ハリー・ポッターと竜魂の学徒 作:ホグワーツの点字聖書
貴石とは、魔法鍛冶に用いられる素材の通称だ。
名のとおり貴重であるそれは、それぞれ特別な力を宿している。呪術の原初である混沌の炎に焼かれた地の名残には混沌が、神々の物語が記される楔石の聖なる断片には祝福がといった具合に。
何もしなければ綺麗な石にすぎない貴石は、特別な種火で熱された炉の中で武器とともに鍛えられることで武器にその力を移す。
凡庸なロングソードが炎の力を得たり、店売りのダガーが無限に毒を滲ませる邪悪な刃に変貌したりするのは、貴石から力を譲り受けたためだ。
「エクリジスの貴石、そう言ったか」
「うん。意味は、わかるんだよね?」
「……ああ、そして納得がいった」
プロメテアは大きく息を吐いた。
アズカバンの吸魂鬼を生み出した闇の魔術師、ロンドールのエクリジス。ロンドールという見知った地名を名に冠する者であるにも関わらず、プロメテアはその名に聞き覚えがなかった。
ロンドールの黒教会を知る者は
間違いなくプロメテアと広い意味での同郷であるエクリジスが、ここまで卓越した力を有しながら名を挙げなかったのはなぜか、ずっと気になっていたのだ。
「ロンドールの魔法鍛冶、それも亡者そのものを加工する悍ましい業の主だったのだろうな。黒教会の内側で密かに腕を振るっていたのだろう」
「亡者……」
「お前が想像しているそれではない、パンジー。もっと人の本質に近く、悲しいものだ」
パンジーが首を傾げた。
亡者について彼女に説明するのは難しい。そのためには異なる世界の理そのものに触れなくてはならない。
この世界で知られる屍人形の亡者とは異なる、理性なき不死人。
かつてプロメテアが生きた世界では、ダークリングと呼ばれる印が発現したものは不死となった。不死人は死の淵から蘇るたびに理性、感情、記憶といった人間性を失い、ついにはソウルに惹かれて命を奪うことしかできない亡者になり果てる。
表向きは、不死人は世界が終わる日まで収監されていた。
しかし、亡者を素材として特別な力を引き出す技術は密かに研究されていた。今もプロメテアの指を飾る小さな指輪がまさにそうだ。
「吸魂鬼がアズカバンを離れたがらないのは、囚人という餌がいるからじゃないの。あの島があれを産んでいるからなんだ」
「なるほど。エクリジスは島そのものを炉としたのだろう。吸魂鬼を介して貴石の力を精錬した人に移し、変質させるわけか」
ぞっとする話だった。
つまり、エクリジスは生きた人間を恐怖によって適した形に整え、吸魂鬼のキスを介して力を与えることで人間を
生きている武器。いや、今まで殺害例がないことを考えれば、より高次の完成された武器と言うべきか。
「先生は、この力を悪用できるやつがいつか現れるって考えてたんだと思う」
そして、もうひとつ納得がいった。
アブラクサスはソウルの業を少なからず知っていたのだ。だからプロメテアを手駒に加えることに躊躇いがなかった。
今となっては
残念ながらプロメテアには魔法鍛冶の知識がない。竜の学院において、魔法鍛冶は正規の学生が専攻として選ぶもののひとつだった。一介の刺客が学べる技術ではなかったのだ。
「アズカバンを襲撃した連中は国籍も人種もバラバラ。なのに服装だけは揃ってた。まるで……」
「まるで、使い捨ての刺客のようだ」
「うん、そう。それでね、考えたんだけど……あいつらは最初からあそこで死ぬ予定で送り込まれてきたんじゃないかな。誰も守護霊を出さなかったんだ」
内心でプロメテアは向かいに座るジェーンの評価を一段上げた。
刺客は使い捨てられる道具だ。刺客が送られたという事実を示すためだけに送り込まれることもある。つまり、時には死ぬことを知らされずに死ぬために送られる。
「パンジー、アズカバンの襲撃事件で一番得をしたのは誰だ」
「……ルシウスおじさまよ。アズカバンの警備体制を厳重にするという名目で、おじさまはアズカバンを支配下に置きつつある」
扉の前にいた犬が憎々しげに唸った。ルシウスの名に思い当たることでもあるのだろう。
ルシウス・マルフォイ。プロメテアにとっては旧知の人物だ。常識的だが洒落がわかり、大人らしい責任と自覚のある彼を年上の友人とすら思っていた。
息子を痛烈な皮肉を交えつつも可愛がるルシウスは、同時に英国魔法界屈指の旧家であるマルフォイ家の家長でもある。いつか、彼が政治手腕を振るう日が来ることは覚悟していたつもりだった。
「あんた、ルシウスおじさまとやりあう気?」
「彼にその気がなければ、その必要はない」
「それは答えになってないわよ」
「軽々に答えを出せるものではない、わかるだろう」
英国魔法界の政界は緩やかな派閥闘争によって成り立っている。政党のような見える形のものではなく、社交による静かな陣取りゲームだ。
プロメテアは政治に疎い。いくら純血の旧家とはいえ商売人の娘では社交界の華にはなれない。それでも、避けられない日が来てしまったようだ。
パーキンソン家は、ルシウス派だ。
***
パンジーにとって、プロメテアはいつも危なっかしいちびだった。
最初にそう認識したのは、1年生のとき。侵入したトロールを撃退し、傷を負って帰ってきて、当たり前のような顔でひとり包帯を巻くのを目にしたときだ。
痛々しくて、とても放っておけなかった。
彼女が語ったとおり、壮絶な過去に相応しいだけの実力はあるのだろう。その片鱗をこれまで一度も感じなかったと言えば嘘になる。
しかし、パンジーが知っているプロメテアの姿は鮮やかに敵を打ち倒す華麗な決闘者のそれではない。それどころか、戦っている姿を見たことすらない。
いつも危険に巻き込まれ、傷だらけで帰ってくる。文句を言いながらも困っている人がいれば手を差し伸べ、一緒に痛い目を見る。
不器用で優しい、小さな影。それがプロメテアだった。
「コート元管理官。私はパンジー・パーキンソン、パーキンソン家の者です。意味はおわかりですね」
パーキンソン家中興の祖、ペルセウス・パーキンソンがこの一族を魔法界の監視者と定めて以来、一族は絶やすことなくウィゼンガモットの評議員や魔法省の上級官僚を輩出し続けてきた。
もちろん、パンジーの父もウィゼンガモットに議席を有する。パンジーのところに届く魔法界の情報は限りなく最新に近い。
しかし今のところ、パンジーの耳にはジェーン・コート生存の報など届いていない。プロメテアの判断以外に彼女を信用する理由はひとつもない。
「うん、たぶんね」
「あなたが現状をどこまで理解してらっしゃるのか、確認させてください。あなたはマルフォイ氏がクーデターを企てているとお考えですか?」
「……違うと思う。先生の息子さんだし、そういう軽率な手は使わないんじゃないかな」
ジェーンの考えは正しい。
話の半分も理解できたか怪しいが、それでも断片的な情報を積み上げれば見えてくるものがある。アズカバンには吸魂鬼を生み出す秘密の石があるということが。
そして、もしそんなものが本当にあるのなら、ルシウスはそれを武力としては運用しない。
マグルにとっての核爆弾がそうであるように、運用しない武力はより強い圧力として機能する。「お前の家族をいつでも吸魂鬼にできるんだぞ」という圧力は単なる拉致よりも意味が重い。
しかも、いざとなれば力を振るうことに躊躇のない主がかつては存在した。
「メティ。その石で、闇の帝王が復活するってことはありえるの?」
「……少し考えてみたが、無理だな。エクリジスが生きた人間を変質させる炉と貴石を作ったのなら、変質させるものは生きていなくてはならない」
状況は理解した。プロメテアに頼った理由もなんとなく察した。
しかし、それとこれとは話が別だ。
「メティに何をさせたいんですか」
「協力してほしいの。ルシウスさんがアズカバンを掌握する前に、アズカバンの何処かにあるエクリジスの貴石を発見、破壊したい」
「こいつは……メティは学生です。まだホグワーツの3年生なんですよ」
「情けない話だけど、その3年生にしか頼れないの」
「……どうかしてる。どうかしてるわよ」
今、ルシウス派は英国魔法界の一大派閥になりつつある。教育文化局の設立に始まって、国際魔法協力部や魔法運輸部といった主要部局を手中に収めた。
その彼が支配しようとするアズカバンで破壊工作を行うというのは、宣戦布告以外の何でもない。
プロメテアの平和は失われるだろう。これまでルシウス派と目され、旧家の面々と関係を保ってきたから続いていた平和。それを自ら砕くことになる。
断じて認められない。
パーキンソン家がルシウス派だからではない。友達がこれ以上危険な目に合うのを、黙って見ていられないという話だ。
「もっと、頼れる人がいるはずでしょう! ダンブルドアだっていいし、魔法生物ならニュート・スキャマンダーだっていい! こいつを巻き込む理由がない!」
「――それは違う、パンジー。きっとこれは、私にしかできない仕事だ」
思わず頭に血が昇ったパンジーは、危うくプロメテアの胸ぐらを掴みそうになった。
そうしなかったのは、彼女がポケットから一輪の花――彼岸花を取り出したからだ。
パンジーたちの伝手を使ってもとうとう送り主を明らかにできなかった、プロメテアにとって正体不明の敵。その人物がわざわざアズカバンに送ってきたという花を見て、パンジーは理解した。
プロメテアは行ってしまう。行って、また傷を負うのだ。
「これを植えることをアブラクサスの翁は許した。決して無害な花ではない。意味があるはずなんだ。私は解き明かさねばならない」
解き明かして、そして。
続きは聞くまでもない。
「すぐにとは言わないわ。でも、クリスマス休暇までに答えがほしい」
席を立ったジェーンが犬とともに姿くらましをしてもなお、パンジーは立ち上がれなかった。
どうして自分は
《蝶のオルゴール》
穏やかな旋律とともに蝶が舞うオルゴール
これといっていわれのない凡庸なアンティーク
魔法骨董店の娘から誕生祝いに贈られた品
小さな引き出しには手紙と写真が大切にしまわれている
儚く移り気な蝶も、ネジを巻けばまだ舞うようだ