ハリー・ポッターと竜魂の学徒   作:ホグワーツの点字聖書

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※選択科目の教科名と教化内容について
"Arithmancy" は原作日本語版では「数占い」と訳されていましたが、作品の雰囲気に合った定訳である「数秘術」を採用します。
また、公式では古典語学系の科目である「古代ルーン文字学」の内容を大きく拡大し、「ルーン文字による応用的な魔術」をフレーバー程度に登場させます。


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「――では、個別対応については原則として寮監にお任せする。2年生向けのパンフレットとは別に選択科目担当の先生方から科目概要を作成いただいているので、適宜参照を」

 

 教員たちのリアクションは様々だったが、異論はないようだ。

 クラウチが教員会議を取り仕切るのは今日に始まったことではない。これまでは副校長であるマクゴナガルが進行を担当していたが、担当業務の多い彼女にとって癖の強い教員たちをまとめるのは少なからず負担だったようで、嬉々としてクラウチに立場を譲った。

 もしかすると、マクゴナガルのクラウチに対する信頼は彼女がクラウチの学生時代を知っているからかもしれない。当時のバーテミウス・クラウチは、クラウチ家として当然の優秀さを示した。まだ若い教師だったマクゴナガルには特に重宝されたのを覚えている。

 彼女の記憶の中でもより新しいであろうバーテミウス・クラウチのことをどう思っているかは、聞く気にもならない。

 

「ありがとう、クラウチ先生。それとも、クラウチ局長と呼ぶべきかしらね?」

「ご自由に。どちらであっても仕事は同じだ」

 

 スプラウトの茶目っ気にあふれた問いかけを適当な返事で誤魔化して、クラウチは手元の書類を捲った。

 今回の教員会議で最重要項目として挙げられたのが、進路指導と選択科目についてだ。例年のホグワーツでは選択科目について説明会を開いてこなかった。生徒の自主性を重んじるという言い訳の下で人員不足を誤魔化してきたわけだが、今年はクラウチがいる。

 選択科目は進路に直結する。卒業時の成績が就職活動にそのまま反映されるからだ。

 たとえば、複雑な魔法の分析に必須の技能である「数秘術」はグリンゴッツの呪い破りなど専門職での採用条件に指定されているほか、魔法省でもいくつかの部署で重宝される。

 また、「古代ルーン文字学」は碑文の読解や術具の鑑定など歴史関係職で求められ、さらにルーンを刻む類の魔術にも応用が利く。

 近年は魔法省以外でも需要が高まっている「マグル学」、常に一定の雇用が確約されている「魔法生物飼育学」、適性の有無こそ問われるが習得すれば一生食べていける「占い学」など、説明を受けなくては想像もつかない選択科目は多い。

 魔法教育文化局の局長として任ぜられた以上、クラウチには自分の責務を全力で果たす以外の選択肢などありはしない。

 

「ああ、それから、ファッジが私の後任についてリストがほしいと言っていた」

「後任?」

「闇の魔術に対する防衛術の教授だ。私は今年度限りでの契約になっている」

「あなたの後任を見つけるというのはかなり難しいわ、バーティ」

「そう言っていただけて光栄だ、マクゴナガル先生。私自身も手応えはあったが、ホグワーツにおいては校長の人事権が優先される」

 

 手応えはあった。それは紛れもない事実だ。

 闇の魔術に対する防衛術の教師としてクラウチは高い評判を得ている。着任時の挨拶を覚えていたのか、来年度の留任を求める生徒の声も時折耳に入るほどだ。

 ここしばらくホグワーツは実践偏重の傾向にあった。先の戦争――ヴォルデモート卿との戦いに影響されてのことだ。一人一人が即戦力であることを求められた時代の名残によって歪められた教育カリキュラムは、一部の生徒を置き去りにしてしまっていた。

 そこで、かつては魔法理論の科目名で開講されていた内容を中心に、クラウチは徹底的な座学の補完を行った。座学の意義を理解させるという抜本的な改革に成功したクラウチは、ここしばらく浴びていなかった賞賛の視線に戸惑う日々を過ごしている。

 しかし、ダンブルドアはクラウチの留任を望まないだろう。何をどう覆そうと、クラウチが()()()であることに変わりはない。

 緩やかに形成されつつあるクラウチ派、その実態はルシウス・マルフォイが張り巡らせた網の一端だ。菌糸が大樹の根を蝕むようにして、ルシウスはホグワーツ内に見えない影響力を持った。

 

「でも、ミネルバの言う通りよ。次の先生、きっと相当プレッシャーに感じるわ」

「教授職からは降りるが、ホグワーツから去るわけではない。ダンブルドア次第ではあるが、補佐程度は可能だろう」

 

 純粋な期待の目が突き刺さると、とうに捨てたはずの良心が痛むのを感じる。若い世代と過ごしたせいで()()()()()のだろうか。

 最終確認を済ませて議事録の写しを教員たちに手渡した後、クラウチは職員室を後にし、ダンブルドアに与えられた「相談員室」へと引き返した。

 中庭沿いの回廊に響く静かな雨音にクラウチの足音が割り込んでいく。霧のような冷たい雨。雨の多い春のスコットランドはコートを脱ぐにはまだ少し肌寒い。

 廊下に響くクラウチの足音ですぐに誰が来たか気づき、声をかけてくる生徒もいる。1分に80歩の規則正しい歩行は体力勝負になることの多い魔法法執行部で叩き込まれる基礎のひとつだ。もっとも、これをクラウチに叩き込んだ()()は「足音で闇祓いと気づかれているようでは先手が取れんだろうが、ええ?」と凄みながら独自の歩法を編み出していたが。

 広いホグワーツを職場とするようになって一番役立ったのが体力節約の歩法とは。この奇妙な因果が誰に予想できただろう。

 

「――クラウチ先生だ」

「いかにも、ミス・ラブグッド。今のところはまだ、とつくが」

 

 裸足の少女――ルーナ・ラブグッドがしゃがみ込んだままクラウチを見上げている。どこか夢遊病者を思わせる微睡んだような瞳にはもう慣れたが、今日はいつもより血色が悪いように見える。

 叡智を尊ぶレイブンクローの青が施されたローブの裾は泥に塗れ、頬にもいくらか乾いた泥がついたまま。やんちゃな泥遊びの後にしてはあまり愉快そうな表情ではない。

 

「先生、あたしの靴知りませんか? うっかり目を離したすきにうねうね殻パッグノミが履いてっちゃったみたい」

「いや、見ていない。その魔法生物は友人か?」

「あんまり友達って感じじゃないかな。友達なら、靴を借りる前に一言かけるもン」

「その通り。では、私が取り返しても構わないな?」

 

 ルーナが遠慮がちに頷いたのを確認してから、クラウチは杖を一振りしてルーナの靴を呼び寄せた。少し傷が付いているが、磨けば隠れる程度のものだ。それでも、クラウチが傷を直してから靴を差し出すと、彼女は嬉しそうに微笑んで礼を言った。

 この程度の些細な親切を喜ぶ程度には、ルーナは恵まれない環境にいる。彼女がいじめを受けていることは、最初にレイブンクローの1年生を指導したときにはもう察していた。

 叡智を尊ぶ。そう謳えば聞こえはいいが、レイブンクローは真の意味で聡明な生徒だけで構成されている寮というわけではない。教科書をすべて暗記しているほどの完璧な秀才には、教科書を理解した上で否定し新たな定理を発見するような天才を受け入れることができない。

 ありあまる独創性を理解されずに縮こまっていた哀れな新入生。彼女を手伝うことは、相談員として当たり前のことだった。

 

清めよ(スコージファイ)。この呪文は覚えておきなさい。役に立つ」

「はい、先生」

「……寮に戻るのは少し身体を温めてからのほうがいいだろう。来なさい」

 

 裸足の上に靴を履きなおしたルーナの姿に「部屋に靴下の予備はあっただろうか」と考えを巡らせながら、クラウチは彼女を連れて相談員室へと戻った。

 暖炉に火をつけ、デスクの上から書類を消し去る。これといって急ぎの連絡も来ていない。紅茶の準備をしようとして、クラウチはティーポットが勝手に缶から来客用の茶葉を詰めはじめていることに気がついた。

 調度品は書類仕事に適したシンプルで飾り気のないものを揃えたが、猫脚の生えた緑色のティーポットだけはダンブルドアが用意していた品をそのまま使っている。時折茶菓子を盗んでいくことを除けばよく躾けられているし、生徒からの評判もいい。

 クラウチは備品の棚から贈答品の高級靴下セットを引っ張り出し、ルーナに差し出した。

 

「好きな柄を選びなさい。サイズは合わせる」

「いいんですか?」

「構わない。これを贈った人は私が常にスーツを着ているということを忘れていたらしい」

 

 もっとも、贈り主であるダンブルドアの深謀遠慮を考えれば、これもなにか意図あってのことかもしれないが。

 細い指先が恐る恐るオレンジ色のすもも柄を指し示したのを確認して、クラウチはその靴下をルーナに合うサイズに縮めて渡した。

 

「ありがとうございます。……この柄、変かな?」

「特徴的だとは感じる。しかし、靴下の柄をストライプに限定する法律はない」

「ン、たしかに」

 

 靴下を履いてみせたルーナは何度か指を曲げ伸ばしし、枝についたすももの柄が動きに合わせて揺れるのを楽しんでから靴を履きなおした。

 彼女の感性は独創的だ。おそらく父親の影響もあるのだろう。国際魔法協力部部長だったころ、クラウチはゼノフィリウス・ラブグッドが発行している『ザ・クィブラー』を国外に輸出したいという申請を却下するためにその怪文書を何冊か解読したことがあった。

 仕事柄、独創的なものには慣れている。存在の不確かな魔法生物の1ダース程度、片眉すら上げる理由にすらならなかった。

 理解できないものの存在自体は何の罪にも問われない。魔法法執行部のころも、国際魔法協力部のころも、意識すべき評価軸は好きか嫌いかではなく、善いか悪いかだった。そして、その善悪を規定するのは法であって人ではない。

 ホグワーツでもそこに変わりはない。

 ルシウスからは「有力な生徒、人望のある生徒、将来性に期待の持てる生徒」を囲い込むよう指示されていた。かつてホラス・スラグホーンが教授職についていたころ得意とした青田買いをより能動的にやるということだ。実際にクラウチが相談員として世話を焼いているのは、彼の期待する生徒とは正反対に近い。

 これは協力者への反抗心というよりもむしろ、仕事への誠実さという最後の矜持だった。

 

()()は必要か?」

「ンー……もう少し、頑張ってみます」

 

 いじめの首謀者に処罰が必要かと問いかけたクラウチに、温かい紅茶の注がれたマグを抱いたルーナは頭を振った。

 ルシウスが求めている人材ではないかもしれない。しかし、ルーナは聡い子だった。

 変わり者、嘘つき、そう揶揄されているルーナは、自分のどこが問題視されているか理解できている。彼女が存在を主張している魔法生物はまだ発見されていないし、彼女が存在を証明したこともない。

 だからといって、ルーナが虚言癖を患っているというわけでもない。多くの者が既知であると思いこんでいる魔法を、彼女だけが未知のものとして広い視野で見ている。多少の妄想癖は認められるが、論理が破綻しているわけでも、コミュニケーション能力に問題があるわけでもないのだ。

 最初に個別での聞き取りを行った際、ルーナははっきりと宣言した。自分でできるところまでは自分でやりたい、いつかは頼ると思うがそれまで手を出さないでほしい、と。この選択が正しいことを祈りながら、クラウチは彼女を見守ることに決めた。

 興味深かった。聡明で、視野が広く、柔軟でありながら強靭な意思を持つ。彼女は自分にはなかった可能性の塊だ。

 そして、もしかすると、息子には眠っていた可能性なのかもしれない。

 

「今日、木曜日だ」

 

 唐突なルーナの呟きによって、クラウチの意識は現実に帰ってきた。

 下らない後悔は今に始まったことではない。しかし、()と顔を合わせる頻度が増すにつれて、息子の姿のまま獄中死した妻と、今も屋敷に軟禁させている息子の姿を思い出す時間が比例するように増えてきている。

 クラウチは自分のカップから熱い紅茶を流し込んで淀んだ思考を消し去った。猫脚のティーポットが空中をいたずらにさまよいながら残った紅茶をちゃぷちゃぷと踊らせている。

 

「いかにも。もうすぐ()と約束している時間だ。いつもどおり、一緒に練習するのであれば構わないが」

「そうします。呪文学の予習したいし、それに、ネビルにこの靴下の自慢もしたいもン」

 

 ちょうどその時、遠慮がちなノックが待ち人の来訪を告げた。

 クラウチが杖を小さく振ると、扉がゆっくりと開かれる。その向こうでは、やや小太りの少年がヒキガエルを抱えていた。ネビル・ロングボトムだ。

 

「あ、あの、今大丈夫ですか?」

「構わない。約束どおりの時間だ。そして、私は約束を忘れていない」

 

 忘れるはずがない。ロングボトム。その姓を忘れたことなど、あるはずもない。

 彼を中に招き入れる。廊下の冷たい空気が扉によって阻まれる。最初は表情を強張らせていたネビルも、ルーナの姿を目にして明らかに安堵した様子だった。

 

「前回は浮遊呪文を成功させたところまでだった。今回は修復呪文。合っているな?」

「は、はい。えっと、これ、レポートです」

 

 丸まった羊皮紙を受け取って広げる。修復呪文の機序について教科書の記述をまとめたレポートだ。字も内容も拙いが、それゆえに自分で考えて書いたであろうことが察せられた。

 クラウチは彼に個人指導を頼まれていた。それも週に一度、定期的に。

 頼まれた時、動揺しなかったと言えば嘘になる。彼にはクラウチを恨む権利があると、そう信じていたし、事実として彼の祖母はクラウチを憎んですらいた。自分の孫がクラウチの個人指導を受けると知って、彼女はクラウチに吠えメールまで送った。

 しかし、相手の姓がロングボトムであろうと、レストレンジであろうと、クラウチには関係ない。その役職に就いた以上、役職に伴う責務を全うする。それだけだ。

 

「……よろしい、よく書けている。少し休んでからにしよう。ちょうど茶を淹れたところだ」

「もしくは、入ったところ」

「実に正しい。ミス・ラブグッド、すまないが彼の分の茶菓子を棚から出してくれ」

 

 暖炉の前に置かれたソファにおっかなびっくり腰掛けながらルーナの靴下に曖昧な褒め言葉を送るネビルは、時折クラウチに視線を向けては戻し、向けては戻しを繰り返している。

 ネビルは決してクラウチを歓迎しているわけではない。それでも、自らの意思で個人指導を請いにやってきた。

 その勇気に応えるために、クラウチはできるだけの指導を彼に施さねばならない。

 このあとの指導で補完すべき点を把握するためにレポートの内容を確認しながら、クラウチは部屋の窓を叩く雨粒が大きくなりはじめたのを音に感じた。

 嵐が近づいている。




《猫脚のティーポット》
猫の四足を生やした奇妙なティーポット
人によく懐き、自らすすんで客をもてなす
よく躾けられており、猫でありながら番犬の役割も果たすようだ

かつてはボージン・アンド・バークス魔法骨董店の棚で眠っていた品
購入者は感謝の証として値札の100倍を支払ったとも噂される
あるいは、ひそやかな謝罪の形だったのかもしれない
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