トゥームスカイに降り立ったケントはファームの経営者の老人と面会した。
「これはこれは、ようこそトゥームスカイへ。水と新緑の精霊が宿る大地です。ゆっくりしてってください」
「お世話になります」
「ゆっくりというほどできないのですがね」
ラバールは時計で時間を確かめた。月齢を模した時計は正確な時間を知ることは難しいが、慣れると、現在時刻は約9時40分ということぐらいはわかる。
11時にはこの地を出発しなければ、日没までに王室までたどり着くことができない。
昼食がもてなされた。まだ10時前だったが、本格的に色々な料理が並んだ。
カーノルフタンにいる間は見慣れない魚介料理が並んでいて、ケントは異世界の食材を興味深そうに眺めた。
「お口に合うかわかりませんが、どうぞ召し上がってください」
ファームを経営している老人は優しい口調でそう言った。全身から優しさがあふれ出ていた。
食事が始まってしばらくすると、仕事を終えたクラルーナがやってきた。
「仕事一丁上がり。あんたらのドラゴン、いつでも飛べるよ」
クラルーナは元気な大きな声でそう言いながら、休憩室に上がり込んできた。
「これ、クラルーナ。客人の前では静かにしなさい」
「なんで? 元気に声出したほうが賑やかでいいじゃない。ただでさえ狭い部屋なんだから」
クラルーナは老人100人分を凌駕するほどの賑やかさを振りまいた。部屋の雰囲気も大きく変わった。
クラルーナはケントの隣に行儀の悪い姿勢で座った。
「ケントって言ったっけ、あんた。あんたやっぱちょっと変わってるよね」
クラルーナはケントの顔を覗き込んでそう言った。遠慮のない女性だった。
ケントはこの世界の住民ではなく、地球というこの世界の住民からすると、異界の地に当たる場所で生まれている。だから、ここの住民に比べて、雰囲気が違っていた。どこがどう違うのか、具体的にはわかりにくいが、接すれば、どことなく違いがあり、ケントもその感覚自体は自覚していた。
「そうかな?」
ケントはややこしくなりそうなので、余計なことは言わなかった。
「そうだ、ケント。ここに来るのは初めてなんだろ? だったらいいところに連れてってあげるよ」
「こらこら、クラルーナ。お食事中の客人を急かしてはいかん」
「あの場所で食べたほうが絶対おいしいって」
クラルーナはそう言うと、料理のいくつかを銀紙に包み込むと、ケントを急かした。
「ほら、ついて来なよ」
「は、はい」
仕方なく
「申し訳ないな、客人。クラルーナは身寄りのないゆえ、しつけがなっておらんのです。無礼をお許しくださいませ」
「いえ」
身寄りがない。
クラルーナからは、そのような背景はまったく見えなかっただけに意外だった。
◇◇◇
トゥームスカイはカーノルフタンよりも低いところにある。
トライスコールという自然現象の影響を受ける場所でもある。
トライスコールとは、アロマローズ竜王国に存在する巨大梅雨前線3つが衝突地点で降る雨のことであり、「決して降りやまない雨」を降らす。
このあたりは晴れているが、トゥームスカイの極東は常にトライスコールを降らしていて、決して止むことがないという。
その雨からもたらされた雨水が山を流れ下り、低地に多くの湖を作っている。
この世界では、地球における海のごとく、空が広がる。空が生命の源だった。
クラルーナはトライスコールによって作り出された湖にケントを案内した。
ファームから徒歩10分、丘を越えた先に広がっていた。
約200mの高い丘の上から見下ろしても、視線の先に水平線が広がっていたので、その大きさはとてつもないものだった。琵琶湖より大きいかもしれない。
「ここが、セカンドスカイの湖だよ。な、すごくいい景色だろ?」
「うん」
ケントは自然と巨大湖の景色に目を奪われた。こんな景色はこれまでに見たことがなかった。
「第二の空と言われてるんだ。本当に空の上みたいだろ」
言われてみると、たしかに果てしない空のように湖は続いていた。空の色を湖がそのまま映し出していて、うっかり空と見間違えるようだった。
「こっちから降りられるよ」
クラルーナは快活な女性で、丘の荒れくれの斜面をスムーズに降りて行った。
ケントは恐る恐る下っていくしかなかった。
下ると、湖の水面に手を振れることもできた。
海のような波が生じることはないが、水面は小さく揺れていた。
「だいたい水面の鷹さでトライスコールの強さがわかるんだ。これだと、普通ぐらいだな」
「もっと高くなることもあるの?」
「ああ、この岩が消えるぐらいまで上がったこともあるよ」
この巨大な湖の水かさを1センチ増やすには膨大な水が必要だ。しかし、それが1メートル以上高くなることもあったという。
トライスコールの雨の規模を実感できるエピソードだった。
見てみたいと思ったが、トライスコール周辺は、雷が常に鳴り響いていて、ドラゴンも近づけないのだという。
「私はずっとここで育ったから、いわばここが私の故郷だよ」
クラルーナは岩場に腰かけると、果て無く続く湖の先を指さした。
「もう少し季節が進んで冬に近づいたら、野生のドラゴンの群れがやってくるんだ。それを毎年楽しみにしてるんだ」
「ドラゴンが?」
「ウルカナイって種族さ。ケントもライダーなら、ウルカナイは知ってるだろ?」
「いや……知らなかったです」
ケントはライダーの訓練ばかりしていたから、ドラゴンのことはあまり知らなかった。
マンダラ―マの相棒であり、ペクヨン種のドロババ、ハープロン種、ミローマ種、スノーコラ種、そしてグルグ竜王国の女王、グルグ。
ケントが実際に見たことのあるドラゴンはそのぐらいだった。たくさんの種類がいるドラゴンのうち、それはあまりに少なかった。
「ウルカナイはものすごく鋭い爪を持ってるんだ。空から滑空してきて、水面付近の魚を一刺しにして持っていく。空のハンターさ」
クラルーナはドラゴンブリーダーということもあり、ドラゴンにはとても詳しかった。
「とはいえ、ドラゴンの中で比べると、スピードもないし、火も吹けないから、ファームで育てられることはほとんどないな。魚を獲るにしても網ですくったほうが早いからな」
クラルーナはそう言って笑った。しかし、すぐに真顔になってつぶやくように言葉を追加した。
「でも、人の醜い戦争に巻き込まれないんだから、いい身分だと思う」
「……」
ケントはクラルーナの笑顔の後ろにある悲しみの部分をその言葉から感じ取った。
このあたりは特に、アルマゴート竜王国の侵攻の対象になることが多いと聞く。もしかしたら、クラルーナも戦争で焼け出された一人だったのかもしれない。
◇◇◇
11時になって、ケントとラバールはアロマローズ王室に向けて出発することになった。
クラルーナの世話を受けたこともあり、ケントの相棒も疲労を全回復させていた。
「よし、行くぞ」
ラバールを乗せたキングハープロンが飛び立ったのを見て、ケントも飛行の態勢に入った。
「また来いよ、ケント」
近くでクラルーナが手を振ったので、ケントはそれに応えてから出発した。
ハープロンが羽ばたくと、あっという間にトゥームスカイのファームは見えなくなった。
ここからさらに東へ進んでいく。
ラバールが迂回したので、ケントもそれに合わせて方角を変えた。
トライスコールエリアに近づいてきたことを意味していた。
前方を見ると、薄黒い雲で包まれているエリアがあるのがわかった。ちょうど、雲の筋が3つあり、それらが衝突したあたりに巨大な積乱雲ができていた。
雲は絶え間なく供給されていて、それがトライスコールを降らしていた。
そのルートを大きく迂回して飛ぶ必要がある。
しばらく飛ぶと、再び、たくさんの貿易ドラゴンであるミローマの群れを望むことができた。
地球における、自動車のように列をなして飛んでいた。
ケントにはすでに見慣れた平和な光景だった。
しかし、その光景に1筋の混沌が加わった。
突然、ラバールが減速し、ケントに並んできた。
「敵襲だ!」
ラバールはそう合図を送ってきた。
ケントは言われてすぐに気づいた。視力の高いケントはラバールに負けず劣らず索敵能力が高かった。
右上に点の群れが映った。一般人には点にしか見えないが、それは紛れもなくドラゴンであり、降下のベクトルを見る限り、貿易ドラゴンの群れを攻撃しようとしていた。
ケントは初めて戦いに遭遇した。これまで長く飛行訓練を続けていたが、実際にドラゴンが襲撃してくるところを見るのは初めてだった。
襲撃を見た感想は「地味」ということだった。
敵軍は遠く離れた黒い点でしかない。それが貿易ドラゴンめがけて降下している。それは地味だった。
しかし、ドラゴンの戦いはそういうものだった。
ケントはラバールの指示を待った。
「可哀想だが、無視しよう。我々の権限じゃない」
ラバールは敵のドラゴンから離れることを決めた。
仕方のないことだ。二人ではどうすることもできないし、そもそも権限外だ。あくまでも、敵襲に対抗するのはアロマローズ軍であり、ラバールもケントもいまは軍の外部の人間。
それに、ラバールは戦えても、ケントはまだ敵と戦闘するということの経験がない。
そこまで判断して、ラバールは退避を選んだ。ケントもうなずいた。
ケントは退避しながら、振り返って、ミローマの群れを見つめた。
敵の攻撃で列が乱れているのがわかった。また、小さい赤い点がところどころで生じた。おそらく、敵の炎の攻撃を受けているのだろう。
ミローマは戦闘用ではないので、戦闘用のハープロンなどに狙われるとどうにもならない。一応、貿易ドラゴンには護衛がついているが、それでも、おそらく何人かは死ぬ。
ケントは人の命を見捨てるのにもどかしさを感じながらも、いまは何もできない。ケントはその光景から目を切った。
安全なところまで退避すると、ケントはどことない後悔の念を覚えた。
もちろん、介入したところで何もできなかっただろうが、何もせず逃げて来たことが苦しかった。