ハリー・ポッターと竜魂の学徒 作:ホグワーツの点字聖書
プロメテアのノックから入室の許可とともに扉が開かれるまで、5秒ほど間があった。
事前に手紙で日程を調整してはいたが、休日に訪ねるのは迷惑だったかもしれない。
「失礼します。……こんにちは、マクゴナガル先生」
「ようこそ、ミス・バーク」
休暇中にホグワーツを訪れているというのは不思議な感覚だった。
しかも、寮監のスネイプではなく変身術の教授としての関わりしかないマクゴナガルを訪ねるというのは、もっと不思議だった。
「お掛けなさい。……校長から貴女の優秀さについてはよく聞かされています。もちろん、私自身も高く評価しています」
「過分な評価、恐れ入ります」
「事実です。だからこそ、こうして話し合いの席を設けました。……本当に、逆転時計を使用しないのですね?」
プロメテアが頷くと、マクゴナガルは小さくため息を漏らした。
ホグワーツでは成績優秀者が選択科目を通常より多く履修するために特別な措置を用意している。逆転時計の使用はその一部だ。装着者を過去の時間に送り込むこの道具は、同時に複数の授業へ出席することを可能にしてくれる。もちろん、休息の時間を作ることもできる。
確かに逆転時計は魅力的だ。
プロメテアの興味を惹く科目は多い。中でも魔法理論に直結する数秘術と、応用性が高く魔法の道具を開発するのに有用な古代ルーン文字学は必須と言っていい。プロメテアはこの2科目を履修申請している。
魔法生物飼育学も学ぶ必要性は感じるし、占い学の適性を測っておきたいという欲もある。通年開講でないためにリストに掲載されなかった他の選択科目も、学問を愛するプロメテアには価値のあるものばかりだ。
しかし、逆転時計を使う気にはならなかった。
「最初は冗談だと思いました。事実、フリットウィック先生は貴女なりの冗談だと解釈して逆転時計の申請を始めていたほどです」
「申し訳ありません。しかし、本心なので」
「
そう、分解しない自信がないのだ。
時という神秘に触れたい。その抗いがたい欲望に身を焦がし続けるくらいなら、他の科目を独学で済ませるほうがよほど安全というものだろう。
かつてプロメテアが刺客としてこき使われていた竜の学院ヴィンハイムでは、ソウルの力による純粋な魔術が追究されていた。だからこそと言うべきか、ヴィンハイムの魔術は力と理屈だけでは捻じ曲げられない事象――時や光を操ることはできなかった。
冒険馬鹿の弟子があちこちからかき集めてくれたスクロール、そして新たに得たこの人生のおかげで学院の魔術師よりはいくらか視野の広いプロメテアだが、それでもかつての不可能を可能にしたいという願望はある。
しかし、神秘部の秘密主義ゆえに逆転時計は情報の断片すら公開されていない。もしプロメテアが逆転時計を分解してしまえば、何が起こるかはホグワーツの教授陣にもわからないのだ。
「スネイプ先生から、貴女について報告を受けています。学業に対しては不気味なほど真面目だが、生活態度は不真面目な人間失格。一人で放置すれば一週間と保たず餓死する、と」
「……お恥ずかしい限りです」
「これも彼の冗談だと思いたかったですよ、ミス・バーク」
「お言葉ですが、スネイプ先生が冗談を仰ることがあるのですか?」
「今のが私の冗談です。……この様子では
「こ、今年は頑張ります。友人の妹が入学してくるので、手本となるようにと言われていて……」
困り果てながらもプロメテアは弁明した。
ダフネの妹、アストリア・グリーングラスは今年の新入生だ。少し身体が弱いところを除けば真面目で姉を大切にする立派な娘なのだが、プロメテアのことを姉にまとわりつく不審人物か何かだと思っているらしく、未だに顔を合わせると警戒されてしまう。
彼女の手本となるように、と散々ダフネに言い含められている以上、今年はもう少し生活態度を見直すつもりだった。その証拠に、今朝も自分で起きて時間通りに朝食を食べた。
「……まあ、貴女の友情が生活態度を向上させることを期待しましょう」
「ありがとうございます」
「それで、動物もどきについてですが」
ようやく説教が終わった嬉しさに身を乗り出すと、マクゴナガルがもう一度溜め息をついた。
「正直は美徳ですが、よくそれでスリザリン寮の生活をやっていけると感心します」
「よい友人に恵まれたので」
「そのようですね。……この論文はなかなかにいい出来でした。校長も手放しで褒めてらっしゃいましたよ」
ぱさり、と紙束を持ち上げる音がする。
これが今日の本題だ。そして、面談の相手がマクゴナガルになった理由でもある。
昨年度末にプロメテアは一本の論文を提出した。ジニーの治療を受け持つにあたっての報酬としてダンブルドアから提示された機会だ。彼の指導と査読を経て、プロメテアの論文は変身術の学術誌である『変身現代』に掲載されることとなる。
テーマは「変身術の影響を受けた対象物が異なる変身術によって上書きされる際の同一性の保持と、巻き戻しの限界について」だった。柔らかい言い方をするなら、「変身術で変化したものを別の変身術で上書きしたら、それは同じもの? 巻き戻し先はどこになるの?」という問いだ。
ダンブルドアから講評をもらい、赤線と赤字の的確さに激怒し、自分の愚かさに大いに凹みながら、論文は完成に近づいている。
問題は実証性の薄さだ。この論文を完成させるためには、意思疎通が取れて変身術から自力で戻ることができる存在――動物もどきによる実験が必要だった。
学生の実験に志願してくれる動物もどきの被検体などまず存在しない。そもそも動物もどきという高度な自己変身術を修得している魔術師は他人の研究に身体を預けるほど暇ではないのだ。
そこで、プロメテアはマクゴナガルに頼ることを決めた。
「貴女の理論では、動物もどきは通常の生物よりも変身術への耐性が高くなる。そうですね?」
「はい。動物もどきは自身に強固な変身術を常在させていることになりますから、それを突破する力がない限り変身は不完全なものになります」
プロメテアは本物の動物もどきをマクゴナガルしか知らないが、たとえば
それは動物もどきが人間と獣の形態を自在に行き来できるという高度な変身術を常在させているためで、その変身術を上書きする力がなければ十分な効果が発揮されない。
この推論を実証するために、動物もどきのデータを取る必要がある。
「しかし、その実験をするためには同じ個体が必要なのでは?」
「そのとおりです。ただ、実現性が……」
「確かに、被検体を見つけるのは難しいでしょう。これから動物もどきになることを目指している人を見つけ、その前後で記録を取る必要があります」
マクゴナガルの言うとおりだ。
これは対照実験でなくてはならない。動物もどきの個体Aと動物もどきでない個体Bの比較ではなく、個体Aの動物もどきでない状態と動物もどきである状態のデータを比較することで初めて、プロメテアが論文で展開した主張は理論として妥当なものになる。
しかし、それを用意するのはかなり困難だろうとプロメテアは予想していた。動物もどきは法に則って管理されており、安易になれるものではない。高度な変身術が要求される上に悪用しやすいからだ。
この難題を変身術の教授はあっさり切り捨ててみせた。
「貴女自身がなればよろしい」
「……私が? しかし、私はまだ2年生です」
「来年度から3年生ですよ、もう1ヶ月を切っています。それに、生活態度に不安はありますが……2年連続で変身術の最優秀生徒であり、校長自ら論文の査読を請け負うほどの英才です。実践面で私の手助けがあれば、十分に可能でしょう」
椅子の上でプロメテアは身じろぎした。
抵抗はある。一生残る魔法を自分にかけるというのは、生半可なことではない。
それに、諸々の準備がかなり面倒なことも論文を執筆する過程で理解している。1ヶ月間ずっとマンドレイクの葉を口に入れ、満月の夜に取り出さなくてはならない。これが工程の最初にくるあたり、この魔法の複雑さが察せられるというものだ。
しかし、自分がやりたくないからと他人に押し付けるのも筋が通らない。動物もどきとしての感覚は動物もどきになることでしか知りえないのも事実だ。
悩んだ末、プロメテアはマクゴナガルの提案に頷いた。
「よろしくお願いします」
「結構。……寮が違う都合上なかなか声をかける機会がありませんが、先生方は何かと貴女のことを気にかけてらっしゃいます。私もその一人です。授業の内容以外でも気兼ねなく先生を頼っていいのですよ、ミス・バーク」
「それは……その、恐縮です」
実を言うと、プロメテアは先生という存在があまり得意ではない。
これは前世の記憶に由来するトラウマだ。他の学徒からは先生、先生と呼ばれている偉い学者たちが刺客のローブを見て蔑むように鼻を鳴らし、雑役夫同然の扱いで掃除や片付けを言いつける様がまだ忘れられていない。
もちろん、この世界の人々が温かみのある視線をプロメテアに向けているのには気づいていたし、それに感謝していないわけではないのだが、感情の瘤のようなものがどうしても刺激されてしまう。
先生にまっとうな人間扱いを受ける日が来るなど、思ってもみなかった。
そんな都合を話せるわけもなく、ただ恐縮して頭を下げる。説明できない理由で心配をかけるのは、少しだけ申し訳なかった。
「……ところで、マンドレイクの葉を1ヶ月間口に入れたままということは、私は新学期をその状態で迎えることになるのでは」
「……困りましたね」
「逆転時計は……」
「当然、駄目です」
《逆転時計》
英国魔法省の深奥、神秘部が保有する時の魔法
回転する砂時計は装着者を過去へと運ぶ
砂時計を回転させるという悪戯な発想は妖精にも似ており
それゆえに時の魔法は失敗者に残酷である