ハリー・ポッターと竜魂の学徒   作:ホグワーツの点字聖書

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 一族の忌むべき秘密は、ずっとダフネを苦しめてきた。

 魔法界に呪いが蔓延るのは今に始まったことではない。人狼、竜痘、そういった呪いは魔法界の病として消えることなく受け継がれている。

 人間が獣に変えられるのも今に始まったことではない。スコットランドの北端にはかつて人間だった一族が今でも五本脚の醜い獣クィンタペッドとして彷徨い続けている。醜い復讐劇の末に生まれたこの獣は魔法生物飼育学の教科書にも載っている。

 しかし、母から娘に継承される獣の病――血の呪いは、話題に挙げることすら忌避されている。純血の社会ならばなおさらだ。

 

「グリーングラス家の女は、まず何よりも感情を静かに保つことを教えられますの。ただ、静かに生きることを」

 

 冷たいシーツの中、小さなプロメテアの体温を掻き抱きながら、ダフネは己がまだ震えているのを感じた。

 血の呪いはグリーングラス家の宿痾(しゅくあ)だ。

 感情を昂ぶらせれば、血に宿る呪いが肉体を変身させ、獣の姿に変える。最初は部分が一瞬変わるだけ。それが次第に全身となり、抗うことすら難しくなり、やがて獣から戻れなくなるのだ。

 恐怖、憤怒、憎悪。そういった生存本能をかき立てる感情を食んで育つ血の呪いは、今のところ治療法が見つかっていない。

 だから、血の呪いを宿す一族は血を絶やすか、もしくは感情を殺して生きるかの選択を迫られる。そしてグリーングラス家は浅ましくも生を選んだ。いつか、どこかで治療法が見つかるかもしれないという淡い望みとともに、次代へと呪いを感染(うつ)してきた。

 

「たとえ呪いでも、それが進行しなければないのと何ら変わらない。だから、私たちは目を瞑ってきました」

「……アストリアが、発症したのか」

 

 治療中に気づいてしまったのか、それとも彼女の異才の眼が見通したのか。

 プロメテアの小さな呟きに、ダフネは涙をこらえきれなかった。

 這い寄るおぞましい冷気を感じて、ダフネは必死に妹を庇った。我が身を盾にしてでも妹にそれを近づかせまいとした。その冷気が絶望を呼び起こすことを、感情を昂ぶらせることをダフネは知っていたからだ。

 大丈夫、大丈夫とアストリアに言い聞かせながら、冷気に絡め取られる意識を必死に保った。

 しかし、暗いコンパートメントの中、ダフネの腕の中でアストリアは発症した。

 アストリアの白く細い腕が暗い色の羽毛に覆われ、骨格が歪んでいく。妹の左腕が獣となる瞬間を目にしてからは、何があったのかよく覚えていない。

 

「メティは……メティの故郷には、こういう呪いはありませんでしたの?」

「……なかった。そのはずだ」

「そう。そう、ですのね」

 

 期待していなかったと言えば嘘になる。

 ダフネもまた、グリーングラス家に続く血の呪いを終わらせたいと願っていた。たとえ自分が救われなくともいい、妹さえ救われればそれでいいとすら思っていた。

 しかし、アストリアはダフネよりも先に発症してしまった。

 元々身体の弱いアストリアは社交よりも家政を、つまりグリーングラス家が抱える様々な事業の管理を学んでいた。勉強熱心で真面目な彼女がホグワーツで最初に見るのが悪夢とは、なんという悲劇だろう。

 それをもしプロメテアが救ってくれるのなら、ダフネはプロメテアに全てをあげてもいい。

 

「メティ。……いいえ、ミス・バーク。お願いがあります。アスティを、私の妹を救ってください。私に払えるどんな対価であろうと――」

「それではだめだ。違うだろう、ダフネ」

 

 プロメテアの手がぎこちなく、少しだけ怯えるようにダフネの髪を撫でる。

 指先の力加減はいかにも女性の髪を扱うのに慣れていない男性のそれで、だからこそ、その下手くそさが優しさに満ちたものであると肌で感じる。

 わかってしまう。プロメテアがいかにダフネのことを大切に想ってくれているかが。

 

「私に求めるなら、お前たち二人ともだ。私は英雄ではない。私にできることなど、たかが知れているかもしれんが……それでも、お前たちのためならいくらでも一緒に足掻いてやるさ」

「……ごめんなさい。ありがとう、メティ」

 

 一緒に足掻いてやる。その不器用な言葉が今は何よりも心強かった。

 

***

 

 ベッドの上で眠るアストリアは小さく、そして儚い。

 ミリセントは今すぐにでもこの城を飛び出して、無法者を相手に喧嘩のひとつでもしたいような気分だった。吸魂鬼がどのような化け物であろうと、失神するなどということは許されない。守るべき儚い存在を背にしてブルストロード家の跡取りが晒していい失態ではない。

 プロメテアが強いのは理解している。肌で、傷で、痛みで理解させられている。しかし、心はどうか。

 

「……足りない」

 

 思わずこぼれた言葉が全てだった。

 飢えている。それを自覚すればするほど、胸に空いた穴は広がっていく。

 力が足りない。ミリセントにとって唯一の、そして絶対の存在意義が圧倒的に不足している。

 政治の力では今さら誰にも敵わないだろう。同学年ではすでにパンジーがずば抜けている。今ごろはホグワーツの理事会と連絡を取って今回の件について責任者を確認しているであろう彼女の立ち回りは、ミリセントには真似できない。

 結局は武力だ。己を鍛えることでしかミリセントは物事を解決できない。

 しかし、そのためには難敵と戦う必要がある。心を折り、砕き、それでもまだ手を止めてくれないような難敵と。

 

「――おい、ブルストロード」

 

 思考の渦に呑まれようとしていたミリセントを呼び覚ましたのは、大きなトレイを抱えたドラコだった。

 銀のトレイには山盛りの食事が載せられている。ベイクドポテト、ローストラム、クランペット。少々主食が多すぎるが、宴会で供された料理を患者たちのためにわざわざ持ってきたようだ。少し減っているところがあるのはクラッブとゴイルのつまみ食いだろうか。

 ドラコは顎でテーブルの上を空けるよう促した。

 

「気が利くな」

「お前の分じゃないからな、多少つまむのはいいが食べすぎるなよ。新入生が食べられないのは可哀想だろう」

 

 テーブルの上に置かれていた花瓶を窓際にどかし、テーブルクロスの代わりに木綿のハンカチを引く。医務室の規律を司るマダム・ポンフリーもこれくらいは見逃すだろう。

 ちらりとアストリアに視線を向けてから、ドラコは誰かを探すように顔を他所へ向けた。

 

「ポッターならいないぞ」

「……あいつを探してるなんて言ってないだろ」

「貴公の恋する乙女のような目を見ればわかるさ」

 

 ドラコは舌打ちをして、しかし静かにミリセントが片付けたテーブルの上へとトレイを置いた。からかわれて腹を立てても、寝ているアストリアへの気遣いまでは忘れなかったようだ。

 二人は変わった。

 ハリーもドラコも無闇矢鱈に互いを刺激しない。会話を弾ませるわけではないが、それでもゆっくりとその関係は穏やかなものに落ち着きつつある。

 プロメテアが存在することで、軋んでいた歯車があちこちで噛み合いはじめている。

 彼女は火をもたらすもの(プロメテウス)の名を頂いている。純血らしい命名だ。しかし、彼女ほど名が体を表している者もいない。

 だからこそ、ここ最近はミリセントも似合わないことを考えていた。

 自分も変わるべきなのだろうか、と。

 

「それより、父上から伝言を預かっている」

「聞こう」

「歓迎する、ただし長くは待てない」

「そうか」

 

 夏休みの武者修行でミリセントは武勲を上げ、ルシウスに実力を認められた。

 好機なのかもしれない。彼は大きなことを成そうとしている。戦の火が、その焦げるような匂いがミリセントの鼻腔をくすぐっている。

 

「僕は今の父上が何を考えてるかなんてわからない。でも……ちゃんとあいつらに相談しろよ。返事をよく考えるべき類の伝言なんだろ」

「さあな、貴公にわからんのなら拙にもわからん」

「なんだよ、それ。……確かに伝えたからな。そいつが起きたら食べられるだけ食べさせてやれ」

 

 ドラコはもう一度アストリアの青ざめた頬に目をやってから、医務室を去っていった。

 窓の外では雨が今さら止みはじめている。

 どうせなら、今日起きた全てを洗い流すくらいの土砂降りになってしまえばいいのに。そう思いながら、ミリセントは大ぶりのローストラムを一枚頬張った。

 

***

 

 いくら長く生きたとはいえ、死ぬのは久しぶりの感覚だった。

 カルラはぬめるような闇の中でゆっくりと立ち上がった。どうせ変化はないだろうが、一通り確認しなくてはならない。

 

「――?」

「ああ、予定より少しは早かったが……それでも努力はした。貴公との約束は守ったつもりだ」

「――」

「それを言うなら、もとよりこの計画に無理があると……ああ、わかっているさ。乗ったのも私だ、責めはしまい」

 

 きっと見る者がいれば気の触れた独り言と思われるであろうやり取り。

 ()()()の明かりに火を灯して、カルラは息を吐いた。しばらくはここで留守番する羽目になる。

 カルラは深淵の忌み子、すなわち深淵に戻ることを拒まれた人の形の異形だ。

 だからカルラは死なない。厳密に言えば、一度死んでも送り返される。死者が戻るべき故郷、闇の流れる深淵に戻れないからだ。

 もちろん、制約がないわけではない。一度死ぬとカルラは見出されるまで囚われの身になる。死から戻ることへの罪を償わなくてはならない。

 あるときは母である魔女ジャーリーが。またあるときは母と添い遂げた騎士アルバが。そして、ときには火のない灰と呼ばれた女騎士がカルラを見出した。

 

「私は責めんさ。そのかわり、貴公も私をあまり苛めないでくれ」

「――!」

「フフッ、冗談だ。だが、少しくらい妬いてもいいだろう? 嫉妬も愛、人の闇なのだから」

 

 祭祀場を回り終わって、カルラはようやく小さな石段に腰を下ろした。あいも変わらず誰もいない。綻びもないし、汚れもない。

 死んでも死なない。この性質があるおかげでカルラは同じ人物のままこの世界で存在し続けることができた。同じ深淵が源流にあるからできた離れ業だ。

 そして、それをあてにしてとんでもない計画を企てた愚か者がいた。火のない灰。その時のカルラにとっては唯一の弟子だというのに、浮気性で誰にでも師事する、呆れるほど多芸な馬鹿弟子だった。

 もちろん、一番愚かなのはその計画に同意したカルラ自身だ。それは最後の弟子である生意気なゲラートに言われずともわかっている。

 

「前はゲラートが私を見出した。次はあると思うか?」

「――?」

「貴公……ああ、それがありうるとしたら、運命というものはとても残酷だな」

 

 カルラはかつて薪の王たちが座していた玉座――その跡を見上げた。

 ここは祭祀場であって祭祀場ではない。この空間は火継ぎのためではなく、繋がりを整え、あるいはせき止めるための場所だ。祭祀場に似た作りになっているのは、ただ単に馴染みが深かったからというだけに過ぎない。

 それゆえに玉座はなく、代わりにただ碑石が鎮座している。

 この碑石はカルラが用立てたものだ。複雑な古い魔法を何十、何百と重ねるために、いくらかはゲラートの手も借りる必要があった。

 火のない灰もカルラも想定していなかったことだが、世界というものは無数に存在し、そして隣りあっているものらしい。そして火のない灰が目論んだ壮大な計画はその並びに僅かな振動をあたえてしまった。つまり、()()()()()()()()と衝突を起こしてしまった。

 予期せぬ重なりを封じる番人。それが今のカルラに与えられた役割だ。

 

「火防女の真似事など、似合いもしないだろうが……貴公は恩人で、馬鹿弟子だからな」

 

 今使える力を使い果たしたのか、漂っていた気配が消えた。

 彼女はカルラにとって弟子であり、恩人だ。しかし、彼女が誰よりも師と仰いだ彼――ヴィンハイムのオーベックはまだ彼女にたどり着いていない。

 多少の嫉妬も込めて、カルラは帽子を傾けた。

 

「もうすぐだ」




《ルシウスの招待状》
ミリセントを誘う招待状
ほのかに帯びた血の匂いはおそらく人のもの

成長とは変化の喜ぶべき形に過ぎない
何を喜ぶかを決めるのは自分次第だ
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