ハリー・ポッターと竜魂の学徒 作:ホグワーツの点字聖書
土曜の朝、皆がホグズミードに向かう中ハリーは一人で校内をうろついていた。
クラウチに叱られた件についてはロンもハーマイオニーも「仕方がない」「自分でもそう考える」と慰めてくれたが、ハリーが落ち込んでいる理由はそこにはない。
いい友達が何人もいて、よくしてくれる大人だっていて、家系図を辿れば親戚筋にあたる子がいることも教えてもらったのに、ハリーの内側では見えない寂しさが膨らんでいたのだ。
クラウチが止めてくれなければ、ハリーはブラックを探しに行っていたかもしれない。
しかし、クラウチの言うとおり、あの推理はブラックが無罪であることを前提においてしまっていた。あれでは推理ではなくこじつけだ。
まるで風船が割れたように、ハリーはしおれた気分になっていた。
「ハリー……おい、ハリー!」
四階の廊下の中ほど、コブのある隻眼の魔女の像があるところでハリーは聞き覚えのある声に呼び止められた。
誰もがホグズミードに行き、静まり返った校内でその声は潜められているというのに随分響いた。まるで目立たずにはいられない彼らの性格を映しているかのようだ。
「フレッド、ジョージ。ホグズミードには行かないの?」
「行く前に随分としけた面を見かけたからな」
「ああ、このお祭り気分を君ひとりだけ味合わないのはよくない、大変よくない」
「パースの言い方に寄せるなら、こうだ」
「公平性に反する」
今日も神経をとがらせて秩序を振りかざしていたパーシーにそっくりな言い方をするジョージの素振りに思わず笑って、ハリーは二人が指し示すのに従って空き教室に入った。
使われていない教室の中には二人が密かにジョークグッズの販売拠点にしているところがある。フィルチの摘発が入るまで続くこの露店は、どうやらギリギリ開店中なようだった。
ゴザが敷かれた上に並ぶクソ爆弾や臭い玉、試作品と思しき花火はすでに燻るような音を立てている。ホグワーツのいたずら少年たちにとっての補給地点だ。
「一足早いクリスマスプレゼントを君にやろう、ハリー」
しかし、ハリーの前でテーブルに広げられたのはそのどれでもなく、フレッドが持っていたくたびれた羊皮紙だった。
とても大きく、使い古されているのに何も書かれていない。何かしらの魔法がかかっているのだろうか。
「これは……待って、当てさせて。秘密の商品リスト?」
「違う。驚くべきことに、今日の俺たちは商売っ気抜きだ」
「うーん……フィルチとミセス・ノリスの居場所を教えてくれる?」
「当たらずとも遠からずだ。この羊皮紙が教えてくれるのは愛すべきフィルチ爺さんの生態だけじゃない」
「こいつはもっとデカいもんだ、ハリー」
ハリーは腕を組んで、羊皮紙をじっくりと見つめた。
羊皮紙が形を変えないのだとしたら、用途は限られてくる。その平坦な紙面に何かが表れるのだろう。問題は何が表れるかだ。
フィルチとミセス・ノリスだけではなく、もっと多くの物事について示してくれる羊皮紙。一番ありえそうなのは――
「もしかして……地図?」
「お見事! さすがはグリフィンドールの隠れた秀才」
ジョージがクラッカーの紐を引いた。
爆発音とともに飛び出してきた三日月型のサングラスをおもむろにかけたフレッドは、仰々しい手付きで羊皮紙を持ち上げ、ハリーへと差し出した。
「我々は汝にこれを譲るものとする。我が愚弟、そして可愛い可愛い末の妹をこれからもよろしくな」
「惜しい気もするが、俺たちはもう暗記しちまった。杖を出して、こう唱えるんだ」
我、ここに誓う。我、良からぬことを企む者なり。
言われたとおりにハリーが唱えると、杖の先から細いインクの線が蜘蛛の巣のように広がりはじめた。その線はたちまちに隅から隅まで伸び、交差し、つながり、そして最後に渦を巻いて文字となった。
「ムーニー、ワームテール、パッドフット、プロングス、我ら『
「俺たちの偉大な先達さ」
「それどころか、俺達にとっては神や太古の英雄に近い存在ですらある」
双子がフィルチの目をかいくぐって悪事を働き続けてきたのはこの地図があったからなのか。
ハリーは納得しながら、それを見た。
学校の敷地全体を示す、非常に詳細な地図だ。ハリーが知る隠し通路は全て載っているようだったし、それどころかその十倍も二十倍も知らない通路が書かれている。
そして、何よりも素晴らしいのが、地図上を動く小さな点だ。
蟻よりも小さな点には細かい字で名前が書かれている。校長室の書斎にはダンブルドア教授がいるし、ミセス・ノリスは三階の廊下を徘徊しているようだ。ピーブズがトロフィールームにいることまで表示されている。
「リアルタイム、精度も完璧」
「賭けてもいい、ダンブルドアだってこんなの持ってないぜ」
二人が自慢げに語るのも頷けた。
どうやら先ほどまでいた像の下から校外へ隠し通路が伸びているようだ。これが二人のお目当てだったのだろうか。
「ホグズミードに直行する道は7つある。そのうち4つはフィルチの検問付きだが、残りの3つを知っているのは俺たちだけだ」
「今日から君がそこに加わる。ああ、5階の鏡の裏から伸びてるやつはやめとけ。去年の冬に崩れちまって完全に塞がってるからな」
「使った後は必ず消しとけ、誰かに読まれると面倒なことになる」
「合言葉は、『いたずら完了!』」
奇跡の地図を前に呆然とするハリーに満足したのか、双子は拳を軽く突き合わせて笑ってからハリーの肩を叩いて教室を出ていった。
この地図があれば、なんでもできる気がした。吸魂鬼のそばを通らず、フィルチの視線も気にせず、校内を自由に行き来できる。それどころか、透明マントさえあればホグズミードにだって出られてしまう。
もちろん、危険は承知している。この地図を信用しきるべきではない。
去年はジニーが無害そうな日記帳のせいで散々な目にあったし、それ以外にも危険な道具があることはプロメテアのおかげでよく知っている。
しかし、この地図はこれまでフレッドとジョージに危害を与えただろうか?
この地図は今のところ安全で、役に立つ。それで十分だ。
ホグズミードに行ってみようか。それとも校内の隠し通路を覗いてみようか。談話室の近くから下の方へ降りる隠し通路があったら便利そうだ。
そんなことを考えながら、指先でグリフィンドールの談話室を辿った。
そして、ハリーは見つけてしまった。
「……ピーター・ペティグリュー?」
***
研究室に転がり込んできた久しぶりの客に、プロメテアは眉をひそめた。
「今日は作業中なんだが」
「ごめん、急いで見てもらわなきゃいけないものがあるんだ!」
ハリーは息を切らしていて、大急ぎでここまで駆けてきたのがはっきりとわかった。ここまで急いでいるのなら仕方ない。プロメテアはすり鉢に突き立てていたすりこぎ棒を作業台に置いた。
プロメテアが立ち上がるよりも早く、ハリーは目の前の台に何かを叩きつけるように置いた。
「これ、この羊皮紙、これにかかった魔法が本当に正確で、狂ってないか見てほしくて」
「落ち着け」
「お願い、急いで!」
鬼気迫る様子に気圧されながら、プロメテアは曖昧な返事をして頷いた。
聖鈴を取り出し、ソウルを放つ。細かな粒子となって広がったソウルは輪郭に吸着し、プロメテアの特殊な視覚――ソウルのみを見る眼に存在を映るようにする。
確かに作業台の上には羊皮紙が置かれていた。しかし、それ以上に見えるのが、繊細かつ複雑極まりない線の数々だ。
それは今もこの羊皮紙に動き続ける魔法の残滓。インクを導き、答えを示す魔法の動線がプロメテアには見えていた。
「これは……すごいな。ホグワーツの敷地全体をこの羊皮紙と照応させているのか。作ったやつは途方もない天才で、しかもとんでもない阿呆だ」
「間違いがあるってこと?」
「いや、この地図に間違いは起こりえない。常にホグワーツの状態をそのまま映し続けるようにできている。すごいな……ホグワーツの護りから情報を受け取っているのか。これと同じものを要衝で作れないかと世界中の指導者が羨むだろう」
「じゃあ、載ってる名前は絶対にいる人ってことでいいんだね? ゴーストとか、落とし物とかでもなく?」
「ああ、そのとおりだ。こんなものをどこで手に入れた?」
返事をせず、ハリーは勢いよく羊皮紙を掴んだ。
その荒い手付きに怯えたのか、フラスコの中で虫がきーきーと鳴き声を上げている。有無を言わせない勇ましさにプロメテアは思わず面食らって文句も言えなかった。
「それよりも、一緒に来てほしい。グリフィンドールの談話室に、死んだはずの男がいるんだ」
厄介事の気配を感じながらも、プロメテアは腰を上げた。
火を消し、手早く身支度を済ませる。ハリーの言葉が本当なら、厄介な者が紛れ込んでいることになる。プロメテアの脳裏に去年の事件がよぎった。
ナイフが確かに太もものホルスターに収まっていることを確認して、プロメテアは研究室を出た。
「その男の名前は」
「ピーター・ペティグリュー。シリウス・ブラックに殺されたはずの男なんだ。……僕はブラックが無実だったのかもしれないって考えてる」
「それを誰かに話したか」
「言いふらしたりはしてないよ、逃亡中の犯罪者だから。ロンとハーマイオニー、それからクラウチ先生にだけ」
「……それはまずいな」
「まずいって?」
大階段に差し掛かったところで、プロメテアは足を止めた。
「ピーター・ペティグリューが存命なのは間違いない。この地図は間違えられないようにできている」
「うん。だからその人を捕まえて、真実を――」
「そいつが単独で行動している保証はない。その地図は
もしプロメテアが同じ立場だったとしよう。
シリウス・ブラックとの因縁についてはわからないが、少なくとも12年間姿を隠していた男だ。後ろ暗いところがあるのは間違いない。
そんな男がグリフィンドールの談話室に侵入した。なぜ? 彼が死亡したと思われていた事件のことを考えるのなら、目的はハリーだ。
そして、もしそうであるのなら、普通単独犯では侵入しない。そして、これが最初の侵入とも限らない。自分を疑っている人間はいないほうがいいだろう。タイミングのいいことに、ホグズミードには吸魂鬼がいる。
「私なら、ウィーズリーとグレンジャーを消す」
「ッ、二人が危ない!」
「落ち着け。相手は潜入してきているのだから、派手なことはしたくないだろう。ふくろうを送って、集団で帰るように伝えろ。できるだけ上級生も一緒がいい」
「でも!」
「お前が行けば状況は悪化する、冷静に考えろ」
「……わかった」
「校内に協力者がいるかもしれない。一緒にふくろう小屋まで行って、それからマクゴナガル教授を頼る。道中こまめに地図を確認しろ」
ハリーに指示を出しながら、プロメテアの脳内ではいくつもの可能性が駆け巡っていた。
ジェーンが連れていた動物もどきの犬がシリウス・ブラックだったことはすでにボージンから暗号で知らされている。彼が無実を訴えていることも。
だから、ハリーの推理はおそらく正しい。
よって、ペティグリューが危険な闇の魔法使いであることも同時にほぼ確定してしまう。その現場にハリーを連れて行くべきではないだろう。プロメテアは依然として守る戦いに慣れていない。
おそらく仕留めるべきでもない。殺してしまえばシリウスの無実を証明する方法は永遠に失われる。
魔法の道具を使えば死人に口を作ることもできないわけではないが、それが法廷で証拠として認められるかは疑わしい。ブラックの件は魔法省の威信もかかっているのだ。
ふくろう小屋の塔に辿り着いたとき、プロメテアの中ではすでにどうやってペティグリューを無力化するかの算段が進んでいた。
「内容はどれくらい詳細にしたほうがいい?」
「あまり情報を漏らしたくないな……少し待て、私も一筆書こう」
備え付けの裏紙置きから一枚引き抜き、プロメテアはダフネに向けた状況説明をしたためた。彼女であれば悪いようにはしないだろう。
「ダフネがホグズミードに行っている。彼女と合流して一緒に帰るよう書け。私がそう頼んだということにしておけばいい」
「それじゃあ、秘密にするってこと?」
「ああいう手合いは不安がらせるとどれだけ言い聞かせても帰ってくるぞ」
ハリーは苦々しげに唸ったが、何も言わず手紙を仕上げてふくろうに持たせた。
そして二人でマクゴナガルの執務室の扉を叩くまで、張り詰めた無言が続いた。
《忍びの地図》
ホグワーツの敷地全土と照応する完璧な地図
悪戯仕掛け人の御用達商人がお届けする自慢の品
古い魔法に守られたホグワーツ、その魔法的な複製
平面上に顕となった魔法の城は見る者を虜にするだろう
それは秘密という甘い蜜の結晶である