ハリー・ポッターと竜魂の学徒   作:ホグワーツの点字聖書

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 ほとんどの生徒はクラウチのことを教師としてしか知らないだろう。

 しかし、実際のところ、クラウチがホグワーツで業務に携わる時間のほとんどは教育文化局の局長としてのものだった。

 年間カリキュラムや引き継ぎ資料の定式化、非常勤講師向けの採用窓口の常設化、そして教育文化局ホットライン。戦後初の教育改革が始まろうとしていると、省内ではもっぱらの噂だった。

 ひとつひとつは大した業績ではない。小さな一歩一歩の積み重ねだ。クラウチはただ、本来あるべき歩みが滞っていたのを急かしたに過ぎない。

 いわばこれは次代が歩む道の舗装だ。

 そして、舗装するにつれて隠れていたもの――穴や岩、歩む者を躓かせ、挫かせる存在が明らかになっていった。

 

「ちょっとしたやんちゃでは済まされない。わかるな?」

 

 不貞腐れた様子でそっぽを向くレイブンクローの女子生徒は、つい先日医務室から退院したばかりだ。ひどい風邪を引いて寝込んでいた。

 彼女には下級生への暴行の疑いがかかっている。

 被害者――ルーナは公にしたがらなかったが、その身に残った傷が魔法によるものであると熟練の養護教諭であるマダム・ポンフリーはひと目で見抜いた。そして、()()()()()により容疑者が明らかになった。

 証拠の隠滅や言い逃れの準備は周到になされていたが、それでも元魔法法執行部長の取り調べに耐えられるほど彼女は経験豊富ではなかったようだ。

 

「この件はご両親にもお伝えすることになる」

「お、親は関係ない! 卑怯よ!」

「いや、関係がある。君がフリットウィック教授を軽んじる理由について、じっくりと話を伺う必要があるからな」

 

 寮監であるフリットウィックの名が出た途端、彼女はひどく顔をしかめた。

 クラウチは手元のバインダーを開き、女子生徒――タムシニア・モックリッジを取り巻く環境についての調査資料に再度目を通した。

 

「君のお父上、カスバート・モックリッジは小鬼連絡室の室長だ。ゴブリンとの良好な関係を保つことは魔法族にとって重要課題と言っていい。彼は魔法生物規制管理部の中でも重要なポジションにある」

「……だから何よ」

「もし彼の娘である君がフリットウィック教授の出自を蔑んでいるのだとすれば、それはモックリッジ室長が適性を疑われる根拠として十分だ」

 

 フリットウィックは決して無能ではない。教育者として理想的な模範を実践している。

 授業は明快かつ生徒の自主性を重んじ、寮生にも積極的に声掛けを行っている。7学年合計250名の寮生全てに関して名前を諳んじているのは超人的ですらある。

 しかし、それでも彼を疎む層は一定数存在する。それはなぜか。

 

「パパの仕事は関係ないでしょ! ホグワーツがあんな()()()()()を使ってるのが悪いんじゃない!」

 

 フリットウィックがゴブリンとのハーフだから。

 純血至上主義者が純粋な魔法族の血のみを尊ぶように、「ヒトたる存在」についても純粋なヒトのみを尊ぶ主義者が存在する。ゴブリン、屋敷しもべ妖精、そういった人間でない存在を下等なものと見なす思想だ。

 厄介なのは、純血至上主義と違ってこの思想は区別の延長線上にあることだ。

 事実として、ゴブリンは人間ではない。属するコミュニティも使う魔法も異なる。財産権に関する価値観の違いに始まる様々な衝突が理由で魔法族はゴブリンと幾度に及ぶ戦争を経験している。

 だからこそ、現在の小康状態を保つために小鬼連絡室が存在するのだ。

 

「……いいだろう、一旦問題を切り分けよう。君の差別的思想と家庭教育の関係については後日カスバートから直接話を聞けば済むことだ」

 

 半べそをかいてこちらを睨むタムシニアに溜息をつきたくなるのをこらえて、クラウチは手元の資料をめくった。

 タムシニアは成績優良者のひとりだ。監督生にこそ選ばれなかったが、自主的に勉強会を主催し、後輩の指導も行っている。順当に行けば志望どおり魔法省に勤めることも可能だっただろう。

 しかし、そうして広げた影響力の裏で陰湿ないじめを繰り返していたとなればそうはいかない。

 

「私はいじめという言葉を好かない。君がやったことはそんな幼稚なことではない。窃盗、恐喝、暴行。いずれもれっきとした犯罪だ」

「で、でも私はまだ学生で」

「そうだ。未成年者は法で守られている。幸いにして君はアズカバン送りにはならない。悪くてもただの退学で済むだろうな」

「そんな……ルーニーのことをいじめてたのは私だけじゃないのに! そんな不公平なことが許されるわけない!」

 

 立ち上がって叫んだタムシニアの頬を張り倒してやりたくなるのを、クラウチは机の下で拳を握りしめて我慢した。

 生徒の進退に関して、クラウチは決定権を持たない。あくまで校長であるダンブルドアに報告書を上げて提案ができるだけだ。校内の自治権はあくまでホグワーツが握っている。

 しかし、見舞いに行ったクラウチの前でルーナは初めて泣いた。

 自力でなんとかしたい、そう言って気丈にも笑っていた彼女が涙をこらえきれなかった。傷だらけの小さなブローチをクラウチが直してやって、それでようやく眠りについて、それでも魘されていたほどだ。

 依怙贔屓と言われてもいい、クラウチには彼女を救う義務があった。

 

「他に100人同じ罪を犯した者がいたとして、君の罪がなかったことになるわけではない。成績表の上に限って言えば君は賢いのかもしれない。しかし、それでも賢愚と善悪は別だ」

 

 泣き崩れるタムシニアに反省の色は見えない。しかし、少なくとも後悔はしているだろう。

 こういった問題はルーナが初めてではなかった。いじめやクラスカースト、差別に金銭トラブルまで。改革が進んだことで、ホグワーツにかかった残酷な魔法が解けつつある。

 教科を担当する教授が寮監を兼任し7学年250名を監督するという現行のシステムは、とっくに限界を迎えていた。慢性的な人手不足から来る淀みだ。

 早ければ来年度にも教育文化局から応援の手を入れられるよう、各所と折衝を進めている。

 

「……どこかで君に正しい道を示す大人がいるべきだった。君の罪は決して肯定されないが、この学び舎で誰も君を導けなかったことを残念に思う」

 

 ホグワーツは学校だ。つまり、子どもが学びを得るための場だ。

 どんな子どもであろうと、ここでは教育を受ける権利がある。単なる勉強だけではない。人としての広範な学びによって自らを磨く権利があるのだ。

 思想、権力、そして監督者の不足。様々な理由こそあれど、彼女の歪みは正されなかった。

 

「寮に戻って、荷物をまとめなさい。監督生が君を反省室に案内する」

 

 赤く腫れた目でクラウチを睨みながらゆっくりと立ち上がったタムシニアは、結局何も言わずに退出した。

 冷めた紅茶を飲み干して、クラウチは息を吐いた。

 これもルシウスの策略だ。教育文化局の人間が入れば入るほど、ホグワーツの自治権は揺らぐ。ホグワーツの内側に小さな魔法省ができあがれば、校長の権限に内側からNOを突きつけることができる。

 

「賢愚と善悪は別、か」

 

 己の言葉を反芻するように繰り返すと、猫脚のティーポットが机の隅で小さく鳴いた。

 ホグワーツの影に潜む悪意は今ある手だけでは拭い去れない。クラウチひとりの身では限界がある。それに、クラウチは自分の賢さも善さも信用していない。

 かつてクラウチは息子を己の手でアズカバンへと送った。そして、妻に嘆願されて密かに息子を脱獄させ、今はしもべの監視をつけた上で屋敷に軟禁している。

 椅子に凭れかかり、蝋燭の火に照らされた己の手を見上げる。無数の罪人を裁き、牢へ送り、時には自ら殺めた手だ。

 クラウチの両手は余すところなく血と罪にまみれていた。

 思えば、息子にはただ賢さを求めていた。そうすれば自然と善の道に進むと、愛する妻と己の成した息子ならそうなって当たり前だと信じていた。

 今は、愚かであっても善い者であれと祈るべきだったと強く感じる。

 仮初めの教職につき、生徒に説教の真似事をするたびに心の奥底が痛んだ。自分にそんな資格はないと、そう理性が主張する。クラウチもまた、賢く悪しき人間だ。

 

「……それでも」

 

 それでも、善くありたい。

 高望みかもしれない。それでも、今のクラウチには自分を頼ってくる子どもたちがいる。それを守れるのなら、愚かと後ろ指をさされるくらいのことはなんでもない。

 

***

 

 手慰みに作ったぜんまい仕掛けの鳩を魔法で羽ばたかせながら、セオドール・ノットは談話室の隅で漫然とその事件を眺めていた。

 

「この英国に脈々と継がれてきた血を軽んじるその態度、これ以上は見過ごせないぞ!」

「その血とやらが本当に語られているだけの重みがあるのなら、俺ももう少し態度を改めるんですがね」

 

 暖炉の前で不敵な笑みを浮かべて立つ、浅黒い肌の青年――ブレーズ・ザビニ。

 ここしばらくスリザリン寮内を騒がせている彼は、良くも悪くも目立っていた。スリザリンに蔓延する伝統主義を真っ向から貶す態度は多くの敵を生んだが、同時に仲間を増やしつつある。

 決して品が良いとは言えないが、幅を利かせていた旧家の生徒たちから特権を引きはがすザビニの行いを歓迎する層も少なからずいる。それは彼のような新興の家に生まれた生徒であったり、表向き純血ということになっているマグル生まれの生徒であったり様々だ。

 ましてや今回のように半純血の生徒への「指導」を妨害するときなど、彼を英雄視する者もいるようだ。

 

「よくもそこまで愚弄できるものだ、旧家のおこぼれに預かるハイエナ風情が」

「とんでもない。俺はただ心配だっただけですよ。ほら、エイブリー先輩のお父上もちょっと魔法の指導に()()されたでしょう?」

「貴様……ッ!」

 

 青白い顔がさっと赤らんだ。

 エイブリーの父親は今アズカバンにいる。プロメテアを失明させた魔法事故の件が発端となって様々な悪事が明るみに出たためだ。

 基本的に、親が投獄されていることをスリザリンで話題にする者はいない。先の戦争で収監された者を一族に持つ生徒は少なくないが、それに言及することはある種のタブーとなっている。

 ザビニもそのタブーは理解していたはずだった。少なくとも、今年に入るまで彼はそのような素振りを見せなかった。

 セオドールはザビニと親しいわけではないが、それなりの付き合いはあった。夏季休暇に入る前まで、彼にこのような変貌の気配はなかったはずだ。

 

「――まずいときに帰ってきたようだな」

「バークか」

 

 隣に腰掛けたプロメテアのために、セオドールは腰を浮かせてソファのスペースを少し譲った。

 寮内に友人らしい友人のいないセオドールだが、それでもまともに話す相手がいるとすればそれはプロメテアだった。職工の家系であるセオドールと研究者気質のプロメテアは話が合ったし、静かな時間を好むところも似ていた。

 プロメテアから差し出されたビスケットの箱から一枚引き抜いて咥える。メイプルシロップのふくよかな甘みが、ささくれだった気持ちを少し和らげた。

 

「お前、ザビニとはそれなりに話すほうだろう」

「最近はそうでもない。あいつは……焦っている」

「ほう?」

 

 セオドールがザビニの様子に違和感を覚えたのは、新学期の始めだ。

 ホグワーツ特急で空室のコンパートメントを見つけ、入ったセオドールはそこにザビニが座っていることに気がついた。外にいるときは影すら見えなかった。

 窓枠に頬杖をついていた彼の指には見慣れない指輪が嵌まっていた。

 それを指摘すると、「母から与えられたお守りだ」と適当に誤魔化して手をポケットに隠してしまった。彼が母親を大切に思っていることは知っていたし、それ以上問いただしはしなかった。

 しかし、変化はそれだけにとどまらなかった。

 

「あいつは元々、目立ちたがりではない。自分に自信があって、それに満足していた」

「心境の変化か」

「というよりは……環境、かもしれない」

 

 寝室を同じくするセオドールは、ザビニが頻繁にふくろう便を受け取っているのを知っている。

 それに加えて、授業を無断欠席した上でどこかへ消えたり、校内で何かを探すようにうろついているところを見かけることも増えた。何をしているのか尋ねてもまともな返事があったためしはない。

 ただ間違いないのは、ザビニが目立とうとしているということだ。

 そして、ザビニが何一つ不自由ない平和な学校生活をかなぐり捨ててまで優先することがあるとすれば、それは母親のことだろう。

 

「バークはあいつの母親――ロザリア様と会ったことはあるか」

「いや、ない。大変な美女だとは聞いているが」

「俺は一度だけある。美しく、そしてお優しい方だが……」

 

 言い淀んだセオドールを促すようにプロメテアが小さく首を傾げた。

 ロザリア・ザビニという魔女は多くの噂に包まれている。何人もの男が彼女に富を残して死んだ。魔性の淫婦、そう揶揄されるほどだ。

 そして、ロザリアの特異な体質――舌を持たず、言葉を発さないという欠損が、取り巻きを誤解させ、増長させる原因にもなっている。だからこそ、母を愛するザビニは母を利用しようとする社交界を疎んでいた。

 あの穏やかで静かな女性に何かがあったのだろうか。

 結局、セオドールは発しかけた言葉を飲み込んだ。確信もなく他の家に口出しすべきではない。

 

「それより、直近の話をしないか。バークさえよければ、クリスマス休暇に工房を案内したいと父が言っている」

「お誘いは嬉しいが……大きな仕事が入っていてな」

「そうか、残念だ」

 

 ザビニはエイブリーに胸ぐらをつかまれ、そこに数名の上級生が加わって殴り合いまで秒読みに入った。気分の悪い騒動を傍目に、セオドールはため息をついた。




《匿名の走り書き》
クラウチに宛てられた密告の書状
タムシニア・モックリッジの悪事を目撃したことが記されている

整った筆跡で綴られているが、かすかに泥と埃のにおいがする
おそらく湿った物陰で書かれたものだろう
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