ハリー・ポッターと竜魂の学徒 作:ホグワーツの点字聖書
出された茶を一口も飲まないスネイプの様子を見て、この仏頂面は変わらないなとプロスコラス・ボージンは笑みをこぼした。
それほど交流があるわけではないが、付き合いがないわけでもない。プロスコラスはノクターン横丁の顔役で、スネイプはスリザリンの寮監だ。冒険心の豊かな悪童がノクターン横丁に忍び込んだときは、大抵がプロスコラスの手によってスネイプ送りになる。
「何も入れちゃいねえよ。茶葉もポットもカップも表で買ったもんだ」
「ソーサーはここの商品に見えるがね」
「お、なかなか目利きじゃねえか。そいつはメティが仕入れた品でな、保温の魔法がかかってる。なんでもウガンダの王族が使ってたって話だ。ウガンダっていやあ、あれだろ? ワガドゥー魔法学校。そう、錬金術のメッカってわけだ。興味あるだろ? 今なら40ガリオンでいいぞ」
「いらん。……それよりも、バークだが」
そう、スネイプがわざわざホグワーツからボージン・アンド・バークスまで出向いているのは、プロメテアを送り届けるためだった。視界を確保する鈴が壊れてしまったせいで、帰宅のために介助が必要だったのだ。
実を言うと、プロスコラスはプロメテアが何か企んでいることを把握していた。
少なくともいくらかの「工夫をこらせば武器として使えそうな骨董品」を持ち出す相談は受けていたし、店主としてそれを承諾し、諸々の書類にサインしたのはプロスコラスだ。
多少のやんちゃをして怪我をするのは仕方がないことだ。自分で始末をつけられる範囲のやんちゃなら好きにやればいい。それが保護者としてのプロスコラスの姿勢だった。
「あれは、何だ」
「そいつは哲学的な質問かい、先生様」
「あまりとぼけんほうが身のためだぞ」
「そう凄むもんじゃねえよ。メティは勉強熱心で友達思いのいい子だ。ちょいと変わってるくらいのことは大目に見てくれたっていいはずじゃねえか、そうだろ?」
プロメテアは変わっている。それはそうだ。
プロスコラスはここ数年でますます充実しつつある店内を見渡した。元々は闇の魔術にまつわる骨董品ばかりが並んでいたカビ臭く薄暗い店だった。
それが今や、光も闇もなく魔法骨董品を広く扱う大店だ。表の専門家が用心棒付きで訪れることすらある。先月にはあのニュート・スキャマンダー老人からも手紙が届いたほどだ。
この店が変わったのは、間違いなくプロメテアが共同経営者として口出しをするようになってからだ。目の見えないプロメテアは、そこらの蒐集家がめくらに思えるほどの目利きだった。商売は上手くないが、そこは経験ある店主が補えばいい。
魂が見える? 特別な知識がある? 大変結構。それくらいの個性を愛でてやらずに何が親か。悪友の忘れ形見として、いや、我が娘として、プロスコラスはプロメテアを大切に思っている。
しかし、目の前で眉間に皺を寄せるスネイプはそうではないようだった。
「お前が仕込んだのか」
「いいや? 子どもってのは勝手に育つもんだ。育児経験がないとわからんだろうが、そういうもんなのさ」
「そういう次元の話をしているのではない、ボージン! あれは……闇の帝王を殺したのだぞ」
知っている。もしかすると、スネイプよりも詳細に。
スネイプがここに来るよりも早く、ダンブルドアがふくろう便で事の顛末を伝えてくれた。そのおかげでプロスコラスは手傷を負って帰宅した娘を真っ先に抱きしめて褒めてやることができた。
「立派なことじゃねえか。大戦果だ」
これはプロスコラスの本心だ。
誰であってもヴォルデモート卿を殺せるものなら殺したいだろう。あの時代を生き抜いた人間が共通して憎しみを向けることができる存在だ。
もちろん、スネイプが言うこともわかる。ただの子どもにできることではない、力の出どころを明かせと言いたいのだろう。
しかし、ハリー・ポッターが成し遂げたのだから、プロメテアが成し遂げたところで責められる謂われはないはずだ。たとえ、多少手口が荒っぽくとも。
「常人のなすことではない、わからんか。闇の帝王を殺せるほどの者がどれだけいる?
「我々?」
立ち上がったプロスコラスを見上げるスネイプの仏頂面は変わらない。しかし、その奥で渦巻く感情は並大抵のものではないだろう。ダンブルドアがわざわざ庇い立てするほどのスパイが何も抱えていないわけがない。
だからといって、我々などと気安くまとめられるほど、ボージン・アンド・バークスは安い看板ではない。
ヴォルデモート卿が君臨したあの時代、闇に染まれなかった薄暗がりの半端者たちを拾い上げ、まとめ上げる人物が必要だった。ダンブルドアが救わない連中を誰かが救う必要があった。
悪友たちがヴォルデモート卿のための研究施設に送られ、残された赤子のおしめを替えながら、プロスコラス・ボージンという男はこのノクターン横丁の顔役をやってきたのだ。
その顔役が救おうとして救いきれなかった連中のほとんどが、闇の陣営に雑兵として使い捨てられた。
「偉そうな口を叩くんじゃねえ、コウモリ野郎。その湿気た面にお似合いの牙を見繕ってやってもいいんだぞ」
セブルス・スネイプ程度の愁嘆場は見飽きるほどに見てきた。
だから気に入らないのだ。心底つまらなそうに教師ごっこをやって、裏ではこれまた心底つまらなそうにダンブルドアの小間使をするこの男が。
もちろん、気に入らないというだけで食って掛かるほどプロスコラスは子どもではない。だから仕事での付き合いは保ってきた。
しかし、娘が危ない目にあって帰ってきたとなれば話は別だ。教師として詫びのひとつも入れるのが筋というものだろうに、言うに事欠いて「あれは何だ」ときた。
「人様の娘にとやかくけちつけやがるならな、まずてめえのケツを拭けるようになりやがれ。教師ってのはそんなはなたれ小僧にできる仕事じゃねえぞ」
「……ひとつだけ聞かせろ。あれは闇の帝王の縁者ではないのだな?」
「おう、うちのメティはありがてえことにそんなクソ野郎とは縁もゆかりもねえよ。お陰様でここらで一番の美人に育ったってわけだ」
話は終わりだ、とプロスコラスは頼まれていた荷物をテーブルの上に放り出した。
元々スネイプはプロメテアだけを運んできたわけではない。ダンブルドアから鑑定品を預かってきたのだ。自分で見ただけでもわかっているだろうに、わざわざ専門家のところに寄越してくるとは、よほど確証が欲しかったのだろう。
「詳細は中にまとめてある。俺も分霊箱だと見立てた、そう伝えろ」
「知っているのか」
「おい、こちとら鑑定で飯食ってるんだぞ。お前は生徒に『先生はこの魔法薬を知っていますか?』なんて質問されたらどうする? 俺なら減点か拳骨を食らわせるね」
「……今日はこれで失礼する。迎えは別の者が来ることになっている」
「そいつはここしばらくで一番の朗報だな」
スネイプが荷物を抱えて姿くらましをしたあと、プロスコラスは東洋の客から二束三文で買い取った邪気払いの塩を一掴みほど床にぶちまけた。
自分の背負った役目を果たさない、そういう大人が一番嫌いだった。だから、娘の危機に何もしてやれなかった自分に腸が煮えくり返っていた。
大きく息を吐いて、プロスコラスはティーセットを片付け、オーブンからアップルパイを出した。今頃二階で鈴の修理に取り掛かっているであろうプロメテアに差し入れを持っていってやらねばならない。
***
同じヨーロッパでも、ここまで違うか。
ギルデロイ・ロックハートにとってアルバニアの森とは未知の世界だった。もちろん、あちこちで武勇伝を回収するためにそれなりの旅行はしたが、記憶を盗むために人里を離れる必要はなかった。
生い茂る草木の根と枝はロックハートの歩みを遅らせ、虫の羽音と耳慣れない獣の鳴き声が肩を震わせる。本当に同じ経済圏か疑わしい未開拓具合だ。
「あー、乗り物とかって使えないんですかね? ほら、私ってあれですよ、学生時代はクィディッチで名を馳せていたわけですから! 箒でひとっ飛び、ね!」
「徒歩だ。そう指示されている」
そして同行者の無愛想なことと言ったら!
初めて対面したとき、ロックハートはこの男のことを人間として認識できなかった。身長は3メートルほど、顔を覆う金の三角兜、そして背負った不気味な車輪。
ルシウス・マルフォイから「彼が同行者のローゲリウス・ブルストロードだ」と紹介を受けたとき、ロックハートの喉から発せられた声は驚愕と絶望の両方を意味していた。
彼との奇妙な旅は、その異様な風貌とは裏腹に順調だった。
無口だが、質問すれば答えてくれる。力持ちで旅慣れており、ロックハートが魔法を上手く使えなくても黙って待っていてくれる。
この旅がひょっとすると死出の旅になるかもしれない点を除けば、人生で一番快適な旅行だった。
「ひい……今この木、私を狙いましたよね? 狙って枝を振りましたよね?」
「暴れ柳の原生林だからな」
「そういうことは先に言ってくださいよ!」
快適というのは嘘かもしれない。
まあ、死ぬ前に本当の冒険ができるというのは、吹っ切れてしまえばそれほど悪い話ではなかった。最後の冒険が悪名高きヴォルデモート卿への届け物というのはいただけないが、まあ、仕方がない。
嘘をつくのにも疲れた。
正直に怖がって、正直に怒って、正直に叫んでもいいという権利を、ロックハートはすっかり忘れていた。
「いたた……天罰なんですかねえ、これ」
「拙は神を信じんが、人が与えるものを天罰とは思わん」
枝にぶたれた鼻をさすりながら愚痴っていると、先行しながら枝を払い落としていたローゲリウスが小さくこぼした。
同行者としての彼は本当に無口だ。自分のことを語らないし、相槌も打ってくれない。
見るからに異貌。巨人との混血児だという噂のある森番のハグリッドと並ぶような長駆は、一体何に由来するのだろうか。興味は尽きない。
あれこれ詮索しようとしたが、「娘がホグワーツにいる、お前の話は聞いている」と言われてすごすごと撤退した。すすんで虎の尾を踏む趣味はない。
「あれ、意外ですね。なんというかこう、格好的にも迷信深いタイプだと思ってたんですが」
「拙が信じるのは力だけだ。……足元、イタチの巣穴があるぞ」
「うわっ! あー、もう……糞でブーツがベタベタです」
死に一歩ずつ近づきながら、ロックハートは目いっぱいに悲鳴を上げた。
どうせ死ぬのだ。できなかったことをやってやろう。
《金のアルデオ》
ブルストロード家に伝わる異邦人の奇妙な兜
金の三角は一族の狂気じみた不退転の象徴でもある
ブルストロード家は武門であり、強さのためになら愚かにもなれる
ゆえに彼らはかつて禁忌と交わり、血を強くした
純血の従士としてブルストロードの名は語られる
その裏ににじむのは侮蔑と憐憫だったかもしれない