ハリー・ポッターと竜魂の学徒 作:ホグワーツの点字聖書
不死の呪い。
死してもなお立ち上がり、あるいは肉体を失っても再生する。その代償として、死の度に人間性と呼ばれる理性や記憶のようなものを失う。そして最後には生者を襲う獣、亡者となる。
それがこの世界に蔓延する病なのだと、スネイプは放浪するオーベックを通じて知った。
オーベックが学院を追放されてどれほど経ったのだろう。
彼はダークリングという痣のようなものを発現させた。これが不死人の証だ。彼は捕らえられ、そして放逐された。
幸か不幸か、本来であれば不死院と呼ばれる牢獄に送られるはずの彼が捕らえられることはなかった。オーベックという人物はヴィンハイムには存在しないからだ。
最後の最後で、竜の学院の不誠実が彼に自由を与えた。優しさの欠片もない、冷たい自由だった。
「……くだらんな」
己の内に込み上げた小さな、何の価値もない同情を、スネイプは一笑に付した。
今、オーベックは磔の森と呼ばれる不潔な沼地の城塞跡に居を構えている。この地にはかつて結晶の古老と讃えられた賢人がいたらしく、彼はその失われた叡智を少しでも汲み上げるために足跡を辿っていた。
そんな彼の書斎に、騒がしい足音が近づいてきた。
「――こんにちは!」
スネイプは思わず目を見開いた。
ひしゃげた兜、土埃にまみれた甲冑、何か不衛生な液体がついた鞘に収められているのは使い古された剣。
演劇でしか見なくなった典型的な騎士の姿をした少女――明るい緑色の瞳をした、快活な少女がオーベックに声をかけていた。
「……ほう、驚いたな。こんなところに訪問者とは。それでお前――」
二人の会話はほとんど聞こえていなかった。
いや、聞こえていたが、スネイプには考える余裕がなかった。
決して顔つきが似ているわけではない。兜の下に見える髪色は
しかし、その物怖じしない態度が、人が心に纏った壁をたちまちに溶かしてしまうようなぬくもりが、重なってしまう。
リリー・エバンズ。
目の前の女騎士を彼女に重ねて見ている自分、そんな愚か者を殺したくなるくらいに不愉快で、それでも目を逸らすことができない。
「――ね、嫌でしょ? 自分の心を踏み荒らされるのって」
呆然としていたスネイプは、咄嗟に杖を構えそこねた。
ついさっきまでオーベックと対話していたはずの女騎士がスネイプに視線を向けている。記憶の中から、はっきりと。
ありえない。
記憶とは過去だ。スネイプは未来から過去を読み解いているに過ぎない。言ってみれば、小説の登場人物が突然決まった物語を無視して書き換わり、自分に話しかけてきたようなものだ。
「……罠に誘い込まれた、そういうことか」
「いや、罠とかじゃないけど。先生のうっかりだよ。先生が幸せそうなのは嬉しいんだけど、ちょーっと油断しすぎだよね」
呆れたように、愛おしそうに悪態をつく彼女に、スネイプは今度こそ杖を向けられなかった。その表情があまりにも似ていたからだ。
ジェームズ・ポッターの悪口を言うリリー。うんざりしたように、それでも微塵も憎しみを見せずに彼をこき下ろし、「内緒だよ」と笑う彼女にそっくりだった。
その熱に、光に目を合わせるのが苦しくて、スネイプは逃げたのだ。そして、全てを――復讐の機会も、愛する人も、全てを失った。
「お仕置きはこれで十分かな? 君のソウルに刻まれてた一番愛しい人の面影を借りたんだけど、ちゃんと傷ついてくれた?」
「ふざ、けるな……!」
「それはこっちの台詞、って言いたいところだけど……ソウルに刻まれた記憶をここまで遡れる人がいると思ってなかったから、私のミスかな。ごめんね、結構手一杯なんだ」
剣を抜いた女騎士に、スネイプは三度杖を向けようとした。
しかし、すでにスネイプの身体から自由は奪われていた。
見る側と見られる側、その主客はすでに逆転していたのだ。迫りくる剣を防ぐ手立てはない。
「仕返しをするのは先生の権利だからね、傷つけはしないよ。記憶を少し剪定するだけ。でも、苦痛と罪悪感だけは刻み込んで帰ってね」
「やめ……ッ!」
それが、スネイプに刻まれた記憶だった。
***
息を荒げながら、スネイプは作業机に手をついていた。
開心術の結果、プロメテアに不審な点は
彼女が生まれ、ボージンの元で育ち、魔法事故で視力を失い、類まれなる勤勉さでここまで辿り着いたのを全て見てきた。途中で抵抗されたせいで
こう結論づけざるをえない。
「魔法事故がきっかけで神秘に触れてしまっただけの、ただの子ども……」
スネイプは震える手で杖を拾い、そしてプロメテアの拘束を解いた。
すぐさま変身し人の姿に戻ったプロメテアは、作業机から飛び降りてローブの袖に手をやった。いつも使っている魔法の道具を抜こうとしているのだろう。
そのまま、彼女はしばらくスネイプを警戒した様子で身構えていた。
「……怪しい点は見つからなかった。出ていけ」
プロメテアが何か口にしようとしたが、それを遮るようにスネイプは怒鳴った。
「出ていけ!」
ひどく惨めな気分だった。
リリーが見たら何と言うだろうか。
ずっと考えないようにしていたこの一言が、スネイプの奥底から呼び起こされてしまった。まるで魂を鷲掴みにされたような衝撃とともに。
自分が教職として全うでないことくらい、当然自覚している。生徒に好かれる気など端からありはしない。しかし、その行いが愛する人から褒められることではないという事実からだけは、ずっと目を背けてきた。
リリーは死んだ。自分のせいで死んだ。だから、「リリーが見たらどう思うか」などという尺度で己を律することは許されない。
スネイプはただリリーを想うことしか許されない。それ以外のどこかにリリーを見出せば、それはリリーをさらに汚し貶めることになる。
いつの間にか誰もいなくなっていた研究室で、倒れ込むようにして椅子に座る。
「……リリー、僕は」
間違えたのだろうか。
当たり前のことを口にしないだけの理性は残っていた。
「――これはまた、ひどくくたびれておるのう、セブルス」
声と足音が近づいてもなお、顔を上げる気力はなかった。
ダンブルドアはスネイプの前にマグカップを置き、そして自分の椅子を引いた。マグカップからゆらゆらとたちのぼる湯気に混じって、チョコレートの甘い香りが漂ってくる。
「ミス・バークは君を責めんそうじゃ。疑わしきを罰するのではなく、明らかにしようとした君は正しいと言っておった」
「そう、ですか」
「責められたほうが楽だったかね? 奇遇じゃのう、儂も同じことを思うておる。優しさとは、信頼とはいつも残酷なものじゃ。向けられる者が資格のなさを痛感しているときは特に、のう」
今回、スネイプはダンブルドアの指示を受けたわけではない。
しかし、プロメテアの目が見えるようになったとスネイプが知れば、何をどうするかダンブルドアなら気づいていただろう。それを止めなかった時点で、彼もまた狙いは同じだった。
ダンブルドアは焦りつつある。
夏季休暇中には密かにヌルメンガードを訪れ、囚われているグリンデルバルドと言葉をかわしている。そこで何があったのか、スネイプは知らされていない。しかし、何かが彼を衝き動かしている。
その焦りが、スネイプの背を押した。押してしまった。
「……彼女は、我々の害にはならない。それは間違いありません」
「ご苦労じゃった、セブルス。また、損な役回りを押し付けてしまった」
「それが、役目ですから」
この件はあくまでスネイプの独断として処理される。そうしなければダンブルドアの信用が揺らぐことになるだろう。
アルバス・ダンブルドアという清潔な偶像を守るために、いつもどおりスネイプは汚れ役を担う。それがリリーの息子を守ると誓ったスネイプの役目だ。
とっくの昔に死んだはずの良心が悲鳴を上げている。
《陰る偽り》
遠く彼方に失われた忌み人の魔術
ソウルに刻まれた記憶を象り、偽りの姿を生む
陰の太陽グウィンドリンに由来する偽りの業は絵画の守り人のためにあり
その幻は悪意への冷たい報いとして働く