ケントがドラゴンライディングの訓練を始めて3か月が経過したころ、ケントが所属するカーノルフタンファームに伝令がやってきた。
伝令はアロマローズからの重要書類を持って、カーノルフタンファームの経営者と面会した。
カーノルフタンファームの経営はドラゴンブリーダーが育成業と兼業していて、カヨの上司にあたるブリーダー2人が伝令と面会した。
「来月付けから、ファームの経営に新しい条例が加わる」
伝令はそう言って、いくつかの書類を経営者らに渡した。
「最も大きく変化するのは、所属ソルジャーの待遇だ。現在、ソルジャーの給料は政府から40%分が支払われているが、これが25%まで下がる」
伝令が言った。それはファームの経営を強く圧迫する内容だった。しかし救済措置もあった。
「同時に政府軍の強化を図るため、優秀なソルジャーを政府に享受した場合には、助成金が支払われる。優秀なソルジャー育成にインセンティブが与えられるというわけだ」
「そうですか……しかし、うちのような田舎のファームにとってはマイナスの作用が大きいですね」
経営者は難しい顔をした。田舎に集まるソルジャーの志願者は多くないし、質も高くない。
いくら優秀なソルジャーを育成すれば助成金がもらえるとしても、小さなファームではそうそう優秀なソルジャーを育てることができなかった。
現在、カーノルフタンファームにはラバールという優秀なソルジャーがいるが、ラバールは後進の育成という使命を任されており、政府との金銭トレードのために放出するわけにはいかない。
それに、政府は優秀という形容詞に加えて、「若い」という形容詞がつくソルジャーを欲している。
「いま活きのいい若いソルジャーはいないのか?」
「まだ正式に認められたソルジャーの中には……ラバール隊長の話ではケントはとても優秀だそうですが、まだ候補生です」
「候補生でも構わぬぞ。ともかく優秀な若手をいち早く獲得したいのが政府軍の方針なのだ。優秀な若者がいれば、王室まで連れてきてくれ」
伝令はファーム経営の大きな方針転換があることを伝えると、その日の午後には王室へと戻って行った。
ちょうどそのころ、午前中の訓練を終えたケントらがファームに着陸した。
今日、ケントは初めて急降下訓練を受けていた。
急降下は垂直に近い角度で落下するように飛ぶテクニックである。急降下は重力の恩恵を最も受けることができるので、最も速度の出る飛び方でもある。同時に、ソルジャーにかかる負担が最も大きな飛行でもある。
急降下はソルジャーにとって最も重要なテクニックでもある。
一般にドラゴン同士の空戦においては、上空から低空にいるドラゴンを攻撃するほうが有利だ。
高いところから低いところへ。
これがソルジャーの戦いの基本だった。
そのときに、低空の敵に気づかれずに攻撃を仕掛けたいが、急降下はスピーディーかつ敵に発見されにくい接近方法になる。
ケントはこの訓練に初めて参加したが、ラバールが目を見張るほど精度の高い急降下飛行を行うことができた。
急降下は地面に対して垂直に近い角度ほど難易度が高いが、ケントはほぼ垂直に急降下することができた。
さらに、急降下中からの旋回飛行という離れ業も、ケントは初日から行うことができた。
急降下中に旋回すると、遠心力を受けて、バランスが大きく乱れる。平衡感覚もなくなり、自分がどこにいるのかもわからなくなるほど感覚が損なわれてしまう。
しかし、ケントは正確に自分の位置を把握しながら急降下旋回を行うことができた。
ラバールはケントの飛行センスは世界一かもしれないと思うようになった。
ラバールがファームに戻って来ると、経営者はすぐにラバールに伝令から受けた報告を伝えた。
「ソルジャーへの援助金のカットか。いずれ引き下げが行われるであろうことは予測していたが、予想以上に早かったな」
「政府はこれまで緊縮政策には慎重だったはずなのに、よほど国際情勢が不安定なのでしょうか?」
「低空の僻地はアルマゴート軍の侵攻が加速していると聞く。その影響も大きいだろうな」
ラバールは深刻な顔をした。カーノルフタンは高いところにあるので、すぐに攻め込まれることはないが、これからの短期間のうちに、大きく世界情勢が動くことは間違いなかった。
「正直、25%になるのはしんどいです。ドラゴンのエサも高騰していますし、来月以降は赤字経営になってしまいます」
「給料の引き下げもやむなしか」
「ソルジャーの基本給を日当108ドラーから75ドラー程度まで引き下げる必要があるかと思います。ブリーダーの基本給も90ドラーから70ドラーまで下げる予定ですが、ブリーダーは競争が激しく、あまり引き下げるとよそに移られる可能性もあって、そうなるとファームの経営は立ち行かなくなります」
難しい経営状態が続いていた。
ソルジャーは最悪代わりがいる。貧しい者たちを連れてきて無理やりドラゴンに乗せれば数をそろえることはできる。技術が不足していても、ドラゴンに乗せていれば最悪何とかなる。
しかし、ブリーダーは明確に知識と経験がなければやっていけない。以前、末端のファームがブリーダーを全員素人で経営していたことがあったが、ドラゴンペストでドラゴンが全滅することがあった。ワクチンの材料となる血清の調剤を誤ったことが原因だった。
ファームの経営を安定させるためには、優秀なブリーダーの存在は必要不可欠だった。
とするならば、やはり新しく制定される助成金に頼るしかない。
「助成金はどれほど出る?」
「政府軍がセンスを認めた者だった場合は一時金として2500ドラー、また6年間に渡り、年間1000ドラーを支給するそうです」
「それは大判振る舞いだな」
優秀なソルジャーを1人でも育成できた場合は、それだけで6年間はファーム経営が安泰になる額だった。
このようなインセンティブをつける背景には、より優秀なソルジャーを集めて、戦争を終結させたいというアロマローズ政府の意思が見えた。
「ラバール隊長から見て、優秀なソルジャーはいますか?」
「間違いなく認められるとすれば、ケントだ」
ラバールはケントを真っ先に挙げた。
「しかし、ケントにとって政府軍に引き渡すことが栄転になるでしょうか? 少しプライベートな話になってしまうのですが、私の部下のカヨがケントと仲睦まじくしています。ケントがファームを出ていくとなるとショックを受けると思うのです」
「そうか。そういう問題も無視できないな」
「しかし、やはりソルジャーにとってみると、アロマローズ政府軍に入ることは栄転だと思うのです。どうすればいいでしょうか?」
「ともかく、おれのほうからケントに話してみよう。本人の意思が重要だ」
ラバールはケントに今回の話を伝えることにした。
◇◇◇
夕食後、ラバールはケントに例のことを話した。
「ケント、アロマローズ政府軍が君のことを欲しがっている」
「政府軍ですか?」
「ああ、ソルジャーにとって、政府軍の一員になれることは最高の名誉でもある」
「そうなのですね」
ケントにはその名誉はわからなかった。ケントは名誉のためにドラゴンと飛んでいるわけではなかった。
「どうだ? そうすれば、ケントももっと大きな世界を知ることになる。大きな才能をこの僻地のファームに留まらせるのは実にもったいないことなんだ」
ケントは肯定の感情も否定の感情も示さなかった。ドラゴンと共に飛べる場所であればどこでもよかった。
ただ、ケントはこの地で、ラバールの指導を受けてドラゴンライディングの技術を身に着けた。
どうせドラゴンと共に飛ぶのなら、ケントはラバールらに恩返しができる形を目指したかった。
「僕はラバール隊長やファームの皆さんにお世話になっています。みんなのためになる選択をしたいと思っています」
「正直に話すと、ケントが政府軍に入ることでこのファームには莫大な助成金が下りる。いまはどこもファームの経営は苦しいから、ファームのことを思うなら、政府軍に入ってくれるのが望ましい」
「そうですか。それならば」
ケントは素直にその話を受けることにした。
しかし、あとで思い返してみると、政府軍に入ると、おそらくはこの地を長く離れることになる。カヨとも頻繁には会うことができなくなる。
しかし、ファームのためならばとケントはその後悔を呑み込んだ。