ハリー・ポッターと竜魂の学徒 作:ホグワーツの点字聖書
スペイン人らしい潮風に揉まれた厚い掌と握手を交わしながら、ルシウスはいかにも「柔和な相談役」らしい笑みを浮かべた。
「セニョール、あなたをお迎えできたことは我々にとって望外の喜びです」
「とんでもない、我々は貴兄らに感謝している。名誉のため、最後に戦うことができるのだから」
新たに国際魔法協力部の部長に就任したヤックスリーが尽力したことで、スペイン魔法界の旧家とつなぎを取ることができた。
ゾリグ・サントス。グリンデルバルドの時代に国際魔法使い連盟の議長を務めたヴィセンシア・サントスの息子であり、現在は魔法戦士崩れの傭兵として活動している。
サントス家はイスパニア魔法族――まだイベリア半島がスペインと呼ばれるよりも前から続く歴史ある一族だ。その末裔である彼が魔法省にも国際機関にも籍を置かず流浪の身であり続けたのは、彼自身の望みではない。
「我が母ヴィセンシアは、決して無能者などではなかった。アルバス・ダンブルドアのおこぼれに預かった禿鷹などとはもう呼ばせん」
それでも、ダンブルドアには及ばなかった。
鷹揚に頷いて同意を示しながらも、ルシウスは内心で毒づいた。
グリンデルバルドの策略によって混乱がもたらされた、20世紀初頭の議長選。ブータンの奥地にある秘密の儀場で行われたそれがどのようなものであったかは今も語り継がれている。
その日、議長選の最終投票として神聖な魔法生物である麒麟による選定が行われた。麒麟は人の本質的な魂の善性を見抜くと言われ、古くから指導者を選出するのに重宝されてきた。麒麟が膝を折った相手こそ、大衆を導くのに相応しい存在であると。
その場にはスペインの候補者ヴィセンシア・サントス、中国の候補者リウ・タオ、そしてグリンデルバルドを捕縛するためやってきたアルバス・ダンブルドアの一行がいた。
麒麟が膝を折ったのはヴィセンシアでも、リウでもない。ダンブルドアだ。
しかし、ダンブルドアが辞退したために、次点で選ばれたヴィセンシアが議長席についた。
「あの日、ダンブルドアがいなければスペインの運命も変わっていたでしょう。宿願を果たす時が来たのです」
「そうだ……そうだ、我らは宿願を果たす。祖国の苦しみは血によってのみ癒える」
なんとも黄金の略奪者らしい物言いだ。もしかすると彼の先祖はコンキスタドールの一員だったのかもしれない。
しかし、「ダンブルドアから議席を譲り受けた」という不安定な立場がヴィセンシアを、そしてスペイン魔法省を苦しめたのは事実だった。
安定を図るため、ヴィセンシアは多くの協力者に頭を下げることになった。その結果、彼女は利権で雁字搦めになり、後にはスペイン内戦で他国の魔法族による介入を防ぐことに失敗した。
なんとも嘆かわしい話だ。スペイン魔法省はそれでもダンブルドアに感謝しなくてはならなかった。ダンブルドアがいなければ、ヴィセンシアは議長になることすらなかった。その直前までグリンデルバルドに選挙で敗北していたのだから。
ダンブルドアが間違えたわけではない。ただ、ヴィセンシアが人望で劣っていただけだ。
それでもダンブルドアによって負わされた恥という深い傷はサントス家に刻まれたまま、今も血を流している。
「しばらくは拠点で寛いでいただきたい。近々、他の同志とも顔を合わせる機会を設けます」
「ありがたい。貴兄らの良心に感謝を!」
大股で床に重い足音を響かせながら退室していくゾリグを見送って、ルシウスは己の手に清めの魔法をかけた。
がさつで騒々しく、清潔とはいえない。しかし、ルシウスの言葉を微塵も疑わない、そんな素朴さは実に好ましい。使い捨てても胸の痛まない、よい駒になりそうだ。
ゾリグ・サントスという男はルシウスにとって最も欲していた戦力のひとつだった。彼はヨーロッパ全土に名を轟かせた魔法戦士だ。盾の呪文をも砕く強靭さ、決闘巧者を次々と破るその姿から騎士狩りともあだ名されている。
そして何より、彼はダンブルドアを憎んでいる。
ダンブルドアは天才だ。麒麟が指導者として選ぶに相応しいだけの聡明さを有する。しかし、天才は凡愚を導くことはできても、凡愚に寄り添うことはできない。肩を並べてともに歩むには歩幅が違いすぎる。
ドイツ、スペイン、中国、ロシア。
ダンブルドアが寄り添わなかったせいで彼に逆恨みの傷を抱えている国は、決して少なくない。
「……私は父でも、ダンブルドアでもない。だからこそ、父もダンブルドアも私にはなれない」
杖をステッキに収めて、立ち上がる。
ルシウスは己の凡庸さを自覚していた。政治家としてアブラクサスのような傑物にはなれないだろう。指導者としてダンブルドアのような慧眼も有していない。
蟻の軍勢が象に群がる。象は蟻のことなど気にもとめていない。しかし、蟻の小さな牙からじわじわと注がれる酸は、やがてその厚い皮を破る。
計画は想定より順調に進んでいる。
アズカバンを襲撃させ、そして失敗させる。これによってアズカバンの警備に自分の手駒を配置し、来る崩壊の日に生じる被害を最小限のものとする。
ヨーロッパ全土の魔法界から犯罪者やゴロツキを流れ込ませ、治安を悪化させる。これによってヤックスリーは国際魔法協力部の部長として他国に協力を要請でき、人員派遣に紛れ込ませる形で計画の賛同者を呼び込むことができる。
シリウス・ブラックの脱獄は想定外だったが、元々はクラウチの失敗が招いた冤罪被害者だ。クラウチへの圧力としてうまく使いつつ、都合が悪くなれば処分できるよう所在を確認させている。
魔法省の廊下を一人闊歩しながら、ルシウスは次の一手に思いを馳せていた。
「――うまくいっている、そんなツラじゃないか」
エレベーターを呼ぶボタンを押したちょうどそのとき、かけられた声にルシウスはゆっくりと振り向いた。
枯れ木のような老婆が静かに佇んでいる。吹けば飛ぶような脆い白さ、すっかり曲がってしまった腰。片目は濁り、光を宿していない。
しかし、彼女は侮っていい相手ではない。
「父の葬儀以来ですな、ミス・バグノールド。魔法省にご用事が?」
「あたしゃ馬鹿のケツを叩きに来ただけだ。コーネリウスがビビってふくろう便を寄越したんだよ」
彼女はかつてこの魔法省の主だった。
ミリセント・バグノールド、ファッジの前任にあたる元魔法大臣だ。そして、闇の帝王が君臨した時代を生き抜いて、自らの足で大臣室を去った偉大な魔女でもある。
到着したエレベーターにルシウスと並んで乗り込むと、バグノールドは盛大に舌打ちをした。
「お前も相談役ごっこするならもう少しあのボンクラを面倒見てやんな。鬱陶しいったらありゃしねえ」
「心得ておきましょう。大臣はそれほどまでに?」
「そりゃそうだろうさ。シリウス・ブラックを連行したのはあいつ自身だ」
終戦当時、ファッジは魔法事故惨事部の副長を務めていた。
彼の活躍はもっぱらデスクワーカーとしてだったが、人手不足の戦後ではファッジも現場に駆り出された。シリウス・ブラックの捕縛は彼にとって最後の現場仕事だ。
ファッジは決して無能ではない。戦時中から戦後に至るまで、彼は魔法事故惨事部の優秀な管理職だった。ダンブルドアを魔法大臣との声に本人が辞退したあと、ファッジに白羽の矢が立ったのは、その能力と人望が買われた結果だ。
しかし、ダンブルドアの代わりという重圧が彼を苦しめ続けている。奇しくもヴィセンシア・サントスがそうであったように。
シリウス・ブラックの脱獄がついにファッジの精神に罅を入れはじめた。責任感と恐怖からファッジは判断能力を失いつつある。先日も家を脱走したハリー・ポッターを自ら迎えに行ったほどだ。
バグノールドは腰に結わえた巾着から干した果物のような何かを取り出してもごもごと食みながら、ルシウスを見上げた。
「お前、コーネリウスの後釜には誰を据える気だい」
「大胆な質問ですな」
「馬鹿言うんじゃないよ、あたしゃお前の腕に何の墨が入ってんのかをよーく心得てるんだ。お前の
「さて。これからにご期待いただければ、といったところでしょうか」
ふん、と鼻を鳴らしてバグノールドが種を吐いた。
ルシウスが影響力を高めようと尽力しているのは、闇の帝王の帰還に備えるためだ。
老いたダンブルドアでは闇の帝王には勝てない。だからこそ、君臨する帝王を満足させながら魔法界を守る統治者がいなくてはならない。
そのためなら自ら魔法大臣の席についてもいいし、帝王が望むとおりの傀儡を用意してもいい。差し出す贄はいくらでも用意できる。
「せいぜい気をつけるんだね。腹の黒いのはお前だけじゃあない」
「自己紹介は結構ですよ、マダム」
「ほざけ。ドローレス・アンブリッジ、お前も知ってるだろ」
ああ、と声が漏れた。
アンブリッジ上級補佐官のことはルシウスも把握している。利益と他人の弱みに目敏く、沈む船からは誰よりも早く降りる嗅覚を有している。その有り余る政治的才能を己の欲求のために振るう俗物だ。
ファッションセンスから人格的な部分まであらゆる点で反りが合わないと確信している。ルシウスは自己中心的な人間を好まない。
彼女がファッジに吹き込む毒はそろそろ邪魔になってきた。何かしらの形で引き剥がそうとは考えていたところだ。
「本当の馬鹿というのは、何をするかわかったもんじゃない」
「ご尤もです。手は打ちますよ」
「やるなら素早くだ。あたしが両足ついて家に帰れたのは何事も素早く片付けたからだよ」
同意の言葉を返そうとして、ルシウスはエレベーターからバグノールドが消えていることに気がついた。
おそらく吐き出した種がポートキーか何かだったのだろう。ポートキーの無断発行は法で禁じられているが、彼女を咎められる者などいはしまい。
ダンブルドアに限らず、上の世代には魑魅魍魎の類が今もなお跋扈している。マホウトコロに実験サンプルとして送ってやりたいほどだ。
アトリウムに到着したエレベーターから降り、暖炉へ向かう。あたりは閑散としている。大半の局員は帰宅したか、もしくはシリウス・ブラック捜索のために出払っている。
「マルフォイ邸へ」
煙突飛行でルシウスが帰宅すると、ちょうど広間の柱時計が23時を示しているところだった。
日付が変わる前に帰宅したのは久しぶりだ。ここしばらくは海を渡ることも少なくなかった。自室のベッドで眠るのはいつ以来だろう。
「おかえりなさいませ、あなた」
「起きていたのか」
ナルシッサに外套と帽子を預けると、奥の執務室からふわりと甘い香りが漂ってきた。焼き菓子とミルクの香りだ。
視線で尋ねると、ナルシッサは少し困ったように頷いた。
「ドラコが待っています」
「……ドラコが?」
「お話したいことがあると」
確かに、ドラコとは最近顔を合わせていなかった。
可愛い息子だ。ここ最近は生意気さも増してきたが、己の若いころにはなかった勇ましさのようなものを感じて微笑ましくなる。
だからこそ、彼が生きる時代を平和なものにするためにルシウスは各地を飛び回り、金とコネ、血と死を振りまいている。少し疲れを感じるほどに。
ルシウスが執務室の扉を開けると、いつもルシウスが使う椅子の上で静かに眠るドラコの姿があった。
「……ドラコ」
一瞬だけ、背筋が凍った。
満月の夜、毒を呷って静かに眠りについた父の面影。あの美しい死の瞬間がなぜか、ドラコの寝姿と重なって見えたのだ。
しかし、彼の穏やかな寝息がルシウスの緊張をほぐした。待ちくたびれて眠ってしまったのだろう。悪いことをした。
ルシウスは近づいて、息子の寝顔をじっと見つめた。決して座り心地のいい椅子ではないというのに、よく眠っている。待つならソファで待っていればよかったものを、なぜこの椅子で待っていたのか。
ステッキを執務机に立てかけ、そっとドラコの身体を持ち上げる。その時、彼の手から一枚の紙が舞い落ちた。
「……ああ、ホグズミードか」
3年生からホグワーツでは週末にホグズミード村への外出許可が出るようになる。
魔法族のみで構成された唯一の村であるホグズミード村は、魔法族にとってマグルの目を避ける必要のない繁栄の場として機能している。ちょっとした歓楽街でもあるということだ。
外出のためには保護者の同意を得る必要がある。その許可証にサインをもらおうと思っていたようだ。
「書いてやらなかったのか」
「あなたに書いてほしかったようですよ」
「そうか」
ドラコを抱き上げたまま、彼の寝室へと向かう。
いつの間にかずいぶんと背が伸び、重くなった。ほんの少し前までプロメテアにからかわれてべそをかく小さな子どもだったというのに、このままいけば追い抜かれる日も遠くはないのかもしれない。
我が子の成長を見守れないというのは、かなり寂しいものがある。ただでさえホグワーツの寮にいる間は顔を見れないというのに、この夏は言葉をかわす機会すら稀だった。
「もう少し、お勤めのほうを緩められませんか」
「今が佳境だ。トライウィザード・トーナメントの件が片付けば少しは手が空く」
「ドラコは新学期の買い物を一緒にしたいと言っていましたよ」
「埋め合わせはつける。……苦労をかけるな」
隣を歩く妻は、少し悲しそうに微笑んで首を横に振った。
ブラック家から嫁いできたナルシッサも、昨今の出来事に思うところがないわけではないだろう。シリウス・ブラックの投獄によってブラック家は事実上断絶してしまった。ルシウスが目をかけていたレギュラス・ブラックも終戦間際に死んだと聞かされている。
マルフォイ家は今のところ豊かで、恵まれている。しかし、これからもそうとは限らない。
世界が平和でなくともいい。
大切な家族が幸せであれる世界のために、ルシウスはできることを全てやる。
《ゾリグの煙鉄》
騎士狩りゾリグが好んで用いる呪文
煙を固め、特大の鈍重な刃として叩きつける
煙幕に身を潜め、刃で盾を砕く戦い方は讃えられるものではない
騎士狩りと罵る男にゾリグは嘯いた
反逆者とは常に汚れの内から現れるものなのだ