ハリー・ポッターと竜魂の学徒   作:ホグワーツの点字聖書

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本日二話連続更新です、前話もお見逃しなく!


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 四人掛けのコンパートメントに5人は少し窮屈だった。

 試行錯誤の末、アストリアがダフネの膝の上へ、そしてプロメテアがミリセントの膝の上へと抱きかかえられる形になると、今度はかえって余裕が生まれた。

 パンジーは車内販売で買ったカボチャジュースを飲みながら、新入生であるアストリアにあれこれと注意すべきことを語り聞かせていた。

 

「絶対にザビニとは関わらないこと。あいつは女侍らせてるのがかっこいいと思ってるタイプだから、声かけられても気をつけなきゃ駄目よ」

「あれに用があるときは拙を連れていくといい。一度軽くのしてやってから幾分素直になった」

「軽くのしてって……ザビニ家だって結構いい家、ですよね?」

 

 心配そうに尋ねるアストリアにミリセントは自信満々で頷いてみせたが、アストリアは別にミリセントの戦果を讃えているのではない。家格のある相手に暴力を振るったことを「大丈夫なのか」と気にかけているのだ。

 夏休みの武者修行で一段と脳みそが筋肉に変わった馬鹿を前に、パンジーはため息をついた。今年のホグワーツでやっていけるか、今から不安でならない。

 ブレーズ・ザビニが純血の跡取り息子なのは事実だ。存在そのものが魔法と謳われるほどの美貌を持つザビニ家の母親と、その母親に財産を遺して奇妙な死を遂げた7人の父親を持つ。

 ただ、旧家というわけでもないし、政治的に強いポジションを有するわけでもない。埃っぽい成り上がりの若造が「同学年の女子生徒にボコボコにされました」と文句を言ったところで、誰が気にかけるだろうか。

 

「この脳みそ筋肉女も一応は殴りかかる相手くらい弁えてるわよ。……弁えてるわよね?」

「はっは、拙は信用がないなあ。メティよりはあると思っていたのだが」

「……一口に信用がないと言っても、お前と私では別だろうが」

 

 やや嫌そうにしながらも認めてみせたプロメテアは、今のところは「今年は生活態度を改める」という宣言を有言実行できていた。

 今朝ホームに現れたときも髪は整っていたし、荷物も自分で運んできた。食事もたまにしか抜いていないという。毎食食べろと叱るべきか、食事への意識が改善されたことを褒めてやるべきか。

 そして、変わったのは生活態度だけではない。

 

「点字聖書、でしたか。本当に全部点字ですのね。傍から見ていて何もわからないのはちょっぴり寂しいですわ」

「それほど面白い話ではないぞ。そこらによくある説法まがいの神話だからな」

「あら、中身がつまらなくても同じものを読んでいる気分は楽しめるでしょう?」

「駄目ですよお姉様、この人が読むものなんて危ないに決まってます!」

 

 アストリアには相変わらず不評なようだったが、杖も鈴も使わずに指先で紙面をなぞる様子はどこか敬虔で、神秘的だった。

 盲目の聖職者のために作られた点字聖書。それもただの聖書ではなく、ホグワーツが創設されたはるか昔にドルイド僧が語り継いだものらしい。

 他の魔法族同様に信仰らしい信仰を持たないパンジーだったが、古のブリテン島で文字にすることを禁じられていた神話というのは少しだけ興味を惹かれるフレーズだった。

 

「結局どういう内容なのよ、それ。高かったんでしょ?」

「550ガリオン。ストレイドの翁にずいぶんと足元を見られたが……その価値があったかは、正直微妙だな」

「まあ、最高級の箒がオプション付きで買えますわね」

「あんなものと比べたらよほど有用だ」

 

 いつも以上に口数の少ないプロメテアだが、別に機嫌が悪いわけでも、集中しているわけでもない。口の中に収められた葉っぱが邪魔で喋りにくいらしい。

 プロメテアはホグワーツ最年少の動物もどきになることを正式に許可された。変身術の成績に限って言えば、彼女は歴代首席の誰よりも優秀な成績を収めている。

 しかし、いくら優秀でもなるのは簡単ではない。肉体を動物もどきへと変成するための魔法薬を作るために、プロメテアはマンドレイクの葉を口に含んだまま1ヶ月過ごす必要がある。取り出す日が満月でなくてはならない都合上、あと2週間はこのままだ。

 上顎に貼り付け、食べ物で汚れないように魔法で覆いをしているらしいが、圧迫感が嫌になると再三文句を言っていた。

 

「生活態度を改めろって散々言った手前、あれだけど……あんまり無理はするんじゃないわよ。動物もどき、論文、その点字聖書とやらの読解、それにウィーズリーの治療も続けるんでしょ?」

「まあ、忙しいのは確かだが」

 

 何か言いかけたアストリアが、突然の落雷に悲鳴を上げて姉の腕にすがりついた。

 

「ひゃ……ご、ごめんなさい、お姉様」

「今のは私もびっくりしたわ。……あら、降ってきましたわね」

 

 窓ガラスをまばらに濡らしはじめた雨は、あっという間に嵐のような雨へと変わった。

 せっかくの入学日をこの雷雨の中で迎えるのかと思うと、アストリアが少し可哀想になる。パリからローマ、マドリードまでヨーロッパの美という美を堪能してきたパンジーでも、ボートに乗って初めて見たホグワーツの悠然とそびえ立つ様には感動させられたものだ。

 

「これはしばらく止みそうにないな。なんとも幸先が悪い」

「幸先が悪いで思い出しましたけど、例の教育文化局の人事はもうご存知?」

「あー、上級補佐官のドローレス・アンブリッジが自分から出向になったってやつ? あの女、見かけによらず目敏いわよねえ」

 

 今年創設されたばかりの魔法省教育文化局は、その実用性が認められたことで増員が決まった。

 パンジーが把握している限りでは半数以上がマルフォイ派で固められているが、そこに交ざった異分子がアンブリッジだ。大臣の補佐官としてパイプ役を務めると喧伝しているが、実際のところは青田買いを狙っているのだろう。

 上級補佐官から大臣室付の新規部局への出向というのは昇進というより左遷に近い。それを自ら志願して潜り込むというのは、政治センスがなければできない大胆な動きだ。

 ただ、アンブリッジという女についてはいい噂を聞かない。性格、職務態度、家柄、褒められているところがないくらいには悪口ばかり耳にする。

 中でもよく聞くのが、彼女が立てた手柄は大半が彼女自身の功績ではないというものだ。

 もちろん、優秀な人材を抜擢し、運用するのも官僚の仕事。彼女の行いが間違っているわけではない。しかし、彼女が失敗したという噂を聞かないあたり、部下の行いに責任を持つタイプの上司ではないようだった。

 

「あのヒキガエルは拙も好かん。なんだ、あの服の色は。質の悪い生肉のようで気分が萎える」

「ちょっと、その最悪なたとえやめてくれる? こっちの食欲が萎えるわよ」

「それで、アンブリッジ補佐官はどんな役職になったんですか?」

「クラウチも采配に悩んだみたいでね、一旦は渉外担当にしたらしいけど……」

 

 アンブリッジがホグワーツの教育に口出しをしてきたらプロメテアが黙っていないだろうと嫌な想像をしながら、パンジーは寒さに身震いした。

 そして、その不自然さに気がついた。

 

「寒いわね」

 

 雨粒で散々に濡れた窓が、音を立てて凍りついていく。

 客車のかすかな振動がその間隔を広げていき、ゆっくりと停車しはじめているのを感じる。ありえない。まだ、ホグワーツ特急は陸橋の上だ。

 異変に気がついたその瞬間、コンパートメントが暗闇に包まれた。

 

「きゃっ」

「動くな。……息をひそめて、窓側に寄れ」

 

 灯された杖灯りの下で、プロメテアがコンパートメントの外に視線を向けていた。

 パンジーは言われたとおりにしながら、寒さに奥歯が鳴るのを必死にこらえた。感じる。何かがいるのがわかる。

 遠くから、母の声が聞こえた。

 母が謝っている。弟を、ようやく授かった男児を産めずに、それどころか共にこの世を去ることを――

 

「――守護霊よ、(エクスペクト・)来たれ(パトローナム)

 

 静かな、しかし、力強い声とともに、何かが現れた。

 銀色に輝く靄のような何か。どことなく、大きな翼を持った影にも見える。その靄がコンパートメントに這い寄ろうとしていた何かに食らいついた。

 

「去れ。お前たちの望みが何であれ、私を前にしてそれが叶うと思うなよ」

 

 片手に杖を、片手に鈴を構えたプロメテアが、パンジーに背中を向けている。

 その力強い言葉が扉の向こうで宙を這う何かに叩きつけられるたびに、パンジーの中に失われた熱が戻っていく。

 しばらくして、冷気は完全に去っていった。

 

「……なんだったの」

「アズカバンの看守だ」

 

 パンジーの問いかけに短く応えて、プロメテアは跪き、鈴を掲げた。

 何度か披露してもらったソウルの魔術を使うときとは違う、静かに祈るような音色。そして、ふわりと温かな光がコンパートメントに広がった。

 身体の芯に残っていた冷たさが抜けていく。

 今プロメテアが一体何をしたのか問いかけようとして、パンジーはコンパートメントの惨状に気がついた。ミリセントは失神しているし、ダフネはうわ言のように大丈夫、大丈夫と呟きながらアストリアをきつく抱きしめている。

 そして、一番重症そうなアストリアは声も発することなく、浅い呼吸を繰り返しながら震え続けている。

 

「やはり私の信仰心ではこれが限界か。……ミリセントを頼む。叩き起こしてチョコレートを食べさせてやれば落ち着くはずだ」

「わ、わかった」

 

 質問攻めにする気力もわかず、不安定な杖灯りの中でミリセントを揺さぶって起こしながら、パンジーは招かれざる客――吸魂鬼のことを考えていた。

 人の幸せな感情を食らい、熱を奪うというアズカバンの看守がなぜここにいるのか。一体なにが起きているのか。

 冷気の中で、パンジーは最も絶望した瞬間の記憶――弟の死産を呼び起こされていた。他の皆が同じなのだとしたら、どれほどの絶望を呼び起こされたというのだろう。

 そして、きっと恐怖に震えさせられたのは、今も杖灯りで皆を照らすプロメテアも同じはずだ。いつもなら精緻に振るわれる杖はどこか頼りなく震えている。

 それなのに、プロメテアは立ち向かった。

 

「……何なのよ」

 

 唇の端を、痛いほど噛んだ。




《治癒の涙》
旧き信仰の主にして語り部
ドルイド僧が雨の恵みを説いた奇跡

周囲も含め、出血、毒、冷気の状態異常を治癒する

女神の涙は大地に蔓延る全ての不浄を流す
だからこそ、その女神は死神とも語られたのだろう
彼女の奇跡は今や墓所の石碑に似姿を残すのみとなった
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