ハリー・ポッターと竜魂の学徒   作:ホグワーツの点字聖書

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 慌ただしい足音とともにハリーたちが駆け込んできたとき、プロメテアは胸を覆う大げさな包帯を解いたところだった。

 不覚を取った傷はとうに癒えていたが、いかんせん血を流しすぎた。この幼く小さな身体の脆さを失念していたようだ。造血の魔法薬を飲んで一晩寝てもまだ失血後特有の身体が鉛になったような倦怠感と寒気が抜けきっていない。

 転がり込んできたハリーはまずい時に来てしまったと思ったのだろう、半ば悲鳴のように謝罪しながら見舞客と病床を区切る衝立の向こうへと引っ込んでいった。

 

「騒がしいぞ、医務室で」

「ば、バークさん、何してるの!」

「退院の準備だ。寝てばかりもいられないからな」

 

 いそいそと肌着を身につけながら返事をする。

 いくらプロメテアが世相に疎いと言えども、スリザリンで過ごしていれば今校内で何が起きているかくらいは察せられるようになる。プロメテアがグリフィンドールの談話室で怪我をしたという事実に重みを持たせないためにも、早々に退院する必要があった。

 プロメテアが感覚の鈍い指先でシャツのボタンを閉じはじめたあたりでようやく、ハリーは仕切りの向こうから声をかけてきた。

 

「その、僕が言うのもおかしいと思うんだけど……寝てたほうがいいんじゃないの?」

「重病人でもあるまいし、その必要はない」

「でも、君は……君は死にかけたんだよ。僕のせいで」

 

 仕切りの向こうから聞こえる湿っぽい声に、プロメテアはハリーが何を考えているのかおおよそ理解した。そして、その罪悪感がいかに無駄なものかも。

 プロメテアにハリーを責める気はなかった。

 そもそも、プロメテアは刺客を生業としていた身だ。反撃を食らって傷を負うことなど自己責任の範疇でしかない。暗殺に失敗して命があるだけ儲けもの。金をもらって人の命を奪うというのはそういうことだ。

 プライドも何もあったものではない下賤な稼業だが、それでも「僕のせいで」などと甘ったれたことを言われると癪に障る。

 

「誰に向かって口を利いているつもりだ。一人前を気取るには百年早いぞ、ポッター」

「君がすごい人なのは知ってる。……あそこに僕がいなければ、君はもっとうまくやってたんだよね」

 

 襟にかかった髪を払い、タイを締める。

 ハリーの予想はおおむね正しい。あの場にハリーという子どもがいなければ、プロメテアはもっと他の手段を選ぶことができた。手段を選ばざるをえない状況というのは少々苦しいものがある。

 だからといってハリーに責任があるわけではない。

 刺客にとって手札が限られる場面などいくらでもあるのだ。もっと厄介な場所に潜り込んで命がけで仕事をこなしたことも一度や二度ではない。これはプロメテアの未熟が招いたことだ。

 

「だから、その……君が受けた傷は僕のせいだし、許されるなんて思ってないけど、でも……」

「こっちに来い、ポッター」

 

 煮えきらない態度にいつまでも相手をしているのが馬鹿馬鹿しく思えて、プロメテアはハリーを呼びつけた。

 今日のプロメテアは機嫌が悪い。

 本業であるはずの暗殺に失敗し、あまつさえその失敗を政治に利用されまでした。そのうえ子どもに慰められるなど、屈辱以外の何でもない。己の不甲斐なさに腸が煮えくり返る。

 ハリーが罪悪感を覚える必要など、どこにもないのだ。

 それを理解させてやるのは簡単とは言えない。しかし、誰に説明の責任があるかと言えば、それはきっと彼の前で手傷を負ったプロメテアの責任だろう。

 おずおずとベッドのそばに歩み寄ってきたハリーの足音がする方角に、プロメテアはベッドサイドから取り上げたアクセサリーケースをぶっきらぼうに突き出した。

 

「これをつけてくれ。後ろの金具を閉めるのがどうも慣れない」

 

 パンジーから贈られたチョーカーをハリーの手でつけさせながら、プロメテアは頭の中で言葉を練った。

 ハリーが誤解している点はふたつある。

 責任の所在、そして傷の重さだ。

 

「まあ、傷自体は大きかった。咄嗟に逸らしたが、肺を貫通していたからな。久しぶりに冷や汗をかかされた」

「ッ……」

「だが、死ななかった。わかるな、私は生きている」

 

 首に触れたハリーの手をぐいとつかみ、無理やり脈打つ首筋に当てる。

 風雨を厭わず空を舞う箒乗りの掌は厚く、ごわついている。それでもこの鼓動は、ぬくもりは否応なしに伝わっていく。

 

「魔法界において、怪我人の区別はふたつしかない。魔法で治る怪我人と、手の施しようがない死人。お前が後悔するのは後者を出したときだけでいいし、それが魔法界の常識だ」

 

 魔法は死者を蘇らせない。しかし、それに限りなく近いことはできる。

 指が吹き飛ばされようと、顔に重い火傷を負おうと、肺を刃が貫こうと、魔法の前では些細で無意味な傷だ。どうせ治る傷など、所詮は一過性の痛みでしかない。

 仮にハリーが傷の責任を負う必要があるとしても、その責任は空飛ぶ車での飛行をマグルに目撃されたことよりもはるかに軽いのだ。

 

「お前はもう少し、この世界の野蛮な便利さを理解すべきだ」

「……そんなこと言ったって、あんなに血が」

 

 ショックだっただろう。気持ちはプロメテアにもわからないわけではない。初めて仕事で人を殺したときは一晩中吐いていたものだ。

 しかし、いい加減ハリーは慣れるべきだった。

 幸か不幸か、ハリーは英雄として生まれついた。いくらマグルに育てられたとはいえ、これまで散々危険をかいくぐってきた彼は魔法の偉大さを身をもって理解しているはずだった。

 

「そうだな、お前がいるのにあんな不覚を取ったのは私のミスだ。悪かった」

「違う、悪いのは僕なんだって!」

「こうなると本当に頑なだな、お前は。……ジニー・ウィーズリー、お前も来い」

 

 衝立の向こうから驚いたように息を呑むのが聞こえた。

 プロメテアの目に映る世界は普通の視覚とは異なる。最初からジニーの存在は視界に入っていた。

 出てこないなら出てこないで構わないつもりでいたが、プロメテア一人でこうなったハリーを言いくるめるのは面倒極まりない。

 

「お前が連れてきたんだろう、手伝え」

「て、手伝えって言われても……ごめんねハリー、無理に連れてきちゃって」

「いいんだ、そうじゃなきゃ来れなかったかもしれないし。むしろ、気を使わせちゃってごめん」

 

 兄と同世代のハリーを気遣うジニーの様子には、以前見られたような萎縮した臆病さは残っていなかった。

 一時と比較して、ジニーの精神状態は素晴らしく安定した。

 プロメテアは週にニ度ジニーと同衾を重ねている。彼女のソウルはヴォルデモート卿の分霊箱に蝕まれ、肉体の支配を奪われるところまで深く結びついていた。その治療をプロメテアはダンブルドアに託されていた。

 その治療を行っているプロメテアだからこそ、あるいはソウルを視る火防女の目を有する者だからこそわかることがある。

 ハリーの精神的な不安定さは、決して彼の生育環境のみによるものではない。

 友人として好ましいとは思う。仮初めの教え子として目をかけている自覚もある。しかし、プロメテアがハリーを気にしはじめたのは、ヴォルデモート卿のソウルに深く絡め取られたそのソウルの有様があったからだ。

 

「お前たちの不運には……まあ、正直言って同情している。その歳で背負っていい苦難の程度を優に越しているとも思っている」

「私なんか、ハリーと比べたら……」

「いや、お前も大したものだ。紆余曲折はあったが、ヴォルデモート卿に負けなかったという意味で言えばお前たちは対等だよ」

 

 ジニーの心がもう少し弱ければ、秘密の部屋を巡る事件では死人が出ていたことだろう。彼女の抵抗は決して無意味ではなかった。

 だが、とプロメテアは言葉を続ける。

 

「お前たちにその重圧を背負う義務があるわけではないということを思い出してくれ。お前たちはもっと怒っていいんだ」

「怒って、いい……」

「そうだ。理不尽に身を委ねるな。もちろん、お前たちを呑もうとする激流に逆らえるとは限らないが……それでも、同じ苦痛を知る者どうしで愚痴を吐き出すくらいのことはできるだろう?」

 

 ハリーもジニーも、まだ子どもだ。

 プロメテアはこの世界を愛している。この世界では子どもが守られ、平等に学びの機会を与えられ、次代を担う者として期待を浴びるからだ。どれも、かつての刺客が望んで手にできなかったものだった。

 だからこそ、プロメテアは理不尽な濁流に揉まれる彼らが救われることを心から願っている。そうはいかないという現実を知っていても、なお。

 理不尽で冷徹な手によって学びの機会を奪われる絶望を、プロメテアは今でも夢に見る。ある日突然ホグワーツに通う資格を奪われ、何者かの私兵として使い潰される夢を。

 

「たくさん失敗しろ。好きなだけ後悔しろ。私の手が及ぶ範囲でなら、きっとお前たちを助けてやる。私の手が届くところで絶望できると思うなよ」

 

 こんな安請け合いをしたら、またパンジーに怒られるだろうか。

 そんなことを頭の片隅で思いながらも、プロメテアは掴んでいたハリーの手をそっと離した。

 

「……君って、骨の髄まで先生なんだね」

「その呼び方はやめろ」

 

 小さく鼻をすする音がする。泣いているのはどちらか、それとも両方かと問いかけるほど、プロメテアは無神経ではなかった。

 杖を振ってローブを呼び寄せ、羽織って襟を整える。

 退院の準備を勝手に進めるプロメテアに、ジニーが少しだけ震えた声で呼びかけた。

 

「あのね、バークさん。なんていうか、私がこんなこと言えたもんじゃないんだけど……バークさんも、もっと自分を大事にしてください」

「私も?」

「あなたが傷ついたら、沢山の人が傷つくから。……本当に、私が言っていいことじゃないんですけど!」

 

 涙まじりに明るい声を無理やり張り上げて、ジニーは笑った。

 

「……そうだな。悪かった」

 

 指先が無意識にチョーカーをなぞる。

 プロメテアもまた、たくさんの荷物を背負ってしまった。不死人のころよりも重く、かさばる荷物たち。それらに向ける愛情がプロメテアの身軽さを奪っていく。

 弱くなった。

 ハリーと教師に見られていることを意識しなければ、プロメテアは躊躇なくしもべ妖精に毒を放っただろう。陰に潜み、術師を明かさないまま敵を蝕む致死の毒を。

 身体だけではなく、心もかつてとは違う。それをプロメテアは自覚しなくてはならない。たとえ心のぬくもりがプロメテアから強さを奪おうとも。

 ひとつの傷にも怯えなくてはならない刺客。

 かつての自分が聞けば、滑稽な話と笑うだろうか。それとも、ひどく羨み、妬むだろうか。

 

「辛気臭い話は終わりだ。私は退院する。お前たちも――」

 

 ちょうどその時、足音がふたつ医務室に転がり込んだ。

 

***

 

 パッチは背筋を伝う嫌な汗に身じろぎした。

 ノクターン横丁の顔役が怒っている。静かに、とても静かに怒るボージンを前にして、平静を保っていられる者が裏社会にどれだけいるだろうか。

 幸いにして、怒りを向けられているのはパッチではない。

 

「――それじゃ、何かい。ブラック家の洟垂(はなた)れ小僧は今母校にOBとして遠路はるばる訪問しに行ったと、そういうわけかい」

 

 ローテーブルの前に膝をついて縮こまっているのは、ボージンがシリウス・ブラックの監視につけた男だ。

 表通りでスリを働いていた男は愚かにもボージンの財布を狙って指をなくした。それ以来、顔役であるボージンに小間使の仕事をもらって生計を立てている。

 イスパニアの伊達男風の身なりも、洒落たエングレーブの入った銀の義手も、ボージンあってのものだ。指のないスリに稼ぎなどあろうはずもない。

 その彼がボージンの怒りを買うというのは、()()()()()()だった。

 

「も、申し訳ありませんボス、ちょっと用を足してる隙に」

「そう縮こまらんでいい、ベスター。お前に見張りを任せた俺が間抜けだった、そうだろう? 俺は大事にあたるのに間違った駒を動かしたらしい」

 

 ボージンの握るステッキがローテーブルの上に置かれた書き置きを指し示した。

 ちり、と焦げる音がする。彼のステッキはプロメテアが用意した特別製だ。握りには杖が仕込まれ、彼の意を汲んで魔法を成す。

 彼の怒りはシリウスが残した書き置きに向けられていた。

 

「ピーター・ペティグリューが尻尾を出した。奴はきっとハリーを殺すためにもう一度ホグワーツに現れる。……気持ちがわからんわけじゃあない。俺も人の親だ、我が子を守るためになりふりかまってられんのはそりゃそうだ」

「へ、へえ、おっしゃるとおりで」

「問題は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だ」

 

 逃げようと手をついたベスターの肘をステッキが鋭く貫いた。

 

「ぎっ、あ……」

「なあ、ベスター。俺ぁ今虫のいどころが悪い。やんちゃな娘がまた怪我をこさえたもんでな、本当なら今すぐげんこつを落としにいきたいんだよ」

「ゆ、許してくれ、許してくれボス」

 

 ステッキから漂う煙。

 内側から肉を焼く痛みに脂汗を垂らしながら、それでもベスターは平伏してみせた。従順な飼い犬が命令を待つように。

 しかし、彼は飼い主に頭を垂れるべき時を間違えている。

 

「お前、誰から小遣いをもらったよ、え? 言ってみろ、ベスター」

「許してくれ、ボス!」

「俺がまだお前の舌を抜いてないのはな、ベスター。みっともねえ言い訳を(わめ)かせるためじゃねえんだよ」

 

 撫でつけたくせ毛の茶髪を鷲掴みにして、ボージンは彼の顔を無理やりに上げさせた。

 ベスターが吐こうと吐くまいと結果は変わらない。すでにボージンの手勢がベスターのねぐらを暴いているころだし、彼が懇意にしているパブや娼館には片っ端から聞き込みが入っている。

 普段のボージンは温厚な壮年だ。少々派手好きで、親馬鹿なことを除けばどこにでもいるような男でしかない。

 しかし、彼はこのノクターン横丁で顔役を張る悪党だ。薄暗く汚れた路地でしか生きられない小悪党どもを抱え、言うことを聞かせる代わりに庇護を与える親分なのだ。

 それを忘れた者から死んでいく。

 

「吐けばお前の女房は世話を見てやる。言え、誰にガリオンを握らされた」

「も、漏れ鍋で会ったスペイン人だ、名前は知らねえ! 本当だ!」

「スペイン人、ねえ……おい」

 

 呼びかけられたパッチは凭れていた棚から身を起こした。

 

「新参でスペイン系の出入りは少なくないですぜ。もう少し情報がないことには」

「だそうだ、ベスター」

「が、ガタイがいい、手にタコのある男だった。ローブから潮のにおいがした。もういいだろ、ボス、勘弁してくれ!」

「パッチ」

「……当てはまるやつが一人。ゾリグ・サントスとかいう魔法戦士崩れです。イスパニア魔法族の旧家で、少し前に魔法省のあたりで出入りがあったとか」

 

 大きく息を吐いて、ボージンはステッキをベスターの肘から引き抜いた。

 あふれる血を必死に抑え、痛みを堪えるように浅い呼吸を繰り返しながら、ベスターはゆっくりと立ち上がろうとした。

 しかし、それよりも早くボージンが放った失神の呪文がベスターの意識を刈り取った。彼はこれからもっと役に立つところに送られる。それは山姥の食卓であったり、魔女の大鍋の中であったり様々だ。

 

「魔法省。マルフォイの小倅か」

「へえ、おそらくは」

「……面倒なことになるな。俺ぁただ、落ち着きのない馬鹿娘を今すぐにでも迎えに行きたいっつうだけなんだが、世間様はそいつを許しちゃくれないらしい」

 

 血の飛び散った書き置きをボージンが指先でつまむ。

 魔法省の誰か、おそらくルシウスがシリウスを動かしたがっていた。ノクターン横丁の平和を維持するためにもボージンはシリウスを縛り付けておきたかった。

 哀れなベスターは小遣いを握らされ、ボージンの意に反して彼をそそのかしてしまったわけだ。

 

「頼めるか、パッチ」

「高くつきますぜ」

「俺ぁいい駒を動かすのに金は惜しまねえよ。ちょうど今、それを勉強させられちまったばかりだ」

 

 ボージンのステッキから放たれた魔法が書き置きを消失させた。




《汚れたシャツ》
血に濡れ汚れた小さなシャツ
じっとりと重く、ひどくなまぐさい

流した血は弱さの証である
そして弱さとは、死への道筋である
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