ハリー・ポッターと竜魂の学徒 作:ホグワーツの点字聖書
「
黒板に記した2つの魔法の図を動かしながら、クラウチは授業の総括に移った。
魔法の投げ縄を狙った場所にかける引き寄せ呪文は3年生の教科書に載っていることもあって軽視されがちだ。しかし、杖から命綱を生み出せると考えればこの呪文がいかに有用かよくわかる。
「イメージが曖昧だと縄が脆かったり、引き寄せる力が足りなかったりする。クリスマス休暇の間にこの呪文の機序をまとめたレポートを仕上げておくように。以上、解散」
クリスマス休暇に宿題を出すことを伝えると生徒たちは嫌そうに呻いたが、クラウチは構わず解散を告げた。
教職に就いてもうすぐ1年が経とうとしている。授業にはいくらか慣れてきた。
多忙には変わりないが、魔法法執行部時代の激務を思えば寝ている間に同僚が死んだり服従の呪文にかけられていたりしないだけマシな職場と言える。
赴任直後に判明した生徒たちの「調べる能力の低迷」には難儀させられた。これは調べ学習の経験を積ませることでかなり改善されたが、図書館司書のマダム・ピンスから「仕事を増やした」と睨まれる弊害もあった。
そして、時には不必要なまでに賢さを発揮してしまう生徒が増えたのも事実だ。
「クラウチ先生、ちょっと質問が」
「なんだね、ポッター」
鞄を抱え、友達を連れて向かってきたハリーは、明らかに教室内の生徒たちが帰るのを待ってから声をかけてきた。
今、ハリーの周囲は危険に満ちている。もし彼がそれに気づいて、望んで首を突っ込もうとするのなら、止めるのがクラウチの仕事だ。
しかし、彼の口から出た質問はクラウチの意表をついた。
「その……シリウス・ブラックの裁判記録ってどこかで見れたりしますか?」
「……ふむ、なるほど。座りたまえ。ウィーズリーとグレンジャーも」
思わず眉間に皺が寄る。
どうやらハリーは独力でシリウス・ブラックと自身の関係にある程度気づいてしまったようだ。いくら大人たちが隠そうとも、先の戦争を終結させた大事件――ブラックの裏切りとポッター夫妻の死のことは調べればすぐに情報が出てくる。
親の死因を調べたのか、それともブラックの罪状を調べたのかは定かではないが、わざわざクラウチに裁判記録のことを尋ねるだけの何かに思い当たったのだろう。
少し悩んで、クラウチは彼が暴走しないだけの情報を与えることに決めた。
「ブラックが裁判を経ずに投獄された話を見つけたのか」
「はい。先生を疑うわけじゃないんですけど……本当にブラックが犯人だったんですか?」
「なぜそう考える?」
「爆破事件の現場が不自然だったのと、他の罪状が――」
「君の推理を聞きたいわけではない。ブラックが犯人でない可能性を探す理由が君にあるのか、という話だ」
わずかに強い口調で戒めると、ハリーは目を見開いた。
ハリーのことはクラウチも知りすぎるくらいによく知っている。両親をヴォルデモート卿に殺害され、親族のマグルに育てられた彼にとって、縁者と呼べる者はいないに等しい。
そして、彼が家族を強く求めていることを察せられないほどクラウチは愚かではない。
「君はブラックが自分の後見人だということを知っているな?」
ハリーの斜め後ろに座ったハーマイオニーが小さく息を呑んだ。
そう、彼にとって法的に認められる魔法族唯一の縁者として存命なのは、シリウス・ブラックだけだ。名付け親であり、未成年後見人であるブラックは見方によっては家族となりうる。
知る機会はいくらでもあった。公文書に残っている情報は限られているが、出生記録を請求すれば誰が自分の家族なのか調べるきっかけができる。
正当な理由さえあれば、請求に応じた書類は円滑に発送されるだろう。
たとえば、ホグズミード村への外出許可証にサインする権利を誰が持っているか知りたい時。
ややあって、ハリーは頷いた。
「……はい。でも、疑問に思ったのは本当です」
「それを疑問に思うのは君の仕事ではない。魔法法執行部の仕事だ」
「でも、12年間ずっと彼は調べられることなくアズカバンにいたんですよ」
「一度たりとも奴は自己弁護をしなかった。根拠のない再捜査はしないし、すべきではない」
クラウチがぴしゃりと言い放つと、ハリーは目を伏せた。
同情の余地はある。両親の親友で、自分の後見人である男だ。彼がもし本当に無罪なら、ハリーは突如として本当の家族を得ることになるだろう。
しかし、親友を裏切り13人を爆殺した凶悪殺人犯が、自身の主を屠ったハリーを家族と思うだろうか。親のように慈しみ、その成長を喜ぶだろうか。
否、喜んで主を復活させる贄にするに違いない。
ハリーの哀れな憧憬は、彼自身を危険に晒す。
万が一ブラックが無実だったとしても、それはそれで構わない。クラウチが恨まれるだけで済む。しかし、ハリーが軽率に殺人鬼を追いかけることだけは避けねばならない。
「ウィーズリー、グレンジャー。時には友人を止めることも勇気だ。わかるな?」
「……はい、先生」
「ごめんなさい、先生。私がハリーにブラックのことが書かれた本を勧めたんです」
「調べ方は正しい。ただ、何のための調査かを忘れないように。無自覚なまま好奇心で眠れるドラゴンを起こすのは得策ではない」
すっかりしょぼくれてしまった3人をどう励ますべきか、クラウチは思案した。
まさか本当にここまで辿り着くとは誰も思っていなかった。ファッジが密かにハリーを守らせている人員はこの報告を受けてさぞかし肝を冷やすだろう。
先入観から恣意的な推理をして暴走しかけたのは間違いない。ただ、この才能を放っておくのは惜しいように思えた。
「ポッター。キャリアプランとして魔法法執行部を考えたことはあるかね」
「キャリアプラン……ですか?」
「そうだ。物事を疑って見る姿勢と根気強い調査能力は闇祓いに必須のスキルだ。興味があれば、ウィーズリーの父親に話を聞いてみるといい。アーサーは省内でも顔が利くから、現役の闇祓いと話す機会もあるかもしれん」
「……考えてみます。ありがとうございます」
「君たちの聡明さが将来も活かされることを祈っている。さあ、今日はもう寮に帰りなさい」
教室を去るハリーたちを見送ってから、クラウチは大きく息を吐いた。
自分の間抜けさにようやく気がついたのだ。
ブラックが捕まっていないのは魔法法執行部の怠慢などではない。ルシウスがクラウチを縛り付けるために放った牽制だ。
脱獄の報が耳に入って以来、彼が無罪の可能性を一度たりとも考えなかったわけではない。しかし、今のクラウチには調査させる権限がない。人を動かそうにもホグワーツから動けない。
ルシウスはあの脱獄囚をあえて泳がせているのだ。
どうあがいてもクラウチはハリーから目を離すわけにはいかない。その間にルシウスは悠々と教育文化局を通して影響力を広めている。
「……蝙蝠めが」
父アブラクサスが蜘蛛にたとえられたように、ルシウスを蝙蝠にたとえた者は少なくない。
昨今では彼をヴラド・ドラクラにたとえる者もいる。護国のために犠牲を恐れず進む若き改革者だと。
しかし、クラウチにはそうは見えない。むしろ、マグルの物語に登場する魔性の吸血鬼のようだ。美麗な姿と幻惑の魔法で人を狂わせ、その血を啜って眷属とする悍ましい怪物。
恐ろしい男になった。歴史ばかり古い小悪党と鼻であしらう連中は皆足をすくわれる。
なんとしてでも、子どもたちを守らねばならない。
***
ルーナがハンカチを差し出すと、ネビルは困ったように小さく唸った。持ち主は少なくとも彼の友人ではないようだ。
あの意地悪な上級生から助けてくれたスリザリン生を見つけるため、ルーナの試行錯誤は続いていた。
「僕、スリザリンに友達はいないから……最近は嫌がらせしてくるやつも減ったけど、あんまり関わりたいとは思わないよ」
「ンー、まあ、嫌がらせをやめたからって友達になろうとは思わないかな」
「うん、そう。……でも、このハンカチ高級品だよ」
クラウチの執務室で先生の帰りを待ちながら、二人は暖炉の前で他愛ない雑談をしていた。
今のところ、ルーナにとって唯一友達と呼べるような関係にあるのがネビルだ。そのネビルが知らないとなると、嫌味なスネイプ先生にお願いするか、いつも取り巻きを従えているスリザリンの監督生に声をかけることになる。
かといって、広いホグワーツで偶然出くわすのを期待するのは無理があるだろう。
「紋章の刺繍でもあれば、少しはわかるんだけど」
「詳しいの?」
「全然。でも、ばあちゃんがロングボトム家の跡取りたる者それくらいは覚えろってうるさいんだ。それ以上に覚えなきゃいけないことも覚えられないのに」
あまり目立たない青年だが、ネビルは旧家の生まれだ。
彼の祖母がロングボトム家をどれだけ大事に思っているかは度々聞かされているし、クラウチのところに届いた彼女からの吠えメールがきっかけとなってルーナはネビルの両親がどんな目にあったかを知ってしまっている。
ただ、ルーナは彼を憐れむことはしなかった。
憐れみの視線が何の慰めにもならないことをルーナはよく知っている。それは何の助けにもならないのだ。
そういうことがあって、ネビルは気兼ねなくルーナに家の話をするようになった。
「自信はないけど……たぶん、古い家じゃないと思うよ。刺繍が入ってないってことはお抱えの仕立て屋じゃなくて店売りを使ってるってことだから」
「すごい、ネビルって名探偵だったの?」
「い、いやあ、合ってるとは限らないし……そういえば、ハーマイオニーが最近仲良くしてるスリザリン生がいたよ。確か……パンジー・パーキンソン」
「すごい名前。大殻スマルグートに懐かれそうだね。Pが2つも入ってるもン」
「そ、そうなんだ。僕の名前にはP入ってないんだけど、大丈夫かな……」
「大丈夫だよ。大殻スマルグートは気に入った獲物を殻にしまっちゃう時以外は人前に出てこないし、それにとっても綺麗だから」
このクリスマスは父の友人たちと大殻スマルグートのトラッキングにノルウェーへ行くのだ。もうロッジを押さえてあって、夜は天体観測もすることになっている。
そう話すと、ネビルは羨ましそうに息を吐いた。
「いいなあ。僕はうんざりだよ、絶対に帰ったらばあちゃんに怒られる」
「じゃあ、思い切って家出しちゃうのはどう?」
「それはちょっと、怖いなあ。まだシリウス・ブラックが捕まってないし……」
「じゃあ、これ貸してあげる」
ルーナはポケットを探って、お目当ての品を引っ張り出した。
曲がりくねった硬質の赤い枝。火蟹の背に生える珊瑚だ。古くから子どものお守りとして親しまれてきた装飾品で、鮮烈な赤からもわかるとおり強く握りしめると火を噴く。
父からお守りとして持たされたものだが、今は自分で身を守る術をクラウチから教わっている。持っていて安心できる人が持つべきだろう。
差し出すと、ネビルは恐縮した様子で珊瑚のお守りを受け取った。
「いいの? あ、ありがとう……なんかごめん」
「んーん、ネビルは友だちだから安全でいてほしいもン」
ホグワーツに入学してからずっと、ルーナは浮いていた。
今では寮のルームメイトすら最低限の話しかしない。研究会やセミナーの誘いもないし、とびきり苛烈ないじめをしてきた上級生が反省室送りになっただけで嫌がらせは続いている。
しかし、クラウチの執務室で指導を受ける仲間であるネビルは違う。ちゃんと話を聞いてくれるし、挨拶もしてくれる。
この部屋は居心地が良かった。
それから、二人はクラウチにどんなクリスマスプレゼントを贈るのがよいかの相談をした。部屋の主が帰ってくるまで、こっそりと。
《火珊瑚のお守り》
火蟹の甲羅に生える珊瑚のお守り
危機に瀕した時、火の護りを生み出す
古くより無数に語られてきた子どもを守る魔法のひとつ
我が子を守れる術など、いくらあってもよいのだ