ハリー・ポッターと竜魂の学徒   作:ホグワーツの点字聖書

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 後悔はしていなかった。しかし、プロメテアに叱られるかもしれないとは思った。

 ハリーがマージおばさんを風船に変えてしまってからまだ24時間と経っていない。幸いにして魔法大臣直々に「罪には問われない」と教えてくれたから安心できたものの、漏れ鍋のベッドに寝転んでも心臓はなかなか落ち着きを取り戻してくれなかった。

 ハリーが隔離されている間に魔法界では大きな動きがいくつもあった。

 ハリーはトランクからスクラップブックを取り出した。中には日刊予言者新聞の記事が貼り付けられている。ハーマイオニーにすすめられて始めた、社会勉強の一環だ。ふくろう便が来ることをダーズリーは喜ばなかったが、夜間配達にすればそう簡単には気づかれない。

 ウィーズリー家のエジプト旅行、クィディッチプロリーグの流行戦術、アブラクサス・マルフォイの訃報、シリウス・ブラックの脱獄、そしてアズカバンに現れた襲撃者を()()()()()()()()()()()という小さな騒動。雑多な寄せ集めだが、記事を切り抜いている間は自分が魔法界とつながっていると感じられた。

 

「ヘドウィグ、どうしてファッジが僕を迎えに来たんだろうね」

 

 魔法界は今とても騒がしい。魔法大臣はきっとすごく忙しいだろう。そんな中、家出少年を迎えに来るような暇が彼にあるだろうか?

 ヘドウィグは返事の代わりに窓の外を嘴で指し示した。こもっていないで外に行けと言いたいのだろう。同感だった。多少不審な点があるにせよ、せっかくの自由を謳歌しない手はない。

 漏れ鍋で朝食を済ませ、ヘドウィグを自由にしてから、ハリーはダイアゴン横丁に繰り出した。グリンゴッツの金庫から当座の小遣いを引き出しながら、ハリーは自分が今自由な休日を過ごしているのだと理解した。

 自由な休日。初めて手に入れたこの感覚が肌に馴染むにつれて、ハリーの疑問は興奮に変わっていった。

 何でもできる。

 朝一番に起きてダーズリー家の食事を準備しなくていい。庭の草むしりも、ダドリーのセーターについた毛玉取りも、あっという間に汚れる水回りの掃除もやらなくていい。

 こそこそ隠れることなく宿題をしていいし、自分のお金で食べたいだけフォーテスキュー・アイスクリーム・パーラーのサンデーを食べていいし、ダイアゴン横丁で時間を気にせずウィンドウショッピングを楽しんでいいのだ。

 書店で棚に並ぶタイトルの数々を眺めたとき、ハリーは2年前の初めて魔法界を目にした瞬間と同じくらいに世界が輝いて見えた。

 ハグリッドに連れられてダイアゴン横丁に足を踏み入れたあの日、ハリーはこの書店でプロメテアと出会った。そう考えると、運命的な巡りあわせだったのかもしれない。

 まだ何も知らない少年だったころよりも少しだけ難しい本を選べる。自分の成長を感じながら、ハリーは会計に向かった。

 

「3冊で11ガリオンと8シックルね。ご自宅まで配送しますか?」

「大丈夫です、持ち帰ります。あと、闇の魔術に対する防衛術の雑誌って何か置いてますか?」

「あー……『月刊魔法戦士』は求人情報が中心だし、『防衛術の友』はちょうど先月から休刊に入っちゃったからなあ。学生さん向けのは、ちょっとなさそう」

「そうですか……じゃあ、お会計お願いします」

「はい、ちょうどお預かりです。……あ、ノクターン横丁手前の辻あたりに老舗の古本屋があるから、そこ覗けばなにかあるかも」

 

 その古本屋のことは知っている。ハーマイオニーが『魔法族史』を買ったところのことだろう。

 ハリーは店員に礼を言って、本の包みとともに書店を後にした。

 買ったのは数秘術の入門書、アズカバンについての歴史書、そして魔法族向けのマナー本だ。マナー本は事前におすすめをダフネから聞いておいたが、あとは自分で選んだ。

 なぜ数秘術の本を買ったかというと、選ばなかったのが若干心残りだったからだ。

 3年生からの選択科目でハリーは占い学と魔法生物飼育学を選んだ。占い学は適性が必要らしいが、もし覚えられれば未来がわかるというのはとても便利なように思えるし、何よりロンが「適性さえあれば食いっぱぐれない」という点に食いついたため、ハリーも付き合うことにした。魔法生物飼育学がハリーにとって必須なのは過去2年の戦いを考えれば言うまでもないだろう。

 幸い、ハリーには数秘術も古代ルーン文字学も得意としている先生がいる。自分で少し勉強してわからなければ質問に行くつもりだった。

 

「号外! シリウス・ブラックの出没情報! ノース・ヨークシャーのスカーバラでマグルに目撃されたよ!」

 

 街角の新聞売りにちらりと目を向けたが、買いはしなかった。これから古本屋にも寄るのだ、荷物を増やしたくはない。新聞というのは意外とかさばる。

 ここのところ、英国魔法界のニュースと言えばシリウス・ブラックだった。歴史上初めてのアズカバンからの脱獄者であり、ヴォルデモート卿の信奉者とされる男だ。話題性にあやかってか、書店ではアズカバン関係の書籍が平積みになっていた。

 あちこちの壁に貼られた手配書の中から目をギラつかせた男が獰猛に威嚇している。

 その視線を避けるようにして、ハリーは少し建て付けの悪い扉を開いた。

 

「いらっしゃい」

 

 カウンターの向こうに座る店主らしきアフリカ系の老人はハリーが入ってきても本から顔も上げない。金色の仮面で顔の半分を隠している少し怪しげな風体は、ノクターン横丁の手前に店を構えるのに相応しい胡乱さを醸し出していた。

 ハリーは小さい声で邪魔にならないよう挨拶だけ返し、積み上げられた本棚に目をやった。

 きっと店主は整理整頓が苦手なのだろう。巻物から石版、獣の顔がそのまま残された革表紙、そういった雑多な書物が積み上げられるだけ積み上げられている。

 これならボージン・アンド・バークスを覗いてプロメテアがいるか確認してからのほうがよかったかもしれない。

 

「――何かお探しかね、若いの」

 

 ギリシア風の文字が刻まれた緑玉の石版の前でハリーが悩んでいると、いつの間にかカウンターからこちら側に出てきていた店主に声をかけられた。

 

「あっ、えっと、闇の魔術に対する防衛術の自習に使えるような本を探してて」

「ほうほうほう……良き哉、良き哉。そのようなねじれた運命に生まれては、貪欲になるのも必定よな」

「えっと……?」

「シリウス・ブラックが気になる。そうじゃろう、ハリー・ポッター」

 

 金の仮面の向こうからハリーを見下ろしているのは、少し濁ったような銀色の瞳。

 隣に立つとわかる鍛えられた肉体からは、どこか遠い国を思わせる香を焚いたような甘く懐かしい匂いがした。

 一体彼は何を知っているのだろうか。

 ハリーが緊張に身を強張らせていると、老人は噴き出すように笑った。

 

「いやあ、失敬失敬。あまりに馬鹿真面目な顔をしておるものだから、ついからかってしまいたくなっての」

「は、はあ……」

「額の傷と人相を見ればお主が誰かはすぐにわかる。その数奇な道のりも、の。ホット・リーディングというやつじゃよ」

 

 よくわからないが、からかわれたらしかった。

 思わずむっとするハリーにもう一度笑いながら謝罪を口にした老人は、手を差し出して握手を求めた。

 

「儂の名はストレイド、しがない古書店の主じゃ。かつては放浪の魔術師じゃったが……まあ、すっかり根を張ってしもうたからの、その名も返上してしまったわい」

「……どうも」

「まあそうむくれるな、本人確認も兼ねておったのじゃ。バークのちびすけからお主が来たら世話を焼くよう頼まれておる」

「バークさんが?」

「あの小娘に随分目をかけられておるようじゃの」

 

 少しむず痒く思いながらも頷くと、ストレイドはまた大きく笑った。老人らしからぬ、ハリのある力強い声だ。

 それからストレイドは手際よく数冊の本を見繕って、ハリーに押し付けるようにして渡した。

 

「初回サービスじゃ、お代は結構。その代わり、次はもう少し鍛えてから来るのじゃぞ。そのような貧弱さでは書物に負けかねんからの」

「は、はい、ありがとうございます」

「ああ、それから、バークのちびすけにこれを届けてやってくれ。今後ともご贔屓に。ヒェヒェヒェ……」

 

 あれよあれよという間にハリーは荷物を押し付けられ、追い出されてしまった。

 半ば転ぶように店から飛び出してきたハリーに通行人が怪訝そうな視線を向けるが、出てきた店の看板を見て納得したように通り過ぎていく。どうやらあの老人の自分勝手さはダイアゴン横丁の住人にとって周知の事実らしい。

 

「なんなんだ、まったく」

 

 ハリーは小さく悪態をついて、荷物を抱えなおした。よくわからない時間を過ごしてしまった。時間を自由に使うのも初めてだったが、時間を無駄にしたのではないかと不安にさせられるのも初めてだ。

 元々の予定では、一度漏れ鍋に戻ってマナー本を参考にドラコへお悔やみの手紙を書くつもりだった。しかし、押し付けられた小包を先に届けたほうがいいだろう。

 曲がり角の向こうに広がるノクターン横丁を覗くと、あからさまなほど淀んだ日陰の空気が広がっている。転がる正体不明の生ゴミ、路肩で酒瓶――もしかすると酒以外の液体――を抱えて眠る浮浪者。足を踏み入れるのを躊躇う不気味さだ。

 ハリーは杖の所在を確認してから、角の向こうへと歩みを進めた。

 ボージン・アンド・バークスがダイアゴン横丁からそこまで遠くないことは去年の事故で把握済みだ。迷うほどの道でもないし、トラブルが起きる前に着いてしまえばいい。

 

「――おい、そこの旦那。旦那!」

 

 少し甘い考えだったかもしれない。

 ハリーの肩を強引に掴んだ男は、イタリア訛りの英語でまくし立てた。

 

「この先に行こうってんならやめたほうがいいぜ、この通りをちょっと行った先で胡散臭えスペイン野郎がカモを探してうろついてんだ」

「そうなんですか? それはどうも」

「ああ、安全な道を教えてやるよ。ついてきてくれ」

 

 スキンヘッドの男はがっちりとハリーの肩を掴んで離さない。

 大人しくついていくふりをしながら、ハリーは荷物を持つ手を変えて杖がいつでも抜けるようにした。

 十中八九詐欺だ。行き先を教えてもいないのに安全な道がわかるわけがない。

 

「旦那、あんたついてるぜ。俺はここらじゃ大体の悪党に顔が利く、いわば顔役ってやつだ。俺がいなきゃどうなってたか。感謝してくれよ?」

「そうだね。道も教えてくれるし」

「そりゃそうさ! 顔役ってのはそういう仕事、そうだろ?」

「うん。いつも顔役のボージンさんにはお世話になってるよ」

 

 途端に男はハリーから手を離した。

 先ほどまで張り付いていたわざとらしい媚びた笑顔をかなぐり捨て、吐き捨てるように悪態をつく。

 ハリーは荷物を置き、静かに杖を抜いた。

 

「おい、聞いてねえぜ! ボージンの野郎だと? カモのフリして俺を騙しやがったな、舐めやがって!」

「聞かなかったのはそっちだよ。ボージン・アンド・バークスに顔を出すついでに荷物を届けに行くところだったんだ。どこに行くのか聞かずに案内してくれてどうもありがとう」

「あの爺、人様の商売邪魔しやがって……許せねえよな、畜生が!」

 

 血管が浮き出るほど激怒する男に若干引きながらも、ハリーは武装解除の呪文をいつ唱えるべきか思案していた。

 まだ少し路地に連れ込まれただけだ。何をされたわけでもないし、自分から攻撃して罪に問われないのか自信が持てない。なにせ、ハリーはおばを風船にして家出したばかりなのだ。

 激怒する男と警戒しながらも躊躇するハリー。そこに割って入った声があった。

 

「よお、パッチ。随分とキレてるな」

「げえっ……いや、これは違うんですよ旦那。ほら、あるじゃねえですか。不幸な行き違いってやつ、旦那だってあるでしょう? 別に旦那のお得意さんを取ろうってんじゃねえんだ、ただちょっと、間抜け面のガキが入ってきたから勉強料をもらおうってだけで……」

「不幸な行き違いねえ。確かにあるかもしれねえがな、俺ぁ顔役になるまで顔役を騙ったことはなかったぞ。お前さんに任せるのは……まだ、ちょいと危なそうだ」

 

 なあ、と同意を求められて、ハリーは頷いた。

 ハリーがそこまで焦っていなかったのは、本物の顔役と顔見知りだったからだ。

 洒落たボルサリーノ帽にジャケットはグレーのツイード。竜の意匠が刻まれたステッキの柄で帽子のつばを押し上げて、プロスコラス・ボージンがニヒルに笑った。




《ボージンのステッキ》
幼き学徒プロメテアが養父の誕生祝いに贈った品
翼を丸め眠る竜の飾りは知恵の象徴とされる
ギリシャの名工が手掛け、プロメテア自らが仕上げを施した

悪党たちを取りまとめるノクターン横丁の顔役には見栄が必要だ
ゆえにボージンは洒落者として知られている
しかし、たとえ安価な品であろうと娘の贈り物なら喜んで身につけただろう
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