あなたの隣は譲らない   作:青い隕石

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お久しぶりです。

もう一つ投稿しているウマ娘短編集の方にかかりきりでした。お盆休みも近いので、今週中にもう1話投稿を目標にがんばります。



今回はアニメ一期8~9話辺りを想定しております。

以前ちらっと触れましたが、1話1話独立した短編の感覚で読んでいただければ幸いです。




ご褒美

消毒液や様々な薬品が混じった匂い。

 

 清潔な、それでいて少しツンと鼻をさすような独特なもの。最初のうちは気になっていたけど、今ではすっかり慣れてしまった。

 

 部屋に満たされたその空気を取り込みながら、私は一歩ずつ、一歩ずつ歩を進める。その足取りはウマ娘の、いや、人間の歩行より遥かに遅い。

 

 スロープに手を掛けながら、歩行訓練・・・・・・リハビリ用の傾斜面、階段を踏みしめる。

 

 「はぁ・・・・・・・はぁ・・・・・・」

 

 疲れから、ため息のような声が出る。距離にして、5mもない通路。そこを往復するだけの行動がこんなに辛いとは。数ヶ月前まで練習で1日10km以上は軽く走り、レースでは2000mもの距離を2分ほどで走っていた光景が、ひどく遠くのものに思えてくる。今現在は、1m進むのにも一苦労。

 

 ギプスが取れ、前向きな気持になっていた私を待っていたのは、辛いリハビリ訓練だった。

 

 ターフを駆け抜けた左脚に、力が伝わらない。1日目は何度も転びかけ、看護師さんに大変な迷惑をかけてしまった。ずっと歩いていなかったことで、骨折をした左脚だけでなく、右脚の筋肉も落ちていることが実感できた。

 

 レースで先頭を走り続けた自分と、現在補助有りでも走るどころかまともに歩けない自分。そのギャップに押しつぶされようになったのは、何度目か。

 

 こんな状態から、本当に回復できるのか。完治できるのか。前と同じように、走れるようになるのか。

 

 不安が不安で上書きされる。望む景色を追い求めることすら出来なくなるのではないか。

 

 負の感情が、心を渦巻く。入院して以来、以前より弱気になってしまった私にのしかかるように、その鉛は蓄積していく。

 

 「・・・・・・はぁ!」

 

 それでも、諦めない。

 

 思い通りに動かない脚に鞭打って、段差を一段上がる。

 

 脚にギリギリ負担をかけないペースでのリハビリ。最初のうちは難色を示していた看護師さんも私の意思に折れたのか、付き添って補助をしてもらっている。

 

 感謝しながら、今日も私は歩む。少しずつ、少しずつではあるけど、前に進んでいることは実感できる。先は長い。治ってもレースに出られるかどうかはわからない。それでも私は退かない。

 

 『もう一度レースに出るため。一緒に走るという、スペちゃんとの約束を守るため』

 

 その気持ちを胸に、ゴールの見えない道を私は進む。

 

 

 

 

 

 

 ・・・・・・それでも、日々の努力に対してご褒美がほしいという気持ちは、ちょっぴりある。 

 

 

 

 

 

 

 ピコン、と耳が立った。

 

 トン、トン、トン・・・・・・と足音が一つ近づいてくる。入院中にハマってしまったシリーズ物の小説を読み進めていた私は、その音を聞いて素早く顔を上げた。

 

 何度も聞いた、大きさと間隔。忙しいはずなのに、その中でやりくりして顔を見せに来てくれる人。

 

 その日が来るのが待ち遠しくて、すっかり足音を覚えてしまった。

 

 耳がせわしなく動くのが分かる。手に持った本を机に置き、身だしなみを確認する。こんな状況で身だしなみも何も無いのだけれど、変な印象は与えたくないのだ。

 

 足音が部屋の目の前で止まる。それと同時に響く、少し強めのノックが2回。

 

 「スズ「はい、大丈夫ですよ」・・・・・・相変わらず早いな。じゃ、入るぞ」

 

 彼の言葉に被せるように、許可を出す。ガラガラとドアが開き、待ち望んだ人が入ってくる。

 

 特徴的な髪型。黒と黄色を基調とした服装。口に加えた飴と共に漂ってくる、彼の甘い匂い。私の所属するチーム、スピカ。その担当トレーナーさんだ。

 

 よっこいせ、と来客用の椅子に座る。年配の方が取るような仕草を見て、少しだけ笑みが浮かんだ。

 

 トレーナーさんは毎日、私達の為に身を粉にして頑張ってくれている。それなのに、練習中もミーティングの時も、私達がいる前ではその素振りを見せなかった。ぶっきらぼうな仮面の下に、疲労を隠していた。

 

 今も彼は悟られまいと思っているのだろう。それでも学園から離れているからだろうか、この場所では無意識のうちに少しだけ綻びを見せている。

 

 ここでくらい、取り繕わないでほしい。体を張るのを止めて、力を抜いてほしい。直に指摘をすればトレーナーさんのことだ、すぐに直してしまうためあえて口には出さない。

 

 他の皆は知らないであろう、彼の表情。それを自分だけが知っているというだけで少し心がくすぐったくなる。

 

 「スズカ。どうだ、体調の方は。しっかり飯食えてるか?」

 

 「ふふっ、問題ありません。毎日しっかり食べれてますよ」

 

 彼の一言目は、決まってこの言葉。怪我の回復度合いについては聞いてこない。トレーナーとしての立場なのだから、詳細知りたいと思う気持ちは当然あるのだろう。もしかすれば、お医者さんに予め確認している可能性もある。 

 

 それでも、直接聞いてこない気遣いが嬉しかった。回復してきているとはいえ、まだまだ道半ば。復帰したいという気持ちは本物だが、四六時中闘志を燃やしているのかと言われればそんなことはない。本を読んだり、窓から見える景色を楽しんだり、好きなテレビ番組を見たり・・・・・・息抜きをする時間帯も多い。

 

 『あまり思い詰めるんじゃねえぞ。辛かったら立ち止まってもいい。ゆっくり休んで、何か好きなことで気を紛らわして・・・・・・それからまた進み始めればいいさ。勿論、俺も協力する。スペとかにでもいい。些細なことでも相談に乗るぞ』

 

 まだ左脚にギプスを付けていた頃にトレーナーさんから言われた言葉だ。走り続けてきた私にとって、立ち止まるという行為は無意識のうちに避けていたものだった。

 

 それをトレーナーさんは肯定してくれた。後ろ向きな気持ちになりがちな入院生活において、その言葉がとても大きな支えになっている。

 

 リハビリの時は全力で。それ以外の時間はのんびりと。

 

 入院した当初より笑顔が増えたと皆に言われるようになった。きっと、この方法が今の私に合っているのだろう。

 

 「今日から階段の昇降訓練も始まりました。前に進んでいるという実感があります」

 

 「そうか・・・・・・」

 

 私の報告に、トレーナーさんは目を細め優しそうな表情を浮かべる。

 

 先程言ったとおり、トレーナーさんからは聞いてこないので報告は私から。特筆するべきことはない。どれくらい歩けたのか。不調はなかったか。そのくらいの連絡である。

 

 息抜きの時間ではないのか?・・・・・・そのとおり。今はリハビリではなく休息の時間帯だ。『だからこそ』私は毎回リハビリの内容をトレーナーさんに伝えている。

 

 ・・・・・・ご褒美をもらうために。

 

 「それじゃあ・・・・・・今日もお願いします」

 

 身をわずかに乗り出し、彼を見つめる。少しだけ、私の顔に熱が上がってくるのが分かった。

 

 「ああ」

 

 何度も行っている行為のため、トレーナーさんも前よりは慣れたように手を伸ばしてくる。それでも、少し緊張の度合いが感じ取れた。

 

 『ぽふっ・・・・・・』

 

 効果音で表すなら、そんな音だろうか。彼の手の平が、私の頭に乗った。そのままぎこちない手付きで動く。

 

 「んっ・・・・・・」

 

 トレーナーさんに頭を撫でられている。その事実が私の心を満たしていく。

 

 撫でられた部分が暖かくなるのは、彼の手から伝わってくる体温の所為だろうか?

 

 ゴツゴツとした、大きな手。私の細い手と違って、安心感を感じる大人の男性の手。ゆっくりと動くたびに、くすぐったいような不思議な気持ちになる。

 

 2人きりの時のみお願いしている、リハビリのご褒美。最初は渋っていたトレーナーさんも、私の必死のお願いによって首を縦に振ってくれた。思えば、レース関連以外であそこまで粘ったのは初めてだったかもしれない。

 

 ピコピコと耳が動く。尻尾が左右にせわしなく動く。

 

 (トレーナーさん・・・・・・)

 

 私を優しく撫でてくれている彼は今、どんな事を考えているのだろうか?

 

 私みたいにドキドキしてくれているのだろうか?それとも、仕方のないやつだなー、と娘を見るような感じで接しているのだろうか?

 

 彼の心情はわからない。まだ確かめる勇気もない。

 

 それでも・・・・・・

 

 (今のこの時間は、大切にしたいです)

 

 2人きりで話す内に、自覚してしまった私の想い。今まで本とかでしか知らなかった気持ちを、彼に抱いている。

 

 心地よい感触に目を細めながら、私は静かに微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ・・・・・・なお、生徒会副会長であるエアグルーヴも途中でお見舞いに来たのだが、中の光景を見た後そっと扉を締めて立ち去っていった。

 

 その日、寮の休憩室でブラックコーヒーを飲む彼女の姿が見られたという。

 

 

 

 

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