ハリー・ポッターと竜魂の学徒 作:ホグワーツの点字聖書
プロメテアは過去最大の気づきを得た。人間に四足歩行は難しい。
かつてロスリックで弟子が血眼になって探していた結晶トカゲたちのような機敏な動きを実現するには、まだしばらく訓練が必要そうだった。
少なくともしばらくは研究室に壊れ物を置くのはやめておいたほうがよさそうだ。すでにインク壺をふたつひっくり返しかけたし、アストリアが機転を利かせなければティーセットを一揃いは駄目にしていた。
「うーむ、獣に変身できると聞いたときはまた貴公が強くなってしまうと思っていたが……これは愛玩動物だな」
「ミリィも抱っこしてみたらいかが? ひんやりしてて手触りも素敵ですわよ」
「お姉様、バーク先輩は歩行訓練の最中なので、その……」
棚の横をすり抜けようとして身体の幅を把握しきれず、立てかけてあった羊皮紙のロールが鱗に引っかかって転がる。
なんとか口先で倒れた羊皮紙を元の位置に戻そうと頑張っていると、パンジーの手がひょいと羊皮紙を持ち上げた。
「そういう時は人間に戻ってやればいいじゃない、横着しないの」
返事の代わりにちろりと舌を出すと、パンジーは嫌そうに呻いた。
「なんでよりによって……」
「はは、そういえば貴公は
「に、苦手とかじゃないし! ぜんっぜん触れるし! ただこう、動きが不規則だから退治するのが難しいのよ!」
スリザリン生らしからぬ意外な弱点。
どうやらパンジーは爬虫類が苦手らしかった。鱗をおっかなびっくりつついたあとは一度も触ろうとしないし、プロメテアが近寄るとできるだけ遠いところまで逃げていく。
つぶらな瞳で少し幼げな顔立ちのパンジーがそうして少し怯えたような表情をしていると、彼女も年相応の少女なのだと実感させられる。これで口を開けば世話焼き気質の「みんなのお姉さん」なのだから面白い。
初めてはっきりと見える友人たちの顔を、プロメテアは飽きることなく眺めていた。
「しかし、不思議よね……変身中は眼が見える、なんて」
そう、プロメテアはついに視力を取り戻した。
意外なところで自身の仮説を証明してしまった。高度に複雑で強固な魔法は、それよりも力の弱い魔法に対する抵抗力を与える。
高度な変身術である動物もどきの魔法。それがより強固に発動している獣の形態のときのみ、プロメテアが自身の眼にかけてしまったらしき呪い――ソウルのみを映す火防女の眼としての視力は上書きされるようだった。
もちろん、結晶トカゲになっている間は人間の言葉は喋れないし、魔法も使えない。当然、ソウルを見ることもできない。
それでも選択肢が増えたのは素晴らしいことだ。プロメテアが手にした望外の収穫に、研究室に集った誰もが喜んでいた。あまりプロメテアのことを好いていないであろうアストリアですら、嬉しそうにお祝いの言葉を口にしてくれたほどだ。
「どれ、せっかく見えるようになったのだから拙の顔をよく見せておくとするかな」
大きな手に持ち上げられたプロメテアは、ミリセントの翡翠色の瞳と見つめあった。
貫禄のある声から想像していたよりも細身で中性的な面立ち。女子生徒というよりは騎士物語の騎士を思わせるたくましい華々しさに、ところどころに残った傷跡が野性味を強めている。こういう顔をハンサムと言うのだろうか。
その肩によじ登るようにして覗き込んでいる小柄なお転婆娘がダフネで、姉の奇行に慌てた様子で裾を掴むそっくりな少女がアストリアだ。
二人とも同じ淡いブロンドをシニヨンにまとめていて、愛くるしい顔つきもよく似ている。それなのに性格からくる振る舞いでこうも見え方が変わってくるとは。
プロメテアはこれまで声とソウルの輪郭でしか知らなかった友人たちの姿をじっと観察して、脳裏にしっかりと刻み込んだ。これもきっと「幸福な記憶」になるだろう。
「一旦戻りなさい、メティ。その結晶トカゲとかいう魔法生物についても調べるんでしょ?」
パンジーの言うとおり、プロメテアにはまだやることがあった。
「――よし、慣れてくると戻るのも楽だな」
ミリセントの手をすり抜けて人間の姿に戻り、手で触れて目隠しが巻かれていることを確かめる。
もうすっかり慣れてしまった、暗く閉ざされた視界。ソウルだけが見える色褪せた世界は、視力を取り戻してみるとその味気なさをより強く感じる。
これが日常に溶け込める猫やネズミのような動物なら普段から変身していてもいいくらいなのだが、結晶トカゲは絶滅した魔法生物だ。目立ちすぎて余計な危険を買わないよう、節度を持って変身するようにとマクゴナガルからも言われている。
「魔法生物の動物もどきなんて、私初めて聞きましたわ」
「意外といるところにはいるものだぞ。拙は前にグリンデローの動物もどきを見たことがある。水陸両生で中々に便利そうだったな」
「でも、グリンデローってけっこう見た目が……あれじゃない? なる動物さえ選べるなら挑戦してもいいんだけどねえ」
「ルーンスプールにでもなった日には貴公は鏡を見るたびに気絶だな。いや、あれは頭が3つあるのだから鏡を見る必要すらないか」
「うっさいわね、元から脳みそだけトロールの動物もどきのくせに」
アストリアが挟まれてオロオロしている気配がするが、これが二人なりのじゃれあいなのだ。いずれ彼女も慣れるだろう。
何冊か結晶トカゲに言及していた本の中から素材としての結晶トカゲについてを扱っている博物誌を呼び寄せ、カビ臭いページを開いて書見台付きの実験台に置く。
これからプロメテアは結晶トカゲとしての自分の性質を調べなくてはならない。
結晶トカゲはこの世界ではごく普通の魔法生物だった。数千年前に絶滅していることを除けば他の動物と何ら変わらない、ただ魔法的特徴を持っているというだけの爬虫類に分類される。言ってみれば魔法界の恐竜のようなものだ。
しかし、炉の中で聞いた「ソウルを映す」という火防女の言葉を信じるのなら、プロメテアのソウルは結晶トカゲと何かしらの形で深く結びついているということになる。この示唆は無視できるほど軽いものではない。
プロメテアはオーベックでもある。つまり、そのソウルに紐づく結晶トカゲはこの世界の尺度だけで測れるとは限らない。
この世界でプロメテアが変身した結晶トカゲとかつてオーベックが見聞きした結晶トカゲが同一の種族なのかどうか。まずはそこから調べていく必要があるだろう。
プロメテアは実験台の引き出しからヤスリとペンチを取り出し、ダフネに差し出した。
「ダフネ、頼めるか」
「お任せくださいな。できるだけ手際よく、痛まないように済ませますわね」
パンジーは爬虫類に触れない、ミリセントは力が強すぎる上に不器用。ダフネに任せるのが一番いいだろう。
プロメテアが再び変身すると、ダフネがその身体を持ち上げて実験台に置き、背中の結晶にヤスリを掛けはじめた。
痛みはない。一番近いのはブラシで頭皮をマッサージされながら髪を梳かれている感覚だろうか。少しこそばゆい心地よさと、遠くに感じる不思議な刺激が背に生えた結晶を行き来する。
「……一応確認なんだけど、この削った欠片は魔法薬とかには使えないのよね?」
「難しいですわね。メティの魔法が混ざっている以上、単なる結晶トカゲというわけではないでしょう? だから、純粋な結晶トカゲと同じ使い方はできないでしょうけれど……スネイプ先生に聞いてみればわかるかもしれませんわね」
「ふーん。……おい、トカゲの顔でそういう目をするんじゃないわよ。別に売っぱらおうなんて考えてないから」
一瞬不埒な金策に意識を向けたであろうパンジーを脅かすように口を開いてから、プロメテアはダフネが鱗を引き抜く痛みに備えた。
「いきますわよー、せーの!」
ぷつん、と肌から引き抜かれる感覚と、滲むような痛み。思っていたほどではないが、それでも人間の状態で感じれば顔をしかめるくらいの刺激があった。
実験台から飛び降り、人間の姿に戻る。
動物もどきの変身はあくまで変身術によって姿を変えているだけで、別の存在に置き換わっているわけではない。傷や病、入れ墨のような外見的特徴はそのまま引き継がれる。
ただ、プロメテアは哺乳類で結晶トカゲは爬虫類に近い魔法生物だ。お互いにない部位というものがある。結晶と鱗に受けた傷がどのような形で人間の肉体に反映されるのか、プロメテアはそれにも興味があった。
「どうだ、見た目に変化は残っているか?」
「うーん……どことなく毛先が整ったような気がしますわね。鱗は右の脇腹と結晶の間あたりから引き抜きましたけれど、痛みはあります?」
「ないな。ちょっと見てくれ」
自覚はないが、傷があるかもしれない。状態を確認してもらおうとローブをたくし上げようとしたプロメテアの手をパンジーがはたき落とした。
「やめなさいよ、はしたない。というか浮かれすぎ」
「む……悪い」
「別に謝んなくてもいいから、先に鱗とか削った粉末とかしまっちゃいなさい」
浮かれていないと言えば嘘になるだろう。
ここしばらくプロメテアはこの変身術にかかりきりだった。それが成功したのはとても嬉しいことだし、論拠の弱さから進みが悪かった論文もかなり補強の見通しが立った。
それに、「変身が肉体に常在する」という状態のサンプルはグリーングラス家に伝わる血の呪いを読み解く上で必須に近い。血の呪い自体の研究がほとんどなされていない以上、比較対象が大いに越したことはないのだ。
そして何より、視力があるというのはやはりいい。マクゴナガルと約束した「みだりに変身しないこと」という約束を守れるか、プロメテアには自信がなかった。
結晶の粉末を薬包紙で包み、親指の爪ほどの大きさの小さな鱗を試験管に放り込んで栓をする。
「まあでも、痛くないならある程度確保しといてもいいのかもね。スネイプ先生に少し分けてあげたら?」
「どうだろうか。彼は私をあまり好んでいないようだからな……」
「お世辞にも世話焼きってタイプじゃありませんものね。それにしたって少し冷たすぎる気がしますけれど」
薬包紙からガラス瓶へと結晶の粉末を移し替えながら、プロメテアは濁すように曖昧な返事をした。
スネイプがプロメテアを警戒しているのはわかっている。最初はダンブルドアからつけられたお目付け役かと思っていたが、どうやら彼個人がプロメテアを気にしているようだ。
警戒するのも無理はない。プロメテアは少しこの世界の子供らしさというやつに疎すぎたし、周囲の視線に無頓着すぎた。
寮監であり、魔法薬学の教授であり、そしてプロメテアの見立てが正しければダンブルドアの下で影に潜む類の仕事をしているであろう男。どことなく共感するところがないでもない彼にいらぬ心労をかけているのは、プロメテアにとって少しだけ申し訳ない部分でもある。
「……次の魔法薬学の後にでも渡してみるか」
すでに滅んだ魔法生物の素材は手土産として十分すぎるくらいだろう。
プロメテアの手元で、薄っすらとソウルを宿した鱗が試験管の中を転がった。
《プロメテアの鱗》
結晶トカゲと化したプロメテアの小さな鱗
ほのかにソウルの魔力を帯びている
動物もどきは獣の相を持つ人に過ぎず、獣そのものではないとされる
それゆえに結晶トカゲを用いた実験には適さない
しかし、役に立たないものなどきっとありはしないだろう