とある幻想の夢想天生 作:大嶽丸
しばらく投稿頻度落ちるかも。元から亀更新だけどすみません
「サリエル……サリエル、ね」
ガブリエルが去った後、一先ず絹旗と共に帰宅した霊夢は彼女から告げられた二体目の天使の名を口にする。
聞き覚えはない、はずだ。しかし、何故だろうか。その名が脳内にこびり付いて離れない。
「うーん……あんまり情報がありませんね」
ネットを使って調べていた絹旗がぼやく。
聖書において、かつて聖母マリアに“神の子”の受胎を告知したことで有名であり、
十字教、ユダヤ教の伝承に登場する天使或いは堕天使なのだが、聖書正典にはサリエルという名前の天使は登場しない。新約聖書と旧約聖書にも、また旧約聖書の元となったユダヤ教の聖典タナハにおいても現在広く正典とされている文書の中には、サリエルという名前の天使は全く記載されていない。
あるのは聖書偽典の一つであるエノク書、及び死海文書のみで、それすらも記述がまちまち。
「けど出てくる記述はどれも、超ヤバそうではあるんですけどね。堕天使なんて書かれてる記事もありますし」
曰く、死を司る。
曰く、強力な邪視を有する。
曰く、魔術の源である月の支配者。
得られた数少ない情報はどれも不穏なものばかり。元の場所への帰還を目的とするガブリエルは何とか話が通じたが、曰く望んで降臨したらしいこの天使の場合はどうなるのだろうか。
「そいつが何かする前に、元春達が術式を破壊してくれるのを祈るしかないわね」
「……超そうなりますか」
そう言いつつ、霊夢は頭の中で揺れ動くその存在について思考を巡らせる。
死を司ると聞いて初めに連想したのは死を操る大亡霊であるが、よく調べればあくまで霊魂の看守といった意味合いでそのあり方は死神に近く、直接的に司っているという訳ではないらしい。と言っても本物がどうかなど分からぬが。
邪視というのは吸血鬼の魔眼と似たようなものだろうか。他にも眼に関する能力を持つ者が居たような気もするが、それについては思い出せない。
そして、月の支配者という点。これに関しては何とも言えない。月の守護者と自称したガブリエルを見た感じ月に纏わる存在とはいえ“奴ら”の関係者とは限らないだろう。
どちらにせよ、その力がガブリエルと同等かそれ以上だとすると、考えるだけで億劫になる。勝てる勝てない云々以前に周囲の被害がとんでもないことになるのは間違いないのだから。
「ん?」
そんな思考を掻き消すように調べ物に使っていた絹旗の携帯から着信音が鳴り響く。
「非通知……?」
画面に映る宛名に訝しむ絹旗。このタイミングで非通知の電話など極めて怪しく、不吉な予感を感じ取った彼女は出るべきかと悩む。
『ハァイ♪ こんにちは霊夢♪』
しかし、絹旗が判断するよりも早く
「なっ……!?」
「……教授」
眼を見開く絹旗に対し、霊夢は眉をひそめるもある意味では当然かと納得する。彼女が今回の異変を関知していない方が、不自然なのだから。
『随分と素敵で愉快な経験をしたみたいね?』
「どこがよ。最悪が過ぎるわ」
「お、おお岡崎……さん。何で私の電話番号をッ!? というか超何で勝手にッ!?」
『あら、気軽に教授で良いわよ。暗闇の五月計画の被験者、“優等生”の絹旗最愛ちゃん?』
肝心の疑問には全く答えていない。百歩譲って電話番号を特定するのは理解出来るが、他人の端末を遠隔操作してしまうなど聞いたことがなかった。絹旗の端末は暗部向けの代物で特にハッキングに強い代物だというのに。
今すぐに端末を破壊して買い替えたいと絹旗は背筋がゾッとする。そうしたところで無意味だろうが……。
「何で私のケータイに掛けなかったの?」
『気分よ♪』
あっけらかんと言い放つ。
『フフ。いやぁ
「ふん……どうせ事の仔細も把握してるんでしょ? 簡潔に問うわ、あんたはどうなったの?」
『勿論、防いだわよ、何ら問題無く』
これまた何て事の無いように平然と告げる。魔術師というその道のプロフェッショナルが悉く影響を受けてしまった、この大魔術を如何にして。
『英国の古臭い結界とは訳が違うもの。ま、ちゃんとした術式だったら危なかったかもね。“窓の無いビル”の連中も無事なんじゃないかしら?』
「へぇ……そりゃ良かった。容疑者がまた増えたわね」
『まあ酷い。折角、面倒事を片付けてあげたのに』
「……何ですって?」
土御門らの弁とは違い、意外にも御使堕しを防いでいる者は多いようだ。イギリス清教やガブリエルに告げ口してやろうかと思っていると、教授はわざとらしく泣き真似をしながら言う。
『貴方に差し向けられた刺客、こちらで
「!」
「……あ、そう」
余計な手間が省けた。道理でガブリエル以外には追手のおの字も無かった訳だ。
一方、絹旗は当たり前のようにそう語る教授に戦慄する。これだからこの女は怖いのだ。博麗霊夢に対する執着にも似た異様なまでの研究欲。彼女を害する、利用しようとする連中に対して精査し、不利益と見なせば容赦無く抹消してきた。
あの暗闇の五月計画も彼女の気分次第では初めから無かったことになっていたことだろう。故に、いつしか博麗霊夢に近付く研究機関は存在しなくなった。
「そりゃどうも。で? それだけの用で電話してきたのならもう切るけど」
『もう。冷たいんだから。わりと本気で泣いちゃいそうな気分になるわ。──とまあ冗談はさておき霊夢、天使との邂逅を果たした気分はどう?』
本題があるのならさっさと入れと語気を強める霊夢に対し、教授は態度を崩さず、徐に尋ねる。
「……どうって言われても。別に」
『本当に? 本当の本当に?』
「ああん?」
『神の従僕。自我を持たぬ被造物に過ぎないとはいえキリスト教圏において神に次ぐ超特大の神秘。現状この世界において貴方が追い求めるモノに最も近しいんじゃないかしら?』
「………………」
教授の弁に怪訝な表情を浮かべていた霊夢はその意図を理解し、黙る。
それは神ではなく、妖でもなく。然りとて紛れも無き人外魑魅魍魎。魂だけとはいえ対面した霊夢からすれば疑いようもない。
けれど、だからこそ──。
「あれは、違う」
『……そう。まあ、ある意味では“幻想”から一番程遠い存在だものね』
神に等しい力を有しながら神に非ず。造物主から認められず、許されず、ただ道具として、己が与えられた役割を実行するだけのシステム。
ガブリエルと語らい、随分と感情が希薄だなと思ったが、教授曰くそもそも自我が無いらしい。そう考えればその歪な在り方にも納得が行く。
ただ純粋な力の塊。通常神の力の糧は“信仰”であり、世界最大の宗教である十字教の神はさぞかし力を蓄えていることだろう。
けれど、天使は神でないが故に信仰という概念は無価値で無意味。逆にそれは増減せずとも信仰に縛られること無く、不変のまま世界に根付いているという意味でもある。
たとえ創造主である聖書の神が消えようとも、その在り方故に天使は消えることがないのだろう。
あくまでも推論に過ぎぬが。
『残念だわ。でも、それなりのインスピレーションは与えられたんじゃないかしら? 少なくとも魔術よりはずっと』
「……どうでしょうね」
そんな心の内を見透かしながら、そう囁く教授。これに霊夢は不快そうに顔をしかめる。
彼女に自身の内面を教えたつもりはない。なのにまるで初めから知っていたかのように、この世界もまだ捨てた物ではないと言いたげに踏み込んでくる。
それが霊夢には酷く不可解で得体が知れなかった。知った風な口を利くなと怒鳴りたくもあったが、それが無駄であることも理解しているため敢えて言葉を紡ぐ。
「──言いたいことは、それだけ?」
『そう急かさないで。慌てたところで、どこに居るかも分からない天使相手に何も出来やしないでしょう? ゆっくりと楽しくお話ししましょうよー』
「チッ……」
全く以てその通り。いつもの霊夢なら無視してそのまま切るところだが、現状どうすることも出来ない中、教授は打開策を用意している可能性があった。
もしかすると、彼女は既に御使堕しの実行犯を特定しているのかもしれない。
(うわぁ……霊夢さんの機嫌が頗る悪い。超この場から去りたいです……)
一方、絹旗は苛立ちを隠そうともしない霊夢に内心ビクビクと怯えている。
『しかし、神の命令とはね。──奇縁、なのかしら?』
「はぁ?」
ぼそりと呟いた教授の囁きは、都合良く霊夢には届かなかった。
『何でもないわ。そうね……ふふ、ねぇ霊夢? どうして今回の御使堕しが、不完全な状態で実行されたと思う?』
「……さあ? 使い手の腕が大したことなかっただけじゃないの」
唐突な問い掛けに霊夢は興味無さげにそう答える。敢えて不完全な状態で行うメリットがあるとは思えないため単純に実行犯の力不足、或いは詰めの甘さが原因だという、妥当な判断だった。
『そうかもしれないわね? けれど、もしもこの世界が、本来あるべき姿から
「……何のこと?」
霊夢が眉をひそめる。
『ふふ、その様子だと本当に気付いてないようね? まあ、そもそも
「いちいち意味深なこと言ってんじゃあないわよ。御託は良いからはっきり言いなさい」
意味が分からない。今と昔。幻と現の話だというのなら、それはあまりにも今更が過ぎる。
だからこそ、霊夢はこの世界を憂い、この科学の街に閉じ込められている現状を良しとしているというのに。
『あら、ごめんなさい。要するに世界は今不安定でそれに気付いてる人間は殆ど居ないということよ。そして、それが天使を降臨させる儀式で“魂の入れ替り”なんて可笑しな事象が生じた原因なの』
「……だったら?」
『今後も世界は荒れるわ。御使堕しも死の天使も、始まりに過ぎない。科学というにはあまりにも
「……ああ。そりゃ最悪ね」
『ええ。楽しみにしとくと良いわ』
結局、よく分からない結論に落ち着く。まだ問い詰めてやろうとも思ったが、そもそも答える気が更々無いのは明白。この女の言動はこういうものなのだと諦めた。
ただ面倒事が次から次へと舞い込んでくるだろうと、そんな予言を受けてしまった霊夢は辟易とした様子で通話を乱暴にぶち切る。
「……超切ってよかったので?」
「ええ。どうせ訳の分からないことを言うだけだし、付き合うだけ無駄よ」
携帯を絹旗へと返し、霊夢はそう吐き捨てる。仮に打開策を知っていても、あの様子だとこの場で教えてくれるとは思えなかった。
「ハァ……結局、ただの迷惑電話だったわね」
進展は無し。どうやら教授は今回の件についてあまり関与するつもりはないようだ。となるとやはり自分達は刺客の魔術師を撃退しながら土御門達の健闘を祈るしかない。
そう分かっていながらも、霊夢は寛ぐこと無く、少し苛立った様子で思考を巡らせる。
(……嫌な予感がする)
こういう勘も大抵当たるのが霊夢の常であるが故に。
「あら、切られちゃった」
研究室にて。
教授はティーカップを片手に肩を竦める。軽く揺さぶってみたが、あの露骨に機嫌の悪い態度から図星を突いたのだと察した。
「霊夢ったら……本来なら喜ぶべき事象のはずでしょうに。それとも、貴方は本気で諦めてしまっていたのかしら?」
教授にとって御使堕し自体は完全なイレギュラーであったが、同時にそれは吉報でもあった。
この世界にはまだ、理から外れた超常の存在が降り立つだけの土壌が残っていたというのをこの目で直接確認出来たのだから。
そして、程なくして“死の天使”が降臨した。
「
散々言われているが、天使というのはシステムであり、それこそ上位存在からの司令がない限りは自らの領域から出ることなど考えてもいない。
では堕天使も含まれる、地獄の悪魔達はどうか。人を誑かし命を奪う、悪意に満ちた彼らは地上へと這い出られる機会があれば挙って乗るだろう。
不倶戴天の敵である天使。それも、最上位の“神の力”と同伴という致命的な点が無ければ、の話だが……。
そして、そもそもの話、天使の降臨自体が“呼び水”となり、あらゆる天使や悪魔、それに類する魑魅魍魎が便乗して降臨出来てしまうのなら、今頃この世界は崩壊し、成り立っていないはずではないか。
であれば、今回現れた“神の命令”は──。
「
きっと、今回の事象は、とうの死の天使すらも予想外な出来事だったのだろう。
何故ならそれは今はもう失われた異伝の物語であり、もはや初めから存在していないに等しい、遠い、遠い泡沫の夢──。
だからこそ、この思いもよらぬ到来を観測した教授は驚喜した。
「言いそびれちゃったわね、霊夢♪」
歌うように、悪びれもせずに呟く。
聖人、錬金術師、そして一方通行との戦いを経て、ここ最近で彼女は以前と見違える程に成長したが、しかしまだまだ刺激が必要だった。
「──死の天使、サリエルの狙いは、他ならぬ貴方自身だってことを」
視界に飛び込んだのは、暗黒だった。
「──あ?」
霊夢は目を見開く。
ほんの瞬きしたその間に、先程まで彼女の自室だったはずのそこは変わり果て、暗く冷たく静謐が支配する、瘴気のような魔力に満ちた世界が広がっていた。
世界が書き換えられた。
あまりにも唐突に、身構える暇さえ与えず、“悪意”は牙を剥くのだ。