ハリー・ポッターと竜魂の学徒   作:ホグワーツの点字聖書

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 固唾を呑んで見守るというのは、こういう気分のことを言うのだろう。

 ダフネはマクゴナガルの隣で、彼女に預けられた鞄を抱えていた。中には変身術に失敗した者に飲ませる特殊な魔法薬が山ほど詰まっている。

 今夜ついにプロメテアは動物もどきとして完成する。雷雨の中、片付けられた中庭の中央に一人立つプロメテアはどこか緊張して見える。当然だろう、この魔法は取り返しのつかない変身なのだから。

 

「よく見ておくのよ、アスティ」

「……はい、お姉様」

 

 傘の下で不承不承頷いたアストリアはまだ納得していないようだ。

 本当ならマクゴナガルだけが見届け人として参加する予定だった今日の儀式に無理を言って混ぜてもらったのは、プロメテアの変身がダフネにとって、いや、グリーングラス家にとって大きな意味を持つからだ。

 動物もどきは己の内側に変身術を宿らせる。

 片や任意、片や強制。片や可逆、片や不可逆。動物もどきと血の呪いは似て非なるものだが、だからこそ研究サンプルとして価値のあるものだ。

 プロメテアは血の呪いを終わらせるために、自分自身を実験材料にするつもりでいる。

 それならば、救ってくれと懇願したダフネが見届けるのは当然の礼儀というものだろう。

 

「いいですか、ミス・バーク! 少しでも異変を感じたら、必ず示すのですよ!」

 

 マクゴナガルの呼びかけに頷いて、プロメテアは己の心臓へと杖を向けた。

 白く少しねじれた妖木の杖。プロメテアの杖はポプラの変種とされている珍しい木材が使われている。普段は聖鈴に頼ることが多い彼女も、魔法族の誇りである杖のことを蔑ろにはしていない。きっとこの魔法にもよく応えてくれるだろう。

 1ヶ月口に含み続け、唾液とともに満月の月光で照らしたマンドレイクの葉、7日間日光に晒されることのなかった露、ドクロメンガタスズメの繭、そして1本の頭髪。必要な材料を正確に使って完成された赤い魔法薬を、プロメテアが一気に飲み干す。

 そして、呪文を唱えた。

 

「……アマート・アニモ・アニマート・アニメガス!」

 

 ふわりと広がったのは、金色の光。

 この呪文を耳にするのは初めてではない。この儀式を行う雷雨の日を待つ間、プロメテアは日の出と日の入りごとにこの呪文を心臓へと唱えなくてはならなかった。

 プロメテアは本当によく頑張った。誰に言われずとも日の出より早く起き、不慣れな手付きで支度をしていた。こまめに研究室の天体時計で太陽の位置を確認し、日の入りを逃さないよう気を張って、そのせいか夜には誰よりも早く可愛い寝息を立てていた。

 ただ実験に熱を上げているというだけではない。自惚れでなければ、これはダフネのためだ。

 友達に頼まれたから。ただそれだけの理由で小さな身体を目いっぱいに使い、夜更かしができないくらいに疲れてしまう彼女は、どうしてここまで誠実なのだろうか。

 

「……神様、なんて柄ではないですけれど」

「お姉様?」

 

 祈りたくなってしまうくらいにいじらしい。

 プロメテアの魔法が成功しますように。その美しい誠実さが、この夕暮れの雷雨すらかき分けそうなまばゆさが、いつまでも誰にも汚されることのないものでありますように。

 ごう、と吹いた風が雨粒とともに傘を舞い上げた。

 ローブとシャツが濡れていくが、動く気にはならない。そんなことよりもプロメテアを包む金色の光の行方が大事だ。

 見届けたかった。そして、少しでもいい、アストリアにも伝わってほしかった。普段は少しだけだらしないプロメテアがどうして皆に愛されているのか。その根底にある、静かで温かい、毛布の中の暗闇のような優しさを。

 そして。

 

「――メティ!」

 

 落雷が、プロメテアを貫いた。

 

***

 

 この空間に来るのは二度目だった。

 しかし、どうやら今回は予期していなかったようで、椅子に腰掛けて脚をぶらぶらと遊ばせていた火防女は慌てて立ち上がった。

 

「……オーベック様」

「私はプロメテアだ。……このやり取りも二度目だな、火防女」

 

 どこまでも広がる暗闇。

 ここはプロメテアの内側にある炉、謂わば精神世界のような場所だ。かつてプロメテアはここで火防女としての力を継承した。

 しかし、以前と少し世界の様子が変わっている。家具が増え、ほのかに紅茶の香りが漂い、どこかから風に草木がそよぐ音すら聞こえてくる。

 

「前に来た時よりも快適になったようだが、これはお前が?」

「いいえ。これは貴方様の心が映し出された、その証」

「……そう言われると、なんだ、少しむずがゆいな」

 

 暗に「心が豊かになった」と言われた気がして、プロメテアは気恥ずかしさに身悶えしそうになった。前の殺風景さと比べるととんでもない違いだ。

 しかし、前回来た時に置かれていたイーゼルには相変わらずなんのキャンバスもかけられていない。次に来た時にはここに変化があると聞かされていたはずだったが、どういうことだろうか。

 

「その……外で何か、特別な魔法を使われましたか」

「見えているわけではないのか?」

「ずっと見られているのは気分がよくないだろうと、灰の方から仰せつかっております」

「あいつはお前に好き放題言い過ぎだな。まあ、そうだ。かなり特別で複雑な魔法を使った。動物もどきへの変身を」

「守護霊の呪文ではなく?」

「……それは知っているのか」

 

 促されるままに席につく。手触りからして、どうやら調度品はボージン・アンド・バークスの居住スペースで使っているものと同じだ。

 火防女がどこからともなく取り出したティーポットを傾けると、突然テーブルの上に現れたティーカップに紅茶が注がれていく。区別がつくわけではないが、どこかで嗅いだ覚えのある香りだった。

 この空間ではプロメテアも目が見える。普段身近にあるものの姿を今はっきりと視認しているのかと思うと、少しだけ感慨深いものがある。

 供された紅茶とカスタードアップルパイはどこからどう見てもしっかり本物だ。

 

「ここは私の中なんだろう? ずいぶんと充実しているな」

「ソウルの記憶です。貴方様が感じられた強い幸せがここに現れていくのです。これまでも、これからも」

「……あまりはっきり言うなよ」

 

 気まずさやら恥ずかしさやらで言葉に詰まりながら、プロメテアはフォークを手に取った。

 この空間がプロメテアにとっての強い幸せで満たされているというのなら、少々食い意地が張りすぎているということになるのではないか。

 

「外の私はどうなっているんだ?」

「魔法に成功する直前でこちらにいらっしゃったようです。きっと強い幸せを感じられたのですね。本来、別の魔法が成功した時にいらっしゃるはずだったのですが」

「守護霊の呪文か」

「はい。その時にはこの空間も、さらに満たされたものになっていたことでしょう」

「十分な気がするがな」

 

 カスタードアップルパイを頬張ると、しっとりした重い甘みの向こうに軽やかなリンゴの酸味とバニラビーンズ、シナモンが合わさったふくよかな香りを感じる。ボージンが焼くものと全く同じ味だ。

 言われてみれば、確かにこの空間に配置された諸々には心当たりがある。

 草木の気配はマルフォイ家のガーデンパーティーを抜け出した時に感じた風の爽やかさ。

 香りのいい紅茶は研究室で過ごす穏やかで愉快な団欒の時間。

 少し古びた、しかし上等な作りの家具は新たに得た家族との静かで落ち着いた実家の寛ぎ。

 守護霊の呪文は幸せを呼び水とする。この空間がプロメテアの感じた幸せで満たされていくのだとしたら、確かに守護霊の呪文を成功させるためにはこの空間が充実している必要があるのだろう。

 視線で問いかけると、まるで給仕のようにトレイを抱えて微笑む火防女が小さく頷いた。

 

「どうか、幸せを大切になさってください。そして貴方様の守護霊が招来されたとき、きっとその守護霊は灰の方の元へと貴方様を導かれるでしょう」

「まあ……そうだな。せっかくの機会を得たんだ、大切にするさ」

 

 気恥ずかしいのは変わらないが、それでも大切にするという返事に嘘はなかった。せっかく弟子が与えてくれた二度目の人生なのだから。

 それに、収穫もあった。

 守護霊の呪文。それを成功させれば、どうやらプロメテアはかつての弟子――火のない灰と呼ばれた底抜けに明るい女騎士の元へたどり着けるらしい。

 少し渋みの強い紅茶を飲み干して、プロメテアは頷いた。やることが山積みだが、どれもやりがいがある。生に倦んでいた刺客時代を思い出せなくなるくらい、中々に気分がよかった。

 

「それから、動物もどきの魔法と仰っていましたが」

「ああ。……もしかして、相の変成を宿すというのは火防女としてまずかっただろうか」

「いえ、問題はありませんが……きっとその変身先は貴方様のソウルを映します。少し驚かれるかもしれません」

 

 プロメテアは首を傾げたが、火防女に問いかけるよりも早く目覚めが訪れた。

 

***

 

 すべすべとした、黒曜石の断面のように艶のある鱗が雨を弾いている。

 男の人が履く革靴ほどの大きさの身体を抱き上げると、ひんやりとした手触りが火照った身体に気持ちがいい。ダフネを見上げる空色の瞳は目隠しに隠されていたものとそっくりの色だ。

 幼さを感じる丸みを帯びたフォルム、ぽてっとした四肢。一見すると大きめのトカゲのようだが、背中に背負った銀色の結晶がただのトカゲではないことを示している。

 

「なんでしたか、本で読んだ覚えがあるのですが……結晶トカゲ、でしたか」

 

 アストリアの差し出した鏡に映った自分を見て、黒い結晶トカゲの動物もどき――プロメテアは、こくこくと頷いてみせた。

 可愛い。そして抱き心地がいい。鱗のザラつきとぷにぷに感のバランスが完璧な調和を演出している。

 

「うちで飼いましょう、アスティ」

「駄目です、お姉様。というか、それはバーク先輩です」

「いけない、そうだったわ」

 

 ダフネの腕の中で何度かもどかしそうに身を捩ったプロメテアは、くるりと飛び降りて人の姿に戻った。

 ついさっきまで爬虫類だったのに、今は目隠しまでそっくり元通りになっている。魔法はいつも不可思議に満ちている。プロメテアは何度か手を握ったり開いたりしてから、満足げに頷いた。

 

「問題はなさそうですね、ミス・バーク」

「はい、先生」

「いくつかの検査を行う必要がありますが……私の見立てでは、おそらく成功でしょう。おめでとうございます、ミス・バーク。ホグワーツ史上最年少の動物もどきと、それを支えた友情に私から30点差し上げましょう」

 

 マクゴナガルが嬉しそうに微笑んでいる。これでプロメテアはマクゴナガルにとって熱心な生徒というだけではなく、動物もどきの後輩ということにもなったわけだ。

 いつになく柔らかな表情で、プロメテアはマクゴナガルに会釈した。

 

「ありがとうございました、先生」

「あなたたちの努力があってこそです。さ、戻りましょう。実験に熱中して風邪を引いてはマダム・ポンフリーに怒られてしまいます」

 

 マクゴナガルが杖を一振りすると、びしょ濡れになっていた全員の衣服が一瞬で乾いた。

 雨も止みつつある。ちょうどいいタイミングで実験に成功したようだ。

 校内に戻ろうとしたとき、小さな手がダフネの手を握った。

 

「メティ?」

 

 片手にダフネ、片手にアストリアの手を取って、プロメテアは少し恥ずかしそうに笑った。

 

「行こう、あいつらにも見せてやらなくてはな」

 

 結晶トカゲのときより体温の高いプロメテアの手は、引き締まっているのにどこか柔らかい。

 小さなプロメテアを挟んだ反対側で、少し呆れたようにアストリアが鼻を鳴らした。それでも手を振りほどいていないのは、彼女なりに何かを感じ取ってくれたのだろうか。

 ダフネはその手をしっかり握り返した。




《結晶トカゲの宝玉》
古の魔法生物、結晶トカゲが背負う結晶
最も純粋な力を蓄えるそれは、多くの魔法に適し、それゆえに狩り尽くされた

その結晶はすなわち力ある鱗である
鱗のない白竜は強大だったが、終ぞ古竜としての鱗を手にしえなかった
矮小なトカゲを師とするには大きすぎたのだろうか
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