僕にも少年期はありました。
みなさんの少年期はいかがお過ごしだったでしょうか?
立派な人生を歩む人はその時から立派なことをしていたのかもしれません。
僕は何もしておりませんでした。
まだ、人生のことを何もわからない状態。どこへ行けばいいのかも皆目わからないまま、とりあえずお父さんお母さんの言う通り、学校の先生の言う通り、生きていました。
反抗期というものがありますが、それは人生を通して何度も何度も訪れるものだと思います。
僕の最初の反抗期は6歳ぐらいのとき。
なぜか家にあった「ファイナルファンタジー」と「マジック・ザ・ギャザリング」で遊び始めました。
僕はそれにはまりました。
当時、お父さんの強い戒めで、「平日へゲーム禁止」「休日は宿題を全部終わらせた後に1時間だけゲームオッケー」という条約が課せられていました。
1時間じゃセーブポイントからセーブポイントまでもいけません。
特に昔のゲームは不親切でしたから、一生セーブできないゲームもありました。
例えば、ロックマンX2というゲームはパスワード制でしたが、最終面はクリアするまでパスワード中断ができません。
それで、僕は1時間でクリアできないので、何度もパスワードでやり直しました。おかげで、当時使っていたパスワードが長期記憶に残ってしまい、今でも覚えてしまっています。
以下は僕が少年期に覚えて、愚かなおっさんになった今でもまだ覚えているロックマンX2のパスワードです。
3217
8853
6728
7681
そんなわけで、ゲームは休日に1時間しかできなかったのですが、最初の反抗期では、ゲームを平日にやり始めました。
怒られましたがごり押ししました。
結果、ついに僕はセーブポイントの未知の先に進めるようになりました。
その代償として、僕は「まともな人生を歩む権利」を失いました。その扉の先に向かう通行料はタダではありませんでした。等価交換だったのです。
僕はゲーム廃人になり、宿題もしなくなり、リア充のポジションを二度と手にすることができなくなりました。
ゲーム廃人にならなくても、リア充になることはなかったと思いますが。
え?
リア充になる権利を捨ててまでゲーム廃人になったことを後悔してるかって?
「……」
わかってない。
たしかに、リア充になることができたら、恋人もできて、友達も100人できて、いい大学に行って、真面目に働いて、結婚もしてマイホームも手に入れていたかもしれません。
でも、それは高度経済成長時代の話でしょ?
いまはゲーム廃人にならなければ、非正規労働廃人にしかなりません。
たぶん、ゲーム廃人にならないまま、氷河期世代と同じ境遇に入っていたら、僕はたぶん自殺してますよ。
僕が生きられたのは、恋人も友達も労働も全部持っていなかったからです。だって、氷河期世代はそれらを手に入れる権利書を一方的に無効にされたんですよ。詐欺ですよ。
僕は権利書を持っていなかったから、失うストレスという名の大地震を無傷で乗り越えたのです。
国を信じて頑張っていた人は阿鼻叫喚だったと思います。そんなことがあれば、ガソリン蒔いて火をつけたくもなるでしょう。
手に入れたものを突然無効化されるのですから。おれは何のために頑張ってきたんだって話ですからね。
科学が発展して、「統計的に、努力が報われるというデータは存在しない」ことがわかって、それに騙されていた人たちが絶望し始めたのです。
現代最大の疫病が「頑張ればきっと報われる症候群」だと思います。その症候群にかかると、ガソリン蒔いて火をつけるようになってしまいます。
僕はゲームというワクチンをうっていたから、無傷だったんです。だから、僕はゲーム廃人というステータスを手に入れたことを正しい選択と考えています。
唯一この疫病から逃れる手だったと思います。
もっとも、生まれつき強靭な免疫力を持っていた人は疫病なんて関係なくて、本当に努力して報われたのだと思いますけど、努力が報われること自体がすでにたぐいまれな才能なんですよ。
でも、そういう人は自分の才能とは思ってない。タチが悪いですね。お父さんお母さん、先祖代々の努力からもらった才能を認めないのだから、感謝の心の1つもない血も涙もない悪魔かと思います。
僕と同じようにゲーム廃人になった人なら、一度はファンタジー小説を書きますよね?
僕はファイナルファンタジー5をプレイしている間に、2作書きました。
この作品は、同時進行で進めていた「バハムートラグーン」と「ブレスオブファイアー」の影響もあって書きました。
僕の中では懐かしさ補正もあって、この作品はぼくのかんがえたさいきょーのふぁんたじーだと思います。
当時は「HP60000のドラゴン」などという表記をしていたのですが、さすがにその表記は改められました。
でも、本来はそういう表記のほうが、僕の中では「すごいドラゴン」という感じでしっくり来るんですが。
ちなみに登場するキャラクターは主人公以外は全員、僕の少年期の時に書いていたものと同じものです。
主人公だけは、当時自分の名前を使っていたりしたので、変えてます。
ファンタジーは不思議なジャンルです。
ミステリーとかSF小説は、立派な人が書いた小説は立派になります。
だから、僕もミステリーとSFは立派な人の小説を読んでからはまったジャンルなんです。
しかし、ファンタジーは立派じゃない人が書いた小説のほうがはまる。僕だけでしょうか?
何を持って立派かというと難しいですが、ファンタジーだけは立派な小説より、自分の小説のほうが楽しかったのです。
その理由を考えていたのですが、ろくでもない大人になったいま、ようやくわかりました。
ミステリーとSFは「大人の病気」で、ファンタジーは「子供の病気」なのだと思います。
こんなものを創造すること自体が病気だと思うのです。しかし、ミステリーやSFは大人になってかかる病気で、ファンタジーは子供のかかる病気だから、子供の病気には、大人特有の哲学をこじらせたような症状はあまり出てこないわけです。
僕もろくでもない大人になりました。ひねくれた性格は現在進行形でよりこじれ続けています。
けれど、ファンタジーだけは大人特有の汚いものから解放されて、純粋に真心に向かい合えます。
僕はろくでもない大人になりました。頑張れば報われるみたいなスポーツ漫画に嫌悪感を覚えるようになってもう久しいものです。
しかし、ファンタジーはそんな子供騙しみたいなおとぎ文句を嫌悪感なく見つめることができるのです。
二度と還らぬメルヘンという言葉がありますが、ファンタジーはろくでもない大人になってもなお、還ることができる奇跡のエリアです。僕はエリア51と名付けました。
ろくでもない大人になってよかったと思うのは、僕が立派な大人になっていたら、きっとエリア51の入り口は閉じられていたはず。
ろくでもない大人だけがその入り口を潜り抜けられます。
汚いおっさんになっても、いまだトトロの姿が見えるほど、心はまだ5歳のままでいられるんです。
立派な大人になって、神様も信じられなくなってしまうぐらいなら、ろくでもない大人のままで、死ぬそのときまでエリア51の狭き門をくぐれる心でありたいと思ったのです。
「絶望の空の帰還編」の後半開始までしばらくお待ちください。