とある幻想の夢想天生 作:大嶽丸
異常なまでに人通りの少ない路地で、轟音が鳴り響く。
(ッ! 当たり前のように“七閃”を避けますか……!)
神裂火織は瞠目する。
自身の愛刀に仕込まれた七本の鋼鉄製のワイヤーによる遠距離の斬撃……神速の居合術に見せかけた、相手の意表を突く攻撃であるが、目の前の少女はこれを避け切ってみせた。
長きに渡って隠すことのみに一心を注がれた業を、初見で。まるで視えているかのように。
否、実際に彼女は高速で揺らめく鋼糸を視認しているのだろう。
“博麗霊夢”──そう名乗った、神道の巫女。対峙した当初から只者ではないとは思っていたが、よもやここまでとは。
神裂は“聖人”と呼ばれる存在だった。世界に二十人といないと言われる、生まれた時から“神の子”に似た身体的特徴・魔術的記号を持つ人間。
その能力は一般的な魔術師が太刀打ちできるような次元には無く、銃弾を見てから避け、数十トンもの重量を腕力のみで振り回し、呼吸さえ出来れば大気圏外でも活動が可能……と、同じ人類に区分して良いのかすら怪しい。
あまりにも規格外。──では、それと渡り合う彼女は、何者なのだろうか。
(パワーもスピードも明らかにこちらが上。ですが、それを補って余りある反応速度……的確にこちらの動きを先読みしてくる)
元より神裂は普通の“聖人”よりも並外れた身体能力を誇り、一秒間に千回もの行動が可能な程であったが、霊夢は肉体面でのスペックは彼女に劣りながらもその反応速度と反射神経は遥かに凌駕していた。
内心そんな事実に驚きながらも神裂は地面を蹴って走る。それだけで舗装されたアスファルトが砕け、音を置き去りにし、衝撃波が発生した。
「七閃──」
抜刀の動作はしない。鋼糸という絡繰が見抜かれた以上、そのフェイクは不要なのだから。
七本の鋼糸が暴風の如くうねり、外灯や街路樹を切り裂きながら霊夢を取り囲んだ。
掠れば致命傷。初めは殺さず捕縛するつもりであったが、そのような甘えが通じぬ相手であると理解した瞬間から、その一撃には殺意が籠められていた。
「それしか能がないの?」
「ッ──」
しかし、霊夢は恐れることなく前進し、糸と糸の間を通り抜けていく。
やはり見切られている──。自身の十八番を軽々と破るその姿に神裂は小さく舌打ちし、思わず悪態を吐いてしまう。
「魔術を行使する暇など、与えてはくれぬでしょう……!」
白兵戦を得意としている神裂だが、聖人が故に魔術の腕前もそこらの魔術師などとは比べ物にならない。その気になれば大魔術クラスのものだって連発することが可能だ。
だが、彼女はそれを行使しようとしない。少しでも隙を見せれば霊夢がここぞとばかりに攻撃を仕掛けてくると理解しているからである。
「つまり──今あんたの手札はそれだけってことね」
次の瞬間、霊夢の姿が視界から外れる。
「ッ!?」
一体どこへ? という疑問よりも先に背後から襲ってきた殺気に振り返った。
「なっ──」
ヒュン! といつの間にかそこに居た霊夢はこちらの頭目掛けて大幣を振り下ろす。咄嗟に鞘で受け止めれば決して弱くない衝撃が襲う。
(馬鹿な、あの一瞬でどうやって背後に──)
困惑の色を隠せない神裂。しかし、霊夢はそんな彼女を待とうとはせず、姿勢を低くし、一気に懐へ入り込むようにして鞘による防御を突破する。
「くっ」
しかし、正面から来るのであれば対応するのは神裂にとっては容易いことだった。すかさず刀を振るい、霊夢を叩っ斬らんとする。
ガキィン!!
大幣と刀がぶつかり合えば、火花が飛び散る。
木製とは思えぬ硬さと鋭利さ。まともに受ければ普通の人間ならば真っ二つに割られるだろう。
鍔迫り合う両者。だが、神裂が力を強めればその均衡は一瞬にして崩れ去る。
「チィッ──」
霊夢は舌打ちし、距離を取ろうとするが、刀を振り抜かれると、数m後方へと吹っ飛ばされてしまう。
神裂はそのまま追撃を仕掛けようと高速で近付き、再度斬り掛かった。
が、これを霊夢はぐるりと空中で体勢を変え、避けて後方へと退く。
物理的に有り得ぬ挙動。一重に彼女が
これに神裂は歯噛みする。
(あの空中浮遊……“撃墜術式”が効かないのは何故なのでしょうか?)
撃墜術式。その名の通り、魔術的な力で飛行しているものを撃墜する術式である。
十二使徒の一人である聖ペテロが、悪魔の力を借りて空を飛ぶ魔術師、シモン=マグスを、“主”に祈るだけで撃墜したという伝承に基づいている。
シンプルで強力、かつ有名なエピソードを基にしているため魔術の世界においては極めて広く普及している。
故に、十字教の教義で説明できる範囲の異端の飛行術式は、飛ぶのも落とすのも簡単というジレンマに陥っており、現代の魔術師は魔術で空を飛ばない。箒で飛行する魔女たちでも、低空を高速飛行することで“地上を走行している”と誤魔化すのが常識であった。
霊夢が戦闘の最中に“宙に浮いた”瞬間、神裂は即座にこの魔術を発動したが、霊夢は然したる変化もなく飛び続けている。
何らかの抜け穴を突いたのか。それとも彼女も“第十位の聖人”と同じような特異な存在なのだろうか。
(まさか魔術ではない? だとすれば……いえ、それこそ有り得ない話です)
一瞬、神裂はここが学園都市であることもあってか“超能力”の可能性が脳裏に過るが、即座に否定する。
何故なら“才能の無い者”が扱う為に作り出された魔術は能力者が使用するようには出来ておらず、現に自身の仲間は天才的な魔術師だったにも拘わらず能力開発を受けたことで簡単な魔術を使用するだけで死にかけるような体質に成り果てていたからだ。
(どちらにせよ……やりづらいことこの上ありません。おまけに素人ではなく、動きも洗練されている)
有利なのは間違いなく神裂の方だ。彼女が一撃でも加えればそれだけで霊夢にとっては致命的なダメージになるのだから。
けれど、そんな状況下で未だに掠り傷さえ負わせていないのもまた事実。宙に浮き、足場に囚われず、あまりにも不規則で三次元的な動きに惑わされ、苦戦を強いられていた。
「──妖怪みたいな馬鹿力ね」
対する霊夢は何食わぬ顔でそう呟く。
「……私からすれば、貴女の方が妖怪染みていると思いますが」
これに神裂はどの口がと思わず言い返すと、霊夢は心外とばかりに顔をしかめた。
「失礼ね。私は人間よ?」
「だからこそ、理解し難いのです。ただの人間が“聖人”と渡り合えるはずがありません」
あくまで常人の範囲内の身体能力。それでも実は同じ聖人でしたと言われた方がまだ納得出来る。魔力を纏う程度で聖人との差が埋まるなんてことは考えられない。況してや神裂は自らのスペックに驕らず、肉体強化の魔術で更に補強しているのだから。
「セイジン、ねぇ……どちらかと言うと“超人”の方に思えるけど。実は仏門だったりしない?」
そんな疑問に対して霊夢は答える気は更々無いようである。訳の分からないことを言われ、神裂は怪訝な表情を浮かべつつ、刀を構えた。
一方、霊夢は動かない。涼しげな表情を浮かべ、神裂の動作を待つ。
(一気に決める──!)
手加減は無用。聖人のスペックをフルに活用し、再び音速を越えた速度で駆ける。
だが、次の瞬間。霊夢が腕を振るう動作をしたかと思えば、何かが飛来してくるのを視認した。
(これは──“針”ですか……!)
数本の短剣程の長さの針。どうやら霊夢が投擲したものであるようだ。
しかし、銃弾すら避ける神裂にとってその速度はあまりにも遅い。難なく避け、刀で弾き落とす。
「!!」
同時に、霊夢が眼前に迫っていた。
まさかこのまま迎え撃つつもりか? 無謀だと思いながらも接近した霊夢に刀を振るえば彼女はこれを避け、肩口を掴んだ。
「なっ……!?」
そして、神裂を支点に身体をひねり、跳び上がることで背後へと回り込んだ。
人間離れした動き。予想外の行動に驚く神裂。対して霊夢は空中を飛んだままいつの間にか指と指の間に挟み込んでいた針を投擲する。
(飛び道具。今の今まで温存していたのですか)
あんな数をどこから取り出したのか、という疑問は一先ず放棄し、先程同様に弾く。
素早く、正確無比な投擲。一発ずつならば神裂にとって避けるのは容易であったが、霊夢は上空を旋回するようにして投擲を繰り返し、瞬く間に全方位を無数の針が取り囲んだ。
宛ら、針の“弾幕”だ。
「──七閃!」
鋼糸を自身を守るように展開し、全ての針を神裂は弾き落とす。同時に、糸も何本か千切れた。
ジャラジャラと地面に転がる針。油断することなく神裂は刀を構え、霊夢の姿を探す。この攻撃が彼女にとって本命ではなく、隙を作る為であることは分かり切っていたのだから。
「! 速い──」
そして、予想通り霊夢はこちらに急接近していた。今までトップスピードを出していなかったのか思わぬ速さに反応が遅れるもギリギリでその存在に気付いた神裂は直ぐ様鋼糸を操り、彼女を切り刻まんとする。
「──させないわよ」
が、それよりも速く霊夢が刀を踏みつけた。
「はぁっ──!?」
思わず声が出てしまう。刀を動かさなければ鋼糸は操れない。予想だにしていなかった七閃の破り方に目を見開く。
どうにか踏みつける足を振り払おうとするが、その動作こそが致命的な隙だった。
霊夢が大幣を振り下ろす。
「ッ……甘い!」
だが、彼女とて戦いのプロ。霊夢がその隙を突いてくることは読んでおり、身体を反らして回避してみせる。
そのまま刀を放し、素手でカウンターを仕掛けようとし──。
「ごっ……ぁ……ッ!?」
何かが脇腹にめり込み、激痛が走る。
完全に認識外の攻撃。突き刺さるようなその一撃は神裂の肺から一気に酸素を奪い、動きを低迷させた。
「神技──」
そして、それだけで終わらせる霊夢ではない。すかさず張り付くように神裂へ近付き、構えを取る。
「しまっ……」
即座に刀を手に取るが、時既に遅し。
「──天覇風神脚──」
宙返りしつつ、蹴り上げた。俗にサマーソルトキックと呼ばれる技が神裂の顎にクリーンヒットし、脳を揺さぶる。
ただの蹴りではなく、聖人にすらダメージを与えられる程の濃い魔力が込められた一撃だった。
「が、は──」
それが三度──間髪無く、宛ら高速回転するかのように連続で放たれ、神裂の身体がその度に天高くへと打ち上げられていく。
「ハァッ!」
駄目押しとばかりに最後に鋭い足刀が胸に炸裂し、神裂は更に宙を舞い、やがて重力に従って真っ逆さまに落下した。
「ッ──グゥ……ッ!!」
ドサリと地面に転げ回り、倒れ伏す神裂。ピクピクと痙攣しているその姿を、霊夢は油断無く見据える。
そして、しばらくすると寸前で握り締めた刀を杖代わりにして立ち上がった。
「ハァッ……ハァッ……」
「まだ立つの? さっきの一応決め技みたいな奴だったんだけれど」
その頑丈さに霊夢は呆れた様子だ。対する神裂は朦朧となった意識を回復すべく必死に息を吸い、脳に酸素を送り込みながらある部分へ視線を送る。
彼女の手には、槍か棍と見間違う程の長さになった大幣があり、それを見た瞬間に神裂は悟る。
如意棒のように伸び縮みが可能な
「なる、ほど……私を油断させる為に、長さを変えられることを隠していたのですね……」
「ええ。こうも見事に引っ掛かってくれるなんてね」
霊夢は得意気に笑う。これに神裂は何も言い返せず、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
大幣への警戒が次第に疎かになり、そして完全に度外視されてしまっていたあのタイミングを狙ったのは見事と言う他なく、目の前の少女が自分よりも
「……で? 結構効いてるみたいだけれど、まだやんの?」
「ッ──」
鋭い眼で見据え、霊夢が問う。確かに神裂は意識こそ保っているものの、ダメージは大きく軽い脳震盪に陥っている。
正直立っているのがやっとであったが、それでも戦意を喪失する理由にはならない。
脳裏に過るのは、先程誤って傷付けてしまった、守るべき少女の顔だ。
「あっそ。でも動かない方が身の為よ」
「!?」
その意思を読み取った霊夢がそう告げると、紫色の光が突如として現れ、ぐるぐると円を描きながら神裂を取り囲む。
よく見るとそれは陰陽師等が用いるような“御札”であった。
「いつの間に……!」
完全に囲まれている。今の神裂にこれらを避ける術は持ち合わせていなかった。
完敗と言えよう。ほぼ同年代の少女を相手に、聖人の肉体という圧倒的なアドバンテージがありながら、傷一つ付けることすら出来ずに追い詰められている。
甘く見ていた、などというのは言い訳にはならない。純粋に実力も経験も、目の前の少女が上手だった。
「──Salvere000」
故に、覚悟を決める。
「あん?」
ぼそりと呟かれた言葉。“救われぬ者に救いの手を”──神裂が自身の胸に刻む魔法名。それを知らない霊夢は突然呟かれた意味不明の文字列に眉をひそめる。
「生憎と……まだ、こんなところで、終わる訳にはいきません」
「──いいえ、終わりよ」
パチン、と指を鳴らす。それと同時に御札が一斉に迫り、未だに抵抗しようとする神裂にトドメを刺さんとする。
幸いだったのは霊夢が勝敗は決したと思っていることだった。無論、油断など微塵もしていなかったが、心のどこかでほんの僅かに、気を抜いてしまっていたのだろう。
そんな0コンマにも満たない、しかしあまりにも致命的な隙を、神裂は突く。
「私には、やるべきことがあります!」
今から放つのは、奥義。
独特の呼吸法で魔力を練り上げることにより、自身を人間の限界を超えた体の組織に組み変え、そこから繰り出される必殺の抜刀術。
ただの人間に放つ代物ではないが、この状況を打破するにはこれしかないだろう。
「──
霊夢が目を見開く。即座に回避動作に移るが、間に合わない。
御札は消失し、約20mもの距離を詰める。
(獲った……!)
一閃が、思い描いた通りの道筋を往き、霊夢に触れる。そのまま胴体が上下に泣き別れになることを、神裂は確信した。
しかし──。
「──────」
次の瞬間。
眩い光が周囲を包み込んだ。
──死ぬ。
霊夢は理解する。聡明が故に、“ああ、これは無理だな”と悟ってしまう。
十字教、仏教、神道……あらゆる術式が混ぜ込まれ、互いの弱点を適切に補い、破壊力を増す。そこに遊びや余裕など存在せず、ただただ“殺すことのみ”に重点を置いた業。
避けることは不可能。結界を張ったところで無意味。思い付く如何なる手段を用いようと、そう思考が完結するよりも速く、切り裂かれる──。
(死ぬ? 私が?)
出来事はいつも突然起きる。理由は後になって気付く。
見通しが甘かった。相手が隠し玉を持っていないなどと言い切れないというのに。
平和ボケというのは恐ろしい。あの時、御坂美琴の電撃を避け切れず、掠ってしまった時点で、感覚が鈍っていることには気付いていた。それを看過してしまったのは心のどこかで驕りがあったから。
認めたくはないが、この街に毒されてしまっていたのだろう。自分でも気が付かぬ内に。
(……それもいいかも)
そう思ってしまう。恐怖も怒りも、哀しみすら湧かない。幻想無き世界に己が居場所は存在せず、斯様な世界で生きていても果たして何の意味があろうか。
意義も希望も無く、ただ惰性のままに生きていた霊夢は、眼前の死を容易く受け入れ、泥のように眠ることに対して何の忌避感も無かった。
「博麗ちゃんはこんなところで燻ってる人じゃあありません!」
「オマエは欲しくねェのか? 絶対的な力ってヤツ」
「それじゃあ……友達になってください!」
「お前がどう思ってるかは知らないが……少なくとも俺はお前のことをその、
短い年月ではあったが、様々な人間と出会った。己を必要としてくれる者も居たし、決して悪くない日々だったと言えよう。
しかし、所詮はそれだけ。ただ仕方あるまいと、諦観しながら霊夢は目を閉じ──。
「 ──いいえ。あなたの……博麗霊夢の死に場所はそこではないでしょう? 」
知らない誰かの声がする。
気が付けば、勝手に体が動いていた。
喰らいボム