてではなく、教授としてだ。過去数年間のカリキュラムを確認した限りでは、君たちの教育環境は十分とは言えなかった。私は残りの期間で可能なだけそれを補完する。……質問かね」

「はい。ハーマイオニー・グレンジャーです。この教科書は魔法理論の教科書です、闇の魔術に対する防衛術はもっと実践的な魔法を教える科目では?」

「なるほど、君がグレンジャーか」

 

 一瞬考えるように視線を上げたクラウチは、小さく頷いた。

 

「グレンジャー。盾の呪文の効果を増強する修飾節のうち、純粋な増幅においての最大化を意味するものは?」

「Maximaです。他に知られている効果的な修飾節はいずれも増幅ではなく何らかの特化です」

「Solem、Lux、Petrinusのうち、唯一光の呪文の修飾節として機能しないものは?」

「Petrinusです。太陽(Solem)(Lux)は光と深く関係し、(Petrinus)は関係しないためです」

「結構。グリフィンドールに10点与えよう。そして、周りを見てみなさい」

 

 ハーマイオニーの視界にはきっと、たくさんの同級生がぽかんとした表情を浮かべているのが見えただろう。

 プロメテアのおかげで多少の基礎を学んだことがあるハリーは二人のやり取りが多少理解できた。今の会話は魔法理論の初歩だ。

 呪文を唱える際、意味を持つ言葉を呪文に付加することによって効果を強めたり、偏らせたりすることができる。たとえば去年はハーマイオニーが光の呪文ルーモスに太陽を意味するソレムを付加することで、太陽光に弱い悪魔の罠を追い払った。

 魔法族なら多かれ少なかれ誰もが知っていることだ。ただ、それが何故かを説明できる人は多くない。

 

「私は教室に入ってからまだ一度も呪文を唱えていない。君たちもいずれ無言呪文について学ぶことになるだろう。杖も呪文も魔法を運用するための補助輪にすぎなかったと、その時理解することになる」

 

 無言呪文はハリーも挑戦したことがある。プロメテアが無言で本を取り寄せるのがかっこよく見えて、自分も試したかったのだ。

 しかし、「呪文を唱えずに頭の中だけで魔法を成立させる」という方法をどう実践すればいいのかわからず、ただ杖を構えて力むだけで終わってしまった。それを目撃したダフネに笑われたのは、あまり思い出したくない記憶だ。

 

「魔法とは現象だ。自然と言い換えてもいい。諸君らが幼少期に魔法を発現させてイメージを現象に落とし込んだとき、呪文は唱えていなかったし、杖も持っていなかった」

「それじゃあ……」

「挙手と名乗りを」

「あ、ごめんなさい。ハリー・ポッターです。それじゃあ、どうして呪文や杖が必要なんですか?」

「制御のためだ。魔法省の魔法事故惨事部は有給消化率の低さが省内でも一二を争っている部署だが、その主たる原因は正しく呪文を唱えず、正しく杖を振らなかった馬鹿者が多すぎることにある」

 

 また笑いが起きたが、先ほどよりは静かだった。皆心当たりがあるからだ。

 たとえばシェーマスはどんな呪文でも失敗すれば爆発を起こすし、ロンとハーマイオニーは発音の間違いがきっかけで大喧嘩をしたことがある。

 確かに、発音や杖の振り方が間違っていればうまく発動しないどころか、事故につながることだってある。こうして語られてなお学ぶことの重要さが理解できないほど、ハリーたちは無知ではない。

 

「熟達した魔術師は最終的に呪文を必要としなくなるし、杖も最低限で十分になる。杖魔法に優れた魔術師は最終的に杖を必要としなくなる。アルバス・ダンブルドアのようにな」

 

 とても説得力のある話だ。

 確かにダンブルドアは杖を使わずとも不思議なことができる。軽く手を打ち鳴らすだけでその音が大広間中に届いたり、指先だけで空中に光の文字を書いたり。

 ハリーはなんとなく「ダンブルドアが特別なんだ」と思っていた。

 しかし、それが長い、とても長い経験の先にあるものなら、ハリーにとってダンブルドアはよりいっそう尊敬すべき人だ。

 

「一方で君たちには正確な呪文、正確な杖さばきが求められる。では、ダンブルドアと君たちの間にある隔たりは何か。それは理論と経験だ」

「……あっ、イメージを補強するから?」

「そのとおりだ、ポッター。グリフィンドールに3点与える。挙手してからであれば5点だった、以後気をつけるように」

「はい」

「よろしい。ポッターが教えてくれたとおり、理論と経験はイメージを補強する。自分の中に生じたなぜ、どうやってという疑念がイメージを揺らがしそうになったとき、理論と経験は君たちの支柱となる」

「支柱……」

「私は、本来君たちが学ぶはずだった理論を残りの数ヶ月で可能な限り補完する。君たちが私の教えを受けて新たな呪文を唱えることはない。しかし、すでに知っている呪文について言えば、その失敗率を限りなく下げることになるだろう」

 

 最初は呆気にとられていた生徒たちの表情が、次第に熱を帯びてきた。

 スネイプが魔法薬学でやる演説とはわけが違う。そこに込められた意味が全員の意欲を刺激している。

 ディーンとシェーマスは急に教科書を開きはじめたし、ハーマイオニーは猛烈に頷いているし、ロンは折れた自分の杖と借り物の新しい杖を交互に見比べている。

 

「そして……これはあくまでデモンストレーションでしかないが、教師として未来を示す必要もあるだろう。――理論さえあれば、イメージは限りなく発展する」

 

 クラウチが杖を構え、教壇の上に小さなワイングラスを出現させた。

 上品な金の縁取りがされたグラスはよく磨かれていて曇りひとつないが、その中には何も入っていない。

 

イチジクの水よ(Aguamenti Ficus)氷河となれ(Glacius)細かく砕けよ(Finestra Minutus)

 

 グラスを満たした香りのいいジュースはあっという間に凍りつき、細かく砕かれ、おいしそうなシャーベットになってしまった。

 まるで最初から食後のデザートかコース料理の途中で出てくる口直しかのように銀のスプーンまで添えられている。つい先程までの興奮で熱気に満ちていた教室の中で、誰かが喉を鳴らす音がした。

 一口掬い上げ、味を確認したクラウチは、小さく頷いた。

 

「魔法で生成した食物を食べて回復する体力や気力は、魔法で消費した体力や気力を上回らない。それがなぜかはいずれ学ぶことになるだろう」

 

 クラウチはまた杖を一振りしてシャーベットごとグラスを消した。

 

「今の君たちが同じことをすれば、医務室のベッドが埋まることは間違いないだろう。安全な応用のためには理論への正しい理解が必要となる。……質問を許可する、ポッター」

「はい。……たとえば防衛術らしい呪文なら、どんな応用が実際に使われてますか?」

「現場で使われている応用か。……先に言っておく。君たちは守られるべき市民だ。キャリアプランとして闇祓いや魔法警察を見据えていないなら今後も同様。だから、基本的に戦闘の現場を知る必要はない」

 

 隣でロンが少し不満そうに口を曲げた。彼でなくともグリフィンドール生なら皆そうだろう。

 ただ、クラウチが噂通り魔法法執行部の部長だったことがあるなら、彼の言うことに理があるとハリーは思った。

 ジニーを助けに行った時、プロメテアはとても戦いにくそうだった。ずっとハリーたちを守りながら戦っていた。

 最初から彼女一人ならもっと楽だったのだろう。いや、それどころか、操られたゴーストたちの奇襲で手傷を負うことすらなかったのかもしれない。

 クラウチも同じような経験があるのだろうか。無謀な市民を守りながら戦った経験が。

 ハリーはもうプロメテアの足を引っ張りたくない。だからといって、守られてばかりいるのも性に合わない。

 

「……ふむ。君たちグリフィンドール生はいつの時代も変わらんな。いいだろう、有望な若者に手本を見せるのも仕事のうちだ。我々魔法省の人間が何かしらの事件現場に赴く時、真っ先に使う呪文がある。罠よ、姿を見せよ(Appare Laqueus)

 

 クラウチの杖先から広がった光が教室の四隅まで広がると、机の下の鞄やローブのポケット、あちこちが警告するように明滅しはじめた。

 隣でロンが慌てたように光るポケットを探る。光っていたのは今朝方フレッドとジョージが在庫処分セールで安売りしていた時限式糞爆弾の包みだった。双子はこれを「怪物対策」としてホグワーツのあちこちに設置していたらしく、怒り狂ったフィルチが元気になったミセス・ノリスと一緒に撤去作業を行っている。

 

「罠暴きの呪文、仕掛けられた罠を可視化する。マグルの猟師が使うトラバサミから闇の魔術師が仕掛けたルーン文字まで、それが罠であれば対象は限られない。魔法警察は現場で仲間を巻き込まないよう、まずこの魔法を叩き込まれる。……質問を許可する」

「はい、ディーン・トーマスです。この呪文で全部お見通しなら、罠を仕掛ける意味ってあるんですか?」

「いい質問だ。もちろん罠暴きの呪文を避けるための加工もあるし、存在が暴かれた時点で起動する罠もある。そして現場はそれに対応し続けることで治安を維持している」

 

 いたちごっこだ。

 ハリーは魔法薬学の授業でスネイプが毒薬と解毒薬のいたちごっこについてやたら詩的に熱弁していたのを思い出した。あのときは意味の半分もわからなかったが、今ならわかる。クラウチが今語ったことと同じだ。

 それからクラウチは胡椒の匂いがする煙を出して教室中の生徒たちにくしゃみをさせたり、その煙を一か所にまとめてゴムボールのように丸めてみせたりしたあと、こう言った。

 

「君たちが浴びた煙がスパイシーなだけで済んだのは実に幸運だった。魔法警察の特殊部隊はもう少し刺激的なものを使うが、その匂いは知らずに済んだほうが身のためだろう」

 

 全くもってそのとおりだ。

 クラス中の視線がクラウチに注目している。彼はすっかり「一流」として認められていた。

 教科書の内容に入ってからもその熱は続いていた。誰も授業中に内職をしたり、居眠りをしたりしていない。少し前までこの教室で行われていた授業とは雲泥の差だ。

 

「――よって、排除を意味するexpellereは武装解除だけではなく、有害な魔法生物や魔術師に対しても機能し……おっと、時間か」

 

 終業のチャイムが鳴るまでにあくびのひとつも聞こえなかった。

 ハリーは心底ワクワクしていた。ハリーが入学して以来、闇の魔術に対する防衛術としてまともな授業が展開されたのは今日が初めてだった。

 

「初回の課題だ。君たち自身が失敗したり、苦戦したりした呪文からひとつ選び、その呪文と杖の振り方にどのような理論があるのかを調べてくること。レポートの長さは指定しない。以上、解散」

 

 ぱん、とクラウチが手を打ち鳴らしたことで、ハリーは我に返って大きく息を吐いた。

 濃密な時間だった。頭が煮えているようだ。最初の宣言通り、クラウチはハリーたちに「可能な限りの補完」を与えるつもりのようだった。

 ただ、周囲の熱狂とは裏腹に、ずっとハリーは気になっていた。時折、クラウチがネビルに向けていた苦しそうな視線。あれは一体なんだったのだろうか。




《見舞状》
上等な封筒に包まれた手書きの見舞状
オーガスタ・ロングボトムの元に毎年届けられる

クラウチ家の家紋で捺された蝋の封は一度も切られたことがない
それは謝罪が受け取られなかったことの証左である
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。